1話 「 家 族 」
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2015/08/21 加筆修正しました
7歳になる誕生日の日、私は一人になった。
歌とピアノが上手くて綺麗なお母さんも、熊のような外見だけれどお花が大好きで虫も殺せない優しいお父さんも殺された。
高価で滅多に食べられないホーホー鳥の丸焼きが美味しそうに焼けた頃だった。ガラの悪い男たちが突然入ってくると、声を荒げて手当たり次第に物を壊す音が聞こえた。
「いいよというまで出てきてはいけないよ」と父さんに戸棚に隠れされた。
男たちの怒声が怖くて、耳を塞いで目もかたく閉じた。
「-------ッ!!」
大きな物音と母の悲鳴が聞こえたけれど、戸棚に私を隠した父さんは怖いほど真剣な顔つきが浮かび、言いつけを守らざるを得なかった。
怖い、怖いよ、父さん、母さん。
早く「もういいよ、出ておいで」っていつもの優しい声で言ってよお父さん。
待っても待っても。
父さんが「いいよ」といってくれることはなかった。
町の人たちの手伝いもあって父さんと母さんの葬式を無事に終えた夜、何かと世話してくれた近所のアンおばさんに一通の手紙を渡された。
手紙は簡潔に書かれていた。
母はサントラムという貴族だったこと。
父と駆け落ち同然にこの町に来たこと。
そして、もし自分達に何かあればフランシス・サントラムという人物を頼りなさい、と。
葬式などのことをすべて終えた私は、手紙に書かれたフランシスさんに会おう、と決心した。家財道具を売り払ったもののお金は有限ではない。それに田舎町では女の子は一人では生きていけない。まとまったお金があるうちに、私は生まれ育った小さな田舎町を出る。
右耳につけた母さんのイヤリングに軽く触れることで不安を濁しながら、フランシスさんがいるという王都を目指した。
一週間かけてついた王都は大きく高い壁にぐるりと囲まれた要塞都市であった。中に入ればとても広く、窮屈に感じない。そして王都の中心であろう場所にそびえ立つ王城の美しさに目を奪われてしまう。
大通りには耳の尖った綺麗なエルフのお姉さんに小さいけれどガッシリとした体躯のドワーフのおじさん、大きな声で呼び込みをする屋台のおじさんや、武装した屈強そうな冒険者たち。ごった煮のように行き交っていた。色んな種族の色んな職の人々が行き交う様は、賑やかで雑多で、生命力に溢れていた。
手紙を握り締め道を尋ねながら王都を進むと、それはそれは大きな門にたどり着いた。
門の奥には豪奢な邸宅が並んでいる。奥にいくほどそれはより大きくより豪奢になっているようだ。
「おい、嬢ちゃん。家出か?」
門の奥から中肉中背の30代ほどの男性がひょっこりと可愛らしく頭をのぞかせた。若い頃はそれなりにかっこよかったのだろうと思わせる顔に、気安い言葉だが心配をにじませていった。
「どうした?家族と喧嘩か?」
「えっと、その、」
家出ではない。そもそも帰る家もない。困ってしどろもどろになる私に目線を合わせるようにしゃがんだ。
「これ、みてもいいか?」
握り締めていた母の手紙を見つけると優しい口調でいって、不器用に頭をぐしゃりと撫でられる。大きな無骨な手の感触に、父さんの手を思い出させられてつい涙が溢れそうになる。流れてしまわないようにこらえる。一度溢れてしまえば中々収まってはくれないだろうから。
おそらく彼は門番なんだろう。上手く説明できそうにもないし見せるのが手っ取り早いだろうと彼に手渡す。おそらく彼は王城に勤めている人だ。着ている制服が王都の出入りを管理していた人と同じデザインだ。
くわえて、おじさんと私がやり取りしている間にやって来た馬車を一度止めている、おじさんと同じ制服を着た青年が「王城門兵だ。通行証を」と話していた。だから彼はある程度は信頼できる人物だろうし、すこし話しただけだが良い人だと感じる。
手紙を丁寧にもつおじさんの表情が次第に沈痛なものに変わっていくのを、どこか他人ごとのように見ていると、おじさんと目があった。
しばらく見つめ合った後、おじさんの目がほそめられると包み込むように抱きしめられた。
「えっ、あ、あの……!?」
驚いて声をあげると、おじさんの肩口越しに門兵のお兄さんがこちらをみて驚いていた。
そうだよね、びっくりしますよね。私も驚いています。
「……よく、一人でここまで頑張った」
後頭部からきこえるおじさんの声は震えていて、その息は温かい。
この人は優しい心を持つ人だ。
『痛み知っているから人は優しくできる。痛みを知らない人は痛みが理解できない』
父さんが言っていた言葉だ。
このおじさんは私の傷みを理解してくれた。いい人なんだろう。
「ちょっとアルヴェルトさん何してんスか!」
駆け寄ったお兄さんによって首根っこを掴まれたおじさんはガバッと引き剥がされた。
「幼女趣味だなんてエリーちゃんが泣きますよ」
「馬鹿か!お前と一緒にするな」
「まあまあ、趣味は人それぞれっすよ。で、ワケありですか」
ニコニコと軽口を言っていたお兄さんが、すっと真面目な顔つきになる。
不真面目そうだが、それなりには真面目なのだろうか。よく見れば制服の上からでも鍛えられているのがわかる。腕は立ちそうである。
「すこし待ってろ」と詰所からおじさんが水晶のような魔道具持ってくる。よくみると一箇所穴があいている。
――――母の形見であるイヤリングの装飾と同じ形だ。
言われるままに母の形見のイヤリングを嵌め込むと水晶は瞳と同じラズベリー色を浮べた。水晶の中でラズベリー色の波紋に金色のキラキラも混じってゆれてとても綺麗だ。
するとお兄さんは息を飲んで、信じられないといった風に私を見下ろした。おじさんはどこか安心したように笑みを深めた。
「もう、大丈夫だ。サントラム家なら安心だ」
そう言って雑に頭を撫でるとおじさんはまたどこかへ言ってしまった。
「あの、サントラム様って、フランシス・サントラムさんですか?」
「あぁ、そう……、いや、そうです」
仕方ないので、先程から固まっている青年に声をかけたのだが、先ほどと打って変わってぎこちない返答だった。近所の少女に対するような親しげな態度から、まるで貴族にするような態度だ。
お兄さんはすっと膝をつくと頭を垂れた。
「今までの非礼をお許し下さい、サントラム伯爵令嬢さま。ただいま迎えの者を呼んでおりますので、しばしお待ちを」
彼は私を詰所へ丁寧に通すと、すこし距離をおいて門兵の仕事に戻ってしまった。
しばらくして現れたのは豪奢な装飾が施された馬車で、イヤリングに刻まれているのと同じエンブレムが光っていた。
田舎育ちの7歳でも理解できた。
先ほどの水晶は貴族かどうか確かめるもので、あの浮かんで色からサントラム家の者であると判明した。だから青年の態度が変わってしまったのだろう。
おじさんは手紙を読んだから事情を知っていたけれど、彼はそうではない。貴族の令嬢が街へ抜け出した帰りと思われたのかもしれない。
しかし、気付いてしまったせいで、問題が生まれていた。
サントラム家の人々が、平民として育った私を下賤だとして虐げようとも誰も何も言わないし、言えない。
おじさんはああ言っていたけれど不安は残る。
母さんの手紙の最後はこう締めくくられていた。
『どうか、幸せになって』
屋敷のメイドでもいい。
ただ、生きていければいい。
生きてさえいれば、幸せのチャンスは転がっているはずだ。
豪奢な馬車を前に小さく拳を握り締めた。
◇ ◆ ◇
意気込んで乗り込んだ馬車で好好爺然とした執事のジレスさんがこれからのことを丁寧に説明してくれる。彼は私の耳で揺れるイヤリングをみて眩しそうに笑みを深めた。
「貴女様は本日よりルーシア、サントラム様になりましょう。どうか、サントラム家を照らす光となってください」
どういう意味なのか問おうと口を開いたが、御者の到着を知らせる声に重なって、ジレスさんは意味深に微笑むだけだった。
馬車を降りれば視界いっぱいにサントラム家の邸宅が広がっていた。左右対称に作られたロータリーの奥、豪奢な扉の前には落ち着いた雰囲気の男女が立っている。奥には数人の使用人が控えているから、サントラム伯爵と夫人だろうか。
「はじめまして。私はフランシス・ヒンべーレ・サントラムといいます。少しいいかな」
サントラム伯爵は瞳をじっと覗き込むと「あぁ、君はたしかに姉さんの子だ」と微笑んでくれる。
サントラム家の人々はラズベリー色の瞳をその目に宿している。母さんの深いラズベリー色の瞳は宝石のようでとても綺麗だったけれど、サントラム伯爵の金糸の混じったラズベリー色の瞳は神秘的な美しさがある。ついつい見入ってしまう。
はっ、と伯爵相手に失礼なことをしてしまったと慌てて目を逸らすと、サントラム伯爵は苦笑気味に教えてくれた。
「サントラム家は皆ラズベリー色の瞳を持つんだ。その代わりに視力が悪くてモノがよく見えないんだけれどね。不躾に覗いてしまってごめんね」
ガン見していたのは私にも関わらずなんて紳士な方なんだと感動する。
そうか、これが貴族の気品なのかな。先程から伯爵から優雅な匂いがする気がする。
サントラム伯爵の後ろに控えていた美人な奥様がすっと前に進むと優雅な淑女の礼をしてくれる。眩しいブロンドに鮮やかなスカイブルーの瞳がまるでおとぎ話のお姫様のようだった。
「初めまして。わたくしは貴女の叔母のリゼット・サントラム。可愛らしい姪のお名前が知りたいわ」
「えっと、私は、ルーシア・ブランデスと申します」
恐縮しながらも母さんに教えられていた礼を返す。平民だから必要ないと思っていた母さんの躾に感謝だ。もしかしたら、母さんはこうなる未来も想定していたのだろうか。いや、今はそんなことを考えるのはやめよう。心を傷つけるだけの感傷には浸らないと決めている。
「素敵な名前だわ。そうねぇ……、ルーシーちゃんと呼びましょう」
サラリと愛称をつけると「ラズベリーブロンドの髪も素敵ね。ドレス選びが今から楽しみだわ」と、リゼットさんは新しいオモチャを見つけた少女のように笑う。飾らない快活な笑みに好感を抱く。なにより、両親と同じように「ルーシー」と呼んでくれるのが嬉しくて自然と頬が緩んでしまう。
「ルーシー。君は今日からルーシア・サントラムとして我が家の一員になってもらうよ。マナーは心配いらないようだけれど、伯爵家の令嬢として勉強してもらうよ。これらは君の防具であり武器になるからね。大変だろうけれど頑張ってね。あと……」
仕切り直すようなサントラム伯爵の丁寧な説明にうんうん、と真面目に聞いていると、リゼットさんが話に割って入った。
「ふふふ。はしゃぎすぎよフランシスったら。新しいお姉さんに弟を紹介しなくっちゃ。いらっしゃい、アシル」
リゼットさんの言葉に僅かに開かれた扉には、ふんわりとした桃色のくせっ毛に、金糸の混じったラズベリー色の瞳を持った男の子が興味深そうにこちらを覗いていた。その姿は、世界中甘くて可愛いものをたくさん寄せ集めた、おとぎ話に登場する天使のようだった。
サントラム伯爵の儚げな神秘的な美しさに、奥様の眩しい魅力から生まれたのだから当然なのだろうけれど。こんなに可愛らしい子が私の弟になるというの?
そりゃ養子に入るようだからこれも当然なのだとうけれど。当然なのだろうけれど!
穏やかで優しい義父に、溌剌とした美しい義母、天使のように可愛らしい義弟。
どちらかといえば実父似の私は、赤毛の混じったストロベリーブロンドの髪だし、瞳だって茶の混じったダークラズベリー。なんだかこの見目麗しい家族に囲まれているのがいたたまれなくなってくる。
リゼットさんに「ご挨拶なさい」と言われた男の子は、やや駆け足気味に近寄ると右手をすっと左胸に添え、左足を引き半身の状態で姿勢を下げつつ軽く腰を折った。貴族男子の礼をするその姿は少年とは思えぬ程に優美で気品溢れていた。
「フランシス・ヒンベーレ・サントラムが嫡男アシル・サントラムと申します。歳は六つ。よろしくお願い致します」
ふわりと笑って、右手を差し出される。一連の流れがどれも洗練されていて圧倒される。頭を振って、切り替える。手を取り、つっかえつつもなんとか挨拶を返した。その姿に姉の威厳はない。
「ルーシアです。七歳になります。よろしくお願いしますね、アシルさん」
金糸の混じった鮮やかなラズベリー色の瞳が私を覗いていた。
吸い込まれたように目が離せない。
『姉上には僕以外いらないでしょう?』
突然、目の前の男の子からは発せられるはずのない、声変わりした低く甘い囁きが脳裏に流れ込んだ。電気が走ったような甘い感覚に目眩を覚える。
「今日からお前たちは二人きりの姉弟だよ。アシルはルーシアを必ず守ること。ルーシアはアシルに遠慮せず頼ること。ふたりともわかったかい?」
フランシスさんの声とともに目眩は去っていった。
「はい、父さま」と父の言葉に頷いたアシルはこちらを向いて、にっこりと笑いかけてくる。その様子に満足げに頷くと、サントラム伯爵は私の目線を合わせるようにしゃがむと、慎重に優しい手つきで頭を撫でた。今日は頭を撫でられる日らしい。
「わからないことや困ったことは必ず相談すること。必要なものや欲しいものがあれば遠慮せずに言いなさい」
「サントラム伯爵さまにそこまでしてもらうわけには……、」
こんなに良くしてもらっていいのか。養子にしてもらい、嫡男と同等に扱ってもらえるだけで十分すぎる扱いだ。申し訳なさに言い淀めばサントラム伯爵は困ったようにため息を漏らした。
「私のことはフランシスと呼んでおくれ。戸籍では父になるが、もとより君の叔父だ。血の繋がった家族なんだから何を遠慮する必要はないだろう?」
見上げるとフランシスさんはいたずらっ子のように笑って「本音を言えばお父様って呼んで欲しいけれどね?」と付け足した。
母さんもよくいたずらっ子のような笑顔をした。
ラズベリー色の瞳で笑うこの人はやっぱり母さんの弟なのだと実感させられる。母さんと父さん、家族三人で過ごした幸せな日々がフラッシュバックし、ぽたりぽたりと我慢してきた涙が溢れ落ちていく。
ふわり、とインク匂いが香った。
「ルーシアを泣かせましたね、許しません。父さま」
それは頭の近くから声が聞こえた。凛としたその声はアシルのものだった。
インクの匂いはアシルから香っていて、視界にはアシルの肩口がひろがっている。私はアシルに抱きしめられていた。
フランシスさんは悪くない。私が勝手に思い出して泣いたのだ。なのに話そうと口を開けば嗚咽が漏れて、さらに涙が溢れた。
泣いたのはいつぶりだろうか。それはきっと両親を失った悲しみと孤独に押しつぶされそうだった。それでも、心を傷つけるだけの感傷には浸らないと決めていた。だから堪えていた涙は一度溢れると止まりそうになかった。
情けなく可愛い弟に慰められつつ、私は大きな安心感に包まれていた。
まだ家族がいたんだと。
でも私はまだ気付けなかった。
この世界の正体も。
アシルに出会うのはこれが初めてではないのだと。
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