101、湖畔の町防衛戦22 side則夫 ~雰囲気変貌~
田中則夫が受け持つ門、そこは湖畔の町防衛戦の中でも二番目、もしくは三番目に激しい戦闘が行われるであろうことが予想されていた。
だが、蓋を開けてみれば、決してそんなことはなく、戦闘開始から二時間ほど経った今も小競り合いによる断続的なせめぎ合いが続く。
人間側としては魔族はもっと苛烈に攻めて来るものと思っていただけに、若干拍子抜けした感は否めないだろう。
数で押さぬ魔族に対し、味方も大怪我を負うよりも早く引いて、大事に至らぬような緩い戦闘が何度も続くため、則夫はそんな味方を癒やすために後方に待機せざるを得なかった。
前衛職もこなせる則夫だが、回復用の聖魔法も使えるため、後方に待機して味方を癒やすような役割を受け持つこともできる。
ある意味、湖畔の町で最もオールマイティな能力を持つ存在かもしれなかった。
(それにしても、攻めてこないでござるな。恐らくは、敵を率いている相手の指示なのでござろうが、こうも動かないとなると不気味なものを感じるでござる)
まともに指示を聞きそうにない、荒くれ者揃いの魔族たち。
そんな存在に指示を聞かせ、まとめている一人の存在――。
魔族たちが包囲する奥の奥で、一人優雅に木陰に腰掛けて酒をちびりちびりと飲む女の姿が見える。
その額には二本の小さな角が付いており、髪をアップセットにしている姿はまるで夜の嬢のようだが、その剣呑な視線は突き刺さる程に鋭利で、まるで戦場全体から獲物を求めるかのように、つぶさに観察している様子が則夫にも見えた。
その優雅な見た目とは裏腹に、相手の将は随分と強く――不気味だ。
(だが、出てきてくれないのなら好都合でござるよ。徐々に相手の戦力を削るだけでもこちらに優位に働くはずでござるからな……。後は、時間を掛けて援軍を待てば良いでござる……。拙者以外の皆は強いでござるからな……)
則夫が見る限り、魔族の動きもそこまで良くはない。
ただし、あちらも種族特性として生命力自動回復機能があるために、大きな損害は負っていないようにみえる。
勿論、人族側はなるべく相対した魔族は倒すようにしているのだが、それでも戦力差は未だに如何ともし難いレベルで存在していた。
(こちらのリソースはなるべく削らずに、何とかしたいものでござるが、さて……)
●
「あっはっはっは! 何だい、ありゃあ! 雑魚が雑魚と戯れて、まるでダンスでも踊っているようじゃないさ!」
あぁ可笑しいと笑う女は、その場でぐびりと徳利を呷る。
決して上物ではない酒は、女の喉を焼き、その痛みに女は満足そうな笑みを見せていた。
味なんて関係ないと言わんばかりである。
「コイツを嬢が見たらどう言うかねぇ? 面白いって言ってくれるかねぇ? んー、どちらかというと楽しいかな? まぁ、いいや。それにしても、しょっぱい連中だねぇ……。全然、アタシのタイプの奴がいないじゃないか! んー、もしかして、実力隠してるのかねぇ……? おーい、そこの魔族くん!」
女は近場に居た魔族を呼び寄せる。
「なんでしょうか? 十二柱将殿?」
背中に小さな翼を六つ持つ老け顔の魔族が振り返る。
その様子に、十二柱将と呼ばれた女は一瞬で顔を歪ませる。
そして、次の瞬間には弾かれたように笑っていた。
「だ、駄目だろう!? なんでそんな面白い顔してんのに、声だけ若めなのさ!? ヒーッ! お腹痛い! そもそも、その翼は何? 飛べるの!?」
「いえ、退化して飛べませんが……」
「飛べないのに六つも生やしてるの!? なにそれ! 新しいファッションかなにか!?」
「いえ、ご先祖様の名残となります」
「だから、声が面白すぎだって!? 少年かい! アンタは!」
ひとしきりお腹を押さえて笑うと、女は当初の目的を思い出したのか、眦に浮かんだ涙を拭いつつ――視線は魔族から逸しながら――要件を言う。
「そろそろ力を抑えなくていーって全軍に伝えて頂戴よ。見るべきものはあんまり無かったしねぇ。アタシが出る程でもなさそうだ。ま、それで終わりでしょ」
「分かりました。十二柱将殿」
「あー。……あと、私の名前は麗華だ。その十二柱将殿ってのはやめてくれない? たまたま空きが出来た枠に収まっただけなんだしさー。ベリアルとも、その内喧嘩しよーと思ってるんだし、畏まられても困るんだけどさー」
「いえ、公私を混同するわけにはいきませんから」
老け顔の魔族が戦場に展開する部隊に伝令を飛ばしていく。
それは、烏ほどのサイズの魔族であり、彼らは戦場を自在に駆け回って、麗華と名乗った女の言葉を各部隊に通達していく。
人間側が念話で連絡を取っているのに対し、彼らは彼らの通信網を持っているようだ。
麗華は生真面目な男の言葉にただ肩を竦める。
「堅っ苦しいねぇ。……禿げるよ?」
「自分が懸命に生きてきた勲章です。厭いません」
「あっそ……」
麗華は興味なさげに呟くと、戦場全体を見渡す。
どいつもこいつも、少し小突けば、すぐに死んでしまいそうな雑魚ばかり。
中には、少し光る者もいるが、それでも麗華にしてみれば雑魚同然だ。
彼女がやりたいのは、弱い者いじめではない。
対等な立場での喧嘩だ。
そういう意味でいえば、現状、彼女が知るかぎりではベリアルぐらいしか、彼女を満足させてくれる相手はいないのかもしれない。
同じ十二柱将のバルムブルクも、彼女を満足させるには足りないことであろう。
「伝達致しました」
「おっけー、おっけー。御苦労さーん」
「十二柱将殿、ひとつ聞いても宜しいですかな?」
「なぁ~に?」
「冥界の住人……鬼である貴女が、何故、魔界の地を訪れたのかお聞かせ願えませんか?」
「まぁた、その話~?」
そう、彼女は『鬼』であった。
現状、冥界と魔界は領地が隣接しており、スネア軍が冥界側からの侵略行為に対する防衛と警戒のために、冥界との境界線上に一個大隊を展開している真っ最中だ。
一応、幽鬼や霊の類が無目的に彷徨って、魔界の領地に足を踏み入れようとした瞬間、スネア軍は問答無用で彼らを殲滅する権利を持っている。
だが、この鬼は事もあろうに、酔っ払った勢いでスネア軍の防衛網を突破し、あまつさえ魔族領に足を踏み入れたのである。
ちなみに、その際にスネア軍の幹部を一人倒しており、その強さとスネアの戦力を削いだということが気に入られ、ベリアルにスカウトされたわけだが……、そうでなければ今も魔族軍と喧嘩と称し、殺し合いを続けていた可能性もあったであろう。
魔族側としては、そんな危険な存在を十二柱将という要職に就けて大丈夫だろうか、という思いはあるのだが、そこは『親父の決めたことだから』で済んでしまうのが、ベリアル軍クオリティといったところだろうか。
いや、そもそも、魔族の気風からして、強き者には敬意を払う風潮があるのだ。
単身で魔族の防衛網を抜けてきた実力者を無碍に扱うようでは、魔族としての名折れだと言わんばかりに、麗華に対する待遇は良い。
だが、この鬼が一体何を考えて冥界から魔族領に足を踏み入れたのかは謎であり、副官である魔族が懸念したのも、そういったところなのであろう。
水を向けられた麗華はあっけらかんとした様子で答える。
「アタシはただ単純に楽しい喧嘩がしたかったんだって~! しかも、何かいつもは冥界で見ないような連中がウロウロしてるしさぁ~。色々、面白い喧嘩ができないかな~って行ってみたら、アンタら魔族と出会ったってだけだって!」
「それが事実なら由々しき事態ですな」
「な~ん~で~? あ、お酒もう一本追加ね~?」
空になった徳利を受け取り、副官である魔族が並々と液体が入った徳利を麗華に渡す。
戦場で酒を飲もうが何だろうが、強い者が正しい――それが魔族のルールだ。
「気紛れで災厄がその辺を歩いているのと変わらないことになりますからな」
「おっ、上手いこと言うじゃないのさ~。アタシをヨイショしても何もでないよ~? ……あ、チューしてあげよっか?」
「丁重にお断り申し上げます。私には妻も娘も居ますので」
「嘘っ!? その顔と声でっ!? 結婚してるの!?」
随分とヒドイことを言いながら、麗華は酒を噴きそうになる。
副官は真面目そうな表情を少しだけ崩した後で、えぇまぁと曖昧に微笑む。
それを見て、麗華は――。
「死亡フラグにならんと良いさねぇ?」
「なんですか、それは?」
麗華の言葉に副官は真面目くさった顔でそう尋ね返すのであった。
●
「おい! おいおいおい! 気付いたかよ、龍一!」
「騒ぐなよ、中村。魔族の雰囲気が変わったことだろ? とっくに気付いてるよ。気合入れとけ、ここでギアを変えられないとあっさりとおっ死ぬぞ……!」
「ちぇっ、ここまでが開会式で、今から本番ですってか? 校長の挨拶よりもタチ悪いぜ、全く……!」
「貧血で倒れてる奴が出てないだけマシだろ」
「傷は負ってるんだから、そうでもねぇよ!」
戦闘開始より二時間。
小競り合いのように続く戦闘行為を何とかこなしながら、龍一と中村が軽口を叩きながら、その表情を引き締めていく。
八大守護の任命が終わった後、キルメヒアと真砂子主導の元で戦力としての冒険者の振り分けが為された。
基本的には、普段から冒険者パーティーを組んでいる者たちは同じ部隊に所属させることにより、その連携に翳りが出ないように振り分けられ、戦力的に激戦区が予想される箇所には多くの人員を配置するような運びとなっている。
龍一たちが配置された、則夫の部隊に関して言わせて貰えば、どう見ても冒険者のパーティーが数多く配置されており、そこが激戦区であることを暗に物語る。
とはいえ、今のところはそこまで目立った攻防もなく、ヌルいとさえ思えていたのだが……。
だが、ここにきて、魔族の雰囲気が変わった。
魔族の言語を理解して、彼らの態度を見て、判断したわけではない。
肌に伝わる緊張感を介して理解したのだ。
敵が本気になったと……。
「なぁ、龍一、相手さんが本気になって、俺達に勝ち目があると思うか?」
「何だよ、ビビってんのかよ?」
「悪ぃ。正直、結構ビビってる……」
包み隠さず、そんな事を言い出す中村に向かって龍一は口をへの字に結んで仏頂面を向けた後でぽつりと返していた。
「俺もだよ。けど、やるしかねーじゃん」
「…………。だよなぁ」
ハァ、と嘆息を吐き出し、中村は自身の武装を確かめるようにその装備に視線を落とす。
彼の装備は、いつぞやの鋼の装備とは違い希少鉱石を用いた白銀の全身鎧だ。
防御力は高いのだが、そのデザインはどう見ても逆三角形体型怪獣(ジャ○ラ)を彷彿とさせるデザインである。
簡単に言うとカッコ悪い。
まぁ、突発的な戦闘ではあるし、防御力も折り紙付きなのだから、それに文句を言うのはお門違いか。
そんな防具を見ながら、ふと思い出したのか、中村が龍一に視線を向ける。
「なぁ、龍一。俺、少し良い話言ってもいいか」
「何だよ?」
「俺、二年の時に野球部のレギュラーになったんだけどさ。初めての対外試合で五打数四安打だったのよ」
「何だよ、自慢かよ。死ね」
「死ねってヒドくね!? ――じゃなくてよ! 俺、その日の朝なんてもうガッチガチでさぁ。先輩から背番号奪ってレギュラーになったわけじゃん? それに、一緒に頑張ってきた仲間たちもいるわけで……、その人らの前で正直、打てなかったらどーしよーとか、まともにバット振れるのかなーとか、そんなこと考えちゃうぐらい不安だったんだよな……」
「その気持ちは分かるけどよ……。俺も一年でいきなりエースストライカーに任命されて、嬉しさ半分、不安半分だったしよ……」
「けど、結果は聞いての通りだ。俺は結果を残した。つまり、何が言いたいかってぇと……」
「……案ずるより産むが易し、ってことか」
「そういうことだ。……な、ちょっと良い話な感じで終わっただろ?」
「まぁ、余計な緊張は解けたかもな……」
「はっはっは、俺に感謝しろよ、龍一!」
「……なら、俺も良いことを教えてやる」
「んん?」
そう返されるとは思っていなかったのか、中村の声が思わず上擦る。
「鈴木の奴から借り受けた、この鎧だが、防御力が一万もあるらしい。俺達は既にB++ランクだとさ」
「マジかよ! 装備って偉大だな! っていうか、ゲームでも基本的に装備の性能が上がると急に楽になるしな。そういや、魔王軍の正規兵の強さってどれぐらいなんだっけ?」
「B+相当らしいぜ」
「なるほど。そりゃ良い情報だな。それなら――」
中村の視線が前を向く。
その視線は自分たちの部隊に比して、凡そ十倍以上もの数が存在しているように見えた。
それでも、戦闘能力の差が勝負に際して多くの重要度を占めていることに気付いている中村はどこか少しだけホッとしたように話す。
「――五百対三十でも何とかなりそうだわ」
「まぁ、全部は足止めできねぇが、なるべく作成系魔法で刀身を伸ばして、広範囲にダメージがいくようにはしとけよ。足止めする魔物は大いに越したことはねぇからな。それに……」
「それに……?」
「後ろはあんまり当てにするな……」
「後ろ? あぁ、オタナカね……」
中村は肩を竦めて、龍一の暗い声に答えるのであった。