6話 「遊ぼう」
ルイがサントラム家に来て10日が経った。
滞在予定は過ぎているのだが、ルイの父であるモンフォール伯爵は「ご令嬢の魔力が落ち着くまでお手伝いさせてください」と連絡をよこしたきりだ。心配しないのはそれだけ息子を信頼しているからだろう。でもなにか、腑におちない。
トントントトントン。
ルイの使っている客室をノックする。彼が引きこもってから毎日訪ねている。彼と話さないことには魔力の暴走についてもわからないし、やっぱり友達になりたい。
いくら耳を澄ませても返答はなかった。この無音が私を拒絶する音に思えて心が痛い。
ルイは私よりも二つ年上の9歳で、一人で貴族の屋敷を回って魔力適性を任せられている。それでも、そろそろ寂しく感じて家族のいる家に帰りたいと思っているのではないか。もし私だったらきっと耐えられない。両親と別れて今日まで、アシルが毎日離れずにいてれなかったら。ひとりの時間があったなら。きっと耐えられていないだろう。
家族は一緒にいた方がいい。いつ会えなくなるかなんてわからないんだから。だから少しでも早く帰られるようにしてあげたい。魔力を制御出来るようになりたい。
でも、ルイが教えてくれなければどうにもならない。魔法を使える人は少ない。暴走する程の魔力を持つ人はもっともっと少ない。それを制御出来る人なんて国に5人いればいい方だとアシルも言っていた。だからこそルイは9歳で、貴族の魔力適性を測る仕事を任されている。
しかし、モンフォール伯爵の「ご令嬢の魔力が落ち着くまでお手伝いさせてください」という言葉があるので、私が魔力を制御できるようにならなければルイは家に帰れない。
ドアノブに手をかけひねる、が開かない。当たり前だが内側から鍵がかかっているようだ。どうしよう。彼と会わねば何も始まらないのに。
「ルーシー、ダンスレッスンが始まるよ」
背後からの声に振り返れば、剣術修行の後なのか動きやすそうな軽装で、アシルが呆れた表情を浮かべていた。自分の行為が令嬢にそぐわないもので、令嬢修行を手伝ってくれているアシルにどんな顔をすればいいのか分からない。
「モンフォール伯令息が心配?」
なにも返せずにいるとため息交じりだけれど、アシルも心配なのか困ったような笑みを浮かべた。
ちなみにモンフォール伯令息とは、モンフォール伯爵家のご令息という意味で、ファーストネームで呼ぶのは失礼にあたるため、そのように呼ぶらしい。ファーストネームは、家族や親戚、婚約者、ごく親しい友人でなければ呼ばないらしい。だからアシルは、ルイと名前で呼び合っているのに驚いたのだ。
「だってもう一週間だよ」
一人部屋で過ごすルイをおもえば自然と声が沈んでしまう。そもそもどうして引きこっているのか。
食事はとっているようだけど、ずっと部屋にひきこもりきりだ。引きこもりは長くなるほど出られなくなると何処かで聞いたことがある気がするし、そろそろどうにかしたい。窓から日光には入っているだろうが、外に出ないのは健康にも良くないだろう。
「あ、」
今日の天気は晴天。夏も近づき少し暑い。でも窓を開ければそよ風が気持ちいい快適な気温になる。つまり。
「窓が空いてるかも!」
思い立ったたが吉日。すぐさま外に走ってルイの部屋前の庭へとでる。突然の行動に驚いていたアシルがやや遅れてから追いついた。しかし、その肩は上下し息が乱れている。アシルは身体を動かすよりも、頭を働かせるのが好きらしく、少し運動不足気味だ。剣術も技術ばかり磨くから持久力がないと師範もぼやいていた。これは本格的に外で遊ぶ楽しさを伝えねば、と決意しつつ、ここへ来た目的でもある部屋を見上げる。
「もしかしてここから入るの?」
窓は僅かに開かれ、カーテンが風に揺れている。テラスまで上ることができれば容易に侵入できるだろう。壁をよく見れば細い蔦が地面からテラスまで伸びている。蔦を手に引いたり緩めたりを繰り返して強度を確かめる。
純粋なラズベリー色の瞳に、素直に「ご名答!」というのは躊躇われて、言葉を濁して明後日の方向を見ながら痒くもない頬を掻いた。
桃色のふんわりした髪の隙間から覗くまん丸のラズベリー色の瞳に見つめられている気がする。陽の下でみると金が混じっているのが分かる瞳は純真で汚れをしらない。拒絶する人の部屋に無理やり外から押し入るなんてするなんて全く考えもしない、そんな純真で純粋な瞳が。令嬢修行を始めてから、言動を細かく正してくれていたので怒られるか呆れられるかと思ったがアシルは怒るも呆れもしなかった。
「危ないよ、ルーシー……」
ただ、その声が不安定に揺れて、今にも途絶えてしまいそうなロウソクの炎のようで、ひどく不安に駆られておそるおそる視線を向ければ。
俯いて、唇を食いしばるように噤んで、なにか我慢するような辛そうな寂しそうな、色んな感情がごちゃまぜに混じった顔をしたアシルがいた。金の混じったラズベリー色の瞳は焦点が定まっておらずうつろだ。些細な風ではたと消えてしまいそうで、それでいて幼い子が泣くのを必死にこらえるようにも見える。
アシルのこんな顔を見るのは初めてだ。アシルはどこか余裕があって落ち着いて、可愛らしい容姿に反してお兄さんのようだ。なんでもスマートにこなし、ミスもさらりとフォローしてくれる。
寂しい時には「僕が一緒にいたいから」なんて言いながら傍にいてくれた。私が素直になれない時にはあえて弟らしく振舞って歩み寄ってくれるような、大人びた子だった。だからこんな顔をしている理由がわからない。
ルイの部屋のテラスまで伸びる蔦から手を離し、アシルの肩にやんわりと触れる。ゆっくりと視線が上がり、金の混じったラズベリー色が私を捉える。
「ねぇ、ルーシー、」
おずおずと伸ばされた手は指先に力が入っていて、掴まれた腕が少し痛い。それでも、これから紡がれるだろう言葉を遮ってはいけない気がして、ようやく焦点の定まった瞳を見つめる。
「僕も部屋にこもれば構ってくれる……?」
心臓が止まるかと思った。いや、止まったかもしれない。
ただでさえ天使のようなアシルにすがるように潤んだ瞳でそんなことを言われて心動かされない人間がいるだろうか。いや、いない。
思えばルイが来てからというもの、アシルといてもルイのことばかり考えていたし、そもそも一緒にいる時間も少しだが減っていた。蔦を登って二階に侵入するというアシルからすればありえない行動を取ろうする程に自分といるよりもルイに会いたいのか、とヤキモチを焼いてくれたのだ。
なんて可愛らしいのだろう。なによりヤキモチを焼くほどに好いていてくれていた事が嬉しい。
「アシル、今日は二人で遊ぼう?」
肩を掴むアシルの手を両手でやんわりと包みそう口にすれば、翳ったラズベリー色の瞳に光が灯り、普段よりもすこし幼い可愛らしい笑みを浮かべた。
「でも、その、モンフォール伯令息は、」
一拍おいて冷静になったのか、慌てたようにアシルが言う。
「明日でもきっと大丈夫だよ。そうだ、明日の侵入に備えて木登りしよう!」
「木登り!?し、したことないよ、それに怪我したら……」
戸惑うアシルの手を引いて、適当な木を探しに駆けだす。
「大丈夫だよっ!遊びは私が教えてあげるからっ」
その時のわたしは、登りやすい木を探すことに夢中で窓辺にうつる影に気付くことはなかった。
お読みいただきありがとうございます。
私事でばたばたしてしまい、更新遅れてしまいました。
次話からは3日に1話ペース(を目標に)で投稿致します。