16 / - 10 名古屋市 × 東春日井郡市 case.β
カプセルを思わせる複合積層都市の外殻を、リフトは、速足の子犬くらいの速度のまま下降を続けていた。
「あなた、朝目覚めるとき、最初に見えるものって何かしら?」
唐突とも思える低いささやきが、黒いケープ状の外套をまとった、特殊部隊装備の香流の口元からこぼれた。
「うん? 天井かな」
獨景は、その問いに素直に答える。
「ふむ……そうよね。そう、ヒトが目覚めるときに最初に眼差すものが、その者の、意識の座を推測するための、最も大雑把な指標になるとすれば、だけれど」
その奇妙とも思える問いかけに、獨景は視線を眼下に広がる景色から、隣に立つ軍装の少女の方に向けた。
もちろん、目元を覆う軍用電子バイザーのせいで表情はほとんど読み取れない。
だが、何となく、気配のようなものを彼は感じていた。
普段の香流中尉から懸け離れた言動に戸惑う気持ちや心配もないではなかったが、これまで長い時間をかけて向き合ってきた自らの研究対象の原型が、おそらく香流の身体を通じて接触してきたのだと考えると、彼は、そのことの方がうれしくてたまらなかった。
香流の奥から獨景に向けられた視線が、途端に強さを増して彼の方に向けられたような気がした。
「もし、そういうものが理解の手助けになるのなら、そう、そうね――私の《眼》は、朝目覚めたとき、いつも地球の遠景からはじまる。淡い青色の地球。私は振り向く。そこには眩しい太陽か、あるいは無限の闇だけが広がっている」
とっさには、意味が掴みかねた。
獨景はその情景を、脳裏に思い浮かべながら「ふむ……」と応える。
傍らの少女は続ける。
「月――私の意識の《座》は、おそらくそこにある」
「待ってくれ……」
意味が分からない。
反射的にそう言ってしまいそうになる。
もちろん、意味はわかる。
意識の座としてこちらが言及したものは、ひとつしかない。
つまり、こういうことになる。
「――あの天体の中には特異点が存在している、と?」
つい瞬きも忘れて、少女の気配に問いかける。
口元をななめにして、少女は答えた。
「あなたのような人がそう考えるなら、そうなのでしょうね」
獨景は頭を抱えそうになる。
「いや、月の人口天体説は昔から出ていたものではあるんだが……地球大の惑星が持つ衛星にしては大きすぎるとね。しかしな、実際に言われてみると……」
実に、馬鹿げた話のように思えた。
もちろん、実際に単なる馬鹿げた推測のようにも思える。
だがそれに言及したのが、目の前にいる超常的な存在であることを考えると、何というか、そうかもしれないという気持ちが湧いてくることも確かだった。
動揺を気取られないために、獨景は会話を続けようと口を開く。
「では、君の願いとは、その双子の弟の意識の《座》を、僕ら人間がそうであるところの大脳の微小管から、その月の特異点に移行させること――つまり、月の特異点における意識の《座》を、譲ることなのか?」
何を言っているのか、自分でもよくわからなかった。
そんなことが可能なのか、というよりも、そんなことをして何になるのかという疑問の方が大きいと感じていた。
それは、この世界の命運を掛けた願いだと言ってよかった。
獨景自身、様々な計画を立案する際に、世界を壊すことの重みをいったんは考えざるを得なかった。国家は解体され、権威は失墜し、人々の日常は混迷する。惑星はあるべき法則から外れ、多くの生態系さえ影響を受けるだろう。
そして白鳥は――おそらくひとつではない。
物思いに沈みそうになっていた獨景の耳に、きっぱりとした否定の返答が飛び込んできた。
「いいえ、違うわ」
言ったでしょう?
とでも言いたげな、呆れているような、出来の悪い生徒をたしなめるような表情になって、彼女は、獨景にピンと立てた人差し指を突きつけた。
「願いは、弟とひとつになることよ」
理解できない、というように、少女の人差し指の先端から逃れて身体を逸らせながら、獨景は、片方の眉をちょっと吊り上げながら訊ねた。
「特異点を介して?」
なぜ、わざわざそんなことを? という声色だった。
だが、今度は樹禰が理解できない、というような表情になる。
「介して?」
ロマンスを解しない無粋さを軽蔑するかのように、彼女は獨景からの疑問の言葉を、そのままの形で問いかけ返していた。
そして、すぐに言葉を続ける。
「いいえ……」
地震のように、リフトの床が揺れた。
「特異点の中で」




