111、湖畔の町防衛戦32 side沙也加 ~何か来た!?~
「さて、予定通りに親父殿はキルメヒアとの戦闘状態に入りましたね」
誰に確認するわけでもなく、竜軍師ファルカオはそう一人ごちる。
此処まで――湖畔の町側の善戦という誤算はあったものの――概ね、彼の思い通りの展開になっている事に彼の口元が自然と緩む。
味方である十二柱将が数を減らした事は心苦しいが、逆に言えばそれだけだ。
十二柱将の入れ替わりなど毎度の事だし、ファルカオはそこまで重い事実だとは受け止めていない。
「キルメヒアが思っていた以上に戦上手な事に驚きましたが、親父殿に抑えてもらっている以上、これ以上の手は打てないでしょう。そして、有象無象では我が策に気付きようも無し……」
ファルカオが静かに微笑む背後では、整然と並んだ有翼種の魔族たちがファルカオの一挙手一投足に注視していた。
強い風が吹き荒ぶ、上空三千メートル――。
その最中にあって、ファルカオはジオラマのように見える湖畔の町の全景を捉える。
「八つの門の全てを守ればどうにかなると考えていたようですが……、攻め入る門は全部で九つあるんですよ。……上空という九つ目の門がね」
ファルカオが探すのは、町の中心部――、恐らくはそこにあるであろう湖畔の町の本陣である。
今までの戦場の様子からいっても、アン・ゴルモアなる人物が戦闘に参加した様子はない。
ならば、前線に出ていないと考えるのが正しいだろう。
……では、一体何処に居るのか?
それは、最も攻め難く、最も安全な場所に、匿われていると考えるのが正しい。
いや――。
そうなるようにわざわざメッセージを送りつけたのだ。
そうなってもらわなければ、ファルカオの方が困る。
(さて、そこで敵の本陣ですが、八つの門の状況に臨機応変に対応するために、距離的な部分を考えると町の中心部という事が窺えます。後は、人が多く集まれる建物であり、籠城に備えて水資源にも富むような――、……そこですね)
ファルカオが目星を付けたのは、まさに有馬旅館の建物そのものだ。
むしろ、町の中心部で目立つ建物がそれぐらいしかなかったというのもある。
「……さぁ、行きますよ、あなた達。ようやく、この戦にケリです。気張りなさい」
ファルカオは翼を畳むなり、急降下していく。
その背後を気炎を上げながら、彼の部下たちが続く。
果たして、その先に待つのは勝利の栄冠か、それとも――。
●
「困った事になった」
「弱った事になった」
有馬旅館の二階奥。有馬浩助の自室となっている部屋から艶めかしい声が響く。
聞く者が聞けば、それこそ本当に色々と困った事態になりそうな声を発した夢魔の二人は、上半身裸の状態で横たえられた浩助の肌にゆっくりと指を這わせつつ、上体を起こす。
まるで、美女二人を侍らせ、添い寝をしているような状態の浩助だが、その意識は未だ戻ってすらいない。
その意識の回復の為に、ベティとリリィの従姉妹たちは尽力しているのだが、なかなか思い通りにはいかないようだ。
「……どんな調子なの?」
その様子をちょっとだけ頬を染めながら見守っていた水原沙也加がそう尋ねる。
その問いに応えるようにして、従姉妹は図ったように同じ動きで首を横に振る。
「恐らくは【スキル】呪術に因る昏睡の魔法」
「昏睡の魔法を解くのはそこまで難しくはないけど」
「単純に魔力差が有り過ぎて解除できない」
「こじ開けようにもパワーが足りない」
「「でゅわ~」」
「あ、うん……。この状況でも、その締めやるのね……。それにしても、強力な魔法……、呪術か……。確か、有馬のスキルに呪術耐性があったと思うんだけど、それすらも効かなかったってことなの?」
「相手の【スキル】呪術が有馬様より上か、同じなら、それもあり得ます」
「相手がベリアルだというのなら、恐らくはアノスが掛けたと思います」
「正直、魔力勝負では――」
「勝ち目ナッシン……」
「「でゅわ~」」
「そんな……。何か……何か手立てはないの? 有馬を目覚めさせるような何かが……」
沙也加の脳裏に浮かぶのは、湖畔の町に住まう人々の顔だ。
彼らは今も懸命に、命を懸けて魔族と戦っている。
そんな彼らの希望が、このまま夢幻の如く消えてしまうのだけは避けたかった。
歯噛みする沙也加に向かって、従姉妹は同時に指を一本立てる。
「ひとつある」
「太古の昔よりの慣例」
「ちゅーする」
「接吻で目覚める」
「「でゅわ~」」
「はぁっ!? いやいや、ちょっと待って!? 何でそうなるのよ!?」
「昔からお姫様の眠りを覚ますのは、王子様のちゅーと相場が決まっている」
「それで起きないお姫様がいたとしたら、相当なへそ曲がり」
「いやいやいや、それ、全く根拠ないわよね?」
「――というわけで、一番手は水原様に譲ります」
「ぶちゅっと熱いヴェーゼをやっちゃって下さい」
「それこそ待ちなさいよ!? 何で私がやんなきゃいけないのよ!?」
「有馬様は水原様に心を許している節がある」
「むしろ、此処でやらなければ、私達がやってしまいますが宜しいのですか?」
「いや、だから、そういうのはその……、フシダラって言うか、その……」
「――というのは、冗談でそろそろ本気で取り掛かる」
「従姉妹の緊張も取れたみたいです。ご協力有難う御座います、水原様」
「…………。……ハァ!? あ、アンタらねぇ~っ!」
少しだけ熱くなった頬の色を誤魔化すように、沙也加は凄んでみせる。
だが、そこは百戦錬磨の魔界の住人。
特に気にした様子もなく――。
――いきなり、着ている物を脱ぎ始める。
「ちょ、ちょ、ちょ……、ちょっと待ったぁぁぁぁ――ッ!」
「どうかしましたか?」
「赤くなったり、青くなったり、忙しい人ですね」
「何で服脱いでるのよ!? それ、必要ある!?」
従姉妹たちはハテナとばかりに顔を見合わせると、二人同時に得心したように頷く。
「あぁ、水原様は破廉恥な行いを私達がすると勘違いしているのですね」
「心外です。これは単純に魔力の伝達率を上げるための基本的なスタイルなのです」
「いや、今までも水着みたいな格好だったから、その辺はあまり変わらないんじゃあ……」
「気分の問題です」
「気持ちの問題です」
「やっぱり、効率あまり変わらないんじゃない!?」
沙也加は脱ぎ捨てられた薄い上着を無理矢理二人に着せる。
どうでも良い事なのに、妙に疲れた気分を感じるのは何故だろう。
「あのねぇ……、幾らこの部屋に女の子しかいないからっていって、いきなり脱ぐのは駄目でしょ? アンちゃんだって吃驚しちゃうじゃない。それに、子供の情操教育に悪いってこと意識してよね?」
「それこそ誤解です、水原様」
「私たちがやっているのは医療」
「如何わしいと思われるのは心外」
「ありのままに見れば、ただの医療行為なのです」
「むしろ、それを如何わしいと感じる水原様の心が」
「色々と汚れているのではないでしょうか」
「「でゅわ~」」
「貴女たち、意外と言うわよね……」
「まぁ、それはそれとして」
「十五の封印の内の十一までは解きました」
「残り四つの封印が解ければ、有馬様は目を覚ますはず」
「ただし、此処からは相当な体力と魔力と集中力を必要とします」
「できる限り、邪魔をしないようお願いします」
「今のアン様のように」
「「でゅわ~」」
「わ、分かったわよ。それにしても、アンちゃんのようにねぇ……」
ちらりと沙也加は部屋の片隅に視線を向ける。
そこでは、ただ黙々と瞑想を続けるアンの姿があった。
《先程、【スキル】精神統一のレベルが一つ上がったのですニャー。この状況においても、黙々と強さを追い求める姿勢には頭が下がりますニャー》
「猫ちゃん」
するりと肩を這い上がってくる猫のぬいぐるみの喉を撫でてやりながら、沙也加も本当にね、とばかりにアンに視線を向ける。
「最初は、師匠の敵討ちするんだーとか叫んでいたのにね。今は、恐ろしいぐらい集中してる。こういう切り替えが出来る子は伸びるのが早いのよ」
《そうなんですかニャー?》
「えぇ。基本的に、負けず嫌いで、性格が素直で、切り替えが早い――、私が道場で見てきた門下生の中で伸びる子は、そういう性格の子が多いわ」
《言われてみれば、アン様に全部当てはまっているような気がしますニャー》
「そうね。だから、アンちゃんもその内恐ろしく強くなっちゃうのかもしれないわね」
子を見守る母のような暖かい視線で、沙也加はアンを見守る。
その傍らでは、添い寝するように浩助にぴたりと張り付いてその体を触っている夢魔従姉妹がいるわけだが、沙也加は強制的に視界の外に追い出す事にしたらしい。
――と。
「何……?」
「…………。……何か来る」
パチリと目を開けたアンが、天井を睨むのと同時――。
――衝撃が天井を突き抜けて、二階の室内を大きく揺さぶる。
一瞬で木切れや粉塵が室内を満たし、沙也加はその視界の悪さに思わず両腕を交差して、目元を防御する。
細かな木切れが彼女の腕に当たり、小さな痛みを訴えかけたが、行動を阻害する程ではない。
「アンちゃん! 淫乱従姉妹! 無事ッ!?」
突如の出来事に戸惑いながらも、声を掛けられたのはひとえに沙也加の勇猛さ故か。
その声に応える声は二つ――。
「私たちは何とか」
「ちょっと怪我しましたけど」
「後で回復薬奢ってあげるわよ! アンちゃんは!?」
だが、粉塵が立ち込める室内から、もう一つの返事が返ってくる事はない。
痺れを切らし、室内を探し回ろうかとも思う沙也加だったが、ほんの少し前の【スキル】危険察知の発動が、彼女に油断のない姿勢を取らせる。
(声でこちらの位置は知らせた。さっきの嫌な予感が敵だって言うのなら、掛かってきなさいよ! 私だってダテにコツコツスキルレベル上げてたわけじゃないんだからね!)
身動ぎすることなく、沙也加は粉塵が晴れていく様子を見守る。
やがて、粉塵の向こうに影が映る。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ――。
その数が十を越えた後で、沙也加は数えるのをやめた。
わざわざ自分から気が滅入るような真似をする必要もないと判断したのだろう。
そして、同時に判断する。
今、有馬旅館は敵の強襲を受けているのだと――。
ちょっと長いので分割しました。
次へ続きます。