16 / - 8 名古屋市 × 東春日井郡市 case.β
肉体が牢獄なら、牢獄でも結構。
しかし、なぜ牢獄がこんなに喉をかわかすのだろう。
――ゲーテ(1819)「酌童の巻」『東西詩集』
大山定一/訳(人文書院『ゲーテ全集 第1巻』1960.2)
「名乗れ……刺客にも名はあろう」
先ほど猫洞と名乗った黒服のガードマンが、刀に銃口近くを毀された大型の拳銃を放り棄てると、腰の鞘から日本刀を模した現代的な漆黒い刀身をすらりと引き抜きながら問いかけた。
その意味は、この世への置き土産として名乗って死ね、ということであろう。
そのことを分かっているのかいないのか、軍用バイザーで目元を覆った女は、
「――柳條香流」
と無機質な声で応じた。
「殊勝な――では、お相手願おう」
刹那、猫洞がとっさに脾腹へ薙いできた。
身をひらいていなす柳條。
すぐに無言で猫洞の真向へすっと入る。
「くっ」と反けぞりながら危うく受ける猫洞。
だが、攻めたことで出来た隙を見逃さず、仲間のガードマンが柳條の右側面へと素早く抜刀して回りこんだ。
尻目に見た彼女が、「後ろ!」となぜか叫んだため、回り込んできたガードマンは仲間の刺客が出たのかと驚いて、ついハッと振り返る。
途端に柳條は、身を沈めて渾身の力を込めて右手余りに充分に刀を払った。
「がぁっ」と横っ跳びに4、5メートルは吹っ飛んで、右のガードマンが斃れる。
足音もなくすっと寄ってくる猫洞。
「はぁっ!!」
と叫んで面へ打つかと見せながら、瞬時に逆に返えした逆袈裟の必殺剣!
どうして咄嗟に見破ったか、「ふっ」っと呼気だけを飛ばしバック・ステップで躱した柳條へと、さらに真っ向からのめってくる猫洞に、滑るようにパッと浴びせた上段のひと振り。
何のことはない。
鼻っ柱まで梨割りにされた猫洞は、ただただつんのめって傍らの大きな陶製の花器にどんと突き当たり、倒れて動かなくなる。
雨でもふってきたような流水の音が、しばらく部屋に響き、やがて止んだ。
花器に生けてあった、百合水仙に似るオレンジのアルストロメリアの花びらがはらり、はらりと剥がれて散ると、そのうちのいくつかが、床にできた液体の池に着水し、揺れて漂う。それを見て、生け花から何枚かの花弁を毟り取ると、柳條は刀に付いた血をそれを使って拭い落とした。
学園都市統合本部――内務枢軸局第1部第1課複合積層都市運用意思決定会議――すなわち、旧体制における市長および市議会権限を有する一団が、そこには集っていた。
むろん、過去形である。
部屋の中は死屍累々。
すでに生きている者は1名しか残されていない。
「閣下は寂しがり屋でいらっしゃる」
無感動な声色の柳條が、自決用の小拳銃をこめかみに当てている老年の男性に向けられた。彼は悲しげに溜息をついた。
「よもやこれほど即座に手を打たれるとは。帝国よりも早急とはな。いや何、所詮は一都市が国家を夢見たまでのこと。グルガ・ソヴィエトには叶うべくもないか。といっても、すでに日本という国も存在しないが……」
「英霊たちがお待ちでしょう」
宙を滑るような速度で近づいたかと思うと、男性が何か言い始めるのを待つことなく、背後から烈刀が白虹を描いて頸椎の上に落ちた。
ごとん、という音だけが響く。
「……………………」
律儀にも照明を消し、部屋の外に踏み出した柳條を待っていたのは、ここまで彼女が何もかも打ち壊した計画を立案した張本人、総矢獨景だった。
「君は――おそらく柳條香流中尉ではないな?」
白衣姿で後頭部を手で撫ぜつつ、彼は困ったようについっと片眉を上げた。
女は、唯一見えている口元を緩めると、
「何言ってるんですか? どこからどう見ても柳條ですよ?」
と柔らかな声で答えた。
これだけを聞けば、たしかにいつもの柳條と変わらない。
だが、もちろん普段の彼女なら先ほどまでのような不合理な裏切りをするはずはなかった。
「会議に遅れたので命拾いしたわけだが、それはそれ。君の電子バイザーに外部から膨大なデータ量のアクセスを検知している。解析不能なアプローチであることしかわからなかったが、いったい、いまの君はどうなっているんだろうね……。僕のことも殺すだけなのかな?」
予定にない暗殺を企て、いまも凶器を腰に下げている者と相対しているにしては、無防備すぎる出で立ちで彼は問いかけた。おそらく、自分を害することは避けるだろうという読みがそうさせているのだろうと思われた。
彼の口元に浮かぶ自然な笑みに、柳條はちょっと首をかしげて、
「ふぅん……あなたがこの都市の主というわけね? さっきの方々は執行役といったところかしら?」
とさっきとは打って変わって低い声で語り掛けてきた。
「ほぅ、話をしてくれるのか。これは幸いだな。歩きながらでもいいかな?」
彼は同意を待たずに背を向けた。
晴天の朝日が差し込んでいるガラス張りの長い廊下を、どこかにむかって歩き始める。
「《白衣の王》――とでも呼ぶべきかしらね?」
「お気遣いなく。それで、貴女は……?」
ちょっと肩越しに振り返りつつ、総矢は黒衣の柳條に宿ったとした思えない何者かについて訊ねる。
「私自身のことは私にもあまりわからないのよ。ただ、私はこの都市の下に眠っているもののことが知りたい。少しこの子を使って調べてみたけど、やっぱりこの下に何かあるわよね? 地下施設なんかは、そこから電力を得ているし」
「ほぅ……あれが目的か」
「ほかでもなくこの土地にこんな都市をつくったのは、やはり地下に何か埋まっているから?」
「そうだ、たしかにそう。君の身内と考えられる少年――少年だと思っているが実際はどうか知らないが――その子に、東春日井で遭遇したことがある。そのときにいろいろ彼には話して聴かせたことがあるがね、その時にも、そのことまでは話しちゃいなかったはずなんだがね……」
「べつに、そのときのことは私も聴かせてもらっていたから別に繰り返さなくってもいいけれど、そうよね。何の目的もなく、ただ単に好奇心だけで私たちの偽物なんか作るわけはないわけよね」
頭を掻きながら、総矢は黙っている。
「私も、私のこの力は何かのために維持されてきたのだと思っている。でも、それが何なのかはわからなかった。ただ、何かを制御するためにはこのくらいの力が必要とされたのだと想像することはあった」
「なるほど、本当に君たちはこれの当事者だったというわけか。だが、残念なことにね、君たちの代わりにそれを制御するはずの装置は、まだ十分には育っていないんだよ。統合本部を消してしまうのは早すぎたな。これじゃ、政局的にはもう動かないといけなくなるかもしれない。アメリカもソヴィエトも相手にするとなったら、本当にあれを目覚めさせる必要が出てくるかもしれない……」
だが――と彼は思う。
「そうなれば、この世界が終わることになるかもしれない」
「そう言いつつ」
と柳條の軍用バイザー越しに彼の口元の笑みを見た咲眞樹禰は、呆れにも似た感情を表して続けた。
「何だか、嬉しそうねぇ……」
彼は、否定も肯定もしなかった。




