影面(前編)
第5章 影面
伽藍雅は通話終了と表示された携帯電話を机の上に置き、地図に目を落とした。
(分断しておいたシャッテンノルムとデパートメントが合流してこちらに向かっている。仕掛けを用意していたけれど、こちらの企みに気付かれたか。いずれにせよ2体1でも力押しで乗り切れる相手だ)
伽藍の見つめる地図は、少し奇妙なものだった。カラーマーカーで描かれたそれは随分と大雑把に希望ヶ丘市全域を描き出していた。市役所、駅、デパート、警察署といったランドマークがこまごまと書き込まれているが、道路は主だった幹線道路や商店街を線で表現している程度だ。そこに描かれたシャッテンノルムと添え字のされた不細工な人型のイラストは地図に張り付けられたマグネットであるかのように地図上を滑らかに移動している。
蝶瞰図
これは伽藍の能力ではなく借り物だ。同僚魔法少女の固有魔法である。
この能力で生み出しされた地図はリアルタイムで現実に即して変化するのだ。この地図に描けるのは道路やランドマークに限られず、たとえば地図を作った時点の天気を書き込めば常に今現在の天候を書き出してくれる。人物を描けばその地図の範囲にいる限り地図の上を移動することになる。色々と応用の利くこの能力だが、しかし限界はある。まず、この能力は決して神の視点によって描かれているわけではないということだ。蝶瞰図は、その地図に描かれた現実の場所を能力により生み出された不可視の蝶たちが飛びまわり、およそ人間程度の認識能力で情報を収集し地図に情報を送り更新している仕組みである。したがって魔法的な干渉があれば地図が誤ったりや欺かれることさえあるのだ。また,この地図自体を能力者が手書きしなければならないという制約もある。この地図の作成者は今回の作戦のために50枚以上の地図を同時に発現させているに違いない。その負担を考えると伽藍としても、これ以上に地図にあれこれと注文を付けることは躊躇われた。
(まー、この仕事は一人でやれると大見得を切ったわけだし,やるしかないですよねぇ)
伽藍は、このアジトに乗り込んでくる魔法少女たちを迎え撃つ準備を始めた。
まず手始めに、部屋の真ん中で目隠しと猿轡をされた上、椅子に後ろ手に縛られ丁寧に手錠までかけられている少女を見やった。
伽藍は少女に近づくと猿轡を外す。
「レディはお目覚めかしらぁ」
「ずっと起きていますわよ」
その少女、藤壺宮南月は答えた。
「あらぁ、どんな状況でも熟睡できるのは、魔法少女には必要な資質なのよ。魔法少女は普段眠らないで活動できるから睡眠の大切さを疎かにしがちなのよね。まあ、ただの戯言だけど」
自分を気絶させ、ここまで運んできたのは彼女なのだろうか。
ナツは相手の正体を探るため全神経を耳に集中させた。
声の感じからすると自分とさほど年齢は違わないように感じた。
「まあ、いいわ。端的に話すわね。貴方たち騎士王の派閥は、『賢人会議』により反逆者に認定されました。貴方のお姉さまは今のところ中立の立場をとっている。でも、数日中には貴方のお姉さまも反逆者認定がされるわね。そうなれば全魔法少女の総力を挙げてこれを掃討することになる」
謎の敵が話す内容は全てナツにとって青天の霹靂であった。騎士王が反逆者だって、一体この女は何を言っているんだ。そして、同じく魔法少女である姉のこと。一体、上層部で何が起こっているというのだろう。
「大義名分で言えばこんなところ。現実的にいえばあたしたち魔法少女は内乱状態というわけ。『賢人会議』あらため『王国』が圧倒的に優位ではあると思うけど、どうなるのかしらね。まあそれはそうとして、私たちのボス……調べればすぐ分かるだろうけど私からは秘密にしておくね。そのボスは貴方を取引材料にして貴方のお姉さま、『死せるモノたちの女王』を傘下に収めたいと考えているの」
「姉上は……あの人はワタクシの命なんかで考えを変える人ではありませんわ」
ナツが姉のことを考えない日はない。あの独善的で高慢な女は、血を分けた姉妹であってもゲームの駒程度にしか考えていないのだろう。なにより、あの姉のおかげで命が助かるという事実はナツにとって耐えがたい屈辱であった。
「まぁ、それはボスの考えることだしね。それに、何だってやりようはあるものよん。私は命令をこなすだけの下っ端だからねぇ」
「貴方たちの目的はワタクシということですの」
「それはノー。仲間のことの責任を感じる必要はないわ。デパートメントについては別の依頼主から身柄を確保するように頼まれている。それだけじゃない、私のボスの考えは結構過激で無能な奴を見つけたら積極的に排除しろって方針なの」
「貴方が……貴方が恵さんを殺したのですか。答えなさい。なぜ、なぜ恵さんを殺したのです」
「恵とかいうの? あの魔法少女。彼女には引き取り手もなさそうだから、最初に始末したよ」
「きさまぁ」
ナツは自分が仲間たちを巻き込んだのではないと知り、一瞬安堵したが、この魔法少女が恵を殺した事実は変わらない。ただの権力争いのために仲間同士殺しあっているとでもいうのだろうか。そんなことが許されるはずがない。
「先輩として言うわ。虚勢はやめなさい。貴方にできることは何かよく考えて。貴方のもう一人のお仲間、シャッテンノルムについても一応は抹殺する方針。だけどね、貴方が素直にいうことを聞けば、私の責任でシャッテンノルムは助けてあげる。返事がノーであればすぐにでも殺す」
「な、なにを」
ナツはこの敵に襲われたときのことを思い出した。黒いボロきれを纏った幽霊のような姿。その体術は圧倒的に格上で、ナツはなすすべもなく打ち倒されていた。栞の生殺与奪を握っているという話しぶりは、はったりなどではないのだろう。
「あなたはこれからも生き残る側ですからね。先輩としてもいろいろ教えてあげておきたいのが本音なのよ。殺しちゃった恵とかいう魔法少女?それにシャッテンノルムについても全然恨みとかそういう感情はないしねぇ。とにかく仕事だから殺すだけなの。だから、私に許される範囲で貴方たちにメリットのある提案はできるのよぉ。恵とかいう魔法少女の仇を討つ? それは絶対に不可能よ。シャッテンノルムはまだ生きている。貴方ができることは選択だけ。自分の選択で一人でも仲間の命を救えたと、そのことを胸に生きていくか、すべてを失って生きるかよ」
ナツはすぐにでも反論したかったが、できなかった。
ここでこの敵を罵ることに意味はない。
何より彼女の提案を受け入れれば、もう誰も死なずに済むことは間違いないのだ。
自分自身が屈辱にさえ耐えれば、それが最も正しい選択ではないのだろうか。
「あ、そういえば恵とかいう子、全く役に立たないと思ってたけど、そうじゃなかったわ。随分と役に立ってくれている。丁寧に貴方たちやこの街についてのデータを残していてくれたわぁ。そういうわけで貴方たちの能力のことも十分把握しているのです。ああ、でも魔法少女としては、つくづくダメな奴よねぇ。こういうのは本当は頭の中に叩き込んでおかなきゃねぇ」
「恵さんを侮辱することは絶対に許しませんわ」
「だーかーらー。虚勢を張るなって。貴方に何ができるわけぇ」
敵は、ナツを縛り付けている椅子の足をガツンと蹴った。ナツの体が揺さぶられた。
「指輪は外してあるわ。いくら10期生といっても自分の指輪の位置くらいは探知できるわよねぇ。だから隠したりはしてないわよ」
外した指輪の位置を感知する、そんなことができるのか。ナツにはまだまだ知らないことがあった。それを教えてくれるはずだった先輩はもういない。
「私は貴方を脅したりはしないわよ。|スターリング・シルバー《ナツ》。私は、その気になれば全部一人で終わらせることができる。貴方は駒でさえない。ただの背景。書割みたいなものね。でも、私は先輩として貴方に教えてあげたいのよ。戦場で生き延びるということ。私情を捨て、最良の選択をする。本当の選択というものを」
選択さえせずにすべてが終わる。それこそが最悪だとナツは思う。
「私たちはね。あなたたちの知らない、ずっと苦しい戦いをくぐり抜けてきた。生き残ってきたのよ。もう少しでシャッテンノルムとデパートメントがここに来る。私は先輩として試験をしてあげなくっちゃね」
その女はナツの両肩に手を置いた。
「貴方には自己紹介をしておきましょう。私の名前は『シルエット』。第6期生魔法少女。『清掃班』の末席を汚すもの。私めが披露いたしますは、愉快な愉快な影絵の劇団。色のない世界でこそ見つかる真実もあるものですぞ、さあさ、ご照覧あれ、なんて」
おもむろに女の指がナツの頬をなぞる。
ナツが思わず唾を飲む。
その時、少し離れた所からニャーと猫の鳴く声が聞こえた。
「ああ、貴方のことも紹介して欲しいのね、クロマ。さあさ、こっちにおいで……彼女はクロマ。私の劇団のトップ女優よ」
そこにいるはずの四足動物。しかし、その足音は魔法少女の聴覚でさえとらえることができなかった。
「さあ、|スターリング・シルバー《ナツ》。貴方の選択をそろそろ教えてくれるかしら。私もこの子も、もう準備は万端なのよ」




