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ボーイ・ミーツ・ガール(前編)

・第1章ボーイ・ミーツ・ガール


 『ろりめく』という日本語がある。

 それは決して、成人男性が十代前半の女子に恋愛感情を抱いて理性を失ってしまう、という意味ではない。

 この物語は貴宮樹(あてみやいつき)影咲栞(かげさきしおり)の邂逅から始まるのだが、樹は15歳の美少女を目の前に今まさにろりめいていた。


 寒風吹きすさぶ黄昏刻、歓楽街の隅にそびえる雑居ビルの屋上に二人はいた。

 そのビルはいかがわしい事務所のようなもので埋め尽くされ、電灯は切れかけ廊下がゴミだらけと共用部分はろくに管理されていない様子だ。間違っても栞のような女子中学生がふらりと立ち寄るような場所ではない。

 樹が栞を見つけたとき、彼女は柵のない屋上の一端でただひとり30m下の裏路地をじっと見つめていた。そして樹の存在に気付くと、膝ほどの高さになっている屋上の縁にひょいと飛び乗った。

 すべてが樹の勘違いであれば幸いだが、目の前で起ころうとしていることは想像のとおりなのだろう。

 彼女はこの高さから地上へと飛び降りようとしているのだ。つまり、自死の決意である。


「ストップ、ストップ、ストップぅ」


 樹は、栞を探してここにたどり着いたのだが、まさかの展開に何と声を掛けていいのか分からなかったので、とりあえず叫んでみた。

 樹が慌てて近づこうとすると栞は首を振り拒絶の意志を示す。


「オジサン。悪いけど独りにしてくれないかな」


(お、オジサンって……)


 樹には30歳まであと半年も猶予があったので突然のオジサン呼ばわりに動揺してしまう。間違いは間違いとしてキチンと訂正しておかなければと思うが今はそんな些細なことに拘っている状況ではない、のだろう。『空気が読めない』のは『オジサン』よりもずっとキツイ。

 樹は考える。自分が少年だったのは何年前のことだろうか。今となっては少年樹が何を考え、何を夢見ていたかさえ思い出すことができない。まして、今現在を生きる女子中学生となれば異界異形の神々の如く理解不能の存在に思えてならなかった。


(だめだ……なんて話したらいいか全くわからんぞ、これ)


 樹は栞の姿をマジマジと見つめる。

 栞は見目麗しい女子中学生だった。紺色に白タイのセーラー服は今では古風とさえ感じられる装いである。絹のように艶やかな黒髪はポニーテールに結われている。色白で目鼻の整った顔立ちは大人びていて愛嬌には少々欠けるけれども、それでも年齢相応の幼さを残していた。そして、何より彼女を特徴づけるのが黒い大きな瞳だった。黒真珠という言葉が自然と脳裏に浮かんだ。


(ただそこにいるだけで周りの嫉妬を買う、そんな人生も窮屈だろうけど)


 もし樹が彼女と同い年だったなら。

 樹の心の中に少年のころに夢見た光景がかすかに蘇った。

 ボーイ・ミーツ・ガール

 巷ではかつての少年の夢にそんな名前が付けられていた。

 辛い日常なんて捨ててしまえ

 こんな可愛い女の子と一緒に冒険の旅に出られたなら、と樹はそんなことばかり夢見る少年だったことを思い出した。


(今の俺がそれやると犯罪ですよ)


 樹は不意に浮かんだ妄想を振り払った。

 今の樹は、ダークのスーツの上に黒いトレンチコート。身長は180を超えるが、やせ気味でどこか頼り気がない。いつも疲れた表情で若さが感じられないと叱咤される、そんな男だった。

 一応、女子中学生と会話をする練習はしてきたのだが、そんなものは全く役に立ちそうにない。

 

(何だかとんでもないことになってるけど、どうにかしないとなぁ)


「私はもう全部決めたんだ。私を一人にして! 私には誰の助けもいらない。オジサンは必要ない」


 屋上にはフェンスもなく、最悪、栞が樹を無視して飛び降りてしまえば打つ手がない。強風に栞の体が揺れるたびに樹は生気が失われていくような気がした。

 何も分からないままに樹は何か手を打たなければならない。


「君のことを大事に思っている人がいる。それは分かっているんだろう」


 必死に考えてみたが正直言って死のうと決意している人間を止める方法など全く浮かばなかった。

 ただ思いつくままに言葉を紡ぎ、時間を稼ぐ。それで精一杯だった。


「オジサンは叔母様に頼まれて来たんだよね。私が死んだら困るのは分かるよ。私だって誰にも迷惑をかけずに死ねるだなんて思ってはいない。でも、それは生きていても同じことでしょう。オジサンが叔母様にうまい言い訳を考えてよ」


「で、で、でも。目の前で女の子が死のうとしているんだぞ。俺が困るとか困らないとか、そういう話じゃないだろう」


 栞には家族がいなかった。4年前に事故で両親と弟を同時に失ったのだ。唯一残った肉親である叔母がすぐに栞の後見人となったが、一つの屋根の下で暮らすことはなかった。

 樹はひょんなことから、その叔母から栞を託されたのだ。

 はりきっての第一日目、すでに事態は最悪の一歩手前である。


「オジサンは優しそうだから、それは本音なんだろうね。でも私は優しくされる資格なんてないし、優しくされたいとも思わない」


 栞は静かだった。まるでもうこの世のにいないかのように虚ろであった。

 風が吹けば消えてしまう、そんな気さえした。

 樹は気が気でなかったが、幸い栞はすぐにでも飛び降りるという様子ではない。できれば他人に自分が死ぬ姿は見られたくない、そんな気持ちは理解ができた。


「ねぇ、オジサン。どうすれば私を独りにしてくれるの。なんでも言ってみてよ。だいたいのことなら言うことを聞いてあげる。どうせ死ぬんだから、ね」


 不意に栞がそんな提案したのは争いを嫌う彼女の性格からだろうか。


「だったら理由を教えてくれよ。なぜ君は死のうとしているんだ。」


 樹は言いよどむことなく自然とそう口にしていた。考えれば考えるほど、どうすればいいのかなんて分からなくなる。だったら、自分の中の直感にすべてを委ねてしまおう。


「そんなこと聞いても、私の気持ちはオジサンには理解できないよ。それに私の命を私がどうしようと勝手じゃないのかな」


「そうだな。俺のしていることは、自己満足かもしれない。君自身が決めたことだ。俺に止める資格なんてないのかもしれない。本当は俺だって君を止めていいのかわからない。だから君の話を聞きたい。俺が心から君を助けたいと思えるようにしてくれよ。それが俺の望みだ」


「オジサン何言ってるの? 意味が分かんないよ。私は放っておいてほしいんだ。止めて欲しいんじゃない。一人にして欲しいんだよ。分かっているの? 」


「死ぬしかないと君が確信しているなら、それでいい。本当に君が死ぬべきだと納得したら俺はここを立ち去るよ」


 それは守るつもりのない約束だった。

 そんな樹の言葉を聞いて、栞は何かを考えるように黙りこんだ。


「君は何度も考えたはずだ。死ぬことが正しいのか、過ちなのか。その果てに君がたどりついた答えだ。間違ってなんかいないのかもしれない。それが正しいのかも。だったら、もう一度だけ君の辿った道をここで言葉にしてくれよ。俺のために」


 幾ら考えたところで樹には彼女を止める魔法の言葉など思い浮かばなかった。

 きっとその言葉は彼女自身の中にあるのではないか、もっと彼女に語ってほしかった。

 栞は意を決して言葉をつむぐ。

 言葉は初め静かでゆっくりとしたものだった。やがて少しづつ感情がこもってくる。


「オジサン。約束は守ってね。最後の時間くらい独り静かにいたいから。


 私には仲間がいたの。

 やっとみつけた安らぎの場所。

 でも、私は馬鹿だった。私は気付かないでいた。

 私が足手まといだなんてね。

 もし私が二人を巻き込んでしまったら、一体誰が責任を取るの?

 私が死ぬことを止めて、それで誰かが死ぬことを考えたことがある?

 私はそれが恐ろしいの。


 私はね。今、仲間を殺したと疑われている。

 そうでなくたって、今この街に私の仲間を殺した奴がいる。

 せめてあの二人だけでも安全な場所に逃げて欲しい。


 ああ、本当に私って馬鹿なんだ。大馬鹿で恥ずかしい奴。本当に。本当に……。

 今日まで何にも気づかないで生きてきた。

 私は足手まといだなんて知らずに。

 みんなと一緒にいたいと思って。

 それが当然だと思って……」


 もはや、栞自身でさえ、あふれ出て来る言葉を止めることはできなった。

 大きく息を吸い込むと栞の体が大きく揺れた。

 樹には彼女が姿勢を保っていることさえ奇跡だとしか思えなかった。


「私が死んで,みんなが助かる。それがおかしいこと?

 今までみんなに迷惑をかけてきた、その責任をとって死ぬ。潔いでしょう?

 私には生きる意味なんてない。だから死ぬ。それは我儘?

 私には価値がない。だから零になる。それでも、もったいないと止めるのかな?

 私は失敗した。失敗ばかりの生き方をしてきたから、今の私になった。

 失敗して、失敗した。失敗して、失敗して、失敗して、失敗した。

 零なんかじゃない。マイナス。それでも今死ねば零になる。

 私にとっては随分と割のいい話じゃない。

 だから死のうと思う。それでも私を束縛するの?

 苦しいんだ。今こうしているだけで苦しい。楽になりたいから死ぬ。

 そんな理由が全部だめなら

 私は理由なく死ぬ。

 答えなんてない。

 それでいいでしょう」


 やがて思い出したかのように最後に付け加えた。


「私が死ぬことと家族は関係ないから。

 パパもママも澪も。

 おかしいじゃない。

 可哀そうなのはパパとママなのに。

 二人はもうこの世界にはいないのに

 私のことで責められる。

 それって、最悪でしょう。

 それに叔母様にだって感謝の気持ちしかないのよ。

 私は誰も恨んでいない。

 それだけは伝えていただけるかしら」


 そこまで言うと彼女は自らの足元に視線を落とした。

 樹は両足の筋肉に力を入れた。それに意味はないかもしれない。それでも彼女が飛び降りようとすれば一瞬でも早く駆け寄ってやるという決意があった。


「栞ちゃん。少しだけ君のことがわかったよ。

 君は馬鹿だね。本物の馬鹿だ。

 そんな言葉を聞いてしまったら、俺が君を見殺しにできるわけがないじゃないか」


2014/12/31 加筆修正

※開幕からテンション下がる展開ですが、最後までお付き合い頂けますようよろしくお願いします。

※『ろりめく』:恐怖や心配により落ち着かず興奮する。

※副詞にすると『ろりろり』という表現になります。日本語って奥が深い。

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