104、湖畔の町防衛戦25 side則夫 ~後悔~
本日三本目。
作中、残酷な描写があります。
そういうのが苦手な方は御注意下さい。ぱーと2。
何があったのか、何が起きたのか。
それすら、理解できないままに、龍一はただ呆然と中村の様子を見つめることしかできない。
恐らく、平時の龍一であれば、中村の鎧が酷く凹まされ、傷ついていたことに気が付いた事だろう。
そこから推測して、防御力に頼り切った戦い方をしたせいで、何かドジを踏んだのだろうと――、そこまで想像出来たのかもしれない。
だが、駄目だ。
「中……、村……?」
眦から熱いものが溢れ出てくる龍一に、平時での冷静さはない。
そんな龍一を嘲笑うかのように、頭部に強烈な衝撃が走る。
腐食されていた全身鎧の頭頂部分が欠け、龍一の意識が現実を認識するよりも早く、彼は膝裏を押し込まれ、地面に両膝を付く形に座らされる。
まるで、断頭台前に座り込まされた罪人のような格好になった龍一は、魔法を使おうとして口を開きかけるが、それすらも許さないとばかりに、外套の男の持つ短刀が龍一の喉の奥を一瞬で貫いていた。
「ぁが……、ご……、っほ……、げほ……」
『魔法……。使おうとしましたよね……。駄目ですよ……。はい……。私、臆病ですので……。そういうの見ちゃうとつい対応したくなっちゃうんですよ……。はい……』
それでも、龍一は最後のあがきとばかりに視界の隅に映るステータスに意識を向けようとして――。
――その眼窩が、短刀にて抉られる。
「――――、――――、――――ッ!?」
『だから、つい反応しちゃうと言っているじゃないですか……。はい……。何もせずにさっさと私の玩具になって下さいよ……。はい……』
魔族の言葉は龍一には届かない。
左目をくり抜かれた龍一は、あまりの痛みに脳内の血管が全部焼き切れるのではないかという凄絶な痛みを味わっていたからだ。
その痛みのせいか、意識が半分飛び、今、目の前で行われている凶行がどこか他人事のように龍一の目には映る。
龍一の片耳が飛ばされ、千切れかけていた左腕がもがれ、そのまま背後に控えていた蛇顔の男に咀嚼されていく。
蛇顔の男は龍一に見せつけるようにして、実に美味そうに龍一の片腕を食らっていた。
その吐き気をもよおす所業に、普段なら怒りをぶつけるであろう龍一も、無気力に眺めることしかできない。
血を流し過ぎたせいで、怒る気力も湧いてこないのだろうか?
(あぁ……、そうか……)
龍一は痛みに焼き切れそうな頭の中、どこか静寂のように落ち着いた気持ちがあることに気が付く。
気が付いてしまえば、何てことはない。
その感情は、諦念であった。
(死ぬのか……。俺は……)
この異世界に来てから、それを夢想しない日はなかった。
だが、目の前にやらなければならないことが頻出したことにより、龍一はいつの間にかその気持ちを忘れた。
それは、食料の確保であったり――。
冒険へのワクワク感であったり――。
則夫の裏切りに対する憎悪であったり――。
兎角、死に対する恐怖を薄れさせる日常であった。
それに慣れた――、いや、順応したというべきなのだろう。
忙しい日々にかまける内に、そんな気持ちを忘れ、日常が日常であると認識できるぐらいには慣れてきた頃――、死神は突然に龍一の魂を刈り取りに訪れていた。
それに気付いた――最早、遅きに失したと理解した――時、龍一の頭の中に走馬灯のように今までの思い出がぐるぐると回る。
まるで、動かない体の代わりに、頭が必要以上に動いてくれているかのようだ。
(俺が中村を、湖畔の町に誘わなければ……、アイツは死ななかったのかもしれねぇ……。俺が中村を殺したようなもんだ……)
龍一が則夫に変な対抗意識を燃やし、ムキになって湖畔の町へ来ようとしていなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。
龍一は死んでしまったであろう中村の顔を思い出しながら、その眦から涙を流す。
(前線でなるべく粘ろうとしたのも……、後ろにオタナカがいたから……、その当てつけみたいなものだった……、結果がコレじゃ笑えねぇよ……)
龍一の鼻が削ぎ落とされる。
最早、痛みもない。
体の奥で熱く燻っていたものが、徐々に冷え、凝り固まっていくのが分かる。
(和希は俺が死んだって聞いたら何て言うかな……、橘さんは泣いてくれるかな……、サッカー部の皆は……、多分、怒るだろうな……、勝手に死んでんじゃねぇよって……)
堰を切った涙は留まる事を知らない。
滂沱のように流れるそれを、魔族たちは昏い愉悦と共に楽しむ。
(柳田……、悪い……、最後の最後にお前の善意を踏み躙るようなマネしちまって……)
そんな龍一を面白がるようにして、外套の魔族は龍一の視界に入るように短刀をゆっくりと残った右目へと近付けていく。
(オタナカ……、お前には……)
呆れ、憎悪、嫉妬――。
それらが全て綯い交ぜになった感情が噴き出しかけて……。
――途絶える。
本当は分かっていた。
――則夫に抱いていたもの。
――則夫が裏切ったと信じ込んでいたもの。
――そして龍一が固執したもの。
それらは、全て龍一が望み、願った幻想だ。
こうなればいいな、こうあって欲しい――。
そう勝手に願い、勝手に押し付けた、他人への願いだ。
その結果、他人がそれに応えられなかったとしても、それは龍一の勝手な希望だったのだから、笑って『残念だ』とでも許容すれば良かったのだ。
それを、当時の龍一は許容できなかった。
ただひたすらに彼は自分のせいではないと言い訳をするようにヒートアップして……。
……その結果、則夫を追い詰めた。
(お前には……、謝らないといけねぇ……)
ぼろぼろぼろぼろと涙が零れ落ちてくる。
痛いとか、辛いとか、苦しいとか……、そうじゃない。
もう二度と則夫に謝れないのだと思うと、悔しくて辛くて、悲しくて、それで涙が零れるのだ。
(ずっと前から気付いていたんだ……。でも、謝る切っ掛けが作れなくて……。俺もその事に意固地になって……。気付いたら謝れなくなっていて……。柳田……、お前が正しいよ……。俺、今、凄く後悔してる……)
龍一の右目の前に短刀の切っ先が迫る――。
――そして、短刀はあっさりと龍一の右目をくり抜く。
視界が朱と黒の光に瞬くように濁り、龍一は世界の全てを音だけで判断するようになる。
思わず上体が傾いで、ぐらりと地面に右腕を着く。
『なかなか芸術的になりましたですね……。はい……』
『悲鳴も上げれないのは、食う時に面白味が減るからやめろって言ったじゃねぇかよ。おぅ?』
『戦場で悲鳴なんて上げさせたら、他の魔族にも、ニンゲンにも興味の的となるでしょう……。私、そういうの嫌いなんですよ……。はい……』
『チッ、嬲る楽しみがねぇのは面白くねぇが、まぁ腹は減ってるし、食うだけでも構わ――』
蛇顔の魔族が、そう言い切るよりも早く――、鞘鳴りの音が響く。
聞き慣れない音に外套の魔族も、蛇顔の魔族も胡乱げな視線を交わすが、次の瞬間には外套の魔族は驚愕と共にその場を一足飛びで飛び退っていた。
蛇顔の魔族の上半身と下半身が、ズルリと泣き別れたからである。
驚愕の表情すら貼り付けるのを忘れたように、蛇顔の魔族は自身の下半身を不思議なものを見るようにしながら、横に分割されて、その息を絶えさせる。
『何者ですか……。はい……』
外套の魔族が誰何の声を上げるよりも早く、異変は横手より起こる。
中村の胸部を鼻で串刺しにして、その体を弄んでいたはずの象型の魔族の頭が、何の前触れもなく、ごろりと地面に転がったのだ。
驚きに声を失う外套の魔族だが、本当の驚きはそこからだ。
胸部を貫かれたはずの中村が、淡い光に包まれたかと思うと、その胸部の傷がみるみる塞がっていったのである。
それどころか、短く呻いた後に目を覚ましたかのように跳ね起きる中村。
何が起きているのか、外套の魔族が理解するよりも早く――。
――その目の前にぐにゃりと光を歪めて姿を現す少年の姿があった。
「ぐっ……、オタ……、ナカ……?」
呆然と呟く中村の声を聞き、龍一はビクリと背を震わせる。
消え行く命、消え行く意識の中で、龍一は則夫と最後に交わした言葉を思い出す。
●
《戦場で俺が死にそうになっても関わるんじゃねぇ――》
●
(コイツは俺の事を恐れている……。だから、俺の言葉は遵守する……。俺は助からねぇ……。別にそれは構わねぇ……。けど……、喉をやられたせいで……、謝れねぇのは……)
どこか、諦めにも似た感情を抱く龍一の体に、柔らかく温かい光が絡みついていく。
白く、慈愛に満ちた神々しい光は、ゆっくりとではあるが、龍一の欠損した部位ごと、その傷を癒やしていく。
【聖魔法】全治全能――。
回復系魔法でも最上位のそれは、龍一の失った指先を生やし、失った目玉さえも戻し、もがれたはずの腕さえも再生していく。
まさに奇跡とでもいうべき魔法――。
そして、龍一は新しく作り出された目玉で、その光景を見る。
則夫が腰を九十度に曲げ、頭を下げている姿を――。
「…………。すまなかったでござる……。小日向殿……」
それは、龍一を助けた者の台詞ではないだろう。
だから、彼は何に対して則夫が謝っているのか、すぐに分かった。
あの時の――。
――龍一が勝手な幻想を抱き、勝手な幻想を砕かれた、あの時の事を則夫は謝っているのだ。
(違う……。お前は悪くねぇ……。あんな状況になれば、誰だって逃げ出すのが当然だ……。それなのに、俺はそれを許容出来なくて……)
「謝って許してもらえるようなことではないのかもしれないでござるが……。拙者にはこうすることぐらいしか……、考えが及ばなかったでござる……」
(謝るんじゃねぇよ……、謝るべきはむしろ俺の方で……、俺は自分の弱さが認められずに……、お前を虐げてきたんだ……、だから、お前は……、俺を……)
……殺してもいい。
そんな思いが龍一の脳裏に浮かぶ。
(死ぬのは怖い……、死ぬのは嫌だ……、想像するだけで背筋が粟立つし……、全身の血の気が引いて……、体が硬直するのが分かる……。けど、学園でオタナカを『殺した』のは俺なんだ……。自分の小ささに気付けなくて……、オタナカを追い込む事で……、俺は……、俺の平穏を手にしていた……。お前が全てに自暴自棄になって……、世界を拒否するぐらいに……、俺はお前を追い詰めたんだぞ……)
だからこそだろう。
龍一は、『則夫にだけは』今この場で龍一を見捨てるだけの権利があると考えている。
回復魔法を受けていながら、勝手な言い草だと思うだろうが、それが小日向龍一という不器用な男なのだから仕方がない。
俺を殺せ――。
龍一は声帯が再生するなり、そう言うつもりだった。
だが、則夫はゆっくりと右手を龍一に差し出す。
「仲直り……、しては貰えぬでござるか……?」
言葉が出ない。
声帯がまだ完全に再生していないのだから、当然だ。
いや、そうではなく……。
彼は呆気に取られたように則夫を見つめると、理解出来なかったように回復した声帯を使って尋ね返す。
「…………ッ。何で……、だよ……。何で……、お前が頭を下げるんだよ……ッ!」
「考えたのでござるよ……、柳田殿に言われて一生懸命考えたのでござる……。今まで拙者が受けた仕打ち……。小日向殿が味わった恐怖……。拙者がやってしまった事……。全部含めて考えたのでござる……」
「…………」
「根本の原因は拙者の認識の甘さが招いたものでござった……。それを省みることなく……、言い訳することだけを考えて……。それを受け入れられず、頭ごなしに否定されて……。結果、拙者は人を信じられなくなって……。人の信頼を失ったのでござる……」
全ての元凶は、則夫が軽い考えの元、洛に向かって鑑定のスキルを実行した事に端を発する。
それを謝ることもせず、則夫は言い訳することばかりを考えてきた。
悪いのは他人で、自分は悪くない。
そう思い込んだ。
それは、また龍一と同種の心の弱さだろう。
自分の負い目を無かったものと思い込んで、忘れ去り、そして勝手に世界と隔絶する。
逃げた――と言い換えても良い。
だが、則夫の周りには、そんな世間に抗うかのように、必死に戦う人間の姿が沢山あった。
柳田美優然り――。
国崎慶次然り――。
水原沙也加然り――。
そして、有馬浩助然り――。
それを傍観者のように見つめてきた則夫は、ゆっくりとだが自分の中のモノと向き合う覚悟が出来ていったのかもしれない。
そして、美優の懸命な説得に耳を傾けた時、彼は自分の内と向き合う。
……何がどうして、こんな事態になってしまったのか?
それを、傍観者のように客観的な視点で沢山考え続けた。
その結果、則夫は結論付けたのだ。
……自分が弱かったのだと。
あらゆる面で自分が軽々で、それに対する謝罪も、反省も行ってきてはいなかったのだと。
その結論に気付いた時、則夫は戦場を駆けていた。
光魔法で自身の姿を隠しながら、龍一を探して――。
――そして辿り着いたのである。
……謝るために。心の底から。
「拙者が弱かったのでござる……。あの時、自分の非を認め、素直に謝っていれば、こんな事にはなっていなかったのかもしれないのでござるよ……。だから、拙者は小日向殿に頭を下げなければならない……。どうか、許して欲しいのでござる……」
どこか青い顔をしながらも、そう呟く則夫に対して、龍一はゆっくりと声を作り出す。
「…………。駄目……、だ……」
「…………」
その答えも予期していたのか、則夫は特に表情を変化させずに、それでもその右手を引っ込める事はしない。
彼にも意地があるのだろう。
だが、そんな意地は貫き通す必要もなく終わる。
「俺がまだ謝ってねぇのに……、その手は握れない……。オタナカ……、いや、則夫……。俺はお前に……、本当に酷いことをした……、それは、俺が弱くて……、卑小だったからだ……。本当にすまない……」
膝をついて頭を下げる様子は完全に土下座だ。
それを則夫はゆっくりと頭を振ることで応える。
「小日向殿は、十分に強い男でござるよ……。こうして、拙者なんかの為に頭を下げているのでござるから……。そう、卑怯で汚い拙者なんかの為に……」
(それは違う……。俺は死ぬ間際まで、自分が間違っている事に気付けなかった……。自分の行いを省みてようやく気付いたんだ……。むしろ、本当に強いのは……)
顔を上げる龍一の視線がしっかりと則夫を捉える。
彼は自分の事を弱いと言った。
だが、そこには、かつて龍一が見出した希望と同じように、『強く』映る則夫がいた。
……いや、もうその事を盲信するのはやめよう。
則夫が自分を弱いというのなら、龍一はもっと弱いということだ。
だったら、その弱さを払拭する為にも、少しでも強くならなければならない。
そう、かつて自分が見出した希望に一歩でも近付けるように……。
「すまない……。有難う……。そして、俺からも言わせてくれ……。仲直りして貰えるか?」
「勿論でござるよ……」
どこか青い顔の則夫は、龍一とがっちりと握手を交わす。
そして、その瞬間を狙っていたのか――。
『感動的ですねぇ……。でも、それもすぐに終わりになります……。はい……』
――外套の魔族が瞬時に動き出し、小太刀を振り上げていた。
「……気づかなかったのでござるか」
その振り上げた小太刀が、細切れになって宙にばら撒かれた事に外套の魔族は気付いたのだろうか。
そのまま、則夫たちを襲おうとして、外套の魔族が地面に転がる。
その胴は、蛇顔の魔族と同じく恐ろしく綺麗な切り口で両断されていた。
「……既に、御主は死んでいることに」
そういう則夫の顔に呆れや侮蔑はない。
ただ、ひたすらに具合が悪いのか、顔を青褪めさせている。
いや、それだけではない。
彼は心臓を押さえながら、荒くなる呼吸を無理矢理押さえ込むように、唇を噛み締めていた。
それは、例え、仲直りしたとしても、精神的外傷として則夫を苦しめるかのように、則夫の精神を蝕むのだろう。
「オタナカ……?」
「大丈夫でござる……。何でもないでござるよ……」
龍一に心配を掛けまいとして、言葉を紡いだ――。
――次の瞬間だ。
「見ィつけた……。アタシの喧嘩相手……!」
それは、この戦場で一番目を離してはいけない相手であり、一番危険極まりない相手の言葉だ。
則夫がすぐ近くに接近してくるであろう気配を感じて身構えるのと、麗華が自身の拳を力一杯握り込むのとでは、果たしてどちらが先であっただろうか。
「『狂速』『狂力』『狂魔』――、ゲホッ、ゴホッ……!」
焦っていたのか。
荒れた呼吸の内に、一息にスキルを発動しようとして則夫は噎せてしまう。
そして、その隙は麗華に対して、僅かでありながら……、確実に致命的であった。
「あははははははははははははははははははは! さぁ、喧嘩をしようじゃないかぁ!」
次の瞬間には、麗華の拳が則夫の腹部に深々と突き刺さり――。
そして――……。
主人公よりも主人公しているというオタナカさんパネェッス……。
あ、次回は多分慶次編になると思います。