109、湖畔の町防衛戦30 sideキルメヒア ~四天王~
本日二回目の更新。
瞬間、キルメヒアを中心に風が逆巻く。
近くにいた魔族の一人は四肢をもがれ――。
近くにいた魔族の一人は胴を分断され――。
近くにいた魔族の一人は頭を潰されて失くし――。
近くにいた魔族の一人は腹に大穴を開けて斃れた――。
風光明媚とは言わないまでも、緑豊かであった景観は一瞬で朱く染まっていく。
そんな血の海の中で、動かなくなった屍の山に片足を置きながら、キルメヒアは自分の腕に付いた血を紅く官能的な舌でゆっくりと舐め取る。
「……駄目だね。久しぶりに血を吸ったせいか、少々昂ぶっているようだ。このままでは制御をミスして町を壊しかねないな。――仕方がない。力みを抜くために、そこのキミ。少々ウォーミングアップに付き合って貰えないかね」
キルメヒアが見据えるのは、魔族の軍団の中央奥に座る存在だ。
豪奢な赤絨毯を無遠慮に地面へと敷き、そこで浴びるように酒を飲んでいたキャバ嬢のような女の目がすわる。
「……へぇ? この麗華様をご指名なんてねぇ? 自殺願望でもあるのかい?」
「凄まじい力ですね。あのような者が、まだこの町に潜んでいたとは……。しかし、あの姿、何処かで……」
麗華の隣で盃に酒を注いでいた老け顔の魔族が疑念の声を発するが、麗華はその言葉に一顧だにすることなく立ち上がり、盃に入った酒を一気に飲み干すと地面へと投げ捨てていた。
漆塗りに金の装飾をあしらった、それなりに豪華な盃ではあったが、彼女にとってはそんなものよりも興味深いものが目の前に現れたということなのだろう。
カランと木で出来た杯が軽い音を立てて地面を転がる。
「…………」
その様子を見ながら、キルメヒアは軽く手を上げていた。
それだけで、周囲の魔族を食い散らかしていた獣たちの動きが止まる。
いや、それだけではない。
動きを止めた獣たちはまるで、最初から『そうであった』かのように黒い霧へと姿を変えてキルメヒアの周囲に集っていく。
「何だい? 虚仮威しかい? なら、その虚仮威しごと――」
麗華が腕を折り畳む。
引き絞られた弓の弦のように肘を後ろに引き、掌を腰溜めに構えると――。
「――吹き飛ばしてやるよッ!」
――同時、右腕を突き出す。
瞬間、轟ッと唸りを上げる突風が戦場を真っ直ぐに駆け抜けていた。
不自然な闇の帳を吹き散らし、その轟風がキルメヒアの頬を叩いたと思った瞬間――。
「はいッ! さよ~なら~ッ!」
――彼女の目の前には拳を振りかぶった麗華の姿が。
パァン……ッ!
破裂したような衝撃が、キルメヒアと麗華を中心に円状に広がり、周囲に在った魔族や人間の遺体を一斉に巻き上げる。
彼女たちを中心に、地面には蜘蛛の巣状の亀裂が走り、大気は二人の荒々しさに堪え切れなかったかのように、衝撃を遠くまで伝播させていた。
近くにいた冒険者たちの、または魔族たちの、鼓膜と脳が震える。
果たして、どれだけのエネルギーがこの場で衝突したのだろうか?
だが、そんな衝撃があった事すら泡沫であるかのように、二人は拳を突き出した恰好のまま――あるいは拳を掴み取った姿勢のまま――微動だにしない。
いや、動きは一瞬の後に巻き起こる。
みしり、と骨が軋むような音が響き、拳を掴み取ったキルメヒアの掌の中で赤い飛沫が派手にぶち撒けられたのだ。
「……サヨナラ? 誰に向かって言っているのだ?」
キルメヒアが醒めた視線で麗華の拳を離す。
その拳からは骨が皮膚を突き破って飛び出し、指という指が曲がってはいけない方向に曲がっていた。
その姿を見ても、麗華は笑みを刻むのをやめない。
「あはははっ! 強いじゃないか! いいね! アンタ!」
そう言って、彼女が笑う間にも、彼女の拳はまるで逆再生の映像を見ているかのようにあっという間に元へと戻っていく。
その再生能力は、則夫の試算を狂わせた程のものであり、如何な魔界四天王の力を以てしても容易に刈り取れるものではない。
それを見て、キルメヒアも密かに嘆息を吐き出す。
「強い力に、強い回復能力か……。やれやれ、参ったな……」
その様子に、麗華は白い歯を見せる。
強敵たる喧嘩相手に、自分が難敵であることを示せて誇らしいのだろう。
だが、キルメヒアの嘆息の意味は――、そういう意味ではない。
「まるで、自分の劣化版ではないか。昔の自分を見ているようで、面映いやら歯痒いやら……」
その口から出てきたのは、決して好敵手を称えるための言葉ではなかった。
一瞬で、麗華の顔から笑みが抜け落ちたのは言うまでもない。
肩が震え、頬の筋肉が痙攣を起こしたかのように引き攣る。
「…………。このアタシを下に見るたぁ。……アンタ、覚悟はできてんだろうねぇ?」
陽気な仮面を脱ぎ捨てた、その下にあったものは鬼の顔だ。
憤怒と喜悦を織り交ぜた複雑な表情のままに、麗華は両の拳を構える。
「アタシの千華拳! 受けてみろやぁ――ッ!」
一瞬、キルメヒアと麗華の間に閃光が弾ける。
いや、閃光のように見えたのは、刹那に凝縮された千発の左右の拳の連打だ。
鬼の超回復力と強靭な肉体を極限まで酷使する事によって初めて実現するその技は、まさに必殺技と呼ぶに相応しい大技であった。
事実、これまでこの技を受けて粉微塵にならなかったものはいなかったし、スネアの幹部もこの技で屠りさっている。
だからこそ、麗華は『獲った』――、と心の中でほくそ笑んでいた。
――自分の首から上が粉微塵になって吹っ飛んでいるのも気付かぬままに。
(……ッ!? ――~~~~~~ッ!)
意識を消失する寸前で、麗華は気合を入れて全身の細胞に呼び掛ける。
執念とも言うべき、鬼の脅威の回復能力はその異常事態に一斉に応えようと活性化し、千切れ飛びそうになっている細胞の数々を繋ぎ止めては復元していく。
それは最早、不死身とも呼ぶべき様相を呈しており、ものの数秒で麗華の首から上に頭のようなものが復元されていた。
とはいえ、その全てを元通りとするのには無理があったのか、彼女の頭は皮膚や髪の毛が十分に再生されておらず、下手な人体模型像よりも恐ろしい姿になっていたのだが……。
「な……、何が起きた……!?」
「はじめの○歩を読んだ事がないのかい? 高速の左右の連打なんて、一歩下がればただのフックじゃないか。カウンターを狙って下さいって言っているようなものだろう? だから、合わせただけだよ」
「ふ……、ふざけるな! アタシの連打に全て反応できるなんて……ッ!」
激怒する麗華に対して、キルメヒアは実に涼しい顔だ。
麗華が『鬼』なら、キルメヒアも吸血『鬼』なのだ。
身体能力も再生能力も、血を吸った今なら魔界四天王に相応しいレベルにまで戻っている。
その状態で、麗華の連打に遅れを取る理由が、どうしてあろう。
結果、一瞬で千発ものカウンターを受けた麗華は、首から上を粉微塵に砕かれ、黄泉路に片足を突っ込んだというわけだ。
そして、その動きを見て、何かに気付いたのか、老け顔の魔族が声を震わせる。
「今の動き……、そして、この影の獣たちは……、まさか……!?」
「……っのまさかだ。……せぇんだよ、無能共が。……てぇのか? ……ぁん?」
囁くように紡がれた声だというのに、魔族たちは一斉に背筋を伸ばして戦慄する。
そして、背後を臨むよりも早く、その存在に気が付いて道をあけて跪く姿勢を見せていた。
「……まぁ、だろうね。此処まで派手にしたんだ。キミに気付かれない道理がない。……だろう? ベリアル・ブラッド?」
戦場に突如として作られた道――。
その中央をゆっくりとした足取りで、真っ赤なロングコートを羽織った赤毛の男が歩いてくる。
ガッチリとした体躯でありながら、横幅をあまり感じさせないのは背が高く、脚が長いモデル体型だからか。
顔も野獣のような凶暴性を秘めていたものの、総じて造りは整っており、高位の魔族特有の妖しい美しさは損なっていない。
そんなベリアルの視線の先には、大胆不敵というか、どこか掴みどころのない笑みを見せるキルメヒアが佇んでおり、その一挙手一投足に注視しているのが感じられた。
……いや、そんなキルメヒアとベリアルの間に割って立つ者がいる。