交わる線 交わることのない線(前編)
栞が、ナツからのメールを受け取る直前に目を覚ましたのは霊感のようなものが働いたのだと彼女自身は信じていた。
ナツが呼んでいる。メールの内容を確認すると、直ぐさま飛び出した栞だったが、今度は樹からの連絡が入り誘導されt自宅近くのコンビニで待機することになった。
あのオジサンが色々動いてくれて、かりんと合流して向かってくるというのだから驚きだ。
しばらくして近づいてくるかりんを見つけると、最初は気まずそうにしていたが、かりんが駆け寄ってくると一気に表情が崩れた。
「栞は大馬鹿だよ。ボクは物凄く傷ついているんだ。栞はボクのことをどんな人間だと思っていたのさ」
「ごめん。本当にごめん。私、もうダメだと思ったの。これ以上、友達が死ぬなんて。そんな場面を想像するだけで胸が押し潰されそうになって……」
それだけいうと二人は泣きながら抱き合った。その光景を樹は微笑ましく見つめていた。
(これで、栞ももう死ぬなんて言わないよな)
しかし、本当の問題はまだ何も解決していないのだ。
樹は預かっている、かりんの携帯電話を見つめた。通話時間は30分に迫ろうとしていた。今は、ナツの声は聞こえない。
(おそらくこちらが陽動。敵主力は、栞を襲うためにホテルで待ち構えているはず)
樹は、何となく雰囲気でそんなことを考えていた。軍事訓練など受けたこともない素人の意見がどれほど当てになるかはわからないが。
樹は敵が電話を繋いだままにしたのは、かりんが栞に連絡することを封じる目的だと理解し、とりあえずは敵に悟られないためにそのままにしている。
「オジサン。お酒買ってくれるかな」
「オッケー。そうだな、二人はそこで待っていてくれよ。これ以上怪しまれると俺が困る」
かりんに言われるまま樹は店の中に酒を買いに行く。『百薬の長』についてすでに説明済みだ。さすがに深夜に女子中学生を連れて酒を界に入るわけにはいかない
店の中に入っていく樹を見送ると、かりんは栞の方を振り返る。
「ところで、栞。これからどうするのだ」
「もちろん、敵を倒してナツの居場所を聞く。三人一緒に帰るつもりだよ。もう馬鹿なことは考えない」
そう答えたものの栞はさっきまでの自分と今の自分の違いが分からなかった。不安な気持ちは、ずっと変わらない。恵の死体を見たそのときから神経が剥き出しになったかのように周囲起こる事柄が栞の心の深い部分をえぐっていた。
自分が聞いたかりんとナツの会話は幻だったという。魔法少女の力であれば、そんなことも可能かもしれない。すべては愚かな勘違いだったんだ。これからもかりんやナツと一緒にいることができる。そう信じたい。だが、栞にはすべてを納得することができなかった。少なくとも彼女自身が感じた劣等感が偽りのものとは思えなかった。
「それは、ボクも変わらない。相手はボクたちを殺すために動いている。危険な相手だ。だから全力で行こう。躊躇いは捨てよう。」
今日のかりんはいつもより頼もしかった。ナツが敵に捕らえられているかもしれないからだろうか。危険なことは分かっている。いざとなれば自分の命を捨てても二人は守る。栞の決意は固い。
「それと、オジサンのことなのだけど」
かりんの問いかけに、はじめて栞は気付かされた。樹が自分たちと行動を一緒にしようとしていることに。
「うん。分かってる。オジサンは置いて行くつもりだよ」
栞は即答した。考えるまでもないことだ。
「心配しなくてもいいのだ。説明しなくても分かってると思うけど、普通の人間は災夢や魔法少女を正しく認識することができない。起きている間は覚えていられても一度眠ってしまえば、夢の中の出来事と区別ができなくなる。そして、その記憶をもって1日。後には何も残らない」
栞は、かりんの言葉を聞いてまた少し重く苦しい気持ちになった。
オジサンは自分を必死に助けてくれた。それは誇っていいことだと思う。
誇るべき記憶が失われること、それは恐ろしいことではないか。
そうはいっても、栞には代替案など浮かばない。
オジサンを危険に巻き込むことはできない。
(もう一度、あの家に戻ることがあれば、オジサンと一緒に暮らすことになるのだろうか。だったら、できるだけいい子にして、オジサンを喜ばせてあげよう。誇らしい気分で伯母さまに報告できるようにしてあげよう)
栞は、かりんの言葉にうなづく。
「『百薬の長』でオジサンにはここで眠っていてもらうのだ」
外は凍えるように寒いが、『酒は百薬の長』であれば体温を上げることもできる。ウォッカよりもずっと効果的なはずだ。
かりんはそこから、ある異常に気が付いた。確かに、ついさっきまでは凍える寒さだったはず。しかし、その寒気が知らぬ間に後退していたのだ。
(しまった。この未熟者っ)
かりんは、タブレットが端末をカバンから出しながら魔法少女に変身した。
すぐさま、かりんは周囲を見回す。液晶画面には3つのアイコンが点灯していた。
「敵は3体。顕現率は15%」
栞もとっさに反応して黒いセーラー服の意匠、魔法少女に変身していた。
上空に赤い火の玉のようなものが現れようとしていた。
初めはうっすらとしていたそれは瞬く間に鮮やかな赤色となり、同時に肌を焼くような熱線を放ってくる。
栞が飛び上がって斬りつけようとすると、それは動きを速めするりと避け、3つに分かれた。
それは真っ赤な羽をした鳥であった。赤を基調として、橙、黄、紫。その羽根は着物の振袖の様に鮮やかな色をしており、大きく広げた羽と長い尾は燃え上がる炎のようであった。
「紅孔雀……カテゴリ・ビーストのBランクなのだよ。街を焼くことで己の存在を誇示しようとする。人の寂しさを糧にして、放火の衝動を植え付ける厄介な奴だよ。同時に3匹相手にするのはちょっと辛いなぁ」
ランクBは、「慎重な対応を要する」を意味し、油断しなければ単独でも対処可能な相手である。
かりんは、カバンからワインボトルを取り出し、封印部分を握りつぶした。ボトルの中からワイン色の蜂の群れが噴き出す。
かりんは自らの下僕を広く散開させた。
「こいつの武器は、炎の吐息。1発くらいならボクが防ぐから一匹づつ始末して!」
栞の『静寂の中の殺意』は一撃必殺の技であり、それゆえ乱戦ではあまり効果を発揮しない。そして、通常なら前衛役を務めてくれるナツもいないのだ。接敵して一匹、一匹始末するしか方法はない。急降下し、間合いを詰めてくる紅孔雀をじっと見定め、反撃の機会をうかがった。
間が悪いことにそのタイミングで、コンビニの自動ドアが開いた。両手にビニール袋を下げた樹が、店舗外に出てくる。樹は外で起こっている戦いについては全く気付いていない様子だ。
栞が声を上げるより早く、紅孔雀たちは樹に迫ろうとする。
樹は、大きく口を開く3匹の鳥の姿を見た。
次の瞬間、ゴウと轟く音とともにコンビニの一面が赤い炎に包まれた。ほんの3秒ほどの時間、入口前の駐車スペースには炎の渦が巻き起こり、店舗内の店員は、光に包まれるウインドウを目撃した。
自動ドアの前には、地面に倒れこんだ樹とそれをかばうように覆いかぶさる栞に姿があった。
「だ……大丈夫かい」
樹はそう声をかけようとしたが、栞はすでに次の行動に移っていた。
地面と垂直に描かれる半円。栞は紅孔雀に真下に潜り込むように屈みこむと
真上に刃を突き出し、美しい軌跡を描いた。
ボトリと、孔雀の頭が地面に落ちる。
やがて、その胴体も浮力を失い頭の後を追った。
「栞、大分怒ってるみたいなのだ」
かりんが感想を漏らす。
樹をかばった栞だが、その負傷は大したことないだろう。炎の持つ熱のほとんどはかりんが中和したからだ。派手なのは光と音ばかりで、それなら花火と変わらない。
残る敵は2匹。しかし、ヒイラギ作戦の成功以来、災夢の活動はめっきり収まっていた。それが突然このタイミングで遭遇することは想定外だ。
(偶然、なわけないよね。こちらが仕掛けているつもりが、出鼻をくじかれるなんて、ちょっとくやしい。敵はずっと私たちを監視しているのだろうか。電話の様子ではボクと栞が別行動をしていると思っていたようだけど、二人が合流したことをすでに知っている。それともボクたちは何かとんでもない勘違いをしているのか……)




