127、その先へ
「――!?」
――空気の流れが変わったことを肌で感じ取り、浩助は素早くその場を飛び退く。
「何だっ!? 魔力が集ってやがるのか!?」
それは浩助でなくてもわかる程の強烈な変化だ。気流が渦巻き、その場に立つもの全ての動きを阻害するように嵐が吹き荒れる。
(まさか、気流を乱して、その隙に動きを『固定』するつもりかよ……!?)
浩助は小さく舌打ちをすると共に、影分身が撃つ銃弾を蹴って上空へと飛び上がる。
だが、どうやら浩助のそれは杞憂であったようだ。
渦巻く魔力の奔流は攻性を持たず、只々ベリアルを中心にして集うのみなのだ。危険な臭いを感じない。
普通に考えれば、これは攻撃のチャンスなのだろうが、その魔力に乗るのは『固定』の固有スキルである。下手に動いて昆虫標本宜しくピン留めされるわけにもいかない為、堅実な行動が求められる。
「ヘッ、チャンスをみすみす逃す俺じゃねぇってんだよ!」
――が、浩助はそんなタマではないのであった。
一瞬で【スキル】闇具作成によって火炎放射器を作り出すと、浩助は渦巻く気流に乗せて炎の帯を絡みつかせる。気流がベリアルを中心に引き込むようにして渦巻いているというのなら、そこに炎を絡みつかせれば、簡単に窒息アンド丸焼きの状況が作り上げられる。
ともすれば、簡単にトドメをさせるかも……。
――と、そんな淡い期待からの攻撃であったが、成果が上がるよりも早く気流が弾ける。
「うぉっと!」
足場にしていた弾丸の軌道まで変わり、少しだけ足を踏み外しかけた浩助は迷惑そうな顔のままに眼下を見下ろす。
凪のように静まり返った地上。
そこには先程までの嵐のような光景はなく、静謐さが場を支配しているかのようであった。
そして、その中心にひとつの影が立つ。
「……感謝」
そう呟いたのは、全身を淡い翡翠色の全身鎧に包んだ巨漢の姿だ。
浩助はその姿を見た瞬間に【スキル】精神吸収を放つが、その手応えのなさに驚愕を示す。
「何だ!? 精神力が吸い取れない……!?」
《相手の魔力がゼロですニャ! これでは精神吸収の効果が無いですニャ!》
「精神力がゼロなら相手はぶっ倒れてるはずだろ!? 何でコイツはピンピンしてやがるんだよ!?」
「……固定したからに決まっているだろ、小僧」
瞬間、地上を翡翠色の光が走る。
まるで、指揮者の指揮棒のように直線と曲線を織り交ぜた動き。先程までの勢いに任せた強烈な動きではない。
そんな動きもできるのかと、浩助が一瞬目を奪われた瞬間、ベリアルは進路上にいた影分身を次々と殴りつけ――破砕させる。
「――なっ!? 物理無効の影分身に攻撃を届かせるのかよ!?」
《ご主人様! あの鎧から膨大な魔力を検知していますニャ! 恐らくは――》
「……そうだ、小僧。……感謝だ。……貴様の御蔭で俺様はひとつ次の段階に進化した。……ただ操るしかないはずだった魔力をひとつの武装に変化させる事で死に掛けの俺様を固定し、精神力も体力も状態も変動のない存在に進化した。……そして、当然、この鎧は触れるもの全てを固定し逃さず、届く攻撃も全て固定し無力化する。……つまるところの俺様は」
ベリアルはその翡翠色の体を小さく揺すって声を震わせる。
「……無敵となった」
「…………。中二病かよ。痛ぇな、おい?」
浩助はそう呟くと一気に地上に降りる。
足場である影分身が潰されることがわかった以上、空中で戦っていてはいつ失態を犯すかわかったものではないからだ。
地面に足を付けた浩助が選んだのは二丁の拳銃。それを闇具作成で作り上げる。
近距離戦が不可能に近いと悟った今、その武装を選択するのは当然の行為であろう。
「……さて、やろうか、小僧? ……まぁ、ここから先は一方的な殺し合いだろうがな?」
「言わせておけば、女子高生みてーにぺちゃくちゃ喋りやがって……。テメーの末路は惨めったらしく死ぬって決まってんだよ! いいから、くたばれや!」
互いに暴言を吐き捨てるのが合図だったのか、翡翠色の光と白の残影が絡み合うように交差する。浩助がミリの単位で攻撃を見切って動けば、ベリアルは急激な制動を活かして凡そ人には不可能と思えるストップ・アンド・ゴーで攻撃を繰り返す。
その速度は、ベリアル直属の十二柱将であろうとも見切れる速度ではなく、傍で見守るしかないアンも――。
「凄い……」
――と言葉を零すしかないのであった。
●
地が爆ぜ、空が割れ、音が置き去りにされ、光がそこかしこで瞬く。
有馬浩助は戦っていた。彼の速度があれば、その場から逃げ出すことなど造作もないことなのに、背を向けずに不利な条件下でも必死に戦い続ける。
それは何故か?
(…………。……アンのせいだ)
そう、大切な弟子であるアン・ゴルモアを傷付けられ、あまつさえ、彼女が大切にする叔父という存在を踏み躙るような相手が許せないから戦っているのである。それが無ければ、彼も不利と思われる条件下でここまで粘るような戦いをしていないことだろう。
大気のうねりが衝突して、大きな衝撃波が周囲に吹き荒れた所で、アンはようやく浩助の姿をその目に収める。
「クソがっ! 地雷も効かなくなってやがるじゃねぇか!」
「……言ったはずだ! ……俺様は無敵だと!」
小さな舌打ちと共に両者の姿が再び掻き消える。
目にも留まらぬ高速戦闘の余波を受け、アンはビリビリと震える自身の頬を押さえる。
その時、彼女は初めて自分の頬が濡れていることに気付いた。あまりの恐怖と想像を越えた戦いぶりに自然と涙が流れてしまったのだろう。目の前の戦いにはそれだけの衝撃があった。
……いや、泣いていた原因はそれだけではない。
(…………。叔父さん……。うぅん、お父さん……)
自分のことをいつだって見守ってきた叔父を……父を慕っていた。彼を敬愛していた。
そんな彼を貶され、馬鹿にされ――、それで彼女に出来たことは何だ?
……何もない。
恐ろしく無力だったのだ。
それがわかるからこそ、それに気付いてしまったからこそ、彼女は頬を涙で濡らすのだろう。
(…………。アンは強くなりたかった)
消えたり、現れたり――。まるで、アンとは別世界の住人であるかのように浩助とベリアルは戦闘を繰り返す。その結果、地形は元の様相から大きく様変わりしているほどだ。元々が山を放り投げられた後の地形であり、赤茶けた大地が広がるばかりであったのが幸いといえば、幸いか。環境破壊を気にしないで済む。
(…………。そう、アレに届くには、まずは高機動が必要)
あの世界に『割って入る』ならまず無くてはならない要素をアンは思い描く。それがない状態では戦いになるはずもない要素だ。そして、彼女は自分がまだあの戦いに加わることを諦めていないことを驚く。
(…………。いや、ししょーだって言ってた。早々に諦めるのは馬鹿のすることだって)
信じろと。自分の力を信じて、そして沢山考えろと――。浩助はアンにそう教えていた。
だから、アンは夢想する。
どうすれば、あの位置に届き得るのかということを――。
(…………。必要なのは高機動だけじゃない。高威力も必要)
大地や森を破壊し、空さえも唸らせる破壊の化身の如き力。いくら早くなろうとも、当たってもダメージがないようでは意味がない。それこそ、理想的には一撃必殺の威力が欲しい。
浩助にもそれが不足していたからこそ、ここまでベリアルを相手に苦戦しているのだから、それは必要な要素なのだ。
(…………。そして、高性能も必要)
どんな不利な状況、どんな条件下でも一様に戦えるだけの応用性。一点特化の尖ったスタイルはアンも嫌いではないが、それでは不利な状況の時に打開する力が薄くなる。それは、浩助の自由な戦闘スタイルを見て必要であると強く感じたものであった。
そこまで考えたところで、彼女はハタと気付く。
何の事はない。
彼女が必殺技を欲しいと願った時に言い出した三つの条件――。
それらは、全て彼女の師匠を意識してのものだったのだ。
それがあれば、師匠に届き、いつか追い越せるのではないかと思ったのだろう。
だが、今の彼女にそこまでの力はない。
だから、届かない。
(…………。このままししょーに任せれば、何とかしてくれる?)
アンは淡い期待を抱くが、すぐに首を横に振る。
彼女の師匠は確かに強い。
だが、現在の条件下ではベリアルの方が優勢だ。
それを師匠任せにするというのは如何なものだろう。
それに、浩助は結構な大技もかなりの頻度で連発している。消耗も馬鹿になっていないはずだ。
その状態で全てを浩助に任せてしまって、取り返しのつかない事態になってしまったとしたら?
その時は、アンは狂おしいまでに己を責め立てることになるであろう。
(…………。他人に全てを押し付けちゃ駄目だ)
やることを考え、やれることは自分できっちりとやらなきゃ駄目だ。
だが、あの次元の違う二人の戦いにどうやってアンが力になるというのか?
アンはじっくりと考える。沢山沢山考える。
吹き飛んできた小石が、アンの額に当たり、彼女の額が割れて血が流れるが、そんなものに構うことなく考え続ける。
(…………。居る)
そうだ、と彼女は気付く。
最初から居るのだ。この戦いのレベルについていけてないにも関わらず、この戦いに介入している存在が――。
今のアンでは、浩助には追いつけないし、彼の足手まといにしかならないだろう。
だが、その方法なら……。
(…………。アンはししょーの光になれる!)
アンはゆっくりと呼吸を落ち着ける。
彼女はしっかりとキルメヒアから習ったことを思い出しながら、徐々にその姿形を変えていく。
【スキル】獣化――。
それは、アンの姿を理想の獣に変化させるスキルであった。
今はまだ狼ぐらいにしかなれないが、その内にもっと強力な獣へも変貌できるようになるだろうとキルメヒアには言われていた。
だが、アンがやろうとしているのはその先である。
彼女の師匠は戦いの中で【スキル】闇具作成を唯一無二の技へと進化させた。その相手であるベリアルも【固有スキル】固定を、また唯一無二の全身鎧へと進化させてみせた。
ならば、魔王の才能を色濃く受け継いだアンは?
アンには無理だと誰が決める?
それを決めるのは自分自身だろう。
そして、アンはそれを無理だとは考えない。前例があるのなら、やれないことはないと考える。
(………。高性能、高威力、高機動……ッ!)
狼などといった獣では済まない、もっと先へ――。
(良いお手本がいるのだから……、『彼女』に倣わない理由はない!)
――そして、彼女は至った。
●
《ししょー!》
脳内に声が響いた直後の浩助の判断は実に素早かった。
一瞬でベリアルとの距離を離し、声の出所を探す。
声の出所はすぐにわかった。荒廃とした大地に目にも鮮やかな緋色の鞘に納まった刀が突き立っていたからだ。
何処かで見たようなシチュエーションに浩助の記憶が刺激され、彼は思わず口元を緩める。
「遠慮なく使わせてもらうぞッ!」
浩助は一瞬で刀の前まで移動すると、地面に突き刺さっていた真っ赤な鞘の刀を引き抜いて腰に穿く。その直後に網膜に踊る文字を見て、浩助はその直感が的外れでないことを確信していた。
――天剣不知火と契約を結びました。
【スキル】天剣六撰:Lv3 を習得致しました。
【スキル】天剣六撰:Lv4 を習得致しました。
《…………。ししょー、アンを使う。アイツを斃す為に》
大きな自信と共に語られる言葉に、浩助はニヤけていた口元を更に不敵へと変える。
「大きな口を叩くんだ。それなりの成果は期待できるんだろうな?」
《…………。ししょーとアンが戦う以上、あんな奴には負けない。それは絶対》
「絶対とか大きく出たな。俺はそういうのは苦手なんだが……。いや――」
浩助は軽く首を振って、その考えを改める。
「無敵が相手なんだ。それぐらいが『普通』か」
満足そうに頷いた浩助は神速の動きでベリアルに迫り、その身を不知火で斬りつける。
本来ならば【固有スキル】固定の影響で、刀身はその場で止まるはずなのだが――。
「なぁ……ッ!? ぐぅ――ッ!」
緋の色を宿した不知火の刀身は、実にするりとベリアルの全身鎧を薙いで抜けていた。
「……小僧! ……今、一体何をした?」
固定の能力を持った筈の魔力の鎧から、魔力の残滓が漏れて中に流れる。
固定――、できていない。
「何をしたと聞いているんだぁぁぁぁぁ――――ッ!」
怒りに震える拳を放とうとするが、その行為すらも遅いというのか、無数の赭線が視界いっぱいを埋め尽くすように走って、ベリアルの右腕を消失させる。
「ぐおオオォォォ――――ッ!?」
「なるほど、コイツは絶対だッ!」
浩助は【スキル】鑑定を発動させて、自身が手にする不知火に視線を落とす。
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【固有スキル】天剣六撰―不知火―(てんけんろくせん―しらぬい―)【単一スキル】
効果時間:MP持続/リロード時間:0秒/消費MP:1~99999(単位:分)
所有者:有馬浩助
説明:世界に六本しかないと言われる神滅剣のひとつ。斬られた者は魔力を奪われ、斬った者は魔力を回復する。スキル使用時に、状態:剣へと移行。剣時ステータスはレベルによって上昇。消費MPに比例し、ステータス可変。属性耐性完全解放。天神魔冥特効。MP吸収・極。ただし、所有者を一人と定め、その所有者の求めに応じて距離に関係なく召喚される。
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《…………。アイツを倒したいと強く願った結果。高機動、高威力、高機能の全てをきちんと満たした。今のししょーとアンがいれば、アイツに勝ち目はない》
「確かに。今の不知火はアイツにとっての天敵だな」
浩助は駆ける。
ベリアルはその接近を嫌って闇雲に攻撃を仕掛けてくるが、その全てが浩助を捉えることができない。
元々、速度には大きな隔たりがあったのだ。それを補っていたのはベリアルの固有スキルであり、彼の魔力の特性であった【固有スキル】固定である。
その魔力を全身鎧に変化させることで、【スキル】精神吸収の効果対象外としたまでは良かったが、触れれば魔力を喰らう天剣の攻撃に関しては防ぎようがない。
何せ、不知火の攻撃が当たると同時に魔力が吸われるのだ。
固定の効果を発揮する間もない。
浩助の攻撃速度が勢いを増すに連れ、魔力を元にした翡翠色の鎧は瞬く間に体積を減らし、子供サイズへと変わっていく。如何に体をバラバラにして収納しているとはいえ、この辺が収納の限界だろう。光の如き早さで刀を振り回した浩助は呼吸をすることも忘れていたかのように「フゥッ」と強く息を吐き出す。
「終わりだ。クソヤロー。ジグソーパズルじゃ生温い。砂になって失せろ」
霞むように動く浩助。
次の瞬間には、ベリアルは数百を数える回数で細切れにされ、最後には砂粒のようなサイズになって地面に落ちていた。
――悲鳴を上げる暇もない。
ただひとつ軽い音を立てて砂の上に転がるもの以外は音すら立てずに決着はついたのである。
その砂の上に転がったものを拾い上げながら、浩助はそれを不知火の鞘の飾り紐に括り付けてやる。
「大事なもんだろ? 今度は盗られるんじゃねぇぞ?」
それは金色の璽。アンの父の形見とも言える代物であった。
《…………。……うん、アリガト、ししょー》
少しだけ表情を崩してはにかむアンを幻視しながら、浩助は「さてと」と前を向く。
まだ、やるべきことが残っている――。浩助の目はそう言っていた。
「そんじゃ、次行くか」
《え? 行くって何処へ?》
随分とのんびりした沙也加の言葉に、浩助は「すっとろいこと言ってるんじゃねぇ」とばかりに目を剥いて答える。
「決まってんだろ。俺の町が荒らされて、俺のダチが傷付けられたんだぞ? 相応の報いはくれてやらねーといけねぇだろ。目には目をって奴だ!」
《うん。多分、有馬のことだから間違った用法で使ってるわよね、それ》
本来は、自分が害を受けた以上の害を相手に返してはならないという意味合いで使う言葉だが、浩助の中ではやられたら十倍返しでやり返すという意味になっているようだ。
沙也加は思わずクワバラクワバラと心の中で唱えてしまう。
「お礼参りだ、行くぞ! ついでに二度とアンにちょっかい掛けられないように再教育だ、コノヤロー!」
《あぁ、はいはい。もうどうにでもなれ~だわ……》
なげやりな沙也加の言葉を皮切りに、浩助は加速する。
狙いはひとつ。――魔王軍領地に対する報復活動であった。