過去
これは、ジャンの記憶がなくなる前の話。
かつて、ジャンは一般的な夫婦の一人息子だった。
優しくて家庭的な母と真面目で仕事一筋な父。
決して裕福という訳ではなかったが、彼はこの幸せが続くことを願った。
ある日の事、珍しく父が酒に酔って帰って来たのである。
そして、父は酒臭い声で顔を青くしながらこう言った。
「友人に裏切られた」
その言葉で顔の青さが母にも移ったのが、似たような顔をしながらジャンの腕を引いた。
「ジャン、家を出る用意をしなさい、すぐよ」
「母さん?父さん?いったい何が…」
状況が理解できないジャンは二人に恐る恐る聞くが、それは母の焦った怒鳴り声で途切れさせられる。
「いいから早くしなさい!」
母の変貌に驚いたジャンは、いそいそと用意をし始める。
「時期に、借金取りが来るだろう。シャル、お前はジャンを連れて逃げろ。女子供がここにいては危険だ」
「そんな…ハスター、貴方はどうするのよ」
親二人の話に耳を傾けながらジャンは着々と用意を終えていた。
話の様子からして、父とは別れることになるのか、そう思うと視界が霞む。
「俺は…大丈夫だ。シャル、お前なら大丈夫だ、先に逃げるんだ。今は生きてここを出るんだ」
「…っ…きっとよ、生きてまた会いましょう…ㇵスター愛してるわ」
「あぁ、俺も愛してるよ。さぁ、早く行け」
そうして、ジャンは母と共に逃げた。
逃げる途中で、大きな爆発音がしたが、大粒の涙を零す母に「見てはだめよ!前だけを見て!」と言われて振り向くことができなかった。
一つ町を越え、その隣町についたとき、母に聞いた。
「何があったのですか?母さん、教えてください。僕はちゃんと理解したい」
すると母は、怒りや悲しみが混じったような顔をして黙っていたが、ジャンがしつこく聞き続けると渋々話し始めた。
父の友人がある娼婦に惚れて、金を使い果たしたこと。
父がその友人に金を貸したがそれでも足りず、父から金を盗み挙句に父名義で多額の借金をしたこと。
辛そうに語る母を見てジャンの中に黒い感情が生まれ始める。
その友人が憎い、娼婦が憎い。
きっと、父は生きていないだろう。
借金取りも自分たちをまだ追っているだろう。
悲しみと怒り、憎しみがジャンの中で回る。
そう思う中で、一つだけ黒くないものがあった。
それは亡き父の代わりに母を守るという使命感。
母がいる間は、『自分』を保とう、そう思っていた矢先に借金取りに追いつかれてしまった。
「ジャン!逃げて、早く!」
母が借金取りに連れて行かれる。
その光景に背を向けてジャンは走った。母に言われた通りに。
母は,娼婦館に連れていかれた。
その娼婦館から助け出そうとするも、幼いジャンにはその場所なんてわからない。
終にジャンは一人になった、価値のない自分だけが残された。
小さな幸福も崩れ去った。
ジャンは負に染まった心のままで街を彷徨った。
ぼろ布を被り、ふらつく足で歩き続けた。
母の居場所を探して歩いても歩いても、疲労と空腹感が募るだけだった。
歩き続けたジャンは終に倒れた。
その窮地で今の雇い主のサーカス団の団長に拾われたのだ。
「坊主、生きてるか?」
「…アンタ誰だよ…」
ジャンは苛立ったように答える。
空腹で疲れ切ったジャンからすれば今感じていること全てが苦痛。
「俺は…団長。サーカス団の団長だ」
顔に大きな火傷と眼帯をした左目の団長と名乗った男はジャンにパンを差し出しながら笑った。
「取り敢えず、食えよ。腹減ってるんだろ?」
ジャンはそのパンを奪い取り、大きな口で頬張った。
「おお、いい食いっぷり」
「で、そんな団長さんが、このボロボロに何の用だよ」
キツイ目つきで団長を睨む。
しかし、団長はそんなジャンと反比例したように大笑いした。
「気の強い奴だな!」
「それほどでも」
「お前、俺ん所で働かないか?」
突然の団長の提案に、呆気にとられるジャン。
誰も今まで助けてくれなかった、誰も声すらかけてくれなかった。
今まで一人で過ごして来たため、人間不信になったジャン。
そんな時に、嘘偽りが一切混じらない声で話しかけてきた団長。
ジャンの目から、ゆっくりと涙が落ちていく。
「な、泣くなよ!」
焦る団長に、ジャンは笑顔でこう答える。
「アンタに会えてよかった」
目をこすりながら笑うジャンは、年相応に見えた。
こうして、サーカス団のナイフ使いのジャンが生まれたのだ。
団長に会う前の事が、よく思い出せなくなったのは両親との別れが原因である。
それからジャンは、優しく礼儀正しいこうせいねんに成長していったのだ。
全話書いておいたつもりが、最後だけ書いてなかったああああ!!!!