132、勝機
(痛いなぁ、クソ……。忘れていたよ、二刀あるってことを……)
有馬浩助に殺され掛けること三度。夏目朗は忌々しげに謁見の間の玉座の上で舌打ちをする。
一撃目の礫――。
このタイミングを完全に見切って、後ろに跳べたのは出来過ぎといっても良いぐらいのタイミングであった。
だが、直後に浩助はあろうことか刀を投げてきた。
一直線に飛んだ刀は朗が躱す間もなく右肩に突き刺さり、痛みに動きが鈍ったところを一気に斬りつけられ――、そして限界線を使った。
あまりに乱暴なその動きは、正直技とも呼べないような代物だ。
だが、あの反応の良さは咄嗟にできるものなのだろうか?
朗には、あの無茶苦茶な反応すらも技の派生として組み込まれているような気がしてならなかった。これは穿ち過ぎな考えだろうか?
(最初は、水原が戦場剣術の技のひとつとして、有馬に教えたのかとも思ったけど、あの荒々しさや強引さはどちらかというと……)
朗の脳裏に浮かぶのは、一人の白銀騎士だ。
魔界で多くの戦場を駆け抜けてきた彼女ならば或いは、と考えたのだろう。
そして、その想像は正しい。
浩助は皆が寝静まる深夜の時間帯にウェンディからの挑戦を受け、その報酬に技を伝授してもらっていたのだ。その中でも対人戦のとっておきの技が件のものであった。
勿論、件の技はやろうと思って、誰も彼もが再現できるような技ではない。
地面を削って刀を振り切るだけの膂力。どんな状況にも対応できるだけの速度。そして相手に背中を向けられるだけの度胸。その全てが相まって初めて使用可能となる技だ。思いつきで修得できるほど甘い技ではないのだ。
そして、浩助はその技を見事に習得してみせていた。
(だからこそ、有馬は技に絶対の自信を覗かせていたのか……)
朗はどこか口惜しそうに、それでもどこか楽しそうに表情を歪める。
(まだ時間はある。まだまだだ。もっと楽しもうじゃないか、有馬)
それこそ、狂的な笑みを湛え、朗は頭の中で戦略を立てていくのであった。
●
(刃を交えて、相手の攻撃を打ち払う作戦も上手くいかないか。有馬の方が攻撃力は上だし、問答無用で斬撃が跳ね上げられる。認めたくないが、地力では向こうの方が上か)
四十二回目の限界線の使用を行い、いつも通りに決着一時間前に戻ってきた朗は、お手上げだとばかりに嘆息を吐き出す。
「どうかしたの、朗?」
「いや、何でもないさ」
そして、毎度のように反応を示すマリアベールに気のない返事を返す。まるで実験を楽しむかのように、何度も浩助に挑み続けた朗であったが、ここでひとつの結論を出す。
(あの構えを正面から破るには、今の僕には荷が重いらしい)
どうせなら、正面から正々堂々と完膚なきまでに実力の差を思い知らせる予定ではあったのだが、どうやらそれは難しいらしい。
あの奇妙な構えは対個人戦闘用の特化型の構えであるのに加えて、臨機応変な対応を得意とする浩助が使っているためか、崩す方法が見当たらない。あれをまともに相手しようとするぐらいなら、もっと違う方法を考えた方が良い――。
それが、四十二度目の挑戦で朗が出した結論である。
そして、何度も未来を経験することによって、副次的に分かったこともあった。
(僕に敗北は許されない)
それは、何度か浩助に敗れてみて、その先の未来を見たが故の言葉である。
魔族の力を借り、思うがままに采配を揮った反動とでも言うべきか。
魔族の期待を背負い、成果を期待されながら、出せなかったという事実は魔族の怒りの矛先に定められるのに十分だったようだ。
朗は浩助との戦いでは手加減によって絶対に死なないものの、遠からぬ内に魔族に命を狙われて重症を負うことになる未来を体験していた。
重症を負った後にどうなったのかは、即座に『限界線』を使ったのでわからなかったが、ろくなことにならないのは想像がつく。
だからこそ、そんな未来を回避するためにも、朗はここで浩助に勝たなくてはならない。
正々堂々とか、正面からとかは、前提条件を満たしてからの付属品のようなものだ。
まず第一は勝つこと。そして、その上で――ということに他ならない。
だからこそ、有馬浩助の構えを正面から突破できないと結論付けた時点で、朗はやむを得ないとばかりに方針転換する。
即ち、絶対に勝つという方針への転換である。
そして、勝つことだけを目標に掲げるのならば、それは恐ろしく簡単な目標と言えた。
何故なら、朗は既に、有馬浩助に対する勝ち筋を見つけていたからである。
●
「同じ、スキルだと……ッ!?」
愕然とした面持ちで浩助が呟くのと同時に、時が止まった世界の中で朗がニヤリと笑みを刻む。『いつも通り』の反応に思わず嗤ってしまった形だ。
有馬浩助は本当に分かりやすい性格をしている。
「まさか、自分の持っているスキルをまともに把握していないわけじゃないだろう? ――と思ったが、君のことだし、多分把握していないんだろうね」
「うぐっ……!?」
自らの無能を晒す迂闊な表情。
この様子を見るだけなら、大して手強い相手とは思えないだろう。
だが、そうではないことを朗は知っている。
そして、浩助の攻略には何よりもこの『間抜け』な性質を利用しなければならない。
迂闊な情報や、迂闊な挑発は、いつ爆発するかわからない爆弾に近付くのも同義だ。
だから、朗は時が止まったような空間の中で、思い出話をするかのように浩助に語りかける。
「このスキルを見たのは、有馬が水原さんと一緒にオークに追っかけられていた時だったかな? 直接は見えなかったけど、何故かスキルが発動したのだと知覚はできた。多分、同じスキルを持っていたからなんだろうね」
「何だよ、同じスキルを持ってますー自慢か? お前だけが特別じゃないんだぞ的な奴か? 俺はフツーだから、そういうのは、むしろ喜ぶぞ、このヤロー!?」
「いや、単純に感謝を、と思ってね」
朗は肩を竦める。
「君が手本を見せてくれたお陰で、僕はこのスキルがどんなものかいち早く知れたんだ。それについてはお礼を言いたい。本当に有難う」
「敵対しておきながら気持ち悪い奴だな……。それで、テメェはこの空間の中で俺と勝負しようってんだな?」
「それはちょっと違うかな?」
「何?」
不可解そうな表情をみせる浩助を前にして、朗はゆっくりと刀の切っ先を下ろす。
それは、どうにも戦闘意欲がないように浩助には見えた。
「君と正面からやりあって勝てる気がしないんだ。だから、この空間の中で君と一緒に戦うことはしないよ」
「…………。わかんねー。なら、何で捷疾鬼を発動させた?」
浩助の頭の上には、沢山の疑問符が浮かんでいるようだ。
混乱の極みにある彼を救うかのように、朗はゆっくりと口を開く。
「それはね――」
「それは?」
「――万が一を失くす為さ」
浩助の表情が疑問を益々深めたところで――。
――彼の猶予は失くなった。
●
考えてみれば、単純な話だ。
有馬浩助と夏目朗の間には、明確な差がある。
しかも、それは絶対的でどうにも抗いようのない差だ。
……即ち、【スキル】捷疾鬼におけるスキルレベルの差である。
「急がないといけないな」
朗は一人、そうごちる。
スキルレベルの上昇につき、増えるスキル時間は三十秒でしかない。
浩助のスキルが、朗の残り時間三十秒を残して終わったことを考えると、恐らくスキルレベル差はひとつ分といったところか。特上級のスキルは上がり難いものではあるが、それでも特化して成長させてきた身としては若干の不満が残る。
朗はたった三十秒という猶予を無駄にしない為にも、刀を持つ手に力をこめる。
「…………」
《どうしたの、朗? 貴方、今、もの凄く不満そうな顔をしているわよ?》
手元の刀からマリアベールの声が響いてくる。
ドッペルゲンガーである彼女は他人の容姿だけでなく、能力さえも複写できる能力がある。勿論、本物ほどの力を持つわけではないが、七割程度は出力できるようだ。
ちなみに、その力を完全に自分のものにするには、本物を殺す必要があるらしい。
だが、マリアベールはそのことに固執していないようだ。
曰く――。
色々と姿形を変えれば、打開策なんて幾らでも出るのだから、完全な力を得るために危険を冒すのは愚の骨頂よ。
――ということらしい。マリアベールらしいといえばらしい意見に、朗も思わず呆けた表情をみせてしまったものである。
《まるで、物事が上手くいかなかった子供みたい》
そして、彼女は今、水原沙也加を複写して、天剣六撰の能力を扱っている。
当然のように、彼女は念話のスキルで朗の思考へと自分の意志を伝えてきていた。
朗の顔が若干歪む。
「不満……? そうか、不満そうか……?」
《そうよ。本当に大丈夫?》
「大丈夫さ。ただ……」
……朗は浩助を正面から倒すつもりで挑んでいた。
だが、結果はどうだ?
正面から挑むも、何度やっても倒すことはできず、挙句の果てには正攻法を捨て、搦め手で決着をつけようとしている。その事実が、自分が選ばれた人間であると思い込む朗の矜持を甚く傷付けるのだ。
(有馬をここで殺せば、一生コイツを越えることができなくなる。それが、僕の手を鈍らせているのか……)
智謀策謀を巡らせずに、実力で浩助との格の差を教えてやりたい。
そんな思いがあるために、朗は浩助の命を断つことに躊躇を覚えているのだろう。
だが、ここでそんな仏心を出せば、死ぬのは朗だ。
そればかりは受け入れることができない話である。
「……ただ少し残念だと思うだけでね」
それは、いつの間にか、有馬浩助を認めていたということなのだろう。
格の差を思い知らせるつもりで、それでも尚、自分の上をいってみせた男を……心の奥底でそう思ってしまったのだ。
だから、朗はどこか不満げな表情を見せるのだろう。
認めているから、認めてしまったからこそ、こんな結末になってしまうことを望んではいなかったとばかりに。
(だが、この戦いには結果が求められる)
それは、浩助か、朗か、どちらかの死をもって締め括られる、絶対の掟。
そして、朗には死ぬつもりなど毛頭なかった。
だからこそ、彼は浩助を『殺す』ことを選択する。
「願わくば――」
つぷり、と刀の切っ先が浩助の胸に刺さる。
その傷口から赤い液体が流れ出す。
「――君とはもっと違う形で決着をつけたかったよ」
ほぼ朗さんの独白な状態。