4話 「二度目の出会いと異変」
※後半アシル目線になっています。
半月後に控えた殿下の誕生パーティー。それまでに一人前の令嬢にならねばならない。礼儀作法やマナー、歴史や算学、ダンスに剣術などの毎日行われる令嬢修行では、一日ごとに目標が設定される。それを達成すれば自由時間になる。ちなみに昨日は自由時間どころか少し時間を押してしまった。
アシルを遊びに誘うためには、その自由時間を勝ち取る必要がある。しかし、令嬢修行を始めてから半月、一度もそれを勝ち取った試しはない。それならどうするか、早起きして予習しておけばいいのだ。暗記は得意だけれど、とにかく、量が多い。歴史やマナー、貴族の名前ほかにもいろいろ。たしか今日は建国史と貴族の名前。となれば向かうところは決まりだ。
未だに隣で眠っているアシルを起こさぬように、こっそりと寝台から脱出する。陽も登らない世界は薄暗いものの、目を凝らせば問題ない。大きめのカーディガンを羽織り図書室へと向かう。
サントラム家の蔵書量は非常に多く、その図書室はとても広い。大きな木製の扉を開ければ中央が吹き抜けになった2階建てで、ドミノのように規則正しく背の高い本棚が立ち並んでいる。
背表紙を指でなぞりながら進んでいく。難しいものでは理解できないし、子供向けでは令嬢修行にはむかない。天井に届くほどの本棚にびっしり詰められているため、上を向いたまま歩いていたのが悪かった。何かが足に触れた、そう理解したのに足は既に踏み出していた。
蹴っ飛ばしてしまったソレは重く、質のいい絨毯の上をゴロン、と転がった。
目を凝らして、ソレが高価な調度品ではなかったことに安堵しつつ、しゃがみ込み観察する。ソレはしゃがんだ自分と同じ程の大きさで、魔法師がよく着ている深緑のローブにくるまれている。ローブは擦れており痛みが激しく、端が焼け焦げたり、薬品だろうか不自然に溶けた後がある。なぜ図書室にローブにくるまれたものが放置されているのだろう。
ツンツンとつつくと、ソレは弾力がありさらにつつくと、動いた。
「ひぇっ!?」
間抜けな私の悲鳴に深緑のローブがもぞりと動き、上体を起こすとローブの帽子部分がパサリと落ちた。
「……?きみ、は?」
ローブにくるまれていたは少年だった。長く伸ばされた濃紺の前髪が邪魔をして鼻から上は見えないが、体つきや声から男の子だろう。
「ルーシア・サントラムです。貴方のお名前は?」
「……ルイ、モンフォール」
不審に思いつつ尋ねれば、小さな声でそう答えた。なぜこんな時間に図書室にいるのか、なぜそんなボロのローブを着ているのか。しかし、モンフォール家といえば上位貴族だった気がするので、失礼になっては大変なので下手にきけない。
「えっと、その、ごめんなさい。存じ上げなくて」
「謝る必要、ない、俺は、貴族じゃない」
ボソボソと小声で言うと俯いてしまったルイの表情は窺い知れない。どういうことなのかわからず見つめていると、またボソリ呟くように言う。
「ルイ。俺は……、ルイ」
今までのか細い声とは違う、意思がみえたその言葉を否定するのだけはしてはいけない、そう思った。
「わかりました、ルイさんですね」
「うん。それじゃあ」
満足げに僅かに広角をあげるとルイは図書室のさらに奥へと言ってしまった。結局、彼がなぜサントラム家にいるのかという疑問は解決しなかった。
なぜ、家名ではなく名前で呼ぶようにいってきたんだろう。分からない。それに彼の佇まいや話し方はどことなく懐かしさを感じた。
貴族なのにそれを否定する。不思議なひとだなぁ。
◇ ◆ ◇
「今日、モンフォール伯爵家のご令息がルーシーの魔法適性を見てくれるそうだ。私は同席できないから、ルーシーを頼んだよ。アシル」
朝食の席。読んでいた難しそうな経済新聞を畳みながらフランシスさんがそう言った。
魔法適性を持つ人は国民の3割程度で、さらに強力な魔法を使えるのは1割に満たない。また、その確認が魔法師にしかできないため、貴族はこうして幼いうちに適性がこうしてみてもらう。モンフォール伯爵家は代々魔法大臣を務める名家で、元を辿ると建国の四英傑の一人である魔法師らしい。魔法適性は遺伝ではないのだが、モンフォール家は強力な魔力を保持して生まれてくるのだという。と、アシルが丁寧に教えてくれた。
なるほど。図書室にいたのは魔法の調べ物かな?魔法師の家ならローブを着ていたのも納得だ。
朝食を終えて、アシルと二人でルイのいる客室を訪ねると、彼は日当たりのいい窓辺に腰掛けていた。
「お久しぶりです、ルイ・モンフォール伯令息」
続いて挨拶するように笑顔でアシルに促されたが、私は思考停止していた。窓辺に腰掛けたルイがあまりにも神秘的だったから。
少しだけ開けられた窓から流れる風に、朝日を受けた濃紺の髪はサラサラと揺れ、傷んだ深緑のローブの下に病的に白い肌がよく生えていた。
「こちらは従姉妹のルー……」
「ルーシア、こっち」
いつまでも挨拶しない私を紹介しようとしたアシルの言葉を、ルイは途中で切って、私の方を向いた。まるでアシルがいないような素振りに驚いている内に、ルイは手を引いて私をバルコニーへと連れ出した。
朝日が燦々と降り注ぐバルコニーの中央まで来ると、向かいに立ったルイは両手をやんわりと握ると、集中するように俯いた。
すると繋がれた手から伝わる熱が動き出し、血管を押し広げるように全身に回り、細胞一つ一つに入り込んでいく。すう、と熱がルイの手に帰るように移動したかと思えば、広大な地平線を吹き抜けるような風が体中を駆け抜けた。
「えっわっえっ……!?」
感じたことのない不思議な感覚に締まりのない声が漏れる。
ふわりと温かい光に包まれた次の瞬間、ぐわっと心臓が鷲掴まれたように激しく脈打ち発熱した。激しく脈打つ心臓から送り出される熱が血管をさらに押し拡げながら、大流となって身体中を駆け巡る。
吐く息すらも熱を帯びるほどに熱い。
心臓が焦げてしまいそう、血管が避けてしまいそう。苦しくて辛い。
「……その苦しみが君の力になる、がんばって」
ルイの言葉から数秒経つと身体を包んでいた光がに霧散すると、先ほどの熱がふっと冷めて世界がぐるんと回った。透き通る青にわた雲が浮かんだ空が綺麗だった。頭から重力に引かれた身体には硬い地面が迫っていた。
すぐに来るであろう衝撃に目を瞑る。
――――おとずれたのは痛みではなく、ラベンダー色の瞳だった。アシルのとは違う、けれども綺麗な瞳。
「ルーシー!!」
アシルの声が遠くで響いていた。
ルーシーはゆっくりと瞼を閉じていった。
◇ ◆ ◇
魔法適性は適性者に回路を作ってもらうことから始まる。直接触れたところから魔力を流し回路を造り、魔力溜りを刺激し分泌を促す。次に適性者は流した魔力を吸い込み、本人の魔力が全身に流れるように促す。これで魔力が身体を循環すれば適性者、何も起こらない者は不適性者となる。
適性判断では、稀に事故が起きる。
その原因は二つに分けられる。一つは適性者が加減を間違った場合。流し込む魔力が多すぎると、貯めきれない魔力が溢れ暴走してしまう。二つ目は被適性診断者が莫大な魔力を貯めており、それが高圧力で流れ出し魔暴走させてしまう場合。これは適性者が己の回路に繋げ調整するか、空の魔法石に吸収させるかの二択になる。
完璧に油断していた。そもそも適性がでるのは3割ほどで、それも訓練しても体外は親指くらいの火を出したり、耕し易いように土を柔らかくしたり、こぶし大の水をだす程度しかできない。生活が少し楽になる。魔法とはそんなものなのだ、一部を除いて。極稀に、膨大な魔力を持つ者が現れる。そうした者たちが魔暴走を起こしてしまう。
膨大な魔力が高圧力で毛細血管を駆け巡り、体中の血管の裂けるような感覚に失神することもあるという。
起きたことを後悔しても仕方ないのだが、ベットでうなされるルーシーを思うと、やり場のない後悔が噴出しそうだった。あのルイ・モンフォールとルーシーが知り合いだったことに驚いているうちに、事が起きてしまった。もっと警戒しなくてはいけなかった。
ルイ・モンフォールは二年前の今頃、突然現れた。
代々魔法大臣を務めるモンフォール家では強力な魔力を操るものが当主に座してきた。しかし、モンフォール伯爵唯一の令息、マルコ・モンフォールの魔力は貧しくマッチを灯すのが限界で、魔法大臣など務まるわけがない。そんな状況で、モンフォール伯爵は発表した。あの四英傑の魔法師に匹敵するほど魔力を持った者がモンフォール家次期当主であると。それが唯一の息子マルコ・モンフォールではなく、伯爵に微塵も似ないルイ・モンフォールであった。
怪しさしかない少年だった。言葉は平民のように粗雑でなんの礼儀も知らない。できるのは魔法だけ。父同士が親しくよく会わされたが、滅多に言葉を発さずろくにコミュニケーションもとれない人物だと思っていた。昨日までは。
長く伸ばした前髪に何も発さない口で他者を寄せつかないルイ・モンフォールがルーシアには親しげに話しかけ、手まで握った。
ルイ・モンフォールは、魔法適性をみる振りをしてルーシーになにかしたに違いない。ルイ・モンフォールは突然現れた変わり者なのだから。モンフォール家の人間ではないのだから、気に入ったルーシーに良くないことをしでかしたに違いない。
ルーシーは可愛い。にこにこしていて優しい女の子。お転婆なところもあるけれど頑張り屋で、健気な女の子。僕の可愛い可愛い姉弟。
平民として育った彼女は、僕よりも年上だけれどこの世界のことを何も知らない無垢な雛鳥。
彼女の親鳥はもういない。
ルーシーには、僕しかいない。
僕がルーシーを守らなきゃ。
僕が守らなきゃ、いけないのに。