15 / - 9 名古屋市 ⇒ 東春日井郡市 case.α
隣の少女はよく喋った。
会話を途切れさせているのは隣に座る少年の方だった。
彼は思い悩むことが、呼吸よりも楽な人間だった。
会話のわずかな合間にも、思考は唐突に脱臼した。
思考はそれ自身に意思でもあるかのように外界の文脈を無視し、与えられた前提から派生する論理を自律的に形成していくようだった。
その間、彼の眼は単なるガラス玉となって、外界の形象は彼の意識にのぼることなく過ぎ去っていく。視界というものが、意識していなければ途切れてしまうものであることを、彼は日常的に思い知らざるを得ない生を過ごしていた。
人の視界というものが決して自然なものではなく、あくまで外界を意識したときにだけ立ち現れる陽炎でしかないということが、古典哲学的な仮定などではなく、もっとも強い生の実感であるということを、それは意味していた。
少年にとって世界はそのまま触れられない遠い、隔たったものだった。
意識という気まぐれな受容体を介在させなければ触れられないのだから、それも当然なのかもしれない、と彼は思う。
もちろん、意識の仲介が必要であるという点では、自らの内面とか自我とかいうものも、外界と同じくらい彼には遠く思えた。
本心、と言い換えてもいい。
それは視界とよく似ていた。
視界を理解するには、例えば見えたそれが犬であるとか、街路樹であるとかいった認識のための文法習得が必要だ。盲目の者がはじめて視界を得たとき、内容の理解どころではなく、雪崩れ込む情報の濁流をどう処理してよいかわからなかったというオリヴァー・サックスの聞き取り調査を彼は想起する。
外界を認識するには視界を分節化する言葉が必要なのだ。
同じように自らの本心や自我を認識するためにもまた、それを分節化する言葉を習得する必要がある。おそらく、と彼は思う。
おそらく、この二つの言葉――外界の認識のための言葉と、自らの内面を認識するための言葉は、同じ言語ではない。文法が違う。
どちらが第一言語となるかは明白で、もちろん外界認識の方なのであって、こちらはほぼそのまま他者とのコミュニケーションにも用いられる。
人には他者と共有しえない第二言語の習得が必要なのだ。おそらくはそうだ。
だが、この言語は便宜上、第一言語によって常に翻訳される必要を生じさせている、と彼は暫定的に判断する。
実際には翻訳されているのはほんの一部だろう。でなければ人の意識を形成している莫大な脳の処理自体がつねに意識化できていなくてはならないからだ。
そんなやつはいない――瞬間的に処理したものを意識できる速度で反復していたら、外界を認識する暇がなくなってしまう。
彼は視界が失われていたことに気付き、眼球を動かす。
じんわりと外界認識が戻り始める。まだトロッコは走り続けている。少女――冬目は寡鐘のことを遠慮がちに窺っていた。追跡対策のために電子ネットから切り離しておいた携帯端末の光で、ぼんやりと周囲が見える。
「……何の話をしていたっけ」
「いえ、特に内容のある話はしてなかったですけど。何、考えてるのかなって」
言われて、きっと何か重大なことでも考えているような表情をしていたのだと恥ずかしくなる。実際は何も考えていないのと同じことだ。現状を打開するような案が浮かんだわけでもない。
「冬目――くん? は、そう、人を擬人化して理解することについてどう思う?」
「人を、擬人化?」
いや、たしかにこの言い方ではわからないだろう。何を言っているんだ俺は。
「いや、違うな。人は自分の内面を意識するとき、それが人間的なものだと無意識で判断していると俺は思うんだが、それは正しいんだろうか。つまり、人は、自我というものを人間の存在様式、つまり身体だな。肉体、と呼んでもいいが、ここから無意識的に演繹してしまっていると思うんだよ。これは実際の肉体だけではなくて、他者の肉体イメージを自己にそのまま当てはめたものなのかもしれないんだが、表層の意識はたしかにこれで把握できるかもしれない。だが、深層意識、普段意識化されない深いところに沈んでいる自己のようなものを把握しようとするとき、それのことも表層意識と同じように肉体から規定された人間的なものとして想定してもいいものなんだろうか、擬人化と、さっき俺が表現したのはそういうことだったんだが――」
説明しながら、ああ、こんなことを言っても理解してはもらえないだろう、無視されてしまうだけだろうと考えていた。いきなりこんなことを言われて、雑談として受け止められる小学生など存在していないだろう、と俺は思った。
それは妥当な判断で、また長い沈黙が始まるだろうという俺の予想は、しかし彼女のなんでもないというような口調で返された言葉でどこかに飛んでしまった。
「ボクは、擬人化するしかないと考えています」
「え?」
「えっと、だってそれをボクたちが意識化するっていうことは、身体を持った自分自身と深層意識を連続体として再構築するっていうことでしょう? 意識の座が身体を存在の準拠枠としているなら、たとえそれが非人間的な異物だったとしても、自己の意識から眼差すことで同一化した時点で、すでに擬人化しないでおこうという意図とは関係なく、もはや擬人化されてしまっているのではないんでしょうか。あ、違うんですかね。それを所有概念によって把握するなら、自分の所有物をつい擬人化してしまうということに近くて、愛車に名前を付けたり、ペットに自己を投影したりしてしまうような。おそらくこれはごっこ遊びの延長のようなものですけど、意識から要請されていることでもあって、いや、違うな――これは倫理的な問題なのかもしれませんね。自らの深層を客体化する際に、つまり自らの内面を物や道具として扱うときに、それに主体たる意識を想定しなくてもよいのか、という発想でしょう? それは本来なら措定しなくてもいいはずの条件だと思います。さっきボクが擬人化するしかないとか言ったことは忘れてください。あれはあんまり考えずにしゃべってしまっていただけなので……」
そこまで言って、彼女は少し黙った。
「そ、」
それはどういう、と言いかけたのと、彼女が話し始めたのは同時だった。
「――――」
だがその声は寡鐘の耳に届くことはなかった。
盛大な水しぶきが、彼らを襲っていた。
「うぎゃっ」
トロッコが巨大な水溜りに突っ込んでいた。
水の壁に阻まれて、数秒でトロッコが停止する。弱い光の中で波紋が広がっていくのが見えた。漏れ出た地下水がレールをひたし、飲み込んでいる。
地面も少し凹んでいるのかもしれない。おそらく部分的な水没だと思われたが、端末のライトを調光して向けると、行く手は数十メートル先まで水に覆われている。何せ40年前の坑道だ。経年劣化していない方がおかしい。
「こりゃ、迂回するしかないな」
「歩くんですか?」
「そうなるな……」
とはいっても、経過した時間からしてすでに30キロ程度は移動している。しかも山の中を突っ切って直線移動してきたのだ。歩くといっても数キロといったところだろう。それでとりあえず隠れ家にできる場所には到着できる。
「しかし、名古屋市内に入るにはあのばかでかい庄内川を渡らなきゃならない。それが当面の問題だろうな」
「そんな……」と後ろに連結されたトロッコのお嬢様が呟くのが聞こえた。
今目の前に広がる水溜まりは澄んではいるが、深さは寡鐘の腰くらいまでありそうだった。まさか魚はいないだろう、と思ったが、川とどこかで繋がっていれば生き物が棲んでいるかもしれない。
とにかくここを歩いて突っ切るのは不可能だろう。
自分だけならともかくとして。
「ふむ……」
この場所に出るのか、と寡鐘はあらためて場所を確認する。
ここなら少し戻れば分岐点があるはずだ。
そこから後は、待ち伏せされるのを避けるため、いくつかの通路を迂回した方が安全だろうと判断する。
停まったトロッコから慎重に降車する。
前のほうの車両は完全に水の中に突き入っていて、浮力で少し浮いていた。
濡れないように気を付けながら後ろの車両に乗り移り、地面に降りる。
みんな、顔色、というか表情はそれほど悪くないように見えた。
身体が出来ていない年齢の彼女たちにはつらいかもしれないが、逃げなければ待っているのは死だろう。
進むしかない。
端末の光を手掛かりに歩いていく。
振り返りながら、全員ついてきているかを確かめながら。
一番しっかりしている冬目橘杯が、ほかを気遣いながらこちらにも大丈夫だと目線で知らせて来る。その顔が姉に似ていることにドキリとする。
怖がっているのか、と彼は思う。
たしかに俺は、姉のことが怖いのかもしれない。
そう思いつつ、それが自らの重要な自己分析ではないのだと自らに言い聞かせてもいた。気にし過ぎではないか?
気にするべきなのは、むしろ冬目自身についてではなかったか。
あの日、寡鐘にむかってバビロニアの科学者が見せたあのホログラムこそ、ここにいる冬目ではないのか。
そのはずだ。
あの日みた顔は、たしかに彼女のものだった。
であれば彼女は、普通の人類ではない。
彼はさっきの冬目との会話を思い出す。
彼の疑問を、彼女は「倫理的な問題」なのだと言った。
それはつまり、「あなたは優しい人だからそんなことを問いかけるのだ」ということだ。
それ自体、なんと優しい切り返しだろう。
そして自分はなんと間抜けなのだろう。
非人間的なものは理解しなければならないわけではないのだ。理解はあくまでしたいかどうかであり、自分はそれがしたい。
したいにもかかわらず、擬人化して理解することくらいしかできないのだ。
彼女が言っていたように、「それは本来なら措定しなくてもいいはずの条件」でしかない。
俺は「倫理的な問題」だから擬人化していたのではない。
彼女は俺を自分と同レベルの思考者だと見做してくれたのだが、それは俺もまた彼女と同様に、非人間的なものを非人間的なまま受け入れ、理解できるはずだと見做されたということなのだ。
疾しかった。
俺にはそんなことはできない。
他者を他者として理解し、その上で敬意をもって尊重するこどなど。
姉のことさえ、俺は――――
「――What shall I do with this absurdity……」
俺の唇から、そんな音の連なりが吐き出されていた。




