119、湖畔の町防衛戦40 side浩助 ~終幕、そして4~
それは、ファルカオが浩助にどつき回されるよりも三十分以上前の話である。
リリィ、ベティの頑張りとは裏腹に、浩助は湖畔の町の防衛戦の事など露も知らずに、ただひたすら暗闇が満たす空間の中で意識だけの存在となり浮いていた。
一通り、脱出の為に色々と試してはみたのだが、精神だけがこの闇の世界に囚われているせいか、肉体時とは勝手が違い、ままならぬ部分もあるために浩助は苦戦を強いられていた。
(やっべぇなぁ……。みんな、心配してるだろーな……)
相手の意図までは読めなかったものの、此処にこうして精神が囚われているという事は、元の肉体は目覚めていない状態なのだろう。
植物人間のようになってしまった自分の姿を想像し、浩助はぶるりと背を震わせる。
(まぁ、こんな状態になっちまった以上、何もできねーと諦めるのは簡単だが……)
浩助は闇の中で、愉しげに笑みを浮かべる。
精神体なので、そんな事はできないはずなのだが、逆に言えば、精神体だからこそ、気持ちの持ちようでそんな事もできる。
(そうなんだよなぁ、何か調べてる内に、この空間に徐々に順応してきちまった俺がいるわけだ。――で、大体、この空間の『ルール』も掴んだわけで)
有馬浩助は馬鹿である。
だが、ただの馬鹿ではない。
難しい漢字も読めないし、数学だって算数の時代で止まってしまっているし、テストの成績も壊滅状態だ。
それでも、学園中の他人の弱みはそらで言える程に記憶していたし、小狡い事、小賢しい事に関しては滅法頭が回る。
この空間に囚えられた後も、不安や絶望を覚えるフリをして、ケーネルライトからちょこちょこと情報を引き出していたりと、ただの虜囚というわけではなかった。
そして、浩助の小賢しい脳味噌の中では、この空間から脱出可能という結論が出ている。
後は、彼自身の演技力と精神力の問題だ。
(さて、と――)
浩助は静かに気息を整えるのであった。
●
「どうやら、この空間の中には、本当に俺とケーネルライト、お前だけしかいないようだな」
「ようやぁく、分かったのかよぉ……。間抜けぇがぁ……、叫ぼうがぁ、足掻こうがぁ、だぁれも助けに来ちゃあくれない空間なんだよぉ……、ここはぁ……」
暗闇の中、ねちっこい陰気な声が返ってくる。
普通に聞いたのなら、薄気味悪さやおどろおどろしさを覚えたものだが、浩助は内心でニヤリと笑みを浮かべる。
ケーネルライトは気付いていないようだが、今の言葉には大分、この空間に対してのヒントが含まれていたからだ。
(つまり、この空間の中には俺だけでなく、ケーネルライトの精神も存在しているってわけだ。で、この空間を調べてみた結果だが、意外と狭い。せいぜいが、十六畳ってところか? 恐らくは、閉じ込めておくだけの時間が決まっていないんだろーな。だから、無駄に広い空間にはせずに、その空間を維持するためのMPを節約している……)
そして、ここでのポイントはその空間の狭さである。
それが、程良い具合に『恐怖』を増長させてくれるからだ。
(この空間は精神で出来ていて、気合さえ入れれば、精神でも肉体のように感覚だとか、感触だとかは、再現できる……。うっし、すこぶる気は乗らねぇが、やるしかねぇか……!)
浩助は覚悟を決める。
そんな心の決意が精神体となっているケーネルライトにも伝わったのだろうか。
彼が少しだけ警戒するような気配が伝わってくる。
「だからぁ……、諦めてぇ……、大人しくしてるんだなぁ……」
「そうだな、こんな狭い空間に閉じ込められたんじゃあ、誰も助けに来ちゃくれねぇよな」
「物分りがいいじゃぁ……、ねぇかぁ……」
「つまり、今、この空間には俺とお前の二人っきりというわけだ」
「……ん?」
「そっちに……、行っても良いか……?」
何処か熱っぽい声を出しながらも、あくまで真摯な表情で浩助は闇の中を見つめる。
その圧力にただならぬものを感じ取ったのか、ケーネルライトが引く気配がありありと伝わってくる。
「お、お前ぇ……、何を考えてやがるぅ……」
「聞きたいのか……?」
「嫌ぁな予感しかぁしねぇがぁ……、聞いてやるぅ……」
「好きだ。二人で一緒になろう」
「うげぇ~……、ゲロゲロゲロォ~……」
「背中、さすってやろうか……?」
「ふざけんなぁ……! 誰のせいだと思ってやがるぅ……!」
怒り心頭とばかりに怒鳴り散らすケーネルライトに対し、浩助はポッと頬を赤らめるイメージをケーネルライトに送りつける。
「お……、俺のせいか?」
「やめろぉ……! どもるんじゃねぇ……! そして、さり気なく背中をさすろうと近付いて来るんじゃねぇ……!」
「オーケー、分かった。これ以上は近付かない」
そう言って、浩助はひっそりと進めていた歩みを止める。
実際には、ケーネルライトの意識がある場所に近寄るイメージで自身の精神を進めていただけなのだが、どうやらその試みは上手くいったようだ。
そこで、浩助は最高の笑顔を思い浮かべ、そのイメージをケーネルライトに向けてぶつける。
「だが、俺の中の男の子が我慢できなくなったら、その時はその時だからな?」
「ふざけるなぁ……、この野郎ぉ……! 生まれて初めて告白されたのが、○モとか私の精神にどれだけのダメージを与える気だぁ……!」
「でも、嫌いじゃないよな? そういうの?」
「話を聞けぇ……!」
どうやら、ケーネルライトは御立腹のようだ。
その様子を見て、浩助は躊躇いを覚えたのか、暫しの間、押し黙る。
そして、おもむろに――。
「無理矢理ってのも、燃えるよな……?」
「おいぃ……、何迫ってきてやがるぅ……?」
手をワキワキさせるイメージで迫ってくる浩助に、ケーネルライトは距離を取ろうと意識を向けるのだが、その退路を突如として分厚い壁のようなものが塞ぐ。
「何ィ……!? 何だ、この壁はぁ……!?」
「悪いな。何か慣れたら作れた」
「ふざ――、このぉ……!? はぁ……!? この私が精神力を注ぎ込んでいるのに、壊れないだとぉ……!?」
「あぁ、やっぱり。注ぎ込んだ精神力が強さに直結するんだな。何となく感じていたけど、ようやく確信が持てた」
「くそぉ……! くそぉ……!一千の精神力を練り込んでるんだぞぉ……! 人間がそれを凌駕するなんてこと、有り得てたまるかぁ……!」
「あぁ、その壁には二千五百ぐらいの精神力を練り込んだから、それぐらい気張らないと壊すのは無理だぞ?」
「に、二千五百ぅ……!? ス、スネア様レベルだとでも言うのかぁ……!?」
「まぁ、今はそんな事よりも……。――な?」
「ぬぅわぁぁぁぁぁ! それ以上、近付いてくるんじゃねぇぇよぅぅぅ――っ!?」
ケーネルライトの絶叫が響き渡る。
その声に呼応するかのように、闇に包まれていた空間に次々と白い亀裂が走っていく。
そして――。
●
「…………」
それこそ、今までの全てが夢であったかのように、有馬浩助はパッと目を覚ます。
目の前に見えるのは、魔界でも有名な美少女従姉妹が驚いたように覗き込んでくる姿であり、浩助はその顔を見た途端、二人を両の腕に抱く。
そして、叫ぶ。
「やっぱり、女の子が大好きだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――ッ!」
「何やってんのよ、このスカタンッ!」
そして、浩助の顔面にめり込む水原沙也加の拳。
熱い一撃に、目の奥で火花が瞬くのを見ながら、浩助は「よぉ」と片手を上げる。
「悪い、悪い。俺の中の男の子の部分が反応しちまってさ」
「アンタねぇ……。次やったら、本気で去勢するわよ? ……リリィちゃん、ベティちゃん、大丈夫だった?」
「いえ、ほんの少し吃驚したくらいで……」
「ほんのすこしドキドキしたくらいで……」
「「で、でゅわ~……」」
最後のハモリが微妙に力ないのを聞くに、それなりに動揺してはいるようだ。
そんな二人の様子を頬を掻いて眺めてから、浩助は気付く。
彼の部屋に、厳しい顔をした湖畔の町の面々が集っている事に……。
「よぉ、浩助、その様子だと元気そうだな」
「元気か、元気でないかというなら、クソほど気持ち悪かったが、今は元気だ。っていうか、そっちはボロボロだな、拓斗」
「悪い、頑張ったんだがこのザマだよ。全部は守りきれなかった。すまない……」
「主語が抜けて、さっぱりわかんねーよ……。まぁ、お前らがボロボロになるまで何か頑張ってやってたんだなーってのは分かるけど」
浩助の言うように、この場に集ったほとんどの面子が、砂を頭から被ったかのように薄汚れており、彼がケーネルライトに拘束されていた間に何かが起きたのだと気付かせるには、十分な格好をしていた。
「ですニャーが寝てる間に、魔族攻めてきたんだぞ……」
いつもは快活な表情を見せている洛も、どこか沈んだ表情をみせる。
それだけで、結果が芳しくなかった事を浩助は知る。
「相手の数があまりに多く、この町を守れた事だけでも奇跡ですわ。それだけの猛攻でしたから」
他の者と比べて、あまり薄汚れてはいないアスタロテも、どこか疲弊したような声を響かせる。
瀟洒然と振る舞っているのは、あくまで敗戦感を出さないようにしているからだろう。
被害を考えれば、圧倒的に魔族側の方が多い。
そして、魔族側の将も多くの数を減らし、再度の侵攻には時間が掛かる事だろう。
戦争の結果だけを捉えるなら、この戦は湖畔の町の勝利だ。
だが、相手の目的を考えるのならば、この戦は敗戦、ということになるのだろう。
その意識を植え付けないためにも、アスタロテはあくまで平然を装う。
「テメェの守りたい者が大勢死んだぞ。……田中も死んだ」
慶次が静かな怒りを湛えた声で、そう告げる。
表情には出さないが、それこそ腸が煮えくり返っているのだろう。
浩助が一声かければ、それこそ魔王城まで乗り込んでいきそうな熱を感じる。
「全ては、自分の不徳が招いた結果だ。……すまない」
キルメヒアが神妙な面持ちで頭を下げる。
元々は、キルメヒアがアーカムの手紙を無視していなければ、この事態は起こり得なかったのかもしれない。
そう考えると、キルメヒアの中で思うものがあるのだろう。
神妙な表情で頭を下げるキルメヒアの姿を見た後で、浩助は頭を掻く。