3 / - 2 名古屋市 壹
ミシェル・ノストラダムス――無名のフランス詩人。
彼の作が知れたとていったい何の意味があるのか、という疑問が会議室に染み渡った。
その様子を内心、面白く見詰めたのは総矢 獨景だった。
委員達は慎重だった。
まず RX-002248「キンプゥ」の解析の精度を吟味した。
誤った解の可能性も十分にあるはずだった。
人造知性「キンプゥ」の電子回路の辿った経緯あるいは過程が、順々に各人へと通知される。
その間に、これは検出されることを前提として文字列に插し込まれた、更なる暗号ではないか、との意見も出る。最もな了見――すでに「キンプゥ」もその可能性を探ってはいたが、最初の違和それ自体がそもそも本当に暗号であるのかどうかというところから探らざるを得なかった。
むろん、国際電機通信条約機構にも問い合わせた。
しかし返答は一貫して「Not sensed」。
そこで、獨景も口を開いた。
これは警告なのではないか、と。
しかし、皆は顔を見合わせて問うた。
では、それは、いったい、何に関しての警告なのか?
…………と。
◇◇◇
昼下がり。
長い長い会議の時間は終わった。
何も明らかになることはなかった。
いまだその面差しに、若干の少年らしさを遺した白衣の若者――総矢獨景は、10階ほどのガラス張りの吹き抜けを、直線のままで貫通し、下っていくエスカレータの紅い合成ゴム製の取っ手に力なく腕を載せ、窓の外に広がる風景を、見るとはなしに眺めていた。
林立する高層ビルの狭間を、リニア・トレインの透明なチューブが日差しを柔くはじきながら縫っている。中継ターミナルからは独特の深みのある”名鉄スカーレット”の塗料でぬられた車体がグンッと加速し、スピードを上げながら蛇のようにチューブの中を滑って行った。街の彼方に列車を見送った青年は、ガラス・パネルに自らの貌が淡く映っているのに気づく。外の方が、やや暗いのだ。
街はまだ太陽も高いというのに、さながら夕刻の日差しにでも染まっているようだった。最上階層より光ファイバ建材を通って降り注ぐ陽光は、強くはない。しかし、弱すぎもしない。程よい光量に調整されている。――しかし、その天使の梯子のような幾筋もの光の射すさまは、その淡い光に照らされた街の様子とは、あたかも永遠の黄昏のなかに都市が微睡むようでもあった。この積層都市には永久に、夕暮れとそして夜しか、巡ってこないとでもいうように……。
獨景は、窓に映る自分の顔を観察し、徹夜により皮脂でややしっとりとした髪を撫でつけた。
乱れぎみの服装も整えていく。
そうした中、ふと何かを聴いたように、肩をすくめ、微笑した。
獨景は窓外の景色に、ふと学生時代に暇つぶしで読んだ論文を思い出した。
それは確か1922年に書かれたものだったはずだ――「そしてもしわれわれが構築する望みが叶えられるのなら、それは何を差し置いても住宅――それより壮麗でより巨大な――摩天楼である」。彼は記憶の中からその断片を拾い上げた。『ヴァスムス月刊建築芸術』に掲載された、リハルト・ヘーレの「シュトゥットガルトのための高層建築」という論文だった。それはドイツ表現主義やアール・デコから始まった、モダニズム建築というムーヴメントのさなかに書かれたものだ――1919年に建築家のエーリッヒ・メンデルスゾーンが『新しい建築芸術の問題』の中で「幻想の陶酔の中に出来した現象だけが価値を有するであろう」と書き表し、同年に同じく建築家のヴァルター・グロピウスが「教条は無用だ。必要なのは生命感の充溢である」とバウハウス記録保管所に残るメモに書き記した思想。フリードリヒ・ニーチェが『ツァラトゥストラかく語りき』で、「支柱と階梯によって人生は高処を目指すのだ。人生はその眼差しを遙か彼方のさらに向こうの歓喜に満ち溢れた審美へ向ける――そのためには高さが必要なのだ」と書いた叙述を、物質的に成し遂げようとしたというその運動。それは最初の世界大戦を経験した欧州に興り、人類の精神の偉大さを謳ってルネサンスの再来ともいうべき人間賛歌を、産業化した近代社会で高らかに歌い上げようとしていた。1886年、ヴィリエ・ド・リラダンは『未来のイヴ』で人造人間にペルシア語で「理想」を意味する「ハダリー」とすでに名付けていた。当時、急速に西洋文明に登場した「機械」は神の隣に座るほど、いや、神の座を脅かすほどに美しかった。
機械を動かす金属の精緻な板や球は、古代エジプトの神々が身にまとう円盤や球に見立てられた。建築家ル・コルビュジエとともに雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』を主宰した詩人ポール・デルメは、機械文明という日常においては、動物(人間)と神(機械)が向かい合って満足し合うのだと見立てることまでした。この機械賛歌――ひいては人類文明とそれを支える「人工の神」への崇拝は、すでに1909年のフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ『未來派宣言』の一節にも如実に現われていた――「榮光に輝く現代世界は新しい美、すなわちスピードの美によって美しさを增した。レーシング・カーは、サモトラケの勝利の女神ニケより美しい。……今日の美は鬭爭の中にしか存在しない」。「人間」も「文明」もそれを支える「機械」も信じず、「虚無」を崇拝した後のダダイスト=トリスタン・ツァラはこれを「モダニズムの誇大妄想」、「虚妄のナルシシスム」であると自らの『ダダ宣言1918』で断じている──そしてこれが「無意識」を崇拝したシュルレアリストの呼び水となるのである──が、時を同じくして表現主義モダニズムは確かにそこに興り、「終焉」したとされた半世紀の果てに、この複合積層学園都市名古屋を産み落とした。アウトゥール・メーラー・ファン・デン・ブルックは1916年の『プロイセン様式』で既に書いている。「モニュメンタリティの放つ威光は大戦争や人民の蜂起、そして国家の樹立に比肩しうるものだ。それは開放し統合し運命を切り開き決定づけていくのだ……」。ある時代、巨大建築は発展を志向する人間精神の、まさにその構造を物質化したものだった。それは、ヒッタイトの古代から神に手を伸ばす人間の手だった。そして、その「手」は人の手による、新しい「神」だった……。
いま、複合積層学園都市名古屋は腹の中に巨大な摩天楼を抱え込み、そして自らも、さらに巨大な摩天楼としてこの地に君臨しているという入れ子式の「神」。内側で充足しつつ決して充たされない神は、天に向かい成長を続けるほかないのかもしれない……。徹夜明けで勢いづいたのだろう。彼は、時代順に意識に引っかかる論文を次々に暗唱していった。「表現主義の遺産はまだ終焉を迎えていない。なぜならばそこからはまだ何も始まっていないからだ」(エルンスト・ブロッホ「表現主義に関する討議」1933年)。「その思想と感性の世界はけっして新たなものではなく、どちらかといえば身の毛もよだつほど古式蒼然としたものである。そこから表現主義は誕生したのだ。そしてこの世界は未だ克服されていないのだ」(アルフレート・クレラ「今やこの遺産も終焉を迎えた」『ダス・ヴォルト(言葉)』1937年9月号)……。
彼がそうして空想の世界に浸りつつ、白衣を整え終わるころにはエスカレータは終点に到着した。エスカレータから降りた彼はすぐ窓に背を向け、ろくに電燈の明かりもない、細く薄暗い裏道のような通路へと歩き出した。
名古屋市の街――積層建築の全体が、あの東京タワーよりも100メートル以上高いという、経済と思想をその《巨体》という説得力によって捻じ伏せている巨神・複合積層学園都市――その機械の詰まった身体の片隅に、他と離れてぽっかりと据えられた部屋がひとつある。「都市特務調整研究室」――その扉にはそんなプレートが下がっている。
小さな部屋。小さな独立研究所――小さな城だった。
ドアを開けると冷たい風が、頬を撫でる。
夏なのにむしろ寒いくらいだった。
冷房の設定温度が辺りとは、10℃ほど違うのだ。
獨景は即座にエアコンの操作パネルで設定温度を28℃まで上げると、先ほどの委員会で使用していた資料ファイルを、スチール・バーで組んだ棚に無造作に挿し込んだ。
部屋には、彼のデスクのほかには長机があり、椅子が6つほど用意されている。
思い掛けなく広い研究室だ。
壁はスチール製の雑棚と、本や資料を仕舞う本棚によって見えない。
部屋の奥にあるドアは、隣接する助手のための部屋に繋がっている。
といっても彼には助手などおらず、その空き部屋は獨景の個人工作所になっていた。
彼は椅子に座ろうとして、それをやめた。
背後に何者かが立っているのに気付いたからだった。
だが、彼は反応せずにそのままポットの横のカップに手を伸ばし、インスタント・コーヒーを淹れ始める。ゆっくり、ゆっくり……まるで、レギュラー・コーヒーでも淹れているように彼はわざと緩慢に湯を注いだ。彼の背後に立った者は、その緩慢さに焦れて身じろぎした。
彼は口笛を吹き始める。
背後の気配は諦めたように息を吐くと、獨景の白衣の裾を後ろから引っ張って、むっつりとむくれたように、
「……エアコンの温度下げてください」
と言った。機嫌が良ければ、きっとよく通る高い声なのだと思われた。
それでも彼は前を向いたままで、
「――ダメだ。電気の無駄づかいになる」
と取り合わない。
獨景の背後で、気配は震えた。
それが寒さによる震えでないことは獨景にも分かったが、微笑しながら彼はすっと手を伸ばすとパネル操作でさらに、5℃ほど設定温度を上げた。エアコンは役目を終えたとばかりに静止し、一瞬後には、深い溜息のような音を立てた。部屋の空調は死に絶え、後には獨景の手にしたカップから、コーヒーの熱気だけが静かに部屋へと染みていた。しばらくは静かだったが、「あ…………あ…………」とやがて震える声が響き出した。何か言いたそうに震えながら途切れつつ、声の主の唇はその先を一気に開放する。
「あーついんですよ~~~~~~~~~!!」
あついあついあついあついあついんですよぉとその声の主は続けざまにまくし立てて、獨景の白衣をバンバンと叩いた。獨景は徹夜明けの重い頭を揺らされながら、声の主を見ずに自分の左肩の辺りを見ていた。
「な、なっんですか。なんでさっきから無視するんですか! もうほんとうに無視するなんてひどいじゃないですかそれでも僕の保護者なんですかそれならちゃんと娘の面倒くらいみたらどうですか僕だってずっと待っててさびしかったんですからねふんっいいですよどうせ僕のことなんか忘れて綺麗な事務員さんといっしょに夜を明かしたんでしょうしってるんですよさいきん会議だ会議だっていってもそれべつに先生の専門の方面じゃなくてよくわからない秘密会議で中では何やってるかわかったものじゃないってこともなんでそんなことのために僕がわりをくうんですかちゃんとかまってくださいよ!」
獨景はそれを聞き終わると、淹れ終えたコーヒーをひとくち啜り、
「下品な子はうちにはいらないぜ?」
と平然と言った。
言われた声の主――小さな少女は、
「むき~~~~~~~~~!!」
と怒って拳を握りしめて地団太を踏んだ。
見たところ中学生にはまだ進んでいないだろう。
小学生高学年ほどのその少女はさすがに上気した頬をしていたが、どこか生命感のないほどに整った顔立ちをしており、まるでそう、完成されたなめらかなプラスチック人形のような肌と髪をしていた。私立小学校の制服らしい白いシャツと紺の釣りスカートの上から、大きめの白衣をコートのように纏っていた(なぜそれを脱がないのだ、と獨景は思った)。
彼女の髪は白みがかった艶のあるボブカットだったが、故障したインクジェットプリンタで印刷したように何かがズレたような複雑なモザイク状の色味をしていた。全体としては皮をつるりと剥いた玉葱のようであり、玉蜀黍の雌しべのようでもあり、また幼虫から脱皮したばかりの美しい皚い蝉のように、湿ったような、やや緑がかったような白をしていた。その植物の肉質のような、あるいは色づくまえの幼虫ような髪をした少女は(瞳も同じ色だ)、幼い外見に反してソ連とスロバキアの高等教育機関を跳び級で修了した電子演算機関サイエンスの修士だった。
女性が自らの事を《僕》と言い表すのは、明治期から続くエリート意識表象のひとつである。とはいえ、彼女は日本に帰国後はこの積層学園都市に住みながら、名古屋市の私立小学校に編入して無邪気に通っている。周りの子どもたちは、彼女が何者であるか何も知らない。学校での諍いもなく、獨景がこうして普段放っておいても、休まず小学生していた。
獨景は、彼女を見るとつい思い出してしまう一節がある――身体というのは、物理的、生物学的、心理的、社会的、言語的なものでありうる。そうしたありようはつねに諸々の身体ないし資料体である――彼女は獨景の娘ではなく、まして血縁ですらない。彼女は行政特区名古屋市から獨景が借り受けている、「義理の娘」なのだった。
獨景がそうして思案しながらコーヒーを飲んでいると、やっと落ち着いた少女――冬目 橘杯がまた話し掛けてきた。
「入ってくるとき、何をニヤニヤしてたんです? 今度はなんです」
獨景はまたニヤリとして、
「いやなに……意外とこの世も面白いことが、今時分わかったところでね」
と返した。
長テーブルに腰かけていた冬目がふくれて、
「悪かったですねー、おもしろくて」
とそっぽを向いた。
獨景は笑って、
「さっきの会議でのことだよ」
というと、
「会議…………長かったですね?」
と冬目が噛み付いた。とはいっても、今度は目が笑っている。
妥協して25℃設定にされたエアコンの風が、部屋にある唯一の観葉植物(ベンジャミントピアリー)の葉を揺らし始めていた。
そこに、声が響く。機械音らしい別の声だ。
『マスター……またこの人?』
「なにか問題が? アイ」
とそれに答えた獨景の瞳が、肉食獣のタペタムのようにうっすらと光を反射したのを橘杯は見逃さなかった。学園都市が独自に開発している特種コンタクトレンズだ。外部からの光刺激によって微弱に発電し、効率のよい発光素子によって網膜に電子構築された虚像を結ぶ。いってみれば最新の「拡張現実」技術だ。
「まだそんな趣味の悪い人工知性を連れてるのですか……不快です」
いまや橘杯は、獨景の行動の不自然さに思い当たっていた。
《i-BARUMMAH》だ。
獨景が独自に開発を進めている汎用人型人工知性だ。
その電子虚像は森の妖精のような大きさで、実際に妖精のような見た目を設計されている。
『何かいった? この冷血女』
橘杯の「不快」呼ばわりに、獨景の左肩からの声が響く。
姿の見えない妖精は、しかし獨景には視えているのだ。
「何ですか? このポンコツ知性」
憎むべきはこの妖精である、と橘杯は判断した。
声を発したのはこちらに声をきかせるためだ。ふたりでやり取りするだけなら、超音波による指向性伝達でよいはずだ。わざわざ拡散性音源に切り替えたのは、あの意地のわるい人工知性の嗜好にちがいなかった。誇示しているのだ、獨景との状態を。
「先生、何でまだそいつを連れまわしているんですか! 僕を連れまわせばいいじゃないですか!」
机に腰かけて両手でその表面をコツコツと叩く音は、本物のキツツキが響かせているようだった。獨景の白衣は電荷イオンによって伸縮する合成筋肉状繊維が折り込まれており、アルゴリズムによって仮想形成されている《i-BARUMMAH》の重さや仕草を皮膚上に感じられるようにできる着られる演算筐体の一種だった。
このように、現実の中に電子仮想された虚像体を重ねるように共存させた状態を《積層現実》と呼ぶ。この地は物理的に積層された都市であるが、かつそこには時折、虚像が重ねられてもいるのだった。
「バベル」の語源は「神々の門」だという。
入れ子式の神は内部に妖精さえも孕みつつ、人間を神の国へと導くのだろうか。
「……会議の音声や視覚情報を自動で保存してくれるし、バックアップも自立してやってくれるからな。お前じゃ、そもそも会議室に入れないし……」
獨景は、橘杯の言葉に律義に答えたが、橘杯は聞かずに研究室のスチール棚から開封前の特種コンタクトレンズを引っ張り出すと、問答無用でパックを破り、自分の眼に装着した。眩暈にも似た感覚とともに世界のピントが入れ換わり、獨景の左肩にしがみつく妖精が像を結ぶ。
燃える焔のような髪。
サファイアのような瞳。
不敵な笑み、勝ち誇ったような口もと。
憎たらしい妖精だった。
橘杯は《i-BARUMMAH》に近寄り、睨み付けた。
本当は掴みかかりたかったが、彼女では妖精に触れられないのだった。
「――私だが?」
不意に、獨景の声が響いた。
いがみ合う少女たちをとくに気にすることなくコーヒーを飲み終えた獨景の携帯式電通筐体が着信したのだった。少女たちは「ん?」と動きを止める。
「……ほぅ? 邪魔が入った? それは……」
獨景は、少女たちにはうかがい知れない通話に相づちを打ちながら驚いたように瞬きし、嬉しそうに眼を細めた。彼は笑い声を抑えるようにして、
「……それは、実に、おもしろいな」
と言った。
身体というのは、物理的、生物学的、心理的、社会的、言語的なものでありうる。そうしたありようはつねに諸々の身体(corps)ないし資料体(corpus)である。
――ジル・ドゥルーズ & クレール・パルネ『ディアローグ』
(江川隆男・増田靖彦訳、河出文庫、2011年)より。
フランスでの初版は1977年です。