15 / - 8 名古屋市 ⇒ 東春日井郡市 case.α
僕らの会話は途切れ途切れで、うまく続かなかった。
要領もえられず、シアン化合物みたいに簡単に揮発していく。
途切れた会話の合間は、本来なら物理的な空気振動が途切れているのだから熱力学的にはエネルギー状態が安定しているはずなのに、心の中には不快なざわめきが、どんどん広がった。
いや、僕らの乗っているトロッコが、歪みかけたレールを咬んで進んでいく音が辺りには響き続けているのだと、思い出すようにして気がつく。もう耳が慣れてしまって、けっこう甲高い金属音が響いていることも、意識に上がって来なくなってしまっていた。
ちょっと冷静になってみよう。
僕が隣の少年――名前も聞いていない。でも聞いていいのかどうか、聞いて何になるのか、そのへんもよくわからないのだが――に対してどうして気まずさなんて感じなくちゃならないんだろう。
異性として気になる――これはない。僕は先生以外を好きではない。
友人として気になる――いや、まだ友人ではない。
友人になりたいのに会話が続かないから――そこまで必死になってはいないような。
先生に似ているから――似ていなくもないけど、すごく大きい理由じゃない。
だめだ、考え方を変えてみよう。
関係性じゃなくて、うーんと、彼自体に何か気になることがあるんだ。
遠慮している……に近い気がする。
年上だから……?
日本刀が使えるから……?
助けてもらったから…………?
これっぽい。
助けられた理由もわからない。
「……お兄さん」
僕は暗闇のなか――といっても目が慣れてきたのでうっすら見える――彼に話しかけた。
「うん?」
「どうして、助けてくれたんですか?」
少年は、こちらを向いて、それからしばらく黙ってしまった。
「………………」
「お兄さん?」
どう答えるか考えているのだろうか。
僕の方を向いてはいるが、僕の顔を見てはいなかった。
「助けたかったから。見殺しにしたくなかったから。姉が見てる気がしたから。あとは、そうだな――お前が知ってるやつに似てたから、くらいかな……」
「髪の色とかですか?」
僕は自分の、サボテンの断面みたいな色の髪を摘まみ上げて聞いてみた。
「いやいや、顔とか、全体的にな――」
やや笑いながら、彼は答えてくれた。
「そうですか」
ともかく、遠慮していた感じはいくらか消えていた。
ようするに、警戒するような裏はなさそうなのだった。
知り合いに似ていて、ついでにそれは、よく知っている人だったくらいの理由みたいなのだ。嘘は――たぶんついていない。ソ連にいたとき受けた犯罪心理学講座で見たような仕草はなかったし。
「僕、冬目橘杯といいます」
「閘堂寡鐘、だ。県立高校の2年。そっちは?」
「小学5年生です。私立女子の、大学まで一貫のところ、です」
「いいなぁ、金持ちは。受験は面倒だからな」
「お兄さん、忍者か何かなんですか? ほんとに高校生?」
「いや、日本人はみんな刀使えるから」
「……僕のこと外国人だと思ってます?」
「いや、あの子――あのブロンドの子はアメリカ人っぽいし、君もかなって」
「出身はソヴィエトです。でも、育ちはほとんど日本」
「生まれは?」
「わからないです」
「へぇ、じゃ、家族はいない?」
「養父がいます。名古屋に」
「あ、そういえば言ってたな、名古屋に親がいるって」
彼は出会ったときの会話を思い出したようで、目を細めた。
「受験っていいますけど、政府が変わってしまいましたし、ありますかね」
「あるんじゃねぇの? 科挙はそれくらいじゃなくならなかったそうだぞ」
「いや、まぁ、そうかもですけど……なくなってた時期もありますし」
「そうなのか。まぁなぁ、でもどうかな。連邦だってうちの国を潰したくはないんじゃないかな」
「楽観的ですね」
「うーん、どうせ、俺らみたいな庶民じゃ、世界情勢知ったところでほとんど何もできんよ」
「さっきアメリカ陸軍を倒してましたけど……」
「あんなの地の利がある局地戦だろ? 相手も練度低そうだったし」
「は、はぁ……」
「というかね、怖いのはこのトンネルの出口に待ち伏せされてることだよ」
「あり得ますか?」
「あり得るね。出口はいくつか知ってるけど……」
彼は、あまり逃げ場がないかもしれないと言った。
出口のあるうつつ峠という場所は複合積層学園都市名古屋からは15キロ以上離れていて、もし包囲網や検問があると搔い潜るのは無理とまではいえないが、かなり厳しいだろうとのことだった。
警察や軍隊が本気を出せば、たしかにそうだろう。
「だから、しばらくはうちに潜伏したほうがいいかもしれないな」
「お邪魔します……」
「まぁ、まずは無事に出口を抜けられたらだけど、な」
僕は、相手はもう民主主義とか平和主義とか宗教的寛容とか、そういうものに縛られなくていいので、本当の紛争地にいるようなものなんじゃないかな、という気がしてきた。このあいだまでだったら、日本みたいなP・サンクチュアリでそんなことはできなかったんだけど。
「宗教なき世界」にP・サンクチュアリは必要か、というのは世界中で繰り返されている議論で、特に目新しくはないんだけど、そのもっとも大きなケースであるこの国がサンクチュアリ指定を解かれたら、本格的に世界から、「宗教」という存在は消されていくことになるのかもしれない。
「ここみたいな、まだ「宗教」というものの存在が許されている場所って、世界でも稀ですから、その、神官とか、仏の宗派とか、そういう所属だって言い張れば相手もそういうものかなってならないでしょうか」
「え、連邦軍ならまだしも日本警察にそれは通じないと思うよ」
「ですよね……」
「大体、あの、アナスタシアさん? がいるし、無理がありそうだけど。そういう参拝の作法とか、知らないだろ、あの子」
「うーん……」
あり得るかもしれない。
まぁ僕もよく知らないけど。
「茶の湯なら知ってますよ。ワビ・サビのココロも」
「そっか」
うぅ、返事に真剣さがない。
「いや、そういえば、日本の内務省ってクーデタが起こっても一応独立して臨時政府を立てられる決まりにはなってるって聞きましたけど……」
もちろん、そんな守られるのかどうかもわからない、大昔に決められた内部規定に意味はないのかもしれない。
「そうなのか?」
「あの、つまり先生によると……」
「先生?」
少年が、つい、という感じで私に聞いた。
「それ、気になってたんだが、もしかして親のことか?」
「そう……ですけど?」
「父親? 母親?」
「父――――です」
少年が頭を掻きながら溜め息をついて、僕に言った。
「いいか? 腐れピノコ……」
「え? は、はい?」
ピ、ピノコ?
「父親はな……「先生」じゃなくて、「お父さん」って呼んでやれよ……」
「え、と……どうして、ですか」
「そっちの方が喜ぶぜ。まぁ、大抵はな」
少年は何かを思い出しているのか、苦い顔になりながら、「とにかく、出口に着かないことには何も決められないな」と言って、肩をすくめて見せた。