16 / - 12 名古屋市 ⇒ 東春日井郡市 case.α
どこまでも続く白い全景がある。
なめらかな地面は透き通る白い素肌のようであり、遥か天頂まで澄んだ空も、磨かれ艶をかけられた磁器のように白い。
そして、両者には、ともに繋ぎ目と呼べるものがなかった。
すべてがひと続きだった。
天と地があるという以外、そこにはいかなる断絶も存在しない。
白いということは、そこには全景を照らす光があるということだが、光源は見当たらない。ただ、その全景はたしかに白く現前しており、どちらかといえば、白い闇が広がっているという方が正しいのかもしれなかった。
いわば、暗闇の陰画を映じているような。
その中央に、鮮やかな赤い着物の女が座していた。
咲眞樹禰だった。
長い髪が、白亜の地面へと放射状に広がっている。
白い世界に落とされた一滴の血の雫のように、モーツァルトの交響曲で一瞬だけ訪れるこの上ない静寂に、すべてのコントラバスの弦が切れたときの、ぴしんという唐突な鳴動のように。
閉ざされていた眼が啓かれる。
長い睫毛が震動えている。
「――――それでよいの……」
彼女の《意識の座》を司るブラックホールの事象の地平線全体が、超高速で情報を書き換え、放射として出力する演算デバイスとして機能している。
彼女の視覚野が、白い闇の中にいる自己を知覚している。
彼女にとって、物理的現実は取りうる存在態のうちのひとつに過ぎない。
月の内核部に納められているらしい彼女の副脳――量子ビット演算器たるブラックホールは、人類総員の脳が可能な情報処理累計を遥かに凌駕している。
「盤面は、悪くないところまで来ている、わけだけれど……」
彼女は、左手の指先を肩より上に捧げると、長い指が、綺麗に切りそろえられた前髪の下、すっと伸びる眉の上を、目尻の方に向かってゆっくりと擬った。
目を落とすと、本榧で出来た6つの盤が置かれている。
碁の盤と将棋の盤が入り混じって置かれている。
そのうちのひとつに王手が掛かっている。
むろん、かけているのは樹禰の方だ。
「詰めたか?」
しかし――と彼女は訝しむ。
本当に?
親友が彼を守護って死んだ。
そのとき、彼も気づいていなかっただろう。
寡鐘の中でつねに稼働していたあるものが止んだ
ほんの刹那。
それは、彼が異常にに強く持っていた認識への欲求が生んだものだった。
寡鐘は、外界の認識のための言葉――つまり母語とは別に、自らの内面を認識するための言葉を独自に生み出し、持っていた。
問題はこの、彼が内面を認識するために使用している言語だった。
ふつう、人間は母語を、内面の認識のためにも用いる。
それで事足りることがほとんどだ。
むしろ、それ以外を用いている場合には、外界との連絡の方に支障をきたす。現実と夢の区別が付かないか、現実を夢として生きることになる。
だが、寡鐘はそれを両立させて、社会のなかで生きていた。時おり視覚をその処理に奪われながらも、内なる言葉を育て続けた。
樹禰は、それが邪魔で邪魔でならなかった。
人間の認識を掌握するだけの計算資源を彼女は有している。
例えば五感を掌握しさえすれば、その魂を掌握したのとほとんど同義であるといってもいい。計算を簡略化するために、電子機器を通じて処理をビット化すれば複数の五感を正確無比に操作することもできる。
だが、弟である寡鐘に対しては、それをすることが叶わずにいた。
樹禰には、寡鐘のこの言語の解読を行うことができなかったからだ。
天文学的な計算資源を有するこの彼女が。
寡鐘だけが用いるその言語は、表音されることはないが、脳の電位差によって操作されていることだけは間違いない。
だから樹禰は、その脳電位の変化を拾ってはそれをテキストだと考え、語と語の関係性のパターンを明らかにするために分析を始めた。
ずっと昔のことだ。
寝ている幼い弟のひたいに自分のひたいをゴツンと押し当て、眼をつむる。
あとは朝まで、そうして彼の夢を織り成しているらしい言葉を追い続けた。
例えばある語とある語は一方が現れるときには他方も必ず現れることはわかる。また別のある語とある語は、形容詞がなくても名詞が文中に現れることができるのと同様に単独でも登場しうる。この場合、カテゴリは別になるだろう。
表現されることのない言葉を区分し、文法を予測した。
だが、その解読は無理かもしれないとすぐに気づいた。
現実の言語を模倣する必要がないのだから、その言語が取りうる法則性はそれを生み出した者の精神活動に依存する。自分だけしか使用しない言語なのだから、どれだけ省略しようとも、どれだけ音便化しようとも機能しないはずはない。
というか、それがどうやら名詞らしいとしてもどんな意味を持つのかはわからないし、ひとつの語がひとつの意味に対応しているのかさえ怪しい。
動詞らしいとしても、それは物理的現実における動作を示している必要はないのだから、語の順序が法則化できたとしても、その順序が何を意味しようとしているのかは明らかにできなかった。
しかもというべきか、寡鐘の場合にはそれらの言語は文字通りの意味で使用されるだけではなく、どうやら、多分に暗黙の意味でも用いられているようだった。つまり高度な比喩や擬音ないし擬態語が存在し、使用されるたびに刻一刻と新たな語彙を生み出し、指示内容を変容させ、複雑化していた。
こうした内部に巡らされている言葉――つまり行為を媒介せず、かつジョン・オースティンのいう発話内行為のようではなく、行為および心理を独自に解釈するためにのみ作動している内言的言語行為――が、そのまま、寡鐘にとって樹禰に対する天然の言語障壁として機能していた。
文学性の言語態防壁――だと彼女は考える。
すべてを視覚によって取り扱う彼女からすれば、それは実に歯痒く、恨めしいことに違いなかった。
そこで、彼女は一計を案じた。
寡鐘は、闘う際にはその身体電位を《鬼》である瑞輝と共有する必要がある。日本列島に生き残っていた古代文明の生き残りらしい巨大な蜈蚣型の知的生物は、なぜか人間の身体を的確に覆い隠す形状に変容することができた。
それが何を意味するのか、樹禰は知らない。
だが、先ほど盤面のひとつである柳條香流から得た知見からすれば――名古屋市の下には巨大な白い兵器が埋まっている――かつて存在した超文明の遺物であるに違いないと思うのだった。それは瑞輝たち《鬼》もそうであるし、おそらくは自分と弟の一族もまたそうなのであろうと。
それにしても、『今昔物語集』巻二六「加賀国諍蛇蜈島行人助蛇住島語」に始まり、室町期の『日光山縁起』、寛永年間の『俵藤太物語』など、蛇と蜈蚣が争い、そして人間が蛇の側に付く物語はあっても、その逆はほとんど存在しない。
巨大な蜈蚣が《鬼》の伝承を生み出したのであれば、それも頷けようか。
もちろん仏教的には蜈蚣は毘沙門天の使いで、しかも蚕を食べる鼠を蜈蚣は喰うことで追い払うから、深山では蜈蚣は養蚕の神として祀られることもあるという。
なら、蚕と蜈蚣には役に立ってもらおうじゃない?
樹禰は、そう考えた。
あの邪魔な言語防壁を、仲の良いそのふたりによって解いてもらうのだ。
とにかく、一瞬でもいい。
内言的言語行為の作動がほんの僅かな間でも停止してくれさえすれば、あとは、他の人間と手順はいっしょなのだから。あとは瑞輝の演算器官と神経接続を利用して、寡鐘の文学性防壁の発生自体を抑え込み、無防備な魂を掌握できる。
寡鐘の神経系にたびたび触れて意思疎通している瑞輝であれば、完全な翻訳は不可能でも、ある程度の意訳で彼の内的言語を翻訳できると樹禰は読んでいた。
すべては、特異点の中でひとつになるために。
そのためには、外界に彼の意識を繋ぎとめるだけの事象を引き起こす、その必要があったのである。




