9、ムフー則夫
「今だっ! 頼む、田中君!」
「――心得たでござるッ!」
男が走り、一瞬だけ動きが止まったオークに向かって、二振りの剣を交互に振り下ろす。
それまでに、多くの傷を負っていたオークは、その二連撃に耐えられなかったのか、くぐもった呻き声を上げて、重々しい音と共にその場に沈んでいた。
「やったぁ! 田中君、スゴイッ!」
草むらの影に隠れていた女子が現れて、全身で喜びを表現するかのように小さく跳ねる。
突如、学校近くに出現した亜熱帯風の森林――。
その鬱蒼と生い茂る緑を切り開きながら進んでいた五人の『冒険者』は、互いの無事を喜び、魔物を倒した充足感に、束の間ではあるが酔いしれていた。
――浩助と同じクラスの生徒たちである。
「まぁ、拙者にとっては当然でござるな。フッ……」
田中と呼ばれた男子は、手に持っていた二本の光剣を腕を振ることによって消し、銀縁の眼鏡の腹を中指でくいっと押し上げる。
調子に乗っている――、と糾弾するものは誰もいない。
この男、田中則夫が活躍しているのは、間違いのない事実なのだから糾弾のしようがないのである。
(ムフー! 異世界に行きたいと願っていた拙者の心の声が奇跡を引き起こしたでござる! 超絶ラッキーでござる!)
異世界もののファンタジー小説が大好きで、常々異世界に行きたいと思っていた則夫は、その思いが強かったためか、八界鎖那の小細工によりかなりのスキル数とスキルレベルを備えていたのであった。
具体的には次の通り。
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名前:田中則夫
種族:人間(人間界)
年齢:18歳
職業:学生
状態:通常
レベル:5
HP:397/453(+300)
MP:332/375(+300)
攻撃力:908(+862)
防御力:336(+300)
魔法攻撃力:2413(+2388)
魔法防御力:331(+300)
速度:1164(+840)
幸運:351(+300)
【スキル】
鑑定Lv4/収納Lv3/言語翻訳Lv2/剣術Lv5/二刀流Lv5/光魔法Lv3/聖魔法Lv2/火魔法Lv2/風魔法Lv3/闇魔法Lv2
【耐性】
なし
【称号】
異世界を望みし者(全パラメータ+300)
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――強い。現状では全校生徒の中でもトップ五に入るステータスだ。
それは、クラスの女子人気を二分するイケメン男子二人――、
「はいはい、調子乗りすぎ。でも、まぁ、本当助かってるぜ、オタナカ!」
スポーツ万能で、明るいキャラが人気の小日向龍一や――、
「でも、本当凄いよ。田中君がいるだけで楽にトドメがさせるからね」
甘いマスクで成績優秀の天然キャラ、一条和希を差し置くほどに秀でていた。
クラスのモテ男二人に持ち上げられ、悪い気のしない則夫は「ふむ、まぁ、拙者がいる限り問題ないでござるよ」と増長したりする。
そんな彼らの会話を傍で聞いていた少女は満面の笑みを浮かべた後、何かに気付いたのか、キョロキョロと周囲を見回し始めていた。
彼らは五人パーティーだ。
一人、人数が足りない。
「あれ? 先生は?」
可愛らしい声を発したのは、学年一の美少女とも噂される橘いずみであった。
辺りを見回し、「先生、終わりましたよ~」などと呑気に声を掛けている。
やがて、ガサガサと草を掻き分ける音が聞こえたかと思うと、眼鏡を掛けた女教師が草むらの向こう側からゆっくりと姿を現していた。
緩くウエーブの掛かった髪に蜘蛛の巣などを貼り付け、それでも何処か楽しそうにしている様子は、実に子供っぽい印象を受ける。
「あ、ごめんなさいね。見慣れない植物があって、ちょっと調査していて遅れちゃった。あら、また豚さんを倒したのね。それじゃあ、田中君、魔石の回収をお願いできるかしら?」
「仕方ないでござるな。まぁ、収納スキルを持っているのは拙者だけでござるしな、ムフー!」
「しっかし、こんな状況でも、伊角ちゃんは緊張感ねぇなぁ~」
「こら! 先生をちゃん付けで呼ばないの! でも、一応、実が付いている植物は見つけたから、地図上に印付けとくわね。食べられるかは、ちょっとわからなかったけど」
そう言って、教師である伊角真砂子は、視界の隅に意識を集中。
スキルである自動地図Lv3を呼び出し、地図に食べ物となるかもしれない物の位置を書き込んでいく。
「いいなぁ、先生のスキル便利そうで~。私のスキルなんて、戦闘補助ばかりだからあんまり役に立っている実感ないし……」
「そ、そんなことねぇって! 橘の応援スキルや激励スキルの御蔭で、俺たち、楽に戦えてるんだからよ! なぁ、カズキ!」
「え? あ、うん……。橘さんの御蔭で助かっているよ。有難う」
龍一に突如振られながらも、和希は柔和な笑みを、いずみに向ける。
これが、恐らく女子に人気な理由なのだろうが、和希本人には全く他意はない。
だからこその天然なのだろうが……。
「何でしたら、先生。拙者の鑑定スキルで、その実を鑑定してみるでござるか? 拙者の鑑定スキルはレベル4であるからして……」
真砂子の鑑定スキルはレベルが2しかない。鑑定に失敗していた場合、より高レベルの鑑定を使うことによって食用かどうかを判断することができる。
真砂子は少しだけ逡巡して――、
「そうね。もう少し進むのだったら、帰り掛けにでもお願いしようかしら」
と答えていた。
「えーっと、そういうことでしたら、一度、鑑定してから学校に報告に戻っても良いんじゃないですかね? 他にも探索に出ている人たちから何か情報が貰えるかもしれないし」
そう提案したのは和希である。
則夫の御蔭で順調に森の中を探索できているが、大分奥の方にまで踏み込んでいる実感があった。
それに、則夫の方はまだまだHPに余裕があるが、和希や龍一の方は割とカツカツの状態だ。
一応、レベルアップによって、HPとMPは完全回復するものの、そろそろレベルが上がり難くなってきている部分もある。
安全マージンを考えるなら、この辺で一旦学校に戻り、報告するのも有りかもしれない。
「うーん、そうねぇ。ある程度、食べられそうな木の実も見つけているし、戻るのもありかもしれないわね……」
「それだったら、例の石でできた建物を確認してからでも良くね?」
そう意見を言うのは、この状況を楽しんでいるらしい龍一だ。
魔物と戦ってみて気付いたことだが、パーティーで魔物を倒すと経験値という要素がパーティーメンバー全員に割り振られる。
特に、トドメをさした人間は経験値の二分の一程が手に入り、残りを残ったパーティーメンバーで等分するという形だ。
全校生徒の中でもトップクラスの戦闘能力を持つ則夫を擁してパーティーを組んでいる以上、ここで早期撤退するよりも、ある程度経験値を稼いだ方が後々楽になると考えての言動だろう。
それに、当初の予定では、三階の教室の窓から見えていた、石造りの建物を目指して進んでいた。
一区切りをつけるのならば、それを確認してからでも遅くはない。
「拙者も、小日向殿の意見に賛成でござるな。これが、異世界であるのならば、あの石造りの家には誰かしらが住んでおり、この世界の街やら国やらの情報が貰えるはずでござる。それは、この後の拙者たちの行動の指針として重要なものになってくると思うのでござるよ」
「確かに、それだけのお話が聞ければ、とても助かると思うのだけど……。そんなに良くしてくださるかしら?」
「大丈夫でござるよ! こういう時の第一村人は、隠居した元王宮騎士団団長だったり、中盤まで出番のある名脇役キャラだったりするものでござる! 拙者たちがちょっと困っていると言えば、ほいほい手を貸してくれるものでござるよ!」
則夫はそんなことを言いながらも、頭の中では、石造りの家には身寄りのない超絶美少女が住んでいて、意味もなく自分に好意を抱く展開さえ模索していたりする。
田中則夫――、侮れないオタクである!
「田中君もこう言ってるし、もう少し進んでみても大丈夫だと思いますけど……、駄目ですか、先生?」
胸元に手をやり、少し上目遣いに、いずみは尋ねる。
男子はこういう仕草に弱い、とまるで計算されつくしたような格好だ。
しかも、直接やるわけでなく、同じ女性にやることによって、天然さ加減を演出している。
それを見て、龍一が少しだけ頬を染める。
和希は天然なので、それの意味するところに気付かない。
そして、則夫は――。
(本当、このビッチ、男に取り入ることしか考えてないでござるな! 態度の端々からひしひし感じるでござるよ! オークの群れの中にでも捨て置きたいでござるな。はぁ、拙者のマイエンジェルが療養中の身でなければ、このようなオナゴ連れて来たくはなかったのでござるが……)
――などと考えていた。
則夫は心の中で、彼の天使こと水原沙也加のことを思い出し、小さく嘆息を吐く。
ちなみに、別に療養中ではない。
浩助のせいで保健室から出られないだけだ。
(はぁ、マイエンジェルの笑顔を思い浮かべるだけで、拙者は幸せになれるでござるよ……)
クラスの男子は、明け透けな性格の沙也加のことを全く異性として意識していないものも多いのだが、よくよく見ると、顔は良いし、スタイルも良く、性格もさっぱりしているため、一部では相当な人気があったりする。
特に、則夫の場合、オタクであることをクラスの女子に気持ち悪がられたりもしたのだが、沙也加は一切そういうこともなく、「え? 趣味なんて人それぞれじゃん? っていうか、私なんて剣道やってて年中汗臭いし! 一緒、一緒!」とか言われて、随分気が楽になったことを覚えていた。
何が一緒なのかは分からなかったし、実際は良い匂いがしたりもしたのだが、そんな飾り気のない沙也加のことが、則夫は普通に好きなのだ。
(まぁ、最終的には拙者の異世界ハーレムエンドになる予定でござるが、沙也加氏には是非第一夫人となって頂きたいところでござるな! ムフーッ!)
ちなみに、妄想の中では呼び捨てである。彼の夢は大分捗っている。
「そうね。それじゃあ、もう少し先に行ってみましょうか。この異世界? については、先生より田中君の方が詳しいみたいだし……」
「ムフー! 任せるでござるよ! さぁ、みんな付いてくるでござる!」
鼻息荒く、先頭を進む則夫に続いて、各々が「はいはい」とおざなりな返事をして歩き出す。
森は深く、草いきれが漂う中、足下の下草を踏み固めながら進むこと約三十分。
いずみが「そろそろ休憩しない?」と切り出そうとした、その時――。
彼らの目の前の森が、突如として開ける。
「お、家発見~」
龍一が楽しそうな声を出し、一同は森を抜ける。
森を抜けたそこは、まるで新たに土地を切り貼りしたかのように違和感のある場所であった。
巨大な一枚岩の地面に、大きな石造りの竈。
岩を重ねあわせて作られた――言うなれば積木――のような家が建っている。
しかも、その岩の一つ一つが恐ろしくでかい。
ダンジョンの入り口、と言われても信じてしまいそうなぐらい理解不能な建物だ。
「うーん、家と言うには、ちょっと大きいような気もするけど……。あら、あちらの方から煙が上がっているわね」
真砂子の言葉をきっかけに石造りの竈に視線を向ける四人。
石造りの竈からもうもうと黒煙が舞い上がり、耳を劈く甲高い『轟音』が辺りに響き渡る。
近くに来るまでに、全く響いていなかった音に目を白黒させる五人だが、この石造りの空間の周囲には音と気配を遮断するための障壁が張ってあったため、それも当然のことである。
……だが、彼らはその事実を知らない。
そして、五人は目撃する。
「…………。異世界人、でござるか?」
そこには、見た目、十歳ほどになろうかという少女がいた。
真っ白でゆったりとした衣服を纏い、片手で巨大な鎚を振るっては金床を懸命になって叩いている。
少女の表情は真剣そのものであり、鎚を振るう度に少女の額から汗がきらきらと飛び散っていた。
神聖な――、というよりも侵しがたい何かを感じて、五人の冒険者はその少女の姿に一瞬だけ見惚れてしまう。
だが、いつまでも、そこで呆けているわけにもいかない。
最初に動き出したのは和希だ。
天然は空気を読まない。
「あのぅ、すみませーん」
だが、少女は答えない。
ただ黙々と鎚を振るい続けている。
聞いていないのかもしれないし、聞こえていないのかもしれない。
それだけ、周囲には金属を叩く大音量が響いていた。
「駄目だ。聞こえていないみたい」
「えっと、通じていないんじゃないのかな? 確か、田中君が言語翻訳ってスキル持っていたよね? 田中君が話しかけないと聞こえないんじゃないのかな?」
「外国人と話す時と同じようなものでしょう? 音としては知覚していると思うから、単純にうるさくて聞こえていないだけじゃないかしら?」
閃いたとばかりに、いずみが発言するが、やんわりと真砂子に否定される。
確かに、翻訳スキルは言葉の意味を理解させるだけのものであり、声が通じていないとは考え難い。
五人は少しだけ相談し、最終的には則夫が声を掛けてみることに落ち着く。
気付いてもらった後の対応も、言語翻訳のスキルがある則夫なら何とかなるだろうという考えだ。
ヒロイン候補(仮)の登場に、則夫も対応については異論は挟まなかった。
静かに近付き、近場から声を掛ける。
「す、すまぬが、そこの女子よ! 聞きたいことがあるでござる! 少し手を止めてはくれぬか!」
「…………」
だが、少女は返事をすることなく、一心不乱に鎚を振るっている。
その表情は真剣そのものだ。
これは、声を掛けづらいと思ったが、まごついている場合でもない。
日暮れの足音は、すぐそこまで近づいてきている。
このまま無駄な時間を食っていては、最悪、森の中で一晩を明かすはめになるだろう。
ろくな装備も持たずに森の中で一晩を過ごすなど、安全面からしてもお断りしたいところだ。
故に、早めに少女とのコンタクトを図り、必要な情報だけを収集したいところではあった。
「聞いておるでござるか! 拙者たちは怪しいものではござらん! 少々話を聞いて欲しいのでござるがッ!」
近付く度に耳を劈く轟音が、辺りを支配する。
痺れにも似た痛みが耳朶を打ち、鼓膜が破れたのかと錯覚してしまう程だ。
それでも、則夫は諦めずに話しかける。
――何度、声を掛けただろう。
玉の汗が飛び散り、少女の顔に狂気が浮かび始める頃、則夫はようやく理解する。
この少女に言葉というものが、通じていない、と――。
このままでは、徒に時間を消費するだけであろう。
(駄目でござるな。話が通じぬでござる。そういうNPCということでござろうか? フラグが立っていない気がビンビンするでござるよ。しかし、何者でござるか、この幼女? これだけ巨大な鎚を片手で振り回すとは、あれでござるか? ロリ系ドワーフでござるか?)
ちょっとだけ……、いや、則夫としてはかなり気になる。
(…………。これだけ真剣に打ち込んでおるのであれば、少しぐらい『覗いて』も気付かぬでござるかな?)
教師である伊角真砂子からは、迂闊に鑑定スキルを使うなというお達しが出ている。
時任聖也からの念話による注意事項――らしいのだが、その理由については詳しく言及されていない。
だが、凡その想像はできる。
恐らくは、鑑定スキルを使用した場合に、敵に気付かれるといった恐れがあるからだろう。
異世界ものではよくある設定だ。
そして、それは話ができない魔物に対しての注意事項であり、話し合いができる相手には当てはまらない。
少なくとも、則夫はそう考えている。
(鑑定スキル発動――)
則夫がひっそりと心の中で鑑定スキルを発動した瞬間、対象となった少女は気配を感じたのか身震いをする。
そして、パキンッという小さな、本当に小さな、何かが割れた音が響いた。
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名前:洛琳
種族:仙人(仙人界)
年齢:3212歳
職業:宝貝錬成師
状態:通常
レベル:2
HP:9625/9625(+1800)
MP:6420/8755
攻撃力:1571(+330)
防御力:1852(+760)
魔法攻撃力:2901(+1880)
魔法防御力:2391(+1220)
速度:1112
幸運:768
【スキル】
鍛冶鋳造Lv8/仙術(火)Lv7/仙術(水)Lv7/仙術(土)Lv2/仙術(木)Lv1/仙術(金)Lv7/操鎚術Lv3
【耐性】
火耐性(大)、水耐性(小)
【称号】
なし
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「ああああぁぁぁぁぁぁ――――ッ!? 洛の、洛の宝貝がぁぁぁぁ――――ッ!?」
少女が突然大声を出す。
そして、彼女の視線の先には金床に散らばる光輝く粒子の欠片。
則夫はその光景に驚くと同時に、慄いてもいた。
ステータスを覗いたからこそ分かる。
こんなもの、人間が……、則夫程度が勝てる相手ではない、と。
「誰!? 洛の邪魔したの! キミなの!?」
洛琳――、ステータスからそう判断した少女は、まるで親の仇を見るかのような目で、則夫を睨みつける。
ここで、何か気の利いた一言でも言えれば、状況は違っていたかもしれない。
だが、目の前に立つ少女の圧倒的なステータスと、自分が吹けば飛ぶような存在だと知ってしまった則夫には、それを行うだけの度胸と開き直りが足りなかった。
結果、出した答えは――。
「て……、撤収! 撤収でござる~っ!」
「ハァ!? 何言ってんだ、オタナカ!?」
「良いから、逃げるでござる! 一撃でも食らったら即死でござるよ!?」
則夫の言葉を聞いて、全員の顔から血の気が引く。
彼らは、事此処に至って、虎穴に飛び込んだことを理解したのである。
『うわああああぁぁぁぁ~~~~!?』
全員が全員、恐慌を起こしたように一斉に逃げ出す。
それもそうだ。
一番強いはずの則夫が先頭を切って逃げ出したのである。
安全なはずの防波堤が崩れた時、大波を受け止めるだけの余力は彼らにはない。
「ちょ――、人の作業の邪魔して、勝手に逃げるって何て奴らなの!? 洛は怒ったよ!」
少女が石造りの竈の影からふたつの球体を引っ張りだす。
それを、則夫は振り向きながら、即座に鑑定――。
【道具】風火輪【上級宝貝】
説明:速度+4000 装備者は装備者の意志で自由に空を飛ぶことができるようになる。
(嘘でござろう!? アレを装備すれば、拙者よりも早く動けるでござるか!? しかも、空を飛んで!? こんなの逃げ切れるわけがないでござろう!? どうするでござる!? どうするでござる!?)
――絶望が則夫を襲う。
たった一度の好奇心が最悪の事態を招いてしまった。
則夫の心には、後悔というよりも、死にたくない、嫌だ、まだ生きていたい、といった未練の感情が渦巻く。
そこには、パーティーを守ろうだとか、自分が殿を務めようだとか、そんな殊勝な心がけはない。
戦場を経験したこともない現代っ子の則夫が、圧倒的不利な状況で相手に立ち向かう――。
これをやるには、彼はあまりにも肝が細かったのだ。
切れる息を構いもせずに、足が千切れても構わないとばかりに、全力で森林地帯を駆け抜ける。
その則夫の後ろ姿から、引き離されまいとして四人が全力で後を追随する。
「はぁ、はぁ、はぁ……ッ! もう何なのよ~! こんなのイヤ~!」
「バカヤロー! オタナカ! テメー、一番強ぇのに先頭で逃げてんじゃねぇ! 後ろで何とかしやがれ!」
「拙者だって、死にたくないでござる! ……死にたくない! 死にたくないのでござるッ!」
「せ、先生! 時任君に念話とかできないんですか!? それで、何か、テレポートみたいな感じで救助とか!?」
一縷の望みを託しながら、和希が走りながら叫ぶ。
此処までの森の行軍で、大分足が参っている。
こんな状態での鬼ごっこなど、相手に捕まえて下さいと言っているようなものだ。
自力が無理なら、他力。
そう、全校生徒の中には、通常とは違ったユニークスキルを持つ者も珍しくはない。
「念話……! そうね! 時任君に連絡してみるわ!」
真砂子も念話は使える。
念話は、使用前に相手を登録(使用者が登録すると意識するだけで良い)することで、事前に登録した相手に向かって会話をすることができるスキルだ。
その登録数は、スキルレベルが上がる程多くなり、通話距離もそれに伴って長くなる。
「というか、逃げ切れるの、コレ!? もしかして、田中君、あの子のステータスを覗いたんじゃないの!? どうなの、速さ的に!? もしかして、逃げきれないんじゃないの!?」
いずみが悲鳴のようにそんなことを叫ぶが、則夫は答えない。
というか、答えたら、この状況が則夫のせいであることがバレてしまう。
そこは、隠し通したいところであった。
「し、知らないでござる! 彼女の圧力に押されて逃げ出したに過ぎないでござるよ!」
「オタナカ! テメー、一撃で死ぬとか断定してただろ! 鑑定したんだろ! 正直に言え!」
隠し通したいことが、一瞬でバレる。
どのみち、隠し通すことが無理だと悟ったのか、則夫は叫ぶように絶望を言葉にする。
「すまぬでござる! したでござるよ~~~~!」
「だったら、どの程度のステータスなのかも教えろ! オタナカ!」
「うぅ、彼女のHPは九千越え! 各ステータス一千オーバー! 魔法系に至っては二千オーバー! 速度は装備品込みで三千オーバーでござる! 絶対に敵わないでござるよ!」
「「「「!?」」」」
それは、大凡知りたくない事実であったことだろう。
則夫と真砂子を除く三人の顔が一瞬で青くなる。
「終わった……、俺の冒険シューリョー……」
「馬鹿、龍一! 早々に諦めるな! 橘さんも足を緩めないで!」
「あははは……、ごめんなさい……、でも、これは……」
「そうでござる! 拙者が悪いでござる! 何とでも罵るが良いでござろう!」
「オタナカ、テメー! こんな時に開き直ってんじゃねーぞ!?」
転がるように斜面となった森を下っていく。
その背後からは、ガスバーナーの音を何倍にも盛大にした豪快な噴射音が迫ってきている。
「もう追いついてきたでござる!?」
「オタナカ! テメー責任取ってシネ!」
「嫌でござるよ!?」
「――はい、判りました。……田中くん!」
混乱の極みにあるパーティーに一筋の光明が差したか、真砂子が叫ぶ。
「閃光弾を打ち上げて!」
「目眩ましでござるか! ――承知!」
「見つけ――」
洛の白い衣装が視界に入った瞬間、則夫が掌から白い球を作り出し、空中に向けて投げつける。
「閃光!」
「――ひゃうっ!?」
則夫が放ったのは、光魔法のスキルレベル2で覚える魔法だ。
レベル1で覚える光源の魔法をより強く激しく瞬かせる、目眩まし魔法である。
目で知覚をしない相手には全くといって良いほど役立たずな魔法ではあるが、知覚を目に頼っている種族には滅法強力な不意打ち手段と成り得る。
事実、必死の形相で追いかけてきた洛は、空中でその身をよろけさせ、ふらふらと近くにあった大木の頂点へとその身を預けてしまっていた。
ちらつく視界を抑えるために、何度も瞬きを繰り返し、ごしごしと袖で涙を拭う。
「むー……、目がちかちかするよー……」
《んじゃ、待ってやろーか、ですニャー》
「うん、待ってねー……」
暫く時間を置き、視界がクリアになったところで、洛は地上を思いきり睨みつける。
「――待たせたよ! さぁ、お仕置きの時間だよ!」
だが、そこには先程の五人の姿は影も形もなく――。
《悪いが、その辺、話し合いで解決できねーか? ですニャー》
刀を肩に担いで猫のぬいぐるみを肩に乗せた制服姿の男がいるだけであった。