8話 「目覚め」
各話にタイトルつけました。
懐かしい匂いに包まれて、ふわふわと宙に浮いているような不思議な感覚。
身体は強烈な脱力感が襲い、意識を手放してしまいたくなる。
手放したくなる意識を叱咤して目をあけると、普段は前髪に隠され見ることの叶わないルイの顔があった。
この不思議な浮遊感は横抱きに抱えられていた為らしい。殆ど外に出ないのがわかる白い腕に、私の体重はこたえるだろうに、ルイの顔は余裕そうに見える。
強制的に密着するこの姿勢でも不思議と恥ずかしさはなくて、母さんに抱きしめられたり父さんに頭を撫でられたような安心感があった。
肩口に頭があるこの姿勢は、前髪で隠されている彼の顔が良く見える。これ幸いとのぞき込めば、深い藍色の前髪の影からラベンダー色の瞳が、なんとなしにこちらを向いた。
すうっと瞳に引き込まれて目が離せなくなる。
身体も心も吸い込まれそうな感覚に襲われて。
すると、視界がぐわりと歪む。
『俺だけの女神よ、どうか俺だけにその寵愛を』
ラベンダー色の瞳をした青年が跪き、魔法師のもつ杖を女性に捧げている。
教会に描かれる絵画のように清廉な光景は、愚かな人間が神に唯一の愛を縋っているよう。
『そして、烏滸がましい願いを抱く下賎な私に罰を』
凛とした声に僅かに哀しみを滲ませる声で女性は答えた。
『天が貴方の生を幸福で明るく照らしましょう』
神々しくも美しくて、奇妙な光景だった。
景色は流れるように過ぎ去ると、新たな景色が次々とフラッシュバックしていく。
それはある女の子の日常風景だった。
学校へ行って、友達と遊んで、部活に励んで、夜はゲームをしてから眠る。
女の子は毎日同じゲームをしているのに、飽きずに夜更かしした。
白い肌に長い黒髪がはえる幼い顔立ちの可愛らしい顔も、目の下にできたクマが台無しにしていて勿体無い。
いつもよりもさらに夜ふかしした翌日。
一日眠くすごした女の子は、あくびををしながら帰路に着いた。
着信にカバンを漁る。
中々見つからない。大きく響く着信に急かされながらカバンを漁る。
大型トラック特有のクラクションに驚いて、顔を上げて。
最後に、お母さんとお父さんの泣き声だけが頭に響いた。
ようやく思い出した。
ゲーム好きで夜更かしなこの少女は、私。
名前はサトウ・ハルカ。男性恐怖症で、内気な日陰者。
恋愛もゲームの中だけで十分だった。
おそらく私は交通事故で死んで、仏教でいう輪廻転生したのだろうか。
ルーシーとしての自我はそのままに、ハルカという自我も目覚めてしまったようだ。違和感もあるのにどこかしっくりしていて、不思議な感覚に包まれる。
フラッシュバックで最初に見たのは、生前熱中していたゲーム『ヤンデレ男子~毒リンゴを召し上がれ~』のワンシーン。
容姿、知性、才能、家柄に恵まれた青年魔法師・ルイが、自身のトラウマを解いた主人公を「女神」と信仰しながらも、抑えきれない想いに懺悔するシーン。
魔法の才を買われて平民から貴族の養子となったルイは孤独だった。実の両親からも、新しい両親も誰も彼を愛そうともしなかった。しかし、貴族でありながらも平民として育った主人公だけが、友人として彼を愛した。彼女の義弟アシルと良き友人となるが、成長するにつれて彼らの関係は崩れてく。
そうして崩壊した関係の状態で、ゲームは始まる。
病んでしまったルイやアシルに戸惑いながらも主人公が奮闘するこのゲームには、他にも4人登場人物がおり全員、このように様々な過去を抱え病んでいる。
そして、選択肢を間違うと主人公は、あっさりと殺されてしまう。選択肢一つ間違うだけで、すぐデッドエンドのこのゲームは数多くあるヤンデレ乙女ゲームでも最難度と称された。
何気ない会話の一つを間違うだけであっさり殺されてしまう可哀想な可哀想な主人公の名前はルーシア・サントラム。
絶望である。
境遇も義兄弟の名前も同じ。そしてルイという魔法が得意な少年。
そして私の、ルーシア・サントラムという名前。
貴族の苗字なので同姓同名という可能性は限りなく低い。
そもそもヤンデレゲームはそれなりに好きだった。
あんなに狂ってしまうほどに愛されるのが心地よかった。
でもそれはゲームでの話だ。
生身であんなに激しく愛されるのはご遠慮したいし、結婚するなら健やかな精神の人がいい。
ゲームが始まるのは主人公の学園入学から。
つまりまだ猶予は十分にあり、焦る時間ではない。
むしろ今こうしてハルカの自我が蘇ったのは僥倖といえる。
通常攻略キャラクターは6人に、隠しキャラクターが数人。隠しキャラクターはビジュアルのみ公開されていて、その中に私をこのゲームに熱中させたキャラクターがいる。
ユーリ・バラティエ。
通常攻略キャラクターである第一王子・レジナルドの親友にも関わらず、貴族としては低い身分に、知性も武道も容姿優れず、忌み色の黒髪に黒い瞳を持つ青年。気性の温厚さだけが取り柄のキャラクター。
ある日、偶然ネットで見かけたイラストがきっかけだった。
満開の桜並木に立つユーリ。
忌み嫌われる黒髪が春風に遊ばれサラサラと踊り、髪色と同じ黒の瞳には、親友レジナルドと、彼と結ばれた主人公の姿が写っている。
穏やかな笑みを浮かべるユーリの頬には涙が走り、拳は出血してしまいそうな程に固く握り締めれていた。
レジナルドルートでも他のルートでも彼の気持ちは描写されない。むしろ、レジナルドルートでは彼との仲を取り持ってくれていた。
そんな彼が、もし、実は、主人公が好きだったら。
親友と、親友が想いを寄せる女の子。
彼女に惹かれながらも二人のために身を引き応援するのはどれだけ辛いのだろう。伯爵位の彼女と自分の身分では釣り合わないという思いもあったかもしれない。
今、想像するだけでも胸がふるえる。
彼の攻略ルートはどんなものだったんだろう。少なくとも、健やかな心で主人公を愛してくれたはずだ、彼はヤンデレではないから。
生きているうちに彼のハッピーエンドを見ることは叶わなかった。
でも、今なら、発生条件なんて存在しない、機械の世界じゃない今ならそれは不可能なことじゃない、かもしれない。ゲームでは隠されていても、現実世界ではそんな力は働かないかもしれない。
なにより、もう早死はしたくない。
母さんと父さんは死んでしまったけれど、二人が守ってくれたこの命を粗末にはしたくない。ハルカだった私のお母さんとお父さんも、幸せに長生きしてほしかっただろうから。
もう、両親のあんな泣き声だけはききたくない。
幸せになるには。
心の病んだイケメンよりも、健やかな精神のフツメンがいい。
俺様で暴力的な王子よりも、優しくて紳士な下級貴族がいい。
いくら美味しそうでも、毒リンゴは絶対に食べたりなんかしない。
私はこの人生をかけて彼を、ユーリ・バラティエを攻略する。
体調不良やPCの故障が重なり、更新遅くなってしまいました。
目標とはいえ、こんな早々に破ってしまいすみません。
遅筆ですが、お付き合い頂けましたら幸いです。