124、会敵
「さってとぉ、本日も快晴! MPも完全回復! それじゃあ、気持ちよくアンを返してもらいに出発すっか! いくぞ、オラァ!」
「そのガラの悪い掛け声で誰がやる気出すのよ……?」
「そうですか? 私は良いと思いますけど?」
からっと抜けるような青空が広がり、早くも湿度による不快指数が高まり始めた中、浩助たちはどこか余裕のある様子で出立の準備を終えていた。
状況としてはアンが人質に取られている為にもっと焦るべきなのだろうが、彼らにその様子は見られない。それは、アンを自分たちが鍛えたという自信もあるが、わざわざ人質を取ったことを考えると、傷付けるような真似はしないのではないかという予測が立つからだ。
まぁ、相手の頭がおかしい場合はその限りではないのだが。
「えぇ……、それ本気で言ってる? 棗ちゃん?」
「えぇっと、何かこうトリャーって感じになりませんか?」
「ゴメン、その感覚分からないわ」
軽く首を振る沙也加の尻尾髪が揺れる。
そんな沙也加の様子を見ながら、棗が「そんな~」といった声を出すのを聞きながら、コイツら仲良くなったなぁと浩助は場違いな感想を抱いていた。
どうやら、一晩のお泊りは少女たちの友情を育んだようだ。
ちなみに、浩助はテントの外でねこしぇに見張りをやらせながら仮眠を取っていたので、特に友情が育まれることはなかった。というか、MPを回復したいがためにテントでゆっくりと睡眠を取りたかったのだが、女子二人に追い出された(主に沙也加。棗はウエルカムだった)形である。なかなか忍びない話だ。
「何でもいいから、そろそろ行くぞ! ってか、川端、アンがどっちに行ったかわかるか?」
「えぇっとですねぇ。恐らくアチラではないかと」
木々が乱立し、まるで見通しが悪い場所にも関わらず、棗は迷いなく一箇所を指し示す。どうやら視認しているわけではなく、感覚的に相手の居場所を感知するような固有スキルを持っているらしい。
浩助はその言葉に感心しつつ、前方を見渡してから怪訝そうに眉根を寄せていた。
「んん?」
見間違いかと思ったのか、一度目を擦って再度凝視する。
だが、どうやら見間違いというわけではないようだ。
前方にある二千メートル級と思しき山の頂きがぐらりぐらりと『揺れて』いる。
「えぇっと、何だあれ?」
「揺れてるわね。山」
「地震……、じゃないですよね? こちらは揺れてないですし」
やがて、山は生き物のように激しく鳴動してその動きを止めたかと思うと、次の瞬間には大量の土砂を撒き散らしながら宙を舞っていた。それが近場の何もない平原に着地し、多くの動植物を生き埋めにした後で浩助たちはようやく唖然とした表情を浮かべる。
目の前で起きたことが信じられないのだろう。
まるで『山が邪魔』という理由だけで放り投げられたかのような光景に彼らは度肝を抜かれていた。まさに人間業ではない。
「えぇっと、一応追加情報ですけど聞きます?」
棗が申し訳なさそうに言うのを浩助は視線だけで促す。
「あの、山があった場所に有馬先輩の目指す相手がいるようです」
「つまり、えぇっと……。――ゴメン、有馬。アレと戦うの?」
沙也加の声にはできれば否定してくれという嘆願が込められていた。
だが、浩助は口元に余裕の笑みを浮かべると――。
「たまには本気で戦ってみるのもアリだろ?」
「…………。死なないでよね?」
苦渋の決断とばかりに告げられる沙也加の言葉に浩助は軽く肩を竦めて応えるのであった。
●
有馬浩助が本気で走った場合、その速度は秒速二十『キロ』程度であり、光速の一万五千分の一にしか満たない。ただ、そこに諸々のスキルが乗ることで瞬間的に百五十分の一くらいまでには縮めることが出来る。ちなみに、音速が秒速三百四十『メートル』ほどであることを考えると、浩助の速度がどれだけ奇異なものかは理解できることであろう。
それでも、彼は常日頃からその速度で動くことはなかった。
当然だ。そんな速度で走って物にぶつかったら、大ダメージを受けるのは浩助の方なのである。防御力ゼロの恩恵をあまりナメないで頂きたいといったところだ。
というわけで、普段の移動は力をセーブして行っている浩助なのだが、今回に限ってはその力を大分開放していた。木々の天辺から天辺へと風切り音を響かせながら圧倒的速度で跳躍していく。地面を走るのも手だが木の根に躓いて転倒した際のリスクを考えるとこういう走法になるのだろう。MPはなるべく残したいという意図から空を飛ぶのも無しだ。
「うっひょおおぉぉぉぉ――ッ! 気持ちイイィィィィィ――ッ!」
《まぁ、超人感あると、はしゃぎたくなっちゃうわよね》
「超人じゃねぇ! 普通人だ!」
はいはい、という沙也加のぞんざいな返事に青筋を浮かべながら、浩助が空中移動をしていると岩場の影から何かがチカリと光った気がした。その光に対して、浩助はほぼ反射的に左腕を動かす。
「――っと」
刹那で三度霞んだ左腕は、まるでマジックショーのように三本の矢を掌へと出現させる。
「俺は武器については詳しくは知らねーけど、弓矢ってのはこんな距離が離れていても狙えるもんなのか?」
《いやいやいや、地球上の常識ではありえないからね?》
大樹の頂点に着地したところを狙い過たずに矢が飛んでくる。
だが、そんな攻撃さえも些細なものだというのか、浩助は飛んでくる矢を全て掴み取ってそのまま相手に向かって投げ返していた。物凄い勢いをつけた矢が――、
――明後日の方向に飛んでいく。
「矢って投げたら真っ直ぐ飛ばないものなのか?」
《普通に考えて当り前でしょ!? このおバカ!?》
やいのやいのと揉めている間にも、矢継ぎ早に相手の矢は飛んでくる。それを全て余裕をもって躱す、もしくは掴み取りながら、何となく射手の人数が少ないのではないかという感想を浩助は抱く。
だが、次の瞬間には浩助はその考えを否定する。
射手が少ないのではない。ここまで矢を届かせる程の凄腕がいる――そう考えるのが正しいのだろう。
「山を動かしたり、視認困難な距離を簡単に射抜いてきたり……。なかなかどうして敵は楽しい連中じゃねーの!」
浩助が加速する。
それと同時に矢の狙いが大幅にズレていく。恐らくは浩助の早さについてこれなくなったのだろう。それと同時に浩助はようやく魔族の隊列の最後尾を視認していた。何故だか妙に隊列が間延びしている感があるが、それでも最後尾は最後尾だ。
浩助は一気に大樹の頂点から地面へと着地すると、そのまま最後尾にまで追い縋る。
風景が熱帯雨林の様相から一瞬で赤茶けた大地へと変貌する。恐らくは、此処が元々山が聳え立っていった場所なのだろう。土と岩ばかりの悪路に思わず閉口しかけるが、少し走ってみてすぐに気付く。足場が割りとしっかりしているのだ。
魔族の行軍によって踏み固められた後なのか、それとも他の要因によって『固められた』後なのかはわからないが、踏ん張りが効くのは浩助にとって朗報だ。地面の土を足先で掴むようにして大地を蹴る。
――その際に、細雪の鯉口を斬るのも忘れない。
瞬間、のたくたと歩いていた魔族の隊列に一陣の突風が吹き荒れる。響いたのは鈴の音のような残響音。それが幻聴でないことは、次の瞬間に百人以上の魔族が血風に塗れながら倒れ伏したことで証明される。浩助は刀を振るい、刀身に付いた血を払い飛ばすと、ようやく異変に気が付いたらしい魔族たちが振り返る様を見て酷薄そうな笑みを浮かべていた。
「はーい、どーも。山賊でーす。身ぐるみじゃなくて命もらいまーす」
《その詐称はどうなの……?》
沙也加の呆れた念話が届く中、浩助は一気に加速しようとして――。
――足を止める。
「おっと」
浩助の足先半歩手前。
もし一歩でも踏み出していたのなら確実に縫い止められていたであろう箇所に矢が突き刺さっていた。
予測して射たのか、たまたまなのかはわからないが、それでも浩助の最初の一歩を『殺した』一射に少しだけ恨みがましい目つきで、浩助は矢の飛んできた先を睨みつける。
そこには六本腕の偉丈夫が三つの弓を持ち、浩助に向けて狙いを定めている姿があった。それを見た浩助は某悪魔超人を思い出し、魔族って何でもありかぁと感心したりもするのだが、それは些細な問題である。
「ダーネス、御苦労」
そんな無用な感心をしている浩助の目の前に一人の少女が歩み出る。二本の腕を胸元で組み、残りの八本の腕で武器を構える姿は横柄にして勇猛さを感じさせる。ついでに尊大さもか。
そして、浩助はそういう偉そうな相手がすこぶる嫌いだった。思わずメンチを切ってしまう。
「誰だ、テメェ?」
「ベリアル様直属の十二柱将が一人、アスラ族が皇、ジーニャ・アンクローズ――。余の可愛い部下を殺した礼、その身にたっぷりと刻んでくれよう」
「うっわ」
大嫌いな権力の権化っぽい雰囲気だけでなく、実際に偉いらしいと知って浩助は思わず嫌な表情をみせる。むしろ、何というかあんまり触れたくない感じである。
「俺、エラソーなガキンチョとか嫌いなんだけど」
「誰が餓鬼か! 余を愚弄するとは許さぬぞ! その四肢細切れにして撒いてくれようか!」
「はぁ? やれるもんならやってみろ! バーカ! バーカ!」
「低俗が! 野に散れ!」
瞬間、発条仕掛けの人形のようにジーニャが跳んだ。土煙を蹴立てながら、その勢いだけはいっちょ前のように加速する。
確かに勢いだけ見れば物凄く見える。
いや、事実、弾丸のような速度で浩助に向けて迫っているのだろう。だが、浩助にはとても遅い動きにしか見えなかった。思わずあくびをしながら――隙を狙って放たれた剛弓の矢を三本ほど左手で掴み取り――すれ違いざまに刀でジーニャを撫で斬る。
浩助とジーニャが交差し、浩助の背後で地鳴りのような轟音が響く。
何だと見やれば、まるで地面から間欠泉が噴き出したかのように土の本流が上空に向けて高々と噴き上がっているではないか。それが、ジーニャの拳によるものだと理解した瞬間、浩助は思わず胸を撫で下ろす。正面から対抗することなく良かった、と。
一方のジーニャは自分の攻撃が外れたことを知ると勢い良く振り返って――。
――はらり、と自分の着ていた服が全て布切れとなって地面に落ちていくのを知る。
彼女は一瞬で生まれたままの姿になってしまった自分の体を見て、慌てて局部を手で隠す。
「な、なななな……、なななななな――――ッ!?」
腕が沢山あるだけあって、その絶対防御はどうやら完璧のようだ。
見えそうで見えないというか完璧に見えない。
それでも、あまりの恥ずかしさにショックが隠せないのか、動揺の声を上げながら、その場にペタリと座り込んでしまう。その様には先程の威厳など微塵もない。見た目通りの子供そのものだ。
「ムカつく奴だが、ガキも女も斬るのは好きじゃねーからそれで許してやる! ……惜しむらくは、もう少し出るところが出てれば眼福だったというところだが、まぁ、今後に期待だ!」
《何を期待しているのよッ!》
脳内で金切り声じみた沙也加の説教が炸裂するが、顔を顰めるだけで無視。次いで浩助はダーネスと呼ばれた六本腕の男に視線を向けていた。
「とまぁ、この程度の実力しか持たない雑魚の山賊なんだがオタクもやるかい?」
「いや、降参だ」
ダーネスと呼ばれた男は両腕を上げて、お手上げのポーズを取ってみせる。
その様子を満足気に見守っていた浩助は一瞬で加速すると――。
「一本だけ残しておいてやる。後ろから射られても困るからよ?」
――斬ッ!
ダーネスの六本の腕の内、五本が宙を舞って、舞っている間に微塵に刻まれる。ダーネスが痛みを自覚するよりも早く、一番上の右腕を残してダーネスの腕は全てがミンチへと姿を変えていた。
「――――ッ! ぬぐぐぐぐぅぅぅぅぅぅぅぅ……ッ!」
五本の腕を失くした痛みに思わず肩を抱くようにしてダーネスが地面に跪く。その地面には赤黒い血がまるでコールタールのように粘り気を帯びて垂れ流れていく。やはり、魔族の種類によっては血の色や性質も違うのかもしれない。そんな事を思いながら、浩助は散歩をするような気軽さで元の位置へと戻っていた。
だが、周囲の魔族たちにはその動きは全くといって見えておらず、それこそ空間魔法でも使ったかのような移動っぷりに息を飲むしかない。あっという間に黙り込んでしまった周囲に対し、浩助は少しだけ嘆息を吐き出すと刀をやおらぶんぶんと振り回す。全然敵愾心がない敵を斬っても面白味がないということだろう。
「おう! 俺は山賊だぞッ! 死ねコノヤローだとか、クタバレコノヤローだとか色々あんだろ! 面倒くせーんだから、さっさとかかってこい! カウンターでぶっ殺してやんよ!」
『ひ、ひぃぃぃぃ~~っ!? なんて頭のイカれた野郎だ~~! こんなの相手してらんねぇ~~!』
三々五々、魔族たちは勝手な事を喚きながらバラバラに散っていく。
その後ろ姿をポカンと見ていた浩助はわなわなと震えたかと思うと額に青筋を浮かべながら叫ぶ。
「頭イカれてねぇぇぇぇぇ――ッ! フツーの山賊だぁぁぁぁぁ――ッ!」
《怒るトコ違くないッ!?》
だが、叫んで相手を死ぬまで追い回していたら、それこそ頭のおかしい人だ。
浩助は頭にくるのをグッと堪えて我慢しながら、未だ進軍をやめない魔族軍の先頭へと視線を向ける。
背後で起きている異変には気付いていそうなものだが、それでも止まる様子を見せないというのは逃げの一手ということなのか、それとも興味がないのか。
どう考えても普通ではないものを感じながら、浩助は土の足場を蹴って加速する。
空気が渦巻き、衝撃波が辺りでまごついていた魔族や素っ裸のジーニャを吹き飛ばす。そんな光景に目をくれることもなく、浩助は魔族の隊列を一気に追い抜かし、その先頭に躍り出ていた。
爆走する陸竜。その背に不遜な面構えをした男が座っている。
その男から怖気をもよおすような殺気を受けながら、浩助の視線はある一点から離れない。
男が持つ極太の鎖がゆっくりと引かれ、持ち上がっていく。土埃と泥が鎖から剥がれ落ちていく。それは、長時間地面を引きずるようにして放り出されていたが故だろう。そして、その鎖の先には……。
《アンちゃん……。酷い……》
沙也加の言葉がどこか遠くに聞こえる。
浩助は一瞬、耳が遠くなったのかと思ったがそうではない。単純に頭に血が上ったが故に視野狭窄に陥ったのだ。怒りが浩助の思考をただひとつの色に塗り替えていく。それは、殺意という名の黒い色――。
「必死に泣いて許しを請えば、半殺しぐらいで許してやろうってぐらいには考えていたんだがよ――」
刀を持つ右手が怒りのあまりにギシと軋みを上げる。博愛、慈悲、寛容、そんなものを尊重しようとしていた時代が懐かしいとばかりに、浩助は周囲の空気を一変させる強烈な殺意を男に向かって叩き付ける。
陸竜が暴れ狂い、男が宙に放り出されるかと思った瞬間――。
陸竜も男もその場に『固定』されてしまったかのように動きを止める。それは、彼の背後に続いていた数十人の部隊も一緒だ。皆一様に驚愕を顔に貼り付けながら、自分の体が急に動かなくなったことに悲鳴のような声を漏らす。
その異質な動きに浩助は一瞬だけ注意を逸らすが、すぐに凶悪な笑みを浮かべて相手を威嚇する。
「――テメェだけは全殺しだ」
「……ぁん? 寝惚けているのか? ……寝言は寝てから言えよ、小僧?」
陸竜の硬い背にボロボロになったアンを叩き置きながら、男――ベリアル・ブラッドは周りの空気を歪めるほどの殺意を放ちながら、ゆっくりと陸竜の上に立ち上がるのであった。