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崑械のアイオーン  作者: gaia-73
第4章 幼女歴程
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15 / - 12 名古屋市 ⇒ 東春日井郡市 case.α


 冬目 橘杯(トーメ キツツキ)は、やわらかな朝日が目の前から消え、一瞬、自分が暗闇のなかに呑みこまれていたことを、その闇に白い裂け目が走ったことで知った。

 自分の目が裂けたのかと思った。だが、そのまま裂け目にむかって自分の身体が、吸い込まれるようにして風を切った。

 冬目は自分が誰かに抱えられているのを感じた。

 横抱きにされている。いわゆる、お姫さまだっこというやつだ。あまりにも素早く抱えられたので、まるで自分が突風にさらわれた羽毛になったみたいだった。

 裂け目――地下坑道を形作る岩石のひび割れが近づいてくるのを見つめながら、彼女は、自分を抱えている者の体温が感じられないことに気づく。重力と慣性法則によって、その冷たい誰かのほっそりとした腕の骨が、背筋と膝裏の肉を押し上げるのが感じられた。

 まるで死人の腕みたいだった。

 冬目の背中を腕で支えたままで手を伸ばし、彼女を横抱きにしたままの誰かは、てのひらを裂け目に向ける。空中で制動がかかる。急ブレーキのかかった車内で感じる前のめりになる感じ――でも同時に、裂け目がまたたくまに広がり、闇が光の射してくる向こう側にむかって崩落する。


(――――う、うわっ 落ちっ)


 冬目は自由落下の加速を感じて自分を抱えている誰かにしがみつく。視界は拓け、一面が緑の山肌と空の青色。下は見たくないけれど、どう考えても遥か下まで何もない。身を硬くしたのも束の間で、頭の方向がぐるんと逆転する。

 頭からの自由落下――気を失いかける。

 遠心力を感じて、また頭が上になる。

 空中で斜めに制動がかかる。


(――何か、避けてるみたい、な……?)


 落ちながら自分を抱えて、逃げてくれている。

 誰から? いや、それは、あのひと以外にあり得ない。着物を着て、地下道に現れたあのひと。地上に出られたと思ったのに、何がどうなってしまったのだろう。

 ほかの子たちは、瑠都(ルツ)さんはどうしたのだろう、磨天(マソラ)さんや涅逸見耶(ネヘミヤ)さんは。

 そこで気づく――その3人ではない。いま自分を抱え、中空に飛び出したのはそれら3人に比べてもあきらかに小柄だった。

 複雑な慣性の法則に逆らって、硬くちぢこまってしまっている首を巡らせようと動かす。少し後ろに視線を巡らす。背後を振り返るように。そのひとの顔を見ようとして。

 顔は、見えなかった。

 見ようとした途端、撃ち落されたのだ(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)と思う。

 顔を見られることを避けるために、背後の人物が姿勢を変えようとして、そして、攻撃を避けるため以外の動きが、回避行動に隙を生んだ。


「――そういうことだよね?」


 と冬目は静かな声で背後に語りかける。

 彼女を抱きかかえるようにして地面に転がっているそいつは、肯定とも否定ともつかない声を上げた。


「う、うぅ……」

 

 葉っぱや枝の破片が、ふたりの上から降ってくる。

 冬目は、頭にふりかかる木の屑がまぶたに触れたのを感じて、目を閉じた。

 数十メートルの落下にもかかわらず、ふたりにケガはない。


「助けてくれたんでしょ、ありがとう……」


 下敷きになっている少女のお腹の柔らかさに気づいて、冬目は慌てて地面の上に転がり、上半身を起こした。おしりを着いて、木の葉や枝を振り落とそうと頭を振る。髪にからみついて離れない塵は、手で払い落した。

 目をひらくと、木陰に朝日が遮られて薄暗かった。

 鬱蒼とした森の中だ。本来は人が踏み込めないような場所。2メートル半径くらいの地面がお椀状にくぼんでいる。地面も周囲は湿った土だったが、ふたりが墜ちた場所だけが、さらさらの砂のようなものに変わっていた。

 冬目は、ぼんやりと首を巡らせていたが、何かを感じて後ろをさっと振り返る。

 少女が立っていた。

 長いブロンドの髪が、ほこりひとつ寄せ付けずに滑らかだった。

 彼女は目を伏せていた。

 いつまでも顔を上げなかった。

 あわく光をたたえる髪が彼女の表情を隠していた。

 冬目は、彼女が自分を残してどこかに行ってしまうのかもしれない、と思った。


「アナスタシア、さん?」


 と冬目は呼びかける。

 少女の――アナスタシアの影がかすかに揺れたような気がした。

 置いていかれるのだとしても、「さよなら」だけは伝えたかった。


「あの、えっと――――」


 足が、震えていてなかなか立ち上がることができなかった。

 立ち上がってからも、膝を伸ばしてまっすぐに立つことができなかった。膝の少し上の筋肉の束を、てのひらでおもいきり握りこんでいないと、また、倒れこんでしまいそうだった

 息をするのが苦しかった。

 ぜぇぜぇと喘ぐ声が、他人ごとみたいに聞こえていた。

 みんなのことも、助けに行くの?――そう訊ねようとして、乾ききったくちびるに舌を這わせたとき、無表情なままのアナスタシアの方が、先に声を発していた。


「――アナスタシアは、本当の名前じゃないです。この身体が、生前にはそう呼ばれていた、ということに過ぎません。いま(わたし)は、Fiza-La(フィザ=ラ)と呼ばれています」


 彼女は、それだけを言ってしまうと、顎を上げ、空を見上げた。


「……逃げられるとは思えないです」


 首を巡らせ、警戒しているようだった。

 だが、その動きを停めて、すぐにうなだれたように下を向いてしまう。

 悲しんでいるように見えた。

 それにしても――と少女は言った。


「あなたには、正体を知られたくはなかった。妾は歴史の表舞台に現れたくなかった。あなたの行く末を、ただ傍で見届けられればいいだけのはずだったのに……」


 少女の声に混じって、電子楽器(テルミン)のような聞きなれない音が響き始めていた。

 音階を跨ぎながら、長く尾を引く音がいくつも響いていた。

 少女はゆっくりと冬目の前まで歩いてくると、背中を向け、しゃがんだ。


「乗って、下さい」


 感情の読めない声でFiza-La(フィザ=ラ)が呼び掛ける。


「攻撃されている――でも、あなたのことは(わたし)が守ります」


 冬目は、どうしていいのかわからなかった。でも、つい腿を握りしめていた力を抜いた途端に、もう少女の背中に倒れ掛かってしまった。もう、身体は限界を迎えていた。余力などなかった。


「それが何者なのか、何を仕掛けているのか、(わたし)の感知できる範囲しかわからないのだけれど、いま見せている力ですべてならば、問題ないと思います――」


 Fiza-La(フィザ=ラ)は、冬目が自分の首に腕を回したのを感じると、静かに森の中を走り始めた。小学生である冬目が整備されたタータン・グラウンドで思い切り走ったとしても、こんな速度は出せそうにない、というようなスピードが出ていた。しかも、ほとんど揺れていない。途中からは木の幹を足場にして、森の中を予想できないような複雑な軌道で飛び移りながら移動し始めた。

 振り落とされないのが不思議なくらいだった。


「―――うん、おもしろいね、あなた」


 背負われている冬目の視界の端に、何の前触れもなく、赫い着物に身を包んだ少女の姿が浮かび上がってきた。まるで、白装束に血の染みが広がるのを見ているみたいだった。


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