16 / - 14 名古屋市 ⇒ 東春日井郡市 case.α
気を失った冬目橘杯を抱きかかえて、Fiza-Laはその場にしばらく蹲っていた。
ふたりの少女に怪我はない。
周囲は地層ごと蒸発し、何もかも消滅している。
空気さえない。
あと数秒ほどすれば、彼方からこの真空に吸い上げられた大気のため、上空には巨大なキノコ雲が形成されることになるだろう。
そんな過酷な状況の只中で、少女たちだけが無傷だった。
Fiza-Laの周囲は、不可知のフィールドが展開されていた。
超重力作用によるフィールドだった。
彼女の脳髄――意識の座を執っている特異点――で精密に制御された力場を利用した、見えない膜状の壁――ソリトン化された重力子が事象的地平面を超えて、物質に作用している――は光も熱も放射線も外部から遮断し切り、危ういほどに壊れやすい蛋白質を内部に守り続けていた。
Fiza-Laは何もかもが終わったあとで、ようやく目を見開いた。
「………………」
米帝の放った、核弾頭の炸裂だったのかもしれない。
彼女はそっと振り返る。
そこには彼女のフィールドに守られた、もうひとりの少女が横たわっていた。
咲眞樹禰――自分たちを助けてくれた少年の姉らしかった。
それが上空数百メートルで炸裂する少し前、樹禰とFiza-Laはお互いに向って攻撃を放ち、その攻防は一進一退を繰り返していた。
といっても、戦いが終わらなかったのは樹禰がとどめをさそうとしなかったからに過ぎない。それはFiza-Laにもわかっていた。
自分と樹禰の能力は、ほぼ同じ仕組みで動いている。
でも、その出力の差は歴然としていた。
樹禰の使用できるエネルギー量が原子力発電所並みなら、Fiza-Laのそれはバイク用のバッテリー数個分にすぎないだろう。それくらいには違っている。
ということは、おそらく目の前に迫っている紅い和服の少女こそ、この自分にとってオリジナル存在にほかならないということになる。そんなものが存在するはずはないと考えられていた、超古代文明の後裔に違いなかった。
Fiza-Laは、トーメを抱きかかえたまま横に跳ぶ。
その動きに、樹禰は難なくついて来る。
E =M C ^2
アインシュタインが導き出した、子どもにも理解できるシンプルな数式。
――エネルギーは質量に変換できる。
Fiza-Laの意識を生成している特異点――ここでは仮にアナスタシア・ブラックホールとでも呼ぶことにしよう――の莫大な、太陽さえ超えるその過剰な重力エネルギーを、彼女は、鋼鉄の刃に変換し、フィールドの表面から射出していた。
「――来るなッ!」
そんな叫びとともに、1秒間に数千発単位で放たれる鉄鋼の雨は、ほぼ精確に樹禰を捉えている。その雨を払いもせずに受け止めながら、彼女は近づいて来る。
「そう、そうか、なるほどね」
ぶつぶつと、彼女は相槌を打っていた。
Fiza-Laのことを無視して、別の場所のことを視ているに違いない。
「無視…………くッ………………」
数千発の鋼鉄の雨は、樹禰が展開しているらしい不可知のフィールドに触れると吸い込まれるように姿を消した。
エネルギーを熱に変換して溶かしているのかとも思ったが、そうでないなら質量をエネルギーに再変換しているのだろうか。跡形もなく消失していく自らの体力を見せられて、Fiza-Laの焦燥と苛立ちは増していくばかりだった。
(………………無駄なのか? …………逃げた方が賢明なのか? …………わからない、何も…………)
彼女は頭痛を抑えるときのように、前頭に右手を押し当てる。
親指でこめかみを、額の中心あたりに人差し指と中指をぐりぐりと押し込む。
人工的に合成された意識であっても、それを支えているのはこの少女を形作る血と肉に他ならない。神経系は近づいて来る敵のことが怖いのか、徐々に呼吸が早くなり、息が上がっていく。
いつの間にか、脚が震え出していた。
「あの、アナスタシア……さん……」
背後から、遠慮がちな声が聞こえてきた。
「な、なん、ですか? あなたはじっとしてくれてさえいれば、それで――」
必死に身体の震えを抑え付けながら、背後に硬い表情を向ける。
「あのさ、出力を上げようとか考えている?」
「え?」
不意に図星を突かれ、うっと彼女は言葉に詰まった。
「いや、でもですよ? プランクスケールに近いエネルギーで粒子ビームを撃ちこめば、やつのソリトンは乱雑な重力波に崩壊して、重力子変換の仕組み自体が量子的に崩壊するはず、ですね……?」
自分で納得しようとしているためか、Fiza-Laはつい早口になる。
「ダメだよ。たぶん、向こうの方が出力は高いんだ。瞬間的にも押し切れないし、すぐ修正される」
「で、でもじゃあどうしたら……」
「落ち着いて……Fiza-La、さん? エネルギー量で競っても、絶対に勝ち目はないんだ。量子重力の非摂動効果でしょう? なら樹禰さんのソリトンと同じ振幅で、完全に逆位相の重力ソリトンを生成して、衝突させるというのはどう? ジェット機のパイロット用ヘッドセットに搭載されてるっていう、音響ノイズキャンセリングみたいにさ――」
「あぁ――非線形干渉……! それ、照射するっていうのですか?」
「いや、そうだね。それでもいいけど、量子重力どうしを直接干渉させた方が確実だ。干渉が成功したら、フィールドは対消滅するわけだけど、その瞬間に何か攻撃できない?」
「むむむ……素手でも、この躰ならそうとうな凶器になりえますが……」
「いざとなったらボクも殴るし……」
「トーメさんが? それはちょっと――」
Fiza-Laの目が、すっと細まった。
「ちょっと、見てみたい」
Fiza-Laはフィールド表面から射出していた鋼鉄の雨を止ませると、カラテかなにかのような構えをとった。白いワンピースを着た小さなブロンドの少女がそうしていると、なんだか可笑しかった。
「行きます。ついてきてくださいますね?」
「え?」
Fiza-Laは、言うやいなや、樹禰にむかって全速力で走り始めた。
あわてて、冬目も後を追った。
何かを察して立ち止まった樹禰に向かって、量子重力子フィールドを全開にしたFiza-Laが突っ込んでいく。人の認知機構では不可知なフィールドがおそらくぶつかり合い、溶け合い、そして消えていったに違いなかった。
「や、やった!」
冬目が、力なくぐったりとFiza-Laに寄りかかっている樹禰を見て、そう叫んだ。駆け寄って、Fiza-Laの顔を覗き込む。
呆然としたFiza-Laの瞳が冬目を見つめ返した。
「な、何も、妾は何も……」
「えぇっと?」
困惑する冬目の目から逃れようとするように、Fiza-Laは背を向けて脱力している樹禰のことを地面の草の上に横たえた。
胸が上下しているから、呼吸が止まっているわけではない。
時折、ピクッと肩が震えている。
樹禰に手を触れて彼女を覗き込んでいたFiza-Laが、急に空を見上げた。頭上には雲ひとつない青空。遥か遠景では、巨大な入道雲が立ち上っているところだった。
「なっ――――」
ぼんやりとした印象だったFiza-Laの顔色が変わった。
必死の形相になって冬目の方を振り返ると、ぶつかるようにして覆い被さってきて、そして――。
そして、地面に彼女を押し倒した瞬間、頭上にはふたつめの太陽が生まれたかのようにそれは炸裂し、光と熱は地表に存在したあらゆるものを傷つけ、打ち砕き、焼き払い、潰滅させていた。




