交わる線 交わることのない線(後編)
最初の敵を一撃で屠った栞は、畳み掛けるように一気に敵を殲滅したかったが、紅孔雀はいったん空中に退避し追撃を躱した。あとは挑発するように間合いの少し外を旋回するばかりだ。紅孔雀の武器である火の吐息は連続使用できないようで再使用の時間を稼いでいるようだった。
空中の敵相手には栞も決定打を欠き、手をこまねくしかなかった。
「流石に、あのネズミみたいに簡単にはいかないのか」
「2対1で捌いてるだけでも、栞は頑張っているよ」
かりんと樹は、わずかに距離を取り栞の邪魔にならないように潜んでいた。
紅孔雀は全身から高熱を発しており気が付けば周囲の温度は真夏のよう。ただじっとしているだけで、樹の額から汗が流れだした。
「オジサン、お酒を集めて。ボクが栞の足場を作るのだ」
かりんの指示を受け、樹は転倒した際に散乱した酒瓶を拾い集める。
赤い怪鳥たちは、栞を牽制しながらもその眼はこちらの動きにも注意を払っているようだ。幸いすぐに向かってくる様子はない。
「あの災夢とかいうやつ、拳銃とかそういう武器は効かないのか」
樹も支援程度には役立ちたい。しかし、その手段が思いつかない。
「災夢にも、魔法少女にも、魔力が籠っていない攻撃では傷つけることはできないのだ。ボクたちなら手に握った武器になら魔力を通してダメージを与えることはできるけど、拳銃とかは無理だね。オジサンじゃあ、牽制にもならないよ」
そう返事しながら、かりんは次々と酒瓶から半透明の蜂を生み出していく。
樹はそれでも納得いかないようで
「その技で武器を作ってもらえば、俺だって戦ったりはできないかな」
かりんは真剣な顔で樹を見つめる。
「オジサン。ボクたちはオジサンに助けてもらったと思っているよ。感謝してもしきれない。オジサンのおかげで自分たちが何をすべきか理解できたのだ。だから……だから、オジサンの役割はここでお終い。ここからの戦いはボクらの役割だ」
樹は、心臓がはじけ飛んだような強いショックを受けた。かりんの言葉は至極当然のことだ。昨日の夕方まで樹はただの一般人だった。それが、ちょっと自分の知らない世界の側面を知って何をはしゃいでいたのか。目の前で行われているのは命と命のやりとり。殺し合いなのだ。
「お…俺は……」
「オジサン、ごめん。オジサンの気持ちは分かるけど。ここからは本当に危険な戦いになる。ボク達からのお願いだ。安全なところに逃げて」
「そ……そうだね。俺は、俺は普通のオジサンだしね……」
樹はすぐにここから立ち去ろうと思った。納得はできないが……それが現実だ。これ以上、彼女たちの負担になるべきではない。しかし、なぜだか体はその命令を聞こうとしなかった。
かりんは樹のことが気になったが、戦闘を続ける栞の方に視線を戻した。すぐにでも蜂たちを向かわせようと考えたが、紅孔雀たちは栞を無視し、こちらに向かって一直線に向かってきている。その口を大きく開くと、喉の奥に炎が渦巻くのが見えた。
かりんは、とっさに蜂たちを紅孔雀たちとの中間点に展開し、白く輝く結晶に姿を変化させた。
再び現れたすさまじい光と音。しかし、そのすべてが別世界の出来事のように白く輝く幕を境に樹とかりんの周囲には寒風が吹いていた。
紅孔雀たちは先ほどの仲間の犠牲から学んだようで、炎を吐くとすぐに上空に退避したので栞が追撃を加えることはできなかった。
「あいつらのターゲットは俺じゃないのかな。さっきから、俺を狙っているような気がするんだ」
「偶然じゃないかな。オジサンの勘違いなのだよ」
かりんは防御のために、せっかく作った蜂の大部分を消費し次の一手を失ってしまったことに焦っていた。荒っぽい手段にはなるがコンビニ店内の酒を頂戴して再度、蜂を作り出そうか。
手をこまねいている彼女を他所に突然、樹がコンビニから離れるように走りだした。
その姿は栞の目にも映り
(よかった、オジサン。そのまま安全なところまで逃げて)
栞は、はじめ遠くに逃げていく樹を見て安心したが、すぐに異常に気付いた。目の前の紅孔雀たちもまた樹を追ってその場を離れようとするのだ。
「貴方たちの相手は私よ」
栞は樹は逃がすため大きく跳躍して後ろから紅孔雀を斬り付けるが、敵は紙一重でこれを避けると栞には目もくれず樹を追跡する。
「なんで、オジサンばかりを襲うの。」
「やっぱりそうだ。電話だよ、電話。あいつらはこの電話の電波か何かを追跡してるんだ」
樹が走りながらそう叫ぶ。手には通話状態のかりんの携帯電話があった。
「なんでいきなり、こいつらが襲ってきたのか考えたんだ……はぁはぁ」
そこまで言うと樹は息が上がって声を発することができなくなった。まだ100メートルも走っていないが普段の運動不足がたたり足がもつれて倒れそうだ。
樹はこのように情けない感じなのだが、紅孔雀はあくまで火の吐息でとどめを刺すつもりのようで、すぐに攻撃に移る様子はない。もちろん攻撃に移られたら最後とてもじゃないが樹の動きでは回避できそうにない。
「ぅぅぅぐぅ」
樹が声にもならないうめき声をあげ限界を感じたころ、すうっとその手にあった携帯電話が姿を消した。
そこには栞の姿があった。
栞はあっという間に樹を追い抜き、その手から携帯電話を奪い取ると一気に加速して樹を振り切ったのだった。
紅孔雀たちは今度は栞を追って滑空する。
樹は膝に両腕をつき、その場から動けなくなった。
頭の上を怪鳥たちが通り過ぎる。
「はぁ、はぁ、はぁ……まあ、役にはたてたよな」
気が付けば、かりんの姿も見えない。
樹は自分が置いてきぼりになったことに気付いた。
「しょっぺぇなぁ」
それは樹の流した汗の味だったのだろうか。
◇
コンビニからホテルまでは直線で約3キロメートル。
障害物を回避しながらでも、5分もあれば到着する。
攻めるとなれば厄介だった紅孔雀だが、こちらが逃げる側になれば、むしろ扱いやすい相手である。
火の吐息は広範囲に及ぶが、これはあくまで魔法的な攻撃であり直接現実界の物質に引火することはない。非生物には影響がないのだ。一過性の攻撃では距離を取り続ける相手には有効打にはなりにくい。
また、栞は『静寂の中の殺意』の能力により18秒間、絶対的な潜伏能力を得ることさえできるのだ。
栞が紅孔雀の攻撃をギリギリでかわし続けるのは、この災夢を撃退することを優先しているからだ。付かず離れずの間合いを維持し、敵が隙を見せれば一気に攻撃に移るつもりなのだ。
目的となるホテルは希望ヶ丘市北部の山の上にあり、滑らかに曲がった道路を4分の3周ほど登ると到着する。道路の山側は切り立った崖になっていて、コンクリートで固められた側面の上は深い雑木林になっていた。
栞はあえて道路沿いに移動することで、敵を誘った。単調な動きを取れば敵が仕掛けてくる、そう予想したのだ。案の定、2体いたはずの紅孔雀の1体の姿が見えない。
目の前にトンネルが見える。
仕掛けてくるならここか、と栞は気を引き締めた。
予想の通りトンネルを抜け、出口を見ると前方に鮮やかな赤色が見える。雑木林を通って先回りし潜伏していたのだろう。後ろからは、もう一匹に紅孔雀が迫る。挟撃の形、それもこれも想定通り。
いよいよ決着のときは迫っていた。
栞は紅孔雀が火の吐息を放つ。その一瞬前の予備動作を察知すると、栞はその手にあった携帯電話を空中に投げる。携帯電話はトンネルの天井にぶつかり勢いよく地面に落下を開始した。
紅孔雀の眼は携帯電話を追っていた。そのニンゲンの行動の意図は分からぬが構うことはない、この狭いトンネルの中で火の吐息を避けることなどできない、そう考えたのだろうか。あるいは何も考えなかったのか紅孔雀は、そのまま一気に全力で息を吐きだす。
炎の十字斉射は空中の携帯電話貫き、そこから派生する炎はトンネル全体に広がっていく。
紅孔雀は、ついに忌々しい目標を黙らせたことに満足したが同時に疑問を感じていた。さっきまでアレを持って逃げ回っていたニンゲンの気配が全くしないのだ。炎で蒸発した?そんなバカな。
彼の目も、耳も、鼻も。消えたニンゲンを捕えることはできなかった。
トンネルの出口を塞いでいたその紅孔雀は自分の体がふと軽くなった気がした。
腹からボタリと臓物が落ちる。
「お前程度なら、急所を狙う必要もない」
腹から吹き出す鮮血の中に栞の姿が現れた。その刃が怪鳥の腹を引き裂いたのだ。『静寂の中の殺意』は敵を攻撃した時点でこの効果を失うのだ。
紅孔雀の体は浮力を失い地面に落ちると霧散した。
火の吐息が空中に向けられたことから、姿勢を低くしていた栞は背中をわずかに焼くだけで事なきを得たのだった。
さらにトンネルの中では栞を追っていたもう一匹の怪鳥が、仲間の死を理解することもできず、その思考を引き裂かれその活動を停止していた。
その脳天を一発の弾丸が貫いていた。
トンネルの入り口には、栞を追ってきたかりんの姿があった。その手には奇妙なボウガンのようなものが握られている。
「栞、大丈夫なのだ?」
片膝をついて動きを止めていた栞にかりんが駆け寄る。
「背中がひりひりする」
栞は冷静にそう答える。
かりんが栞の背中を除くとコスチュームは黒く焦げていたが、それもすぐに再生し元通りに戻っていく。
すぐに傷まで完治するわけではないが、魔法少女の治癒力があれば大事はない。かりんはほっと息をつく。
「それより、もう一匹はかりんが倒してくれたの?」
栞が尋ねるとかりんは、自慢げにその手に持った装置を見せつけた。
「オジサンが百薬の長を使って武器を作れないかって言ってたから、それで思いついたんだ。アルコールを鉱質の結晶に代えて磁性を与えて、あとはコイル状にしたこっちの装置に電流を流すと磁力によって弾丸が発射されるってわけ。いわゆるコイルガンってやつだけど見よう見まねで作ってみた割にはうまくいったのだ。って、栞は全然興味ないって顔してるよね」
栞は楽しそうに話すかりんを眺め満足していた。しかし、銃とかそういう男の子っぽいものには全く興味がなかった。
かりんの手にあった装置は煙のようになるとかりんが用意した一升瓶の中に戻っていく。
「命中精度も威力も残念な感じだけど、省エネなところは評価したいな」
「うん。私もかりんのサポートに頼りきりで空中の敵への対策をしてなかったな。飛び道具を必要かも」
戦闘が終わると自然と反省会に入るのがいつもの癖だ。
そこで、かりんは大切なことを思い出す。
「オジサンは、あのまま置いてきたよ」
「うん。それでよかったと思う」
目的地のホテルまであと1分もかからないだろう。
もう少しで決着がつくはずだ。わざわざ眠らせてしまう必要もない。
「あ、そういえばボクの携帯電話」
かりんは無残に炭になった愛用品を思い出し、そう口にする。栞が泣きそうな顔をした。
「ちょっと、ちょっとぉ。栞は泣かなくてもいいのだよ。栞は悪くない。あの子も使命を全うしただけだよ」
かりんが慌ててフォローする。
ナツがいないとどうにも調子が狂うなとかりんは思った。
「ナツは大丈夫だよ」
二人は同時にそうつぶやいた。




