イン・ザ・ダーク(前編)
第6章 イン・ザ・ダーク
栞とかりんは、等間隔に設置されたライトに照らされているスロープを下っていた。
その通路はホテルの地下駐車場に繋がっている。
山腹にあるホテルは未だ建設中ではあったが外装はほぼ完成しており、電気や水道の配管も完了しているようだった。一部内装の工事が始まったところで、何らかの理由で工事が止まっているようなのだ。
この場所にたどり着くや否や二人が迷わずこの地下駐車場に足を向けたのは、訪問者たちを迎え入れるように灯った光の列に従ったためだ。おそらく敵はこの先で待ち構えているのだろう。
「もちろん罠の可能性は高いのだよ。でも、ここで決着をつけるには相手の思惑に乗るしかない」
かりんは丁寧にも口にしたが、栞だってそのことは十分に理解していた。
チャンスは一度だけと考えるべきだ。ナツはきっと助けを待っている。
決意を胸に慎重に足を進める。
いざ地下駐車場に降り立つと、そこは仮設の電灯で薄暗く照らされていた。
優に100台の車を収められるスペース。
そこに今はわずかに工機が残されているばかりで、コンクリートの壁に仕切られたガランと何もない空間が広がっている。
冷たい巨大な石の棺のようなその場所に息づく気配などはなく、魔法少女の鋭敏な五感でも敵の姿を捕らえることは出来なかった。
「『天知る地知る(オービット・アイ)』は建物の中では機能しないのだ」
つい言い訳が口に出た。
タブレット型PCの液晶が放つ光が、薄闇の中でかりんの顔をうすら照らしていた。
不意に、キィィと不快な金属のすれる音がする。それに続く振動と重低音。
発生源は二人のはるか後方、今まさに通ってきた通路にあった。
丁度地上と地下の中間地点にある地下駐車場の入口が、重い鋼鉄の扉で閉ざされようとしていたのだ。
栞とかりんはその場を動かず警戒を強めた。
敵が仕掛けてきたのだ。この場から逃げるわけにはいかない。
姿さえ掴むことのできなかった敵に、遂に肉薄できる好機が到来したのである。
ドウンという重い接地音がこの空間が完全に閉鎖されたことを告げた。
刹那、世界が闇に包まれた。
薄闇を作り出していた電灯はすべて光を失っていた。
魔法少女と言えども、完全な闇の中で世界を見通す力はない。
かりんの対応は素早かった。手元にあった僅かなアルコール飲料を発光体へと変化させ……いや、させようとした。
かりんが液晶に手を触れようとした瞬間、彼女の愛機は爆散した。
敵の仕掛けはかりんの動きを上回っていたのだ。
闇の世界を照らしていた最後の光が失われた。
かりんには驚きの声を上げる暇さえ与えられない。
右わき腹に加えられた強烈な一撃。息は止まり、思わず膝をつきそうになる。
続けざまにふくらはぎを蹴りつけられ、前のめりに倒れ込む。
トドメとばかりに背中に突き刺さるような蹴りを加えられると、かりんは悶絶するしかなかった。
ボロボロと涙がこぼれる。
そして、その無防備な背中にもう一度。同じ場所を、同じくらいの衝撃で。
「一丁あがり」
栞は初めて敵の声を聞いた。
敵はすぐ隣にいる。
栞は、声のするあたりを狙い、闇雲にナイフを振るう。
その刃は空を切るばかりだ。
敵の反撃を警戒するが、動きはない。
乱れたかりんの吐息だけが静寂の中に響いた。
「ナツは……」
「スターリングシルバー《ナツ》は無事かって? 質問すると答えてもらえると思ってるのかしらぁ。どんだけ甘えてるんだか。まぁ、私も答えちゃうんだけど。はいはい、彼女は無事よ、安心して。お姉さんのところに届けてあげるだけよぉ。泣きながら命乞いするものだから、可哀そうになっちゃって……」
「ナツは…ナツはそんなことしない……」
「あれあれぇ、勘違いしてもらうと困るな。命乞いってのは彼女の命のことじゃないのよ。助けて欲しって、貴方たちのこと。私に絶対服従するから貴方たちだけは助けてくれって。もちろん優しい私はOKしたわけだけど……」
「……」
「こっちは反論しないんだぁ。へっ。ま、そういうわけでシャッテンノルム。貴方は帰りなさぁい。デパートメントだって、彼女の師匠のところに届けるだけよ。それでお仕舞。もう誰も死なないで済むのよ」
完全な闇の中、お互いに手を伸ばせば届くほどの距離で二人は会話を続けていた。
「恵さんを殺したのはお前か」
「スターリングシルバーともじっくりと、お話したのだけどねぇ。なんだか同じような話ばかりで貴方って退屈なのよね。もし、私が恵さんを殺したのだとしたら、どうなのかな。私は貴方に帰れって言ったのだけれど」
「なぜ、恵さんを殺したの……なんで、なんで」
声が震えてしまう。
憎い敵がここにいる。
決して涙を流していい場面ではない。
栞はぐっと堪えながら敵の動きを感じ取ろうとする。
敵の息遣いが変わった。
「シャッテンノルム。貴方には自己紹介をしておきましょう。私の名前は『シルエット』。第6期生魔法少女。『清掃班』の末席を汚すもの。って同じ名乗りを2回もするのは滑稽なのでこれくらいにしましょう。やるならやるで私は構わないのよ。スターリングシルバー《ナツ》との約束は違うことになるのだけど、死にたがりは殺してあげるのが優しさだと私は思うから、ね」
互いの息が頬を掠めるほどの距離。
互いの発する熱が感じ取れるほどの距離。
「シャッテンノルム。貴方は分かっているんでしょう。たしかに私はちょっとしたお芝居をした。貴方の大切な仲間が密かに貴方のことを足手まといに感じているって、そう貴方に思いこませた。私の芝居は簡単に見破られてしまったのだけれど、それに意味があるのかしら。貴方が見ていたのは、そんな嘘じゃない。真実は貴方の心の中にあったはずよ」
何も見えない世界。
聞きたく言葉ばかり聞こえてしまう。
「スターリングシルバーは素晴らしい才能を持っているわ。あのお姉サマに匹敵する逸材になるはずよ。デパートメントだってそう。才は身を助けるってね。安心しなさいよ、誰もあの二人を殺そうとはしないわ。でも、貴方は違う。貴方はただの欠陥品よ。どこにも居場所がないから、魔法少女になるしかなかった欠陥品。それはあなた自身が知っている。あの二人がどう思っているかなんて関係ない。貴方が足手まといの役立たずであることは、貴方自身が一番よく知っているんだものねぇ」
「黙れ」
「この闇の中で黙ってしまえば、随分と寂しいことになるんじゃないのかな。おしゃべりくらいはいいじゃないの」
「黙れってば」
この闇の中でも、敵は自分たちの姿を捉えている。それは、かりんをいとも簡単に打ち倒したことから明らかだ。
一瞬でも気を抜くことが許されない状況。栞は気力を振り絞って迎撃の姿勢を取っていた。敵はおそらく徒手空拳。最悪、敵の攻撃が決まるその瞬間だけは栞も敵の姿を確実に捉えることができるのだ。
だが、揺れ動く心が少しづつ冷静さを奪っていっていることを栞自身が一番理解していた。
「真実は時に残酷よねぇ。私が貴方を倒そうと思えば、ほんの五秒もあれば済むことなのよ。私は親切で今こうして貴方に忠告している。私のボスは言うの。弱者は死ねと。でも、私は自ら舞台から退場する人間を後ろから切り捨てることはしない。もう一度言う、早くお帰りなさい。」
シルエットにも栞の動揺が手に取るように分かっていた。嘘つきを自認する彼女だけれど、今この瞬間にも大きな嘘をついていた。今、彼女が一番恐れているのは、シャッテンノルムである。いざこうして目の前にするまでは想定もしていなかったのだが、この少女は本物である。才能という意味では彼女が一番恐ろしい。荒削りのシャッテンノルムの動きだが、なぜかシルエットの脳裏では、ボスの姿とダブってしまうのだ。
(直感という奴。私は信じる方なのよねぇ)
だからこそ、確実にこの芽は刈り取らなければならない。そこに妥協はない。一秒だって全力を出させるつもりは無い。シルエットの試験を潜り抜け、戦場に戻ってきたシャッテンノルムだが、その心の奥底には未だ大きな絶望を抱えている。シルエットの手法はいつもの通り。できるだけ、容赦なく、惨たらしいまでにそのトラウマを抉りだし、戦慄し、身動きのできない彼女を屠る。
「欠陥品がでしゃばれば、お友達のどちらかが死ぬことになるよ。二人とも優しいからきっと、貴方のことは恨まないでしょう。ああ、友達ごっこは気持ちがいいのでしょうね」
「……だ……まれ……」
床に伏したままのかりんが、声を絞り出そうとする。
シルエットはつま先で、痛めたかりんの脇腹を強く蹴る。
かりんの体に激痛が走ったが、栞に悟られまいとこぼれそうになるうめき声を飲み込んだ。
「じゃあ、恵さんは。恵さんはどうなの。恵さんは素晴らしい先輩だったよ。大切な仲間だったよ。恵さんは、なぜ生かしてもらえなかったの。恵さんも私のために死んだの」
「恵さん、恵さんって本当に腹が立つねぇ。高々一年の間、優しくされたからって、なんなのよ。貴方に彼女の何が分かるのさ。彼女だって、ただ優しい先輩を演じたかっただけじゃないのかしらねぇ」
シルエットはいら立ちを覚えていた。
スターリングシルバーも同じだ。
恵さん、恵さんと。
「だったら、私を殺してみなさいよ。そうすれば、なぜ恵さんとやらが死ななければならなかった理由を教えてあげるわよ。私が知っているすべてを教えてあげる。だから、さぁ。かかってきなさいよ。」
栞は、両手のナイフを構えなおした。
この敵の言葉はすべて正しい。
いくら二人が栞のことを大事に思っていてくれたとしても
やはり自分が二人の足手まといであることは変わらない。
自分がここですべてを諦めれば、きっと二人はもう危険に晒されることはないのだろう。
ただ、一つだけ。
死んでしまった恵さんの分くらいは、自分は怒ってもいいのではないだろうか。
どんな結果になろうと、もうあの二人が怒らなくていいように。
自分だけが、今ここで。
栞は目を閉じて、耳を澄ませた。
敵の声
その吐く息の音
わずかに風を切る音
靴底が地面をする音
心臓の鼓動
流れる血流の音
瞬く目の音
カメラのピントが合うように
ぼやけていて世界が
ピッタリと一つの枠に収まった
敵は小柄な少女だった。
武器などは持っていない。
その動きはほとんど音を漏らすことなく
流れる水の様に滑らかに間合いを詰め
その拳を栞目がけて突き出してくる
右手
左手
右膝
左脚
次々と繰り出される攻撃を、栞は紙一重で躱した。




