誕生
一人無残な姿で、死んでいく。
腹を裂かれ、内臓を引き抜かれ、大量の血を垂れ流しながら死んでいく。
今宵、恐怖が生まれた。
「こんにちは、いい天気ですね」
サーカス団のテントから出てきた愛想のいい男。
彼はジャン。
彼はサーカス団でナイフ使いとして働いている。
ナイフ使いと言っても、単にナイフを投げたり、ものを切ったりするわけではない。
彼は、ナイフとマジックを混ぜた特殊な曲芸を得意としていた。
ナイフを手の中から消し、何も入っていなかったポケットから取り出す術やナイフを飲み込み、観客の手の中に出現させる術など。
彼はこの仕事に誇りを持っていた。
彼はこの仕事を馬鹿にされることを嫌った。
そして、微かに残った記憶の中の母を嫌った、娼婦を嫌った。
記憶が薄れていても、自分の中の血が穢れていることだけは忘れなかった。
穢れた血を忘れるために、彼は仕事に励んだ。
汚い、汚い。僕は汚いんだ。
どんなに忘れようとも、忘れることのなかったこと。
己に突き付けられた烙印は、何をしても拭えなかった。
穢れた血を全て流すために、己にナイフを突き立てた時もあった。
過去を振り返りながら、家に帰るため、路地裏を歩く。
仕事が終わって直ぐだからか、酒を飲んだように足元が覚束ない。
そんな彼をどこぞの酔っ払いどもと勘違いした一人の女が声をかけてくる。
「ちょっとアンタ、いい男じゃないかい。どうだい、一晩アタシと楽しまないかい?安くしておくから」
薄汚れた服を着た、小柄な娼婦のようだ。
極度の娼婦嫌いな彼は、女を突っぱねて早足で進んでいく。
しかし、女もこれくらいの事ではめげることはない。
彼の足止めをするかのように、腕に絡みつき、二の腕に豊満な胸を押し付けてくる。
「…汚らわしい、離れろ」
昼間の愛想の良さが嘘かのように、冷たい声で突き放す。
しかし、女も女である。
前にもこの様なことがあったのだろう。
彼の拒絶も気にせず、甘ったれた猫撫で声で、定番の誘い文句を言う。
「良いじゃないかぁ…兄さん。このアタシを自由にできるんだよ?」
鳥肌が立った。
彼の中で黒い感情が渦を巻き始める。
汚らわしい。汚らわしい。この薄汚い娼婦を殺してしまえ。
そうすれば、お前は楽になれる、血の穢れが落ちるぞ。
己の中で悪魔が誘う。
無意識に手がナイフに向かっていく。
殺せば、収まるのか、この憎しみは。試してみるのもいいかもしれない。
なんせ、ここは路地裏、犯罪が蔓延る最悪な場所、そんな処で、娼婦の一人が死のうと誰も気にしないだろう。
そう、思った瞬間彼は絡みついていた娼婦を突き放し、驚いている奴の首を使い慣れているナイフで掻っ切った。
切り口から鮮血をまき散らし、糸を切られた操り人形のように崩れ落ちていく女。
それでも彼は止まらず、腹を裂いた。
そして内臓を引き抜いて持ち去ったのだ。
これが夢ではなく、現実だと己に知らしめるために。
この日、人々を震撼させる切り裂きジャックがうまれたのだった。
これはフィクションですので。
僕の中での切り裂きジャックの話です。




