115、湖畔の町防衛戦36 side朗 ~策謀~
「そんな……、そんなことは……!」
オルディアスの声が震える。
だが、その動揺した声こそが、それを内心で認めてしまっている何よりの証拠だ。
「大体、こんな重要な秘密を腹心である貴方に隠している事からして不自然じゃないですか。恐らく、スネアは貴方が力を持っている事を警戒しているからこそ、貴方に真実を告げる事をしなかったんだ。スネアは卿が怖かったのですよ」
「な、ならば、新人……。お前は、スネア様のこの事実を知って、一体何をしようとしていたのだ……?」
隠しきれぬ震える声で、オルディアスはせめてもの反撃とばかりに、朗に水を向ける。
「彼女の弱みを握って、一体何を……」
「そうですね。少し欲しいものがありましてね」
「欲しいもの……? それは……?」
「――とりあえず、このスネア軍『全部』」
その瞬間、剣に掛けていたオルディアスの腕が動く。
――が、抜剣の機先を制して、朗の手がオルディアスの細身剣の柄を握って押し込み、それをさせない。
一体いつの間に近づいたのか。
目の前にある凶悪な朗の表情を前にして、オルディアスは背を冷たい汗が流れるのを止めることができなかった。
「やめて下さいよ、オルディアス卿。見ていたのでしょう? 僕がこの天幕に入るところ。だったらわかりますよね?」
確かに、オルディアスは朗が天幕の中へと消えていくのは見ていた。
いや、正確には見えなかった。
だからこそ分かる。
オルディアスと朗の間には、明確な力の差があるという事を。
だが、それでもオルディアスは、剣を抜こうとする力を緩める気はない。
「敵わないからといって匙を投げていては、魔界の貴族の名折れなのでな……。特に、我輩の可愛い部下たちをお前のような得体の知れない者に預けるわけにはいかぬ……」
「オルディアス卿、貴方は少し勘違いをしていますね」
「何……?」
「僕が卿たちを玩具のように扱って、使い潰すと考えているのなら、それは違いますよ。僕は貴方たちに少し『協力』して貰いたいと思っているだけで、決して貴方たちを陥れようと思っているわけではないのですから」
「……その言葉をそのまま鵜呑みにするとでも?」
「貴方になら分かってもらえると思ったのですがね。忠臣のフリをして、あわよくば四天王の座を狙っている貴方になら……」
「…………」
すっ、とオルディアスの手から力が抜ける。
剣呑な雰囲気は消えていないが、その瞳には何処か探るような気配が感じられる。
「新人、貴様は……」
「僕はね、ただ証明したいだけなんですよ。自分の力を。ほら、嫌でしょう? 君は養豚場の豚と同じぐらい優れているだなんて言われても、そんなの優れているかどうかすら分からないじゃないですか。だから、自分の力は自分で証明しないと、周囲に間違ったまま認識されてしまう。僕はそれが許せないだけなんです」
「それが、我輩たちの軍の乗っ取りに何故繋がる……?」
「それは足掛かりですよ。オルディアス卿」
深淵のような朗の漆黒の瞳にオルディアスの意識は次第に堕ちていく。
この男は危険だと、脳が軽傷を鳴らしているのだが、朗の心地良い言葉はオルディアスのわだかまっていた不安をいちいち取り除いてくれるのだ。
――彼は自分と同じだ。
――自分と同じで正しく実力を評価されずに燻っている。
――彼なら、もしかしたらスネアよりも自分を上手く導いてくれるかもしれない。
そんな危険な思いが、はっきりとした形となってオルディアスの胸に去来する。
今までは、上にスネア以外の者がいなかったからこそ抱かなかった思い。
だが、今目の前にいる、この男はオルディアスが心の奥底で望んでやまなかった、その地位を、その待遇を、実力の証左を、与えてくれるのかもしれない。
「僕の目標は、とりあえず魔族全ての掌握ですから」
「!?」
――違う。
オルディアスよりも、この男は先の先まで見据えていた。
身の程知らずと笑うよりも先に、オルディアスはそこまでの野心を抱く事が出来なかった自分の矮小さを恥じる。
そして、今、目の前に居る男の大きさに感心してもいた。
オルディアスの気配から、剣呑なものが完全に抜け落ちる。
「分かって貰えたようですね」
「……志は分かった。だが、どうやってそれを成す? 新人が前に出て、スネアの真実を語ったところで信は得られないだろう。戯言と一蹴されるだけだ」
「えぇ、分かっています。だから、体制はこのままで。スネアの上に僕が君臨しますよ」
「……何?」
「まぁ、見てて下さい」
そう言って、朗は水晶で作られた棺の蓋を開ける。
その瞬間、結界が張ってあったのか、ビリビリとした感触が朗を襲うが、彼は顔を顰めただけで特に気にすることもなく、スネアの人形の前に手を翳す。
危険感知のスキルLvを上げていくと、Lv7で生命感知というスキルを覚える。
これを使用すると、離れた場所の生物の位置や状態を何となく知る事ができるのだが、今回はこのスキルを生命力のない人形に向かって使用する。
そうすることで、朗は人形の左手首部分に何やら微弱な反応があることに気付く。
「此処か」
朗はそう言うなり、何の躊躇もなく小太刀を抜刀すると、その左手首を切り取る。
一瞬、眉を顰めるオルディアスだが、その切断面から出てきたものを見て反応を示す。
「それは……?」
「偽りの生を使用するには、仮の器に本人の肉体の一部を埋め込む必要があります。今回はこれのようですね」
朗が取り出したのは、短く切られた金色の髪の毛だ。
それが手首の辺りにまとめられ、束となって埋め込まれていた。
「それをどうするつもりだ? いや、そもそも何故そこまで、この術に詳しい?」
「偽りの生は【スキル】呪術のLvMAXで覚える呪法ですよ。そして、僕はそのスキルがLvMAXだ。簡単な理屈でしょう? そして、媒体さえあれば、相手を呪う事も可能なんですよ」
「……スネアを呪うというのか? だが、スネアも相当なレベルの術者だ。簡単に呪えるとも思えないが……」
「そのままでは、恐らく難しいでしょうね。ですが……」
朗は精神を集中させて、【スキル】精神統一LvMAXを発動する。
そして、続けて【スキル】暗黒魔法Lv3の精神増強を発動。
更に、ダメ押しとばかりに【スキル】憎悪LvMAXを発動させる。
(精神統一は、憎悪を飼いならすため……、精神増強で魔法攻撃力を増強し、憎悪のスキルで魔法攻撃力を一気に十倍にまで引き上げれば……)
相手が相当な魔法防御力を誇らない限り、これで相手が抵抗できる事はないだろう。
「ここまで底上げすれば、よっぽど念入りに魔法防御を上げていない限り防ぐ事はできませんよ。そして、これが埋伏の毒となる……。【スキル】呪術Lv8――蝕の悪夢」
朗の体からごっそりと魔力が持っていかれる感覚。
だが、それでも減ったのは四割程といったところか。
まだまだ戦闘を続けるには、十分な力が残っていた。
「その呪法は……?」
「対象の相手のステータスを徐々に奪う魔法ですよ。今頃、スネアは魔法を掛けられた事を知って愕然としているのではないですかね」
「そんな中途半端な事をして大丈夫なのかね、新人? 逆上して襲い掛かってくるのでは?」
「大丈夫ですよ、オルディアス卿。貴方が黙っていれば、僕がやったとは分からない。それに、もし僕がやった事に気付いたとしても、力を僕に吸収された状態で僕に勝てるわけもない。……後は、彼女が利口かどうかという事だけです」
「どういう事だ?」
「【スキル】呪術Lv9には、徐々に相手を死へと追い込む呪法があります。それを行わずに、ステータスを徐々に奪い取っていく呪法を使ったという事を彼女が理解できるかどうかということですね」
「……まだ、利用価値があるので生かされている、と考えるのが普通か」
「ならば、向こうはこちらからの接触を考えるでしょう。そこで、オルディアス卿、貴方の出番ですよ」
「何?」
「先程も言いましたが、術者が僕だと勘付かれるわけにもいきませんし、ナンバーツーの貴方なら、四天王の座を狙って呪法を掛けたとしても信憑性が高くなる。それに、貴方がそれとなく申し出る事で、貴方と険悪な状態である僕に疑いの目が向く事もなくなる。恐らく、スネアは貴方が呪法の事を匂わせれば、一にも二にもなく飛び付くことでしょう。そして、解呪を餌にスネアから全軍の指揮権を奪い取れば良い。……結果、貴方はこのスネア軍を全て掌握し、僕はその貴方と一蓮托生の協力関係になる。どちらにも、益がある形となると思いますがどうですか?」
「それは……。いや、だが……」
「スネアが強行に及ぶようなら、僕が実力行使しますよ。スネアの人形が一体壊れるだけでしょうけど、トップが消えたら、貴方はまとめやすくなるでしょう?」
「それは、できるかもしれんが……」
「そうしたら、魔界に取って返しましょう」
「何ッ!? ガクエンは攻めないのか!?」
「あんなもの嘘八百ですよ。大体、この脆弱な軍団ではベリアル軍に勝てないでしょう? だから、先手を打って共闘関係を結ぶ必要がある。――もう一人の四天王とね」
「アーカム・オールストンか……!」
「四天王の謀略担当の方だと聞きましたよ? 彼となら気が合いそうな予感がするんです」
「アーカムとスネアの二軍でベリアルを潰すか……」
「魔界を牛耳るための一番の近道は、多分それだと思うんですけどね。……さぁ、どうします? オルディアス卿? この話、伸るか反るか。……ちなみに無理だというのなら、僕は貴方を斬らねばならない。少々深く話過ぎましたからね」
「ふん。退路などないではないか」
沈没する豪華客船に残るか、嵐の中をいつ転覆するかも分からぬ小舟に乗り込むか――。
行くも地獄、退くも地獄――。
ならば、オルディアスの行く道はひとつしかない。
「ふぅ――、腹芸はあまり得意ではないのだがな。上手くスネアを丸め込めれば良いのだが……」
「その辺は、魔界貴族の必修科目なのではないですか? 今から慣れておいた方が良いですよ。僕が魔界を制覇したあかつきには、魔王の座は貴方に譲るつもりですから」
「な、何っ!?」
「だって面倒くさいの嫌いなんですよ、僕」
そんな男が単身で魔族の拠点にまで乗り込んできて、その軍勢を乗っ取るという面倒くさい作業をする矛盾――。
その矛盾に、オルディアスは乾いた笑いが漏れぬよう砕心し――。
「ぬぅわぁぁぁぁぁ! それ以上、近付いてくるんじゃねぇぇよぅぅぅ――っ!?」
「――何奴っ!?」
オルディアスの手が自然と閃き、声の方向に向かって短刀を投げつける。
ほぼ無意識に行われた行為であった為か、朗もほとんど反応する事ができない。
そして、直後に短い悲鳴が響き、何かが倒れる音がする。
思わず起こった想定外の事態に朗は眉を顰めるが、それ以上にオルディアスの表情は硬い。
「まさか、ケーネルライト卿か……!?」
そのしかめっ面を見れば、オルディアス卿の知り合いなのだと察しはつく。
朗はいち早く、短刀が投げられた現場へと向かい、その人物の生死を確かめる。
当たりどころが悪かったのか、それとも元々HPが低かったのか、ケーネルライトと呼ばれた魔族は既に事切れていた。
「どうして、ここにケーネルライト卿が……!?」
「ふむ、どうやらクリティカルが入って即死のようですね。……お知り合いですか?」
「スネアの腹心の呪術使いだ。我輩よりも格は劣るが、スネアの信任も厚い……。此奴を殺したとなれば、もう後戻りは出来んぞ……」
「呪術使い……? 人気のない所でひっそりと呪術を掛けていたのですか? だとすると、これはもしかしてマリアベールからスネアに働きかけていたアレかな? ……だとしたら、少しマズイかもしれないですね」
朗は物言わぬ屍となったケーネルライトの遺体を収納スキルで収納すると、とりあえずは先程の悲鳴に人が集まってくる事を懸念して、この場を離れる事をオルディアスに提案する。
彼もそれに二言はなく、足早に天幕の裏口まで案内してくれる。
「……先程、マズイ事になったと言っていたが、アレはどういう意味だ?」
天幕を抜ける際、オルディアスは思い出したかのようにそう問う。
「虎の尾を踏んで動きを止めていた所を、その尾を踏む足をどけてしまったのですよ。その虎は恐らく、お礼参りと称して魔族に牙を剥くことでしょう。……オルディアス卿、此処からは時間との勝負です。急ぎますよ」
「急ぐ? 何を急ぐというのだ?」
「取るべき国が半壊させられたら、目も当てられないという事ですよ」
そう言う朗の声はどこか楽しげにさえ聞こえ、オルディアスはワケが判らぬとばかりに難しい顔をしてみせるのであった。