116、湖畔の町防衛戦37 side??? ~終幕、そして1~
『――全軍撤退! 全軍撤退! 目的は達成した! 全軍撤退せよ! 無用な戦闘は不要である! 戦力をこれ以上減らすことなく、撤退せよ!』
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「潮時、か。……なかなか面白かったぞ、タクトとやら。余の力をここまで引き出すとは、なかなかだ。だが、どうやら時間のようだな」
八本の腕を前面で組みながら、十二柱将の一人であるジーニャは薄い胸を張る。
その目の前には、地面に剣を刺しながら何とか立っている状態の拓斗の姿があった。
「もう少し楽しみたいところではあるが、今日はお暇するとしよう。――ダーネス!」
「ハッ!」
六本腕の偉丈夫が、指揮者のように腕を振るうだけで、その場にいた魔族の軍勢が一斉に隊列を整えて転進し始める。
その光景を満足そうに見据えながら、ジーニャは自身の腕を八本から二本へと変化させる。
「ではな、タクト。また戦場で見えようぞ」
ゆっくりと去っていく小さな背中を見守りながら、鈴木拓斗は返事もままならずに、その背を見つめるしかない。
正直、剣を支えに立っているのがやっとの状態なのだ。
ウィットに富んだ答えを返せるわけもなく、ジーニャが退いてくれた事に内心で感謝すらしていたくらいである。
「拓斗、大丈夫か!」
近くで見ていた洛が疾風の如くに駆け付け、今にも倒れそうなその体を支える。
だが、流石に背が低すぎて肩は貸せないらしく、ふらふらと上体が揺れる。
それを背後から、支える腕が一つ。
「やれやれ、武器屋の旦那は無茶し過ぎですよ……」
「屋代君に、洛ちゃん……。ははっ、迷惑掛けたね……」
肩で息を吐く拓斗は、泥だらけの顔になりながらも柔和な笑みを浮かべて見せていた。
その表情には、やり遂げた達成感のようなものが見える。
「彼女が一騎打ちの際に『手を出すな』って命令をしていたのが聞こえていたからね。なるべく、一騎打ちを引き伸ばして皆に被害が出ないようにしたんだけど……」
「それで、拓斗がボロボロになってちゃ、意味ないぞ!」
洛が怒ったように眦をつり上げる。
それを見て、拓斗は改めて馬鹿な事をしたのだなぁ、と今更ながらの感想を持っていた。
「うん、流石に次はやらないよ。というか、やれないよ。収納スキルの九割の武装が破損してしまったからね。本当に強かった……」
「いやぁ、鬼神の如き強さって奴ですね、ありゃ。まぁ、戦ってる最中に時間を稼いで、即席で武器作って戦ってる旦那もアレでしたけどね」
「そうでもしなきゃもたなかったんだよ……。それで、洛ちゃん、彼女は?」
「おう、そうだった!」
どこかバツが悪そうに目の前の光景を見つめる、銀髪ツインテールの少女の姿があった。
「わ、私は魔獣姫、ケーティ・ティア――」
「けーちゃんだ! 洛の仲良しさんだ!」
「全然違ぁ~うっ! 誰が仲良しさんだぁ~っ!?」
「もしかして、十二柱将、じゃないッスか……?」
何となく雰囲気で嗅ぎ取ったのか、屋代が恐る恐る意見を述べる。
拓斗も緩みかけた雰囲気を思わず硬くするが、ケーティと名乗った少女は言い辛そうに頬をポリポリと掻く。
「いやぁ、まぁ、元だなぁー。そこのちっさいのに唆されて裏切ってしまったんだよ……。今更、ヘコヘコしながら親父様の元に戻っていっても殺されるし……、正直、こっちに厄介になるしかないかなーと思ってるところだ……」
「大丈夫だぞ、けーちゃん! そんなに気を落とすな!」
洛があははと笑いながら、ケーティの背を叩く。
その瞬間に、ケーティのこめかみに浮かぶ青筋。
「……おっ、まっ、えっのその嘘のせいでっ! 私はこうして絶賛お困り中なんだよぉ~っ! 何が、バケモノが町の中に居るだぁ~! 全然、姿形も見えないじゃないかぁ~!?」
「ですニャーが中に居るぞ!」
「だから、何なんだよぉ~っ!? その死の猫ってのはぁ~っ!?」
「普通の人だ!」
「くっそ~! 会話にならねぇ~っ!? おい、そこの武器のバケモノォ~! コイツ、話が通じないぞぉ~! 何で普通の人がバケモノなんだよ~っ!?」
「うーん……」
増岡と屋代が互いの無事を確かめ合って喜びの声を上げているのを見守りながら、拓斗は腕を組んで考え込んだ後、納得いく説明を思い付いたのか、ぽんっと掌を打つ。
「バケモノが、『俺のことは普通だと言え』と命令すれば、それに逆らえないでしょ? まぁ、そんな感じかな?」
「何なんだ、その軟弱なバケモノはよぉ~……」
「孤高よりも、アットホームな方が良いって事かな。まぁ、そんなところだよ。……そんな事よりも、だ。ちょっとさっきの念話が気になるね」
拓斗の脳裏をよぎるのは、司令室から飛んだ緊急通達の話である。
まさかという思いがあるが、懸念が晴れないのは万が一が有り得るからだろう。
内心で落ち着くように言い聞かせ、静かに息を整える。
「信じたくはないけど、オタナカが死んだって……、本当なのかな……」
その問いに答えられる者は、その場に誰一人として居なかった。
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「……見事」
黒色の甲冑を纏った首無し騎士は、そう呟いて膝から地面に崩れ落ちる。
だが、死んだわけではない。
互いに動きが鈍ってきたところで、ウエンディ渾身の浸透勁がバルムブルクの左脇下に突き刺さり、彼の者の意識を奪ったのである。
特に浸透勁は、鎧を抜けて中にまで衝撃が伝わる。
心臓に近い位置から打たれれば、衝撃が心臓にまで伝わり、相手は極度の呼吸困難と意識の消失を味わう。
そんな裏技的な秘技を受けて尚、最後の言葉を残すとは……。
ウエンディは、叔父の凄さの一部を垣間見た気がして、視線だけで礼をする。
学ばせて貰った――そんな意識があった。
「ウエンディさん、大丈夫ですかっ!?」
決着がついたのを見届けて、女性冒険者の一人がウエンディに近付いてくる。
その少女に頷きを返しながら、ウエンディは改めて周囲の様子を見回す。
付近は地形が変わる程の激しい戦闘の爪痕が色濃く残っていた。
それと共に、野晒しとなっている多くの屍たち――。
――やりきれない気持ちと共に、彼女は視線を伏せる。
「私なら無事だ。それよりも、皆は……?」
「怪我はしていますけど、十五名ぐらいは無事です。その……、他の人は……」
少女が目を逸らす。
その言葉の続きは言わずとも知れた。
元々、五百対三十という無茶な戦力比での防衛戦だったのだ。
それに加えて、戦闘馬車による被害も大きかった。
もし、北山の高度魔法陣による援護が無ければ、この場の勝敗の結果は逆になっていたかもしれない。
それだけ、死闘であったという事だ。
――と、そんな凄惨たる戦場で声が上がる。
「おーい! 誰か手伝ってくれー! コイツ、まだ息があるぞーっ!」
「えぇっ!? ちょ、ちょっと誰か! 回復薬がある人行って! それに、回復魔法が使える人も!」
緒方が必死になって戦場で倒れていた冒険者を引きずり出しているのを見て、少女は慌てて指示を飛ばす。
その様子を見て、ウエンディは自分よりも、この少女の方がよっぽど指揮官らしいと内心でため息を吐く。
それと共に、自分も負けていられないという気持ちが湧き立つ。
「皆、手分けして戦場で倒れた冒険者を探し出せ! もしかしたら、生きている者がいるかもしれない! それと、魔族の残党にも注意せよ! 死んだフリをしてこちらの隙を窺っている可能性があるぞ!」
「「は、はいっ!」」
生き残っていた冒険者たちは、ウエンディの号令一下で、弾かれたように戦場であった場所へと駆けていく。
既に、バルムブルクが率いていた魔族の軍勢は散り散りに逃げ去っており、脅威はないはずだが、それでも賢しい魔族がいるかもしれない。
注意喚起を促しながらウエンディは、ゆっくりと気を失っているバルムブルクに近付く。
「叔父上……」
――尊敬する叔父であった。
技の師であり、心構えや戦術の師でもあった偉大な人物であった。
そんな遙か高みにいる人物を打ち倒したというのに、実感がウエンディにはない。
それもそのはずだ。
彼女が勝ったのは、彼女だけの力ではなかったのだから。
(叔父上に勝てたのは、自分の力だけでは決してなかった……。あの時、皆の声が私に力をくれた……。叔父上は、何を馬鹿なと言うかもしれないが、私はその声に背を押されるようにして力を奮えたのだ……。勝ったのは私ではない。この町の――、人々の力なのだ。だから、叔父上、私は……)
それを言ったところで、どうなるものでもないというのは分かってはいるのだが、ウエンディはその言葉が、口をついて出る事を止められなかった。
「……私はこの者たちと共に歩んでいくよ」
ウエンディは剣を振りかぶる。
仲間の安寧と、強敵との決着を明日の糧にするために――。