16 / - 11 名古屋市 ⇒ 東春日井郡市 case.α
山肌を削るように切り立った、乳白色の山骨を覗かせた八蘇山の中腹では、熱を帯びた煙がまだ立ち込めていた。
多脚戦車どもの残骸が横たわり、黒く焼け焦げた鉄臭を吐き出している。
靑騎士はすでに沈黙していた。
そしてそれに立ち塞がった不格好な旧式の參式陸上脚装車――金剛蔵王権現もまた、完全に沈黙している。
閘堂寡鐘は、自らを助けたらしいその蔵王にむかって、強化外骨格の重みを全身に感じつつ、警戒しながら近づいていった。外骨格が黒みがかった光沢を放つ様は、甲冑というよりも、モノクロのネガ・フィルムが体表を絶えず巡ってでもいるかのように見えた。
それ自体が、感情の変化を映しているかのような。
彼の視線は、自然、蔵王の操縦席があるらしい場所に向けられた。
小さなハッチの内側から、青白い腕が突き出している。
もがきながら、やがて肩が見え、長い髪が見えた。
操縦者が這い出そうとしているのだ、と寡鐘は思った。
服はほとんど襤褸切れになっており、半裸といってよかった。
少年なのか、体格は大変か細い。
寡鐘は息を呑んだ。
長い髪の下にあるのは、知っている顔だった。
普段、高校で顔を合わせている少年――羽田野恭介だ――そう思った。
やっとのことで這い出してきた彼は、両手で地面を掴み、這うようにして腰から下をコクピットから抜き出した。
寡鐘はつい、駆け寄った。
その音に少年は顔を上げ、寡鐘と目が合った。
だが、その瞳は焦点を結んでいないようだった。
切り立った崖から渓流を覗くような気分にさせる、底光りする、しかし荒涼とした目だった。
しかし、なぜか唇の端がわずかに上がる。
ホッとしたような、穏やかな表情だった。
寡鐘は彼の前に膝をついた。
「大丈夫か。恭介? 聞こえるか……」
恭介は答えない。
代わりに、首をゆっくりと傾けた。
応答というより、むしろ、遠くの音を聞こうとしているようだった。
寡鐘は手を伸ばす。
外骨格の手のひらで、恭介の肩に触れる。
冷たい、体温がほとんどない――と寡鐘の神経系に接続された外骨格である瑞輝の神経電位が伝える。
「何やってんだ? 助けてくれたのかよ?」
羽田野は、小さく頷いたように見えた。
いや、それは頷きではなく、ただの痙攣なのかもしれなかった。
だがその仕草から感じた微かな意志が、寡鐘の胸を息苦しくさせた。
羽田野の目から、黄色い液体が一滴落ちた。
あまりに自然だったので、最初は涙かと思ったほどだった。
だが、それには粘り気があり、透明ではなく、黄色く濁っている。
液体は硬く粘度が高いのか、頬を伝うがなかなか滴り落ちなかった。
左目からも右目からも、次々にその硬い涙は零れ落ちた。
寡鐘は、凍りついて見ていた。
目尻だけでなく、耳の穴からさえ、じわりとそれは滲み出ていた。
耳朶を伝い、首筋を濡らしていく。
だが恭介は、ただ静かに微笑んでいる。
そして、唇を開いた。
何かを言おうとして、口を開けたようだった。
息が漏れる。
だが、声にも言葉にもならない。
ただ、かすれた吐息だけが微かに聞こえた。
不意に、恭介が嘔吐いた。
びしゃりと、口から濃い黄色の液体が、勢いよく地面に吐き出されて広がった。
目から出たものよりも重く、ドロリとした塊だった。
寡鐘は、その液体の中に何か動いているものがあることに気づく。
寡鐘は目を凝らした。
細く、しかし節くれだった身体が液体の中をのたうっている。
白く、柔らかく蠢くそれは、数十匹はその中にいるようだった。
「これは、蚕? の幼虫、か……? 何で……」
吐瀉物の中には、液体にまみれながら這いずり回る幼虫が、無数に這いまわっていた。
空気を求めているのか、必死に身をよじっている。
寡鐘は吐き気を覚えたが、瑞輝の電位操作によりその反応を抑え込む。
胃を締めつけられながら、目を逸らすまいと膝をつき、親友の頬に両手で触れる。
恭介は、やはり微笑んでいる。
瞳は虚ろだが、口元は柔らかく、穏やかだった。
何かを、ようやく終わらせたような表情なのかもしれなかった。
「恭介……なんで……」
寡鐘は囁いた。
声が震えていた。
羽田野の身体が、ゆっくりと傾いた。
肩が落ち、膝が折れた。
地面に崩れ落ちる前に、閘堂は腕を回した。
外骨格の重い腕で、親友を抱きとめる。
軽い。
あまりに軽い。
まるで、殻だけが残ったような軽さだった。
羽田野の呼吸は、いつの間にか止まっていた。
寡鐘は知るよしもなかったが、金剛蔵王の操縦方式は、蚕の遺伝子を基にした血清を体内に打ち込むことで、脳細胞を蚕の神経細胞と癒合させ、全身の神経線維を繭様の繊維生体ユニットに置き換える様式だった。
意思を半ば奪い、機体の制御機構と一体化させる。
機体の状況を快と苦痛によって感知し、感情回路と連動して姿勢制御を行う。
人間の体は、ただの伝達装置と化すことで、痛みも感情も、すべて機体に吸い憑くされる。
ひとつ確かなことは、恭介が彼を守るために自分というものを棄てたということだった。
外骨格の手のひらが、羽田野の背中を撫でた。
もう、温もりはない。
黄色い液体が、外殻を濡らす。
蚕の幼虫たちは、それでもまだ、ゆっくりと動きつづけている。
風が吹いた。崖の上から、木々がざわめく。
煙が薄れ、徐々に強烈さを帯びてきた朝日が、焦土を消毒するかのように白い光に染めていく。
ただ、静かに、親友の亡骸を抱きしめる。
異常な悲しみが、胸を満たした。
友の亡骸を抱きながら、寡鐘はふと思う。
蜈蚣は交尾の際に肌を合わせることはないが、きっと、そういう場面が存在するとすれば、それはこんな風に違いないだろう、という風に。




