121、湖畔の町防衛戦42 side浩助 ~終幕、そして6~
目の前にいる相手を人間という枠に収めてはいけない――。
それは重々承知しているつもりだったのだが、流石に目の前で脅威的な動きを見せられてしまっては、納得よりも先に驚きがくるか。
空の上をまるで踊るようにして、目まぐるしく動く男を前にして、ファルカオは目を丸くするしかなかった。
「何者ですっ! 私がベリアル様の右腕、竜軍師ファルカオと知っての狼藉ですか!」
薄ら寒いと自分でも思うような時間稼ぎの言葉を発しながら、ファルカオは状況を分析する。
どうやら、相手は一人。
だが、この相手というのがすこぶる強い。
下手をすれば、彼の主ベリアル・ブラッド以上に……と思わせるものを感じる。
(そう思える時点で、この男は脅威だ……。ここで排除しなければならない……)
呼吸を整える。
普通に戦っては、恐らく勝てない相手だ。
だから、持てるもの、切れるもの、全てを形振り構わずに切らなければいけない。
――ファルカオは、その決意を一瞬の内に固める。
「侵略者って、押し入り強盗みたいなもんだろ? 何で、俺がそんなもんに名乗らきゃいけねぇんだよ? 馬鹿か? 死ね!」
振る手も見せぬ素早い突きに胸部を強打され、思わず息が詰まるファルカオ。
まさか、時間稼ぎの策を見破ったというわけでもあるまい。
それで、この振る舞いだとすれば、この男は相当な傍若無人か。
自分の計算が外れたことに、内心で歯噛みをしながらファルカオは奥歯を噛み締める。
(まさに、親父殿と行動原理が同じ――、ならば、このファルカオ・マッキネィ、その動作の全てを読み切って――グボァッ!?)
カッコつけて一人で独白を行っていたのが気に入らなかったらしく、いきなり横っ面に刀の峰による殴打を食らう。
だが、ファルカオは空中で踏み留まると、垂れていた鼻血を勢い良く拭い去る。
どうやら、ダメージはないというアピールのようだ。
浩助もそれには気付いたようで、攻撃する手を若干休める。
「その程度の攻撃、いくらやっても無駄ですよ。私は――」
「魔竜族なんだろ? タフネスと防御に自信ありってトコか。んなもん、鑑定スキルが使えれば、誰でも分かる。……っていうか、さっさとしやがれ!」
「……どういうことです?」
「雑魚なお前を倒したところで、得るものが何もないって事だよ! いいから、さっさと『竜化』しやがれ! 手加減も面倒くせぇんだよ、馬鹿!」
「…………。……クックックッ、正気ですか、貴方?」
さもおかしくて仕方がない――そう言っているかのように、ファルカオの表情が歪む。
「私の竜化は、自身でも制御しきれない代物。それこそ、占領地を灰燼に帰したことも一度や二度ではすまない。そのため、戦ではいつしか使うこともなくなり、封印したスキルなのですよ? それをわざわざ使えだなんて、貴方、相当な死にたがりですか?」
「何、ドヤ顔で『自分は雑魚だからスキルもろくに扱えません』発言してんだ? 雑魚自慢とかいいから、さっさと変身しろよ、三下」
「…………。――後悔するなよ、貴様」
紳士然とした態度をファルカオがかなぐり捨てた時、彼の体が急速な膨張を始める。
肉が肉を喰らい、骨が再構成されているのか、耳障りな音が不断で響く。
それは、凡そ浩助が思い描いていた変身よりも二倍はグロく、そして何よりも近場で見るには余りに……『巨大』に過ぎた。
《ちょ、ちょっと大き過ぎない……?》
「あぁ、離れた方がいいな。……っていうか、竜に変化なんていうから、大型トラック程度だろうと思っていたが、これは――」
宙を蹴って離れ、その全容を把握するにつれ、浩助は言葉を失う。
大型トラックどころの話ではない。
高層ビルひとつがそのまま横倒しになったぐらいの大きさはあるだろう。
いや、それだけに留まらない。
見ている間にあっという間に体積を増やしたファルカオは、そのまま浩助の視界いっぱいにその姿を広げ、目の前で見ている浩助でさえも全容を把握しきれないほどに巨大になっていく。
浩助の目の前に映るのは、真っ黒な鱗に覆われた皮膚とギョロリと動く巨大な赤い目玉だ。それが、虫けらを見るような目で浩助を見下ろし、岩肌で出来た口角をつり上げる。
『……さて、卑しき者よ、覚悟はいいか?』
絶対的な強者が弱者に向ける余裕か。
ファルカオに先程までの焦りはない。
だが、弱者は鼻で笑うと、臆する事もなく太い笑みを浮かべる。
「何の覚悟だよ?」
『無様に死ぬ覚悟だ』
黒竜が巨大な顎を開いた瞬間――。
――バンッと巨大な風船が割れたような破裂音が辺りに響き渡る。
直後に黒竜を襲ったのは、全身の皮膚という皮膚を剥がれたかのような、えも言えぬような痛みであった。
『グオオオオオオオォォォォォォォ――――ッ!?』
痒いやら、痛いやら、苦しいやら、何がなにやら分からない。
それでも、ファルカオは涙に滲む視界の中で自分の目の前に飛び散る黒い欠片を目撃していた。
いや、欠片などではない。
それは、黒よりも黒い漆黒の闇を塗り固めたかのような……、それでいてファルカオには見慣れた物であった。
『グォ――、ガッ――、まさかァァァァァ――ッ!?』
ファルカオは自身の背中を確認するかのように振り返り、そして愕然とする。
ファルカオの皮膚という皮膚が血を噴き出しながら露出している。
まるで羽根をむしられた鶏のような情けない姿である背中を見て、ファルカオは発狂せんばかりの咆哮をあげていた。
それを、耳を押さえて耐えながら、浩助は周囲に飛び散った漆黒の物体――つまるところのファルカオの鱗全てを一瞬で収納スキルで収集していた。
思わずホクホク顔でファルカオに振り返る。
「やっぱ、ドラゴンは素材がウメーわ。ごっそさん」
『私の鱗を全て剥ぎ落としたというのかァァァァァ――ッ!』
ファルカオの全長は約一キロ近くある。
その大きさを一瞬で駆け、そして全面にある鱗を剥ぎ落とすなど、一体どれだけの時間が掛かる作業になるであろうか。
少なくとも、『一瞬』ではないだろう。
だが、目の前のこの少年は鼻歌を歌うかの如くに気楽に『それ』をやってみせた。
その速度たるや、ファルカオの知覚できるレベルのものではない。
「まぁ、皆に迷惑をかけた賠償金だと思って諦めてくれや」
『…………』
一瞬、表情の分かり難いドラゴンの表情に諦念のような、怒りのような、複雑な感情が浮かび、そして彼は破顔する。
『クックックッ……、クククッ……、アーハッッハッハッハ――ッ!』
「お? 三段笑い? 理解できない事態にとうとう頭がイカれたか?」
『ハッハッハッ! コレが喜ばずにいられるか! 貴様という強敵を乗り越える事で、私はまた一段と高みへ行くチャンスを得たのだ! 自身の好機を喜ばぬ阿呆はいないだろう!』
「あぁ、そういうこと。無理だと思うけど」
特に興味もなく、浩助は無味乾燥に返事を返す。
そんな浩助に対し、ファルカオは避ける暇も与えずに自身の巨体を使って体当たりを敢行する。
視界いっぱいに山のような巨体が広がり、空が噴出する血で赤く染まる中、浩助はどうという事はないとばかりに、一瞬でファルカオの目の前から姿を消していた。
『この巨体で迫っても、容易に躱されるというのか!?』
「悪いな。その程度じゃピンチにもなれねぇわ。あぁ――」
バキンッと金属質の音が響き、ファルカオは頭上と指先に衝撃を覚える。
「――角と爪は貰うぜ」
その次の瞬間には、ファルカオの角と爪が魔法のようにその場から消え去っていた。
だが、ファルカオは懲りない。
瞳に闘志を滾らせて口腔を開く。
「ならば、ブレスの火線で焼き尽くしてくれよう!」
息を吸い込み、歯をむき出しにした瞬間、ファルカオの牙が一斉に抜け落ちる。
まるで、全ての歯をペンチで抜かれたような激痛がファルカオを襲い、彼は力ないブレスを明後日の方向に吐き出すことしかできなかった。
「目に見えないほど高速で動く相手を、どうやって捉えようってんだよ。頭使えよ、馬鹿」
「グゥゥゥ……、な……、ならば、強風だ……! この一帯の風の動きをかき乱してやろう……!」
翼で空を打とうとした瞬間、ファルカオの両翼が斬り飛ばされる。
空から落ちようとする巨体を魔法力だけで支えながら、ファルカオは青褪めた顔で背後を振り返っていた。
そこには、ファルカオの血に塗れた刀を拭う浩助の姿があり――。
――彼の傍らにある水鏡のような空間にファルカオの翼は吸い込まれていった。
「それは有効かもしれねぇが、そんなもん、俺がさせるわけねぇだろ? ……後は、尻尾か。水原、使えよ。――必殺技」
《はいはい。無理な力で振り回さないでよね?》
浩助の声に応えるようにして、細雪の刀身が一気に五十メートル程に伸びる。
自分の意志によって刀の形状を変える――それが水原沙也加が持つスキル、天剣六撰-細雪-のスキルを魔改造した結果である。
これすなわちスキルの昇華であり、便宜上、必殺技と呼ぶものだ。
浩助の場合は、異世界の理を知らぬ無知と、膨大な精神力、そして、ねこしぇによる精密な設計書により、不定形の影に精密機構を与えるという馬鹿げた必殺技を生み出したのだが、水原沙也加は如何せんそこまで非常識人ではない。
そもそも、沙也加が強さを発揮するのは刀形態の時だけであり、必然的に必殺技は『刀の形態で使用できるもの』という制限が掛かっていた。
それは、沙也加の自由な思考を束縛し、実に必殺技の開発の幅を狭めさせたのである。
故に、沙也加の必殺技開発は難航した。
最初に沙也加が考えついた必殺技は、刀の刀身を消すことであった。
ウエンディが使っていた漆黒の剣を見て、思い付いたスキルの昇華形態である。
だが、上手くはいかなかった。
それもそうだ。
自身が刀となっているのに、その姿が消えるようなイメージを明確に持てるはずもない。
それは、自己の否定であり、現実主義者の沙也加には難しい感覚であったのだ。
ならば、と今度は刀の形態変化を取り入れてみようとした。
つまり、刀であるのに、刀以外の得物に変化してみようとしたのだ。
だが、これはスキル側に制限があるのか上手くいかなかった。
元々、人を刀に変化させるスキルなので、そこから鎚や斧に変化するというのは、この世界のルール上難しいということのようであった。
刀以外のものに変化できないのである。
そして、そんな形態変化を試している最中に偶然叶ったのが、形状変化である。
刀が長くなったり、短かくなったり、柄が長くなったり、完全に質量保存の法則を無視した変形を見せたのだ。
それを沙也加は使えると考えた。
武器の射程を自在に変えられるのは、あらゆる場面での取り回しの良さに繋がる。
それは、浩助という無茶苦茶な相棒にきっとプラスになると考えたのだ。
ちなみに、それを見ていた浩助は「何で刀が色々と変わるんだよ。粘土か、テメーは」とツッコンだところ、懇切丁寧に刀の種類も様々にあるのだとか、むしろ、薙刀も刀の一種だとか、そんな話を延々二時間に渡って説明され、うんざりした経緯があったりする。
まぁ、閑話休題――。
「おう、コレコレ。――で、払うように斬るだったか?」
長大となった沙也加を手にした瞬間、浩助の姿が掻き消え――、白銀が尾を引いてファルカオの尾をあっという間に二十周する。
次の瞬間には、樹齢二千年の大木ほどはありそうなファルカオの尾が切れて、その場に大量の血潮がぶち撒けられていた。
『グギャアアアアアアアァァァァァァ――ッ!』
「鱗も剥げちまったような尻尾が素材になるのかねぇ……?」
ビュンッと刀に付いた血潮を振り払いながら、浩助は分離した尾を収納スキルで格納する。
「さぁて、残る素材は……」
『……クククッ! ククククククッ! アーッハッッハッハッハ!』
「うっせぇなぁ……」
もう自棄なんじゃないかと思えるファルカオの笑い声に眉をひそめながら、一応、何だとばかりに視線を向ける浩助。
一方のファルカオは、瞳にまだ希望の火を灯しながら息を荒げる。
『見つけたぞ! 貴様の弱点を! この勝負、私の勝ちだぁぁぁぁぁ!』
ファルカオが息を吸い込み、巨大な火球を放つ。
近付いただけでも骨ごと灰になりそうな熱量を伴った火球は、だが、浩助に掠ることもなく明後日の方向に飛んでいく。
それを見た浩助はただただキョトンとするばかりだ。
「何処に吐いてるんだよ?」
『ククク……、何処だと思う?』
「……まさか」
『ハハハッ! 貴様の町に向かって吐いたのだよ! さぁ、行って止めなければ手遅れになるぞ! まぁ、貴様の大好きな町が灰燼に帰しても構わないというのなら別だがなぁぁぁぁ――ッ! アーッハッッハッハッハ!』
「クッ! なんて雑魚だ! 俺の想像以上に雑魚じゃないか!」
『アーッハッッハッハッハ! 焦れ! 叫べ! そして、火球を止めるために貴様は消し炭に――、……何?』
急に冷静になるファルカオ。
浩助の言葉の意味を一瞬で理解したようである。
「こんな事で勝ったと思われるとか、雑魚の中でも底辺ぐらいの雑魚過ぎて哀れみすら感じちまうぜ……!」
「何を……、言っている……?」
「つまりこういうことだ」
浩助は大きく息を吸い込むと、手でメガホンを作り、湖畔の町方面へ声を投げ掛けていた。
勿論、呼ぶのは……。
「ティアァァァァァァァァァァァァ――――ッ!」
それと同時に、対岸すら定かに見えなかった湖が蠢動を開始する。
森に生息していた鳥や動物、虫達が天変地異に脅えて一斉に逃げ出す中で、湖の水が鳴動し、地鳴りと共に盛り上がっていく。
やがて、それは浩助の位置からでもはっきりと見える程、巨大な水の人型となって立ち上がる。
「はぁぁぁぁいぃぃぃ、有馬様ぁぁぁぁ~! 呼びましたかぁぁぁぁぁ~!」
まるで不協和音のような大声が届くのを待ってから、浩助は叫び返す。
「火球がァァァァァァ! 町にぃぃぃぃ! 飛んでいったぁぁぁぁぁ! 守れぇぇぇぇぇ!」
「わぁぁぁぁかりましたぁぁぁぁぁぁ――ッ!」
水で出来た巨人の右腕が動き、ファルカオの発した火弾をラリアットの要領で消し飛ばす。
あまりの高温と巨大な水の塊がぶつかりあったせいか、水蒸気爆発が起こり、空に派手な爆音を撒き散らす結果となったが――、……それだけである。
湖畔の町は依然として無事であり、状況は何も変わらない。
「うっし。そんで、次の素材だが……」
《某ハンター的に言えば、竜玉とかだから心臓じゃない?》
「ふーん、心臓ねぇ……」
『ま、待て、ニンゲ――……』
そして、ファルカオは見る。
自分の目の前で掲げられる、脈打つ巨大な心臓を――。
『ア――、ガフッ……!?』
「何か、玉じゃねぇんだが、いいのかこれで?」
《うーん、イメージと違うわね……。というか、グロイんですけど……》
「んじゃ、直視すんのもいやだし、とりあえず収納スキルの中にしまっとくか」
「キ――、ア――、ガ――……」
最後の言葉は言葉にならず、ファルカオは自身の巨体を支えられずに、一気に地上へと落下していく。
それを見下ろしながら、浩助はにべもなく言い放つ。
「結局、アイツはただの勘違い系雑魚だったってことでいいのか?」
《何か、なになにの右腕~とか言ってた気がするけど、気の所為よね。とりあえず、進みましょう》
二人は大概酷い感想を交わしながらは先を急ぐ。
ベリアル直属の配下である十二柱将――。
最早、その程度のレベルの魔族では浩助たちの足止めにもなり得ぬのであった。