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ボーイ・ミーツ・ガール(後編)

樹は覚悟を決めた。


「よし。君が今飛び降りようとするなら、俺は君に飛びつく。君が落ちたら、俺も落ちる」


「はぁ、なんでそういうことになるのよ。オジサンはさっきから意味が分からない」


「俺は今日、君の家族になるといって君に会いに来た。でも家族になれるなんて最初から思っていなかった。俺は卑怯だ。だから、まず形だけでも家族になろうと思ったんだよ。家族だから抱きしめる。そこから始めてみよう」


 樹自身も何をしゃべっているのか、本当のところは良く分かっていなかった。しかし、一度でも立ち止まって考え込んでしまえば、もう二度と次の言葉は生まれてこないような気がしていた。だから、どんな無茶苦茶でも自分の言葉を押し通す。


「それは脅しのつもり? そういえば私が飛び降りるの諦めると思っているのね。でもオジサンには悪いけど、私は大切な二人の仲間とオジサンと、どちらが大切かって答えはきちんと持っているの。オジサンが無茶して死んでもそれは自業自得だよ……」


「自業自得じゃなくて、一蓮托生と言って欲しいところだけどね」


「もう、ふざけないで。ねぇ、オジサン死ぬんだよ。本気で分かっているの? 怖くないの?」


「おかしなこと言うね。栞ちゃん。君は死ぬんだよ。分かっているのかい」


「あー、もう、うるさい。うるさい。オジサンはおかしいよ。全然ロジカルじゃないよ。同情? 一時の感情で私と心中するするつもり?」


 栞は、もう先ほどまでの虚ろではかない存在ではなかった。いらだち、怒り、混乱。彼女の心の揺れ動きが、他人にもはっきり分かった。


「死のうという人間を止めることは、同情なんかじゃない。優しさなんかでもない。ただ、うらやましいだけさ。俺は君がうらやましい」


「だからオジサンは何言ってるの。自分勝手なことばかり。もういいよ。私は私が決めたことをその通りに実行するだけ」


 そう言って、もう話を終えようと思ったその瞬間。

 栞は不意に親友たちのことを思い出してしまった。

 自分がただの足手まといだと知ってしまったあのとき。

 その狂気に似た感情が再び心の奥底から這い上がってきた。

 苦しい。喉が詰まりそうだ。

 最悪のタイミングで涙がこぼれそうになった。


 栞が話を終えようとしたその瞬間。

 樹は小さな栞の背中めがけて駆け寄った。

  間に合え

 そう強く念じて手を広げ

 栞の腰に手を回す。

 不思議と彼女は抵抗しなかった。

 樹は体を捻るようにしてそのまま倒れ込んだ。

 コンクリートの床に突っ伏す二人。


 しばしの沈黙。

 見上げた空は曇天だった。


「痛いから離して。お願い」


「あ……あ……」


 応じようにも樹は体が震えて言葉が出ない。

 ただ、栞の声を聞いて安堵した。

 栞を捕えた両手は無意識に固まったままだった。


「もう死ぬとか言わないから。離してください」


「だからって……何も言わずに死ぬのは反則だぞ」


 ああ、なんて面倒くさいオジサンだろう。

 栞はそう思ったが、しかし樹の言葉を的を射ていた。

 このときは未だ栞の死の決意は微動だにしていなかったのだ。


 樹は栞の真意などはつゆ知らず最高難易度のミッションをクリアし、ほっと安堵したのだが、それも束の間、視界の端に奇妙な生き物の姿を見たのだった。

 薄汚れた毛に覆われたそのネズミなような姿は、直立歩行するカピバラのようだといえば分かりやすいだろうか。ネズミというにはあまりに巨大で樹の膝くらいの体長がある。目はとろんとして焦点があっておらず、鋭い前歯が口からはみだしていた。そんな奇妙な生き物が数匹、冗談のようにビルの端を行進し樹たちの方に向かってくるのだ。

 理解を超える光景にただ立ちすくむ樹。間もなくその奇妙なネズミの一団はすぐそばにまでやってきた。

 こいつら一体何なんだ、そんな疑問を持ちながら、その淀んだ瞳を覗き込んでいると、突然その化けネズミが樹の顔目がけて飛びかかってきた。


「レミングか!」


 栞が叫んだ。

 樹の視線を追い事態を把握した彼女は、この奇妙な光景を見慣れたもののように、とっさに反応していた。

 樹の腕の中から、ふっと栞の感触が消える

  続く激しい閃光

 一瞬の白い世界、それもすぐに消え失せる。

 慌てて顔を上げた樹の目には、奇妙な服装をした少女の姿があった。

 意匠はかろうじてセーラー服がベースであると分かる。タイもラインも黒一色で全身が黒基調に統一されている。服は細部にまで装飾が施されていて、制服というには前衛的なデザインだ。そして、下半身は太ももが露わになる極端なミニスカートと黒いブーツ。そして背中には制服には不似合いの黒い外套。

 先ほどまでそこにいた少女の制服とは明らかに違う。

 顔を覗くと、顔の半分を覆う金属製のバイザー。チョーカーやイヤーカフスといった装飾も見える。

 漫画から飛び出してきたようなその姿恰好。

 それでも、彼女が今この瞬間までここにいた栞であることは間違いなかった。


「私がレミングを呼びよせてしまったのか……」


 栞は誰に言うでなくつぶやく。

 彼女は腰に下げた武器を抜いていた。それは人の腕先くらいある巨大なナイフ。

 それを左右に二振り。栞は慣れた手つきでそれを振り回し、

  タン

    タン

 樹の目の前にいた巨大なネズミは脳天から串刺しにされる。

 続いてナイフを振り上げ死体を放り投げると、薙ぎ払うようにナイフを振り回しながら他のネズミたちへと近づいて行った。

 ネズミたちは、樹の目に止まらないほど俊敏に跳び回り、攻撃をかわしつつ栞に迫ろうとするが栞の対応はそれを上回っていた。一閃、二閃。瞬く間にネズミたちは数を減らす。


「危ない!」


 動く影を見て樹が叫ぶが、栞の反応はそれよりも早かった。

 四方から同時に襲われたが、栞は低い姿勢で床をすべるように跳ねこれを避ける。そのまま手を交差させ逆立ちの形から飛び跳ねて、姿勢を整えるとわずかな隙をついて1体1体と切り裂いていく。

 ネズミたちは栞に触れることさえできない。

 栞の力は圧倒的に見えたが、それでも戦いは終わらない。

 ビルの陰から次々と現れるネズミたち。その目はやはり呆けているように焦点が合っていない。その数は50を超えている。


「何なんだこいつらは?」


「レミング。人を自殺に誘う性悪の鼠よ。逡巡している人間に纏わりついて、高いところから落下させるのが通常なのだけど、腹が減ってるときは集団で人間を襲ってそのままビルや崖から放り投げることも多いらしいの」


 栞は冷静にそう説明する。

 これが夢でないと知って樹は天を呪った。こういうものは十代までにして欲しい。

 やっと自分も夢と現実の区別をつけ、平凡な世界を受け入れる準備が出来そうだったというのに。


(世の中は思っていたよりもずっとファンタジーだったってわけか)


 目の前の活劇は止まらない。樹はただ栞の戦いぶりに見惚れていることしかできなかったのだけれど。

 レミングと呼ばれた化け物、武器は鋭い前歯と巨体による体当たりだった。

 野暮ったい見た目とは裏腹に俊敏に動き回り、致命傷を与えることはないが集団で裂傷を与え続け相手の体力を奪うのがその戦術のようだ。

 すべての攻撃を避ける栞の動きはまさに超人的だった。

 樹が相手ならばあの前歯も不要だろう。なにせあのスピードだ。体当たりの一撃であっという間に意識を失い、後は煮るなり焼くなり、この屋上から投げ落とされるのだろう。

 自殺者として報道されていたのは樹だったのかもしれない。


(そうか。彼女が今ここで戦っているのは俺を守るためなのか。)


 樹は気付いた。

 さっきまで生気を失っているように見えた彼女が寸分の迷いもなく攻防を繰り広げている。

 あの子は他人を守るということのためにあんなにも真っ直ぐになれるんだ。

 樹は心の中で声援を送り続けたが、そんなものは不要とばかり栞の動きはさらに鋭さを増した。

 容赦のないネズミたちの猛攻であったが栞は舞うようにそれを避けていった。栞が一歩歩くたびにネズミたちは一匹また一匹と一刀両断となり気が付いた時には数匹を残すのみとなっていた。

 最後の愚か者が飛び上がり一直線に栞の頭部を狙う。しかしそれが最悪の選択であることは素人の樹にも理解できた。両足が地面から離れてしまえばもはや回避行動はとれない。それは『ただの的』ということだ。

 栞が強烈な蹴りを喰らわせると、それは醜い顔をさらに歪ませて地面にボトリと落ちた。

 もはやここまでと思ったかネズミたちはいっせいに踵を返した。

 栞はそれを追うことはしなかった。


「栞ちゃん……君はいったい……。」


 樹はバイザーを上げた栞を呆然と見つめる。

 栞はきまりが悪そうに答える。


「私は魔法少女よ。」




2014/12/31 加筆修正


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