2. 緊急着陸
不愉快な感覚で目を覚ましたのは
私が眠りについて数刻ほど経った頃だったように思う。
唐突に機長のアナウンスが始まったのだ。
「燃料漏れにより緊急着陸」
私は寝起きのうまく回転しない頭で、やっとその言葉だけを聞きとった。
一気に血の気が引いていく。
「通常着陸を予想しておりますが、万が一のためにシートベルトを装着し、
安全姿勢を取っていただきます」
落ち着き払った機長のアナウンスで、幾ばくか私も冷静になる。
通常着陸と言う事は、最寄りの空港に緊急着陸するということか。
CAたちの指示によりシートベルトを装着し身を強張らせる乗客たち。
なにもできることはないが、間もなく訪れるやもしれない最悪の事態に私も心を構えた。
CAたちの対応は機長とは対照的だった。
ドラマで見る冷静沈着な対応とは少し違ったのだ。
「頭を下げて前に屈んでください!」
うわずった声、不安と緊張に苛まれたような表情。
それでも職務を全うしようとしているのをひしひしと感じる。
恐怖ととてつもない焦燥感に襲われる。
私はうつむき、目をぎゅっと瞑った。
そして生まれて初めて神に祈り、縋った。
地鳴りのような着陸音がしたかと思えば
機体を引きずるような音と振動。
機内中に乗客達の小さく短い悲鳴があがった。
暫くの静寂の後、ゆっくりと顔をあげる乗客達。
通常着陸と言っていた割には、随分手荒な着陸だったではないか。
それだけ切羽詰まった状況だったということだろう。
私はこの手荒な着陸を、そう解釈することにした。
幸いなことに負傷者や死者は1人も出ていないようだった。
最悪の事態を想像していただけに、私には奇跡でも起こったような感覚だった。
乗客たちもきっと同じ気持ちだろう。
みな一様にほっとした表情で胸をなでおろす。
「引火の恐れがございますので、速やかに外へ非難してください。
速やかに外へ避難してください。ご協力お願いいたします」
再び機長の落ち着き払ったアナウンスが入る。
CAたちは強張った声で外へ非難するよう乗客に促す。
乗客たちは呼びかけに素直に従い、ひと塊りになり足早に旅客機をあとにした。
列を乱そうとしたり、前列の者をせっついたり押したりする者はいなかった。
こんな時でも案外みな冷静なんだなと私は感心する。
唯一、南米人であろうドレッドヘアーの男だけは
母国語らしき言葉で何か喚いていたようだったが。
緊急事態にもかかわらず私はその光景を見て、苦笑いを浮かべた。
旅客機から外へ足を踏み出すと、なんと私たちは滑走路の上にいた。
やはり最寄りの空港へ緊急着陸したのだろう。
そう思った瞬間、自分の予想が外れたことに気づく。
空港らしき建物はどこにも見あたらなく、滑走路の周りには森林が広がっていたからだ。
一体ここはどこなのだろう。
どこかの国の軍の基地・・・と言う事は考えにくい。
中国の大連空港から離陸したのは夕刻だった。
私の腕時計の針は夜の7時半を回っている。
無事であれば成田にはとっくに到着している時間だ。
とすると、どこかの軍の基地というよりは
日本の自衛隊の駐屯地と考えた方が容易だろう。
だが辺りを見回しても、この足元に広がる滑走路以外に
施設や乗り物といった人工物は見あたらなかった。
海外には杉の木があまりない、という話を私は唐突に思い出した。
杉の木自体があまりないので、海外では花粉症にかかる人間はごく稀だ。
という話を海外旅行好きの同僚に聞いたことがある。
杉の木が群生しているということは、まず日本と考えていいだろう。
なんにせよここが日本なら、離島や無人島であっても救助隊がすぐに来てくれるはずだ。
この理解し難い状況で、私は冷静な上に楽観的だった。
自分自身の意外な一面を垣間見た気がして、私は少し目を見開いた。
人の根底など、日常では解らないものなのかもしれない。