129、偽りの笑顔
昔から、容姿を褒められたことは一度もなかった。
物心つかない子供時代に遡っても「可愛いお子さん」などと言われたことは一度もない。
その理由として、彼の目は黒目がちで少しだけ人間離れした容姿をしていたということが挙げられる。そして、彼自身もまたその事実に気が付いていた。
だが、それに気が付いたとしても、普通の子供に何ができよう。
見た目など生まれつきで、いきなりイケメンになれるわけでもない。普通ならば、そういうものだと納得するところだ。
だが、彼は自分の目を隠すかのように、常に細目で生活するように習慣付け始めた。
不気味なのが黒目がちの瞳だというのならば、その部分を上手く隠してしまえば良い。そう行動することで、自分の欠点を他人に見え辛くしてみせたのである。
そして、その行動の結果、周囲からの反応がより優しく柔らかいものに変わった。目を細めることにより、周囲には彼が常に笑っているように見えたのだろう。それが、周囲を和ませ、彼の周囲の雰囲気を変貌させていったのである。
勿論、機微に聡い少年はそのことにすぐに気付く。
そして、彼は人の善意と好意に触れ――、味を占めるようになった。
もっと良くしてもらいたい、もっと褒めてもらいたい――。
それらを求めるのは、子供心としては正常なものであっただろう。そして、子供のルールの中でその望みを叶える方法は、わりと簡単だ。
勉学とスポーツ――。その二つで優れた成果を示せば良い。
だからこそ、彼は自分の欲望のままに勉学とスポーツに打ち込んだ。子供の世界の努力というものは、狭い世界であるが故に、すぐに結果に繋がりやすい。努力はたちまちの内に結果へと現れ、彼を称賛する声は彼の望み通りに周囲に増えていった。環境は彼を受け入れるように優しくなり、彼にとっては非常に暮らしやすい生活となったことだろう。
だが、それでも、彼は自分の容姿にコンプレックスを抱き――。
――何かに追い立てられるかのように、延々と結果を求め続けたのである。
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「――水原、インターハイ優勝したんだって? おめでとう」
「あ、夏目くん」
インターハイ優勝の報を聞いた三日後の部活で、夏目朗は水原沙也加に祝福の言葉を送っていた。時期的には少し遅いのかもしれないが、沙也加の周りにはインターハイ優勝効果ともいうべきか、妙に人が多かったのだ。それを嫌って、機を窺っていたのが災いしたか、少しだけ時期がズレてしまったのは、仕方のないことだろう。
剣道部の部室の中で出会った沙也加はどこか照れた笑みを見せ、両の手の指を組み合わせる。
「ありがと。そういう夏目くんも県大会三位おめでと♪」
「県大の三位程度ではね……。あまり褒められたものじゃないよ」
そう言って、朗は肩を竦める。
この三年間、部活には真摯に打ち込んできたつもりではあったが、それでも朗が求めるような結果は出なかった。周りから見れば、大した成果だと思うのかもしれないが、朗的には不満なのだろう。あからさまに表情が硬くなる。
「せめて、インターハイに出場出来ていれば、胸を張れたんだけど」
彼が求めているのは、周囲の称賛と羨望。それを求めるには、県大会の三位程度ではとてもではないが届かない。少なくともインターハイの出場経験――、それぐらいは欲しいところだ。
だが、沙也加はどこか不思議そうな表情で朗を見つめる。
「そうでもないと思うけど? 組み合わせの妙とかもあるし、県大三位も立派なものだと思うわよ?」
…………。上から目線かよ。
そう言いかけて朗は言葉を飲み込む。
水原沙也加はそれだけの言葉を吐けるだけの結果を残しているのだ。それを言えるだけの『権利』がある。朗はそう『納得』した。
「まぁ、僕の剣道人生は高校までだね。これ以上、頑張っても上は望めないと思う。ここからは、もう一つの勝負事に全力で取り組んでいきたいところだね」
「あ~、もう一つの勝負事……。受験勉強かぁ~」
沙也加がどこか苦い顔をみせる。
水原沙也加は、この高校生活のどれだけの時間を剣道の練習に充ててきたのだろうか。その結果、彼女は全国で一番の成績を叩き出した。それは本当に素晴らしいことだ。
だが、学生の本分はスポーツではない。勉学だ。
そして、朗はその勉学の方に努力の比重をおいていた。
沙也加が剣道に懸けた情熱の半分以上、朗は勉学に時間を注ぎ込んでいたといっても過言ではない。だからこそ、彼は沙也加に祝福の言葉をかけることができるのだ。
(そうだ。僕はまだ勉強で彼女に『負けた』わけではない)
だから、まだ彼女を――『見下す』ことができる。
歪んだ感情を抱きながら、朗は平然とした態度を崩さずに目の前の沙也加の相手を続ける。幼少の頃より機知に富んだ彼は、不自然な環境を作り続けてきた結果、その価値観を凄まじく歪めて今に至るのであった。
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……結果を出す度に周囲の人間が褒め称える。
だから、彼は『自分が他の人間よりも優れている』とそう思うようになっていた。事実、それだけの結果が出ていたし、他の者が自分よりも劣って見えていたのは間違いがない。
そして、自分はやればできるタイプであり、必ず結果は残す人間だと――。
――夏目朗は、自分をそう認識していた。
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(待ってくれ……! あと五分! 五分で良いんだ! 五分あれば、この問題も……ッ!)
「――時間です。鉛筆を置いて下さい」
無情な声が試験会場に響く。某有名国立大学の入学試験会場で朗は絶望的な表情と共に鉛筆を置く。そこには解きかけの数式が記載された答案用紙がおいてあり、あと僅かの計算を残して未解答の回答欄が残っていた。朗はその答案用紙を悔しそうに見つめ、その悔しさを振り払うかのように頭を振る。
自己採点では決して悪い結果ではない――と思う。
ただし、最後の問題に関しては得点のウエイトが大きそうであった為に時間をかけて臨んだのだが……。結果はご覧の有様である。果たして、この結果がどう出るのか……。
(大丈夫だ……。僕はやればできる奴なんだ……。問題なんてあるはずがない……。心の中で馬鹿にしていた連中のように、僕が志望校に落ちるなんてことはあり得ない……。あり得ないんだ……)
表情を変えることなく、それでいて内心で動揺を抑えるのに精一杯になりながら、朗はいつものように笑みを浮かべるのであった。
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「朗! 私立の有名大学受かったんだって! 凄いじゃないか!」
卒業式も近くなったある日、廊下で知り合いに声をかけられて朗は振り返る。そこには、朗が望んでも届かないものを全て持ち合わせている従兄弟がいた。
イケメンな上に頭も良い男――、一条和希である。
朗の母親が和希の母親の姉であり、同じ地域に住んでいることもあってか、よくよく比較されることがある従兄弟である。和希の方がどう思っているのかはわからないが、朗は一方的に彼をライバル視している。簡単にいうとイケメン死ねという奴だ。
「滑り止めに受かっただけだよ。大したことじゃないさ」
そうだ。本当に大したことではない。
朗は結果を望んで準備したにも関わらず、結果を残すことができなかったのだから。受かって当然の滑り止めで何とか体面を保った――、たったそれだけのこと。本当に大したことではない。
「いや、それでも凄いよ。部活も県体三位の結果を残して、主将もやって……、更に勉強でも結果を残すなんて、なかなか出来ないよ!」
「そんなことないさ。そういえば、和希の方は?」
どの大学に行くことになったのか――、それが気になり、朗は聞いてしまう。
「僕? 僕はT大かな」
「T大っていうと……。国立の……?」
「うん。ウチはそこまでお金ないからね。国立しか駄目だって言われて頑張って勉強したんだー」
「…………。そうか。おめでとう」
それは、朗が狙っていた大学の名前だ。
そこに、よりにもよってこの男が受かったという。
朗は奥歯を砕きかねないほどに噛み締めてから、ゆっくりとお祝いの言葉を口にする。
絶対に負けたくない相手に、負けた。
それは、彼にとって如何程の屈辱だろうか。朗はその感情を絶対に表情に表すことなく、和希と話し続ける。正直、その会話の内容の半分も頭の中に入ってきていない。ただただ悔しくて、朗は自分の感情が表に出てしまうのを抑えるのだけで精一杯であった。
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(何がいけなかった? 何が悪かった……?)
卒業式までの秒読みが進む中で、朗は自問自答するかのように授業を受けていた。
授業といっても内容のほとんどが教師の趣味のようなものだ。自由登校での特別授業のようなもので受けても受けなくても良いのだが、今日は卒業式の連絡事項があるために、出席している生徒がほとんどである。
そんな中、詰まらない授業を受けながら朗は何故自分が失敗したのかを振り返っていた。彼の中で最大限の努力はしてきたはずだ。それなのに、及ばなかった。だからこそ、何らかの原因があると考える。決して朗は自分の力や才能を疑うことはしない。
何故なら、彼は『自分が他の人間よりも優れている』と信じ込んでいるからだ。
(僕が優秀なのは疑いようがない。なら、何故結果が伴わない? 努力が足らなかった? 違う。出来得る限りの努力は続けてきた……。なら足りなかったのは――)
その答えを導き出した直後である。
――朗の視界を真っ白な光が焼き尽くしたのは。
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「あの時、僕があの原因に気付けていなかったのなら、果たして今頃はどうなっていたのだろうね?」
「さぁ? でも、今、貴方は此処にいる。それで良いじゃない」
魔王城の一角――、謁見の間と呼ばれる広大な空間。その空間の奥に作られたやけに背もたれの高い椅子に座る夏目朗にマリアベールがしなだれ掛かる。
その様子はまるで娼婦を囲う若旦那のようだ。見た目は高校生と魔族の二人なのだが、その雰囲気にはどこか円熟したものがあるから不思議だ。
そんな二人の様子に構うことなく、アーカム・オールストンが部下からの報告を朗に聞こえるように言葉にする。
「アキラ殿、貴方の言う『侵入者殿』がこられたようですな。まぁ、ベリアル様でないのはちょっと驚きましたが」
「そうですか。では、彼はまもなく来るでしょう。打ち合わせ通りにお願い致します」
「――まもなく来る? 此処は魔王城の七十八階よ? 罠も警備も満載の中で、たかだかニンゲンが此処まで来れるとでも? そもそもベリアルではなくて、本当にニンゲンの方なの? アーカムの部隊の諜報能力を疑うわけじゃないけど俄には信じられないわ」
嫌味ったらしくそう言うのはスネア・フェメリである。
魔界四天王の二人で朗に対する態度が正反対なのは、なかなかに面白い。その辺は二人の性格に大きく起因しているのかもしれないが、とにかくスネアの方は朗にあまり良い感情を抱いていないようだ。否定するように、または馬鹿にするように、朗の意見を否定する。
だが、朗は揺らぎもしない自信と共にポツリと零す。
「彼なら来ますよ。絶対にね」
その言葉に面食らったようにスネアは押し黙り、やがて精神的に押し負けたことに気付いたのか、その顔を朱に染める。人間如きにやり込められたという思いが悔しさに繋がったのだろう。何とも言えないような表情を浮かべ、朗を睨みつける。
そして、その朗の自信は確かなものだったようだ。
アーカムから発せられた情報は、既に侵入者が魔王城の四十階にまで入り込んでいるという驚くべき情報であったからだ。
「まさか、もうそんなところまで……」
「これは、アキラ殿の言っていた通り、下手に手を出すと逆に被害が大きくなりそうです。仕方ありません。四十階以上に残っている精鋭には手を引かせましょう。アキラ殿もそれで良いですね?」
「な――……」
言葉を失うスネアを前に、朗は鷹揚に頷く。
「それで構わないですよ。オールストン様。決着は僕の手で付けますから」
「ちょっ、ちょっとアーカム! こんな人間の言うことを聞くつもりなの! そもそも、何でこんな人間の言うことを!」
「スネア様、黙っていて下さい。そもそも呪いを受けて弱体化している貴女に口を出す権利はありませんよ。今の実力では四天王を名乗るのも烏滸がましいでしょうし」
「な、何故そのことを……」
「私が魔界の諜報部を牛耳っていることを忘れたわけではないでしょう? まぁ、これはオルディアス卿から聞いた話なので別件なのですけどね」
「あの男……ッ!」
突如として裏切った腹心の顔を思い出し、スネアは歯噛みする思いで拳を握り締める。そもそも、スネアがこの場にいるのだって、そのオルディアスからの『お願い』によるものだ。それは断れるものではなく、半ば強制的だった。その『お願い』がなければ、スネアは自室に戻って篭りっきりになっていたことだろう。勿論、自分に掛けられた【呪術スキル】を解呪する方法を探すためである。
そして、スネアが此処に呼ばれたのはただ単に朗の話し相手になるためではない。
「まぁ、それは後にしましょう。今重要なのは、この魔王城が攻められているということ。そして、それをどうにか出来るのが朗ぐらいしかいないということでしょう」
「魔王城四十階を悠々と突破できるような相手なんて、ベリアルぐらいしか渡り合えないと思うのだけど……。いえ、ベリアルでもこの短時間で四十階を制覇するなんて不可能だわ。……となると、ベリアルは恐らく……。そんなバケモノ相手にどう抵抗するのかは知らないけれど、まぁいいわ。ニンゲンが一人死のうがどうでも良いもの。……貴方はやれるだけやってみなさいな」
そう言って、スネアが指を鳴らすと、彼女の配下である魔族の魔道士部隊がぞろぞろと謁見の間にやってくる。
「ふむ、それでは私の方も呼びましょうか」
その言葉を待っていたかのように、アーカム配下の魔導部隊であろうか。白装束の集団がするすると天井から極細の糸を伝っておりてくる。総勢で三百名近くはいるだろうか。それだけの人数が謁見の間に集まる。
それを見た朗はさも楽しそうに、その場で手を叩いて喜ぶ。
「はっはっは、素晴らしいですね」
その瞳はいつものように細められ、その真意が何処にあるのかを見る者に悟らせぬのであった。
スネア「ちなみにオルディアスは何してんのよ?」
アーカム「腹芸を勉強せねばと自室に篭っていますよ?」
スネア「何やってんのアイツ!?」
朗(そういえば、そういうのが必要になるって煽ったっけ……)