16 / - 9 名古屋市 × 東春日井郡市 case.β
朝廷のために列島各地を平定した日本武尊は、死した後、その柩から白い鳥の姿となって飛び立ったと伝承されている。
例えば『古事記』には、
於是化 八尋白智鳥。翔天而〔…〕然亦自其地更翔天以飛行。
とある。
死せる日本武尊の魂が変じたという白鳥は、古事記では列島の各地に降り立ったことは記されているものの、それが、最終的に何処に降り立ったのかは、はっきりと語られてはいない。
ただ、民間伝承のレベルではその地は、尾張――名古屋市の熱田であると伝えられてきた。『尾張国熱田太神宮縁起』にはもちろんのこと、琵琶法師の語り伝えた『平家物語』の「剣の巻」にも、次のごとく明言されている。
日本武尊は、白鳥にて飛び落ち給ひて、神になる。
今の熱田太明神是なり。
「――この、ヤマトタケルが変じたという白い鳥は、非常に巨大であるという意味から、古事記では八尋ある白智鳥と呼ばれているが、それが古代、この都市の下に眠っている、全体が白い金属様の巨大な物体のことを指していたらしい」
遥か下の地面から吹き上げてくる強い風に白衣をはためかせながら、総矢獨景は背後の柳條香流の方を振り返る。朝日が照り返した黒い軍用バイザーに覆われた伏せ顔からは、彼女の明確な感情を読み取ることはできない。
遮るもののない陽光が、野外昇降機に乗って都市の外壁レーンを歩くようなゆっくりとした速度で降下していく二人のことを照らしていた。
二人が背後を振り返れば、そこには透明度を調節可能な外殻パネルごしに、光ファイバ建材を透過して夕日のように赤みを帯びた太陽光線が、階層ごとに林立する高層ビル群の街並みを、淡く照らしているさまを見下ろせるだろう。
この巨大な複合積層都市の外殻を貫いているそれは、第0層から地下にかけて敷設されているリフトのなかで、唯一非公式に装備されている直通経路であった。故に、この移動は張り巡らされた都市電網には痕跡が残らない。
「ふぅん、なるほどねぇ……でも尾張という国名って確か、八岐大蛇の尾を割って――裂いて出てきた草薙剣を、日本武尊が自分を助けてくれた惚れた女性にと、置いて行ったところからの名付けでしょう? 最後、彼の魂がそこに帰って眠ったという結末は、真実かはともかくとして、物語として理解のしやすい結末であった、というだけのことじゃないのかしら? だって、『日本書紀』では朝廷のある奈良に帰ったことになってなかったかしら?」
「たしかにそうかもしれないが、しかしそういう考え方は、古代人の創造性を軽んじた発想を導きがちであると僕は思うけれどね。事実、それが真実彼なのかどうかはともかくとして、白鳥が見つかったのはこの地だったのだから」
獨景はそう言いながら、強烈さを湛え始めている夏の日差しに目を細める。
「ヤマトタケルや彼の武功と結び付けられて伝承されてきたことを考えれば、この白鳥は、兵器として使用できるような用途であった、と考えた方が自然だと思う。それはともかくとして、だ――」
手を眉のあたりに翳し、獨景は刺々しい光の針を遮った。
隣で無表情に立つ香流の、目元を隠すバイザーをうらやましく眺めると、いまだに半信半疑だとでもいうように、やや戸惑いを感じさせる声で獨景は言った。
「外部から計測した数値からすれば、おそらく、内部に特異点を有している」
地震のように、リフトの床が揺れた。
落下事故に備えて数十メートルごとに設置されている仮停止緩衝器に到達したらしい。リフトは水平方向に滑り出し、次の縦移動レーンに向かっていく。
カーブした都市の外殻を横方向に曲線移動するにつれて、正面から射していた強い日の光から解放される。同時に、さっきとはまったく違う方向から風が吹き込んでくる。バタバタと、黒いケープ状の外套が香流の肩の上ではためいた。
獨景は風に頬をなぶられたのが不快だったのか、右手を口元に当てて、両頬を指の腹でなぞりながら、指を顎の方にすべらせた。
「特異点は、非常に高いエネルギー準位を有するが、計算資源として応用することもできる――」
顎に指の腹を添えたままで、獨景は少し顔をしかめた。
「君たちの複製を、その機能も含めてどのように行うのかを模索するなかで――むしろアメリカ連邦ではこちらの利用方法が模索された。
余剰次元方向に存在する制御された特異点の、そのシュバルツシルト面に特殊なエキゾチック粒子マスキングを施すことで、ヒト脳の活動電位をエミュレートさせる。この余次元粒子の働きを、この時空間における質量を有した粒子の運動と整合的に連動させることができれば、見かけ上、特異点の莫大な情報ポテンシャルを思考およびデジタル演算に利用できる超人が誕生する。活動を停止したヒトの脳に、その仮想粒子構造態を合成することで、ね……」
「まるでゾンビィねぇ……死んだヒトの身体を、特異点をつかって蘇らせる研究って言った方が分かりやすいくらいね?」
「そういう、ことになる。なかなかゾッとしない話だがね、この《合成人間》については、何件か成功例も報告されているのさ。
僕も、仕方なく似たような者を造ったことがある――とにかく、その者たちは、多重膜状の事象的地平面の向こう側、この宇宙ではないところに存在する特異点に、意識の《座》――感覚器からの諸情報を統合するための《意識》を司るための制御場を置いている」
「つまり?」
「この白鳥の特異点に、もし役割があったとすれば、それは単なる動力炉だというだけではなく、例えば操作者――もしこれを人間が操作できればだが――の意識の座を取ることで、意識と思考能力を神のような領域に拡張するための装置だったのではないか、と、僕には思えてならなかった」
「まぁ、楽しい想像だこと……」
「そう、そうだろうとも」
「なるほどねぇ。私には、弟がいるのだけど、彼のことを私と同じような存在にしたいと幼いころからずっと考えてきたわ。それで、その方法をいろいろ考えてきた。私の考えでは、この《視点》――あなたの言うところの《意識の座》ということになるのかしらね――を同期できれば、それは叶う気がしていた。手をいろいろと打ってきたつもりだけれど、そう――これって特異点の働きだったのね」
リフトが、またゆっくりと下降をはじめていた。
「弟さんは、いくつ違いなんだい? というか、義理なのかな?」
「双子なのよ――私のものにしたいの」
「……………………………………………………」
目をぱちくりさせて、獨景は少し黙った。
まだまだ青空が視界の多くを占めていた。リフトを稼働させる機械音と、風の音が混じりあっていた。




