15 / - 5 名古屋市 ⇒ 東春日井郡市 case.α
耳が弾けそうな機銃掃射の開始。
大量の鉛弾がばら撒かれていく。
まるで手品のようにキャンプ用品の隙間から武器弾薬が取り出され、即座に射撃が始められた。
「――โปรดหนีไป!」
「لطفا زود فرار کنید」
「Ki az ellenség?」
「Φέρτε ένα τουφέκι!」
キャンプには無数の言語が花咲き、執事服姿のアクィル・グン=カシュボンさんに料理人のイディン・レさん、庭師のミルト・プレマンシュさんたち男性陣が各々武装して敵に応戦していく。
すごい数撃っていて耳がもう壊れてしまった気がする。
でも、撃ち続けているのは当たっていないから当てようとしているんじゃない。
ほとんど弾道はまっすぐ敵に吸い込まれている。
だからこれはどれだけライフル弾が直撃しても敵が怯まないどころか、速度を上げて向かってきているせい。
敵は数メートルはある巨大な蜘蛛みたいな怪物たち。
焼け爛れた死体のような皮膚。
悪魔の術で錬成されでもしたかのうような醜悪な造形。
人間と毛のない蜘蛛の合いの子みたいな容貌。
よく数えれば七本しかない足の数。
どれをとっても世界が正気とは思えない状況。
べフラさんはエプロンの裾から手を入れると、どこからか銀色のお盆を取り出し、それを、まるで武器ででもあるかのように、顔の前で構えた。
いや、実際にそれは武器だった。
敵は怪物だけじゃない。
ヘリにロケット弾を撃ち込んだ奴らもいる。
彼らも撃ってくる。
僕たち子どもは悲鳴を上げてべフラさんの後ろでうずくまる。
べフラさんは闇の中から撃ち込まれる弾丸を、長いメイド服の裾を翻しながら銀の盆で的確に次々と弾いていく。ギィン、ガァン、キィアン、と頭に響く怖い音がする。翻った裾から、彼女が履いているのが軍用ブーツであるのが見える。
空中でべフラさんが回転する。
回転しながら二枚目のお盆を取り出す。
お盆はすぐに彼女の手から離れ、弧を描いて銃撃手のいるだろう場所に飛んでいった。ヘリの上げる爆炎に照らされて、丸い頭と血の飛沫が飛び散るのが見えた。
「はぁ、はっぁ、はぁ、は…………」
僕の息はいつの間にか上がっていて、こめかみのあたりが痺れていく。
その自覚のなかで、冷静にならなければならない気がして、過呼吸気味で頭の中に落ちていく感覚の中で、あることに気づいた。
「アナスタシアさんが、まだテントの方にいる……!!」
僕は、テントまで走れないか目を走らせる。
銃撃戦の最中。飛び交う弾丸は一発でも当たったら失血死しそう。その前にショック死か。僕は無力だった。
「お嬢様なら大丈夫です。アクィルがついています」
言いながら弾丸を3発弾いて、べフラさんは2枚の銀盆を放った。それぞれの盆が高速回転しながら敵の命を数人ずつ刈り取る。
「困ったことになりました。お嬢様方の服装では、崖や草むら木々の間を通って逃げることは、危険です。かといって道を通っては、いい的にされてしまうでしょう。敵は装備からみて、おそらくアメリカ陸軍です戦隊は、感知できる範囲では小隊規模でしょうか……」
べフラさんの応戦でこちらへの銃撃がやむ。
僕ら4人はべフラさんについて、退路を探すために動き出した。
「……連邦がどうして……でもそれならこちらの身分を明かせば攻撃は已むのではないですか?」
という僕の言葉に、「そうかもしれません。でも……」と彼女は言葉を濁した。
「射撃を開始する前に、こちらからは無線を開いているはずですわ。向こうはそれに答えずに攻撃を開始してきたようですから……いえ、その前にヘリの爆破までするなんて異常なことです。もしかしたら、目的がアナスタシアお嬢様の暗殺という可能性さえありえますわ」
「……………………………………………………」
「ただ、空爆がないのは救いですわ。あれがあると生き残るのがとても難しくなりますから……」
「あの、アナスタシアさんって、暗殺の可能性があるんですか……?」
「………………あくまで考えられるというまでですわ、トーメさん。連邦が政変で揺れていたのは何世紀も昔のお話です」
聳える崖を背にして回り込んで、テントの方に移動する。
近づくにつれて、テントの陰で耳を塞いでうずくまっているアナスタシアさんが見えた。
僕たちは姿勢を低くして闇に紛れ、速度を速めて彼女に近づいて行った。
向かってきていた多足姿の怪物が、大量の弾薬で関節を撃ち抜かれ、地面に突っ伏している。足掻く姿は見ていて気持ちのいいものじゃない。
「なんなんです、あれ……」
僕は、つい聞いてしまう。
なんだか僕ばかり声を出している気がする。
「あれは、連邦の生物兵器です。食人植物――電気信号で操作されている七本足の猟犬です。戦車より安価なので、多くの紛争地で使われているのですわ。質量が大きいので少々厄介です」
涙を零すアナスタシアさんにしがみつかれながら、べフラさんが答えてくれた。
受け答えを聞くにつけても、彼女たち使用人は、どうやら普通の人たちではなさそうだった。
「御土に――私たちの国にあんな、汚らわしいモノを持ち込むだなんて……!! 許されるはずないです、ええ、許されませんとも!」
僕の隣では純伴磨天さんが、悔しそうに涙を貯めていた。
ほかのふたりも目を見開いて、こぶしを握り締めている。
そのとき、ひゅるるるる……――という音がした。
「いけません、迫撃砲ですわ! 頭を低くして!」
伏せた時には、爆発が起こっていた。
顔を横にして上方を伺うと、テントの布がほとんど吹き飛んでしまっているのが見えた。
周囲では、爆発が立て続けて起こっている。
「ダメです、持ち堪えられない。数が違いすぎます」
と爆発の中で執事のアクィルさんが顔を見せた。
「べフラ、対戦車ライフルと榴弾……とにかく必要そうな装備を持ってお嬢様たちを避難させろ」
「わかりました。みなさんは……」
「俺たちは崖でも森でも逃げられるさ。いいから早くいけ、別部隊に回り込まれたら無理だ。くれぐれも……」
爆発。
千々に砕けたアクィルさんの半身が降り注ぐ。
頬に降りかかった液体の温かさが、反対に背筋を凍り付かせる。
マーケットの精肉店よりも薄い生臭さは、それでも僕の胃を引き絞るのには充分すぎた。
「はっぁ、はぁ、は、はぁ、うぉ、おぇ……げぼぉ、は、おぶぉえええ……」
びちゃびちゃと吐き下す。
喉が焼けるように痛むのに、止めることができない。
ドクドクと吐き出される熱い塊を、僕は目で追い続けるしかなかった。
「はぁ、は、はっぁ、はぁ、はぁ…………」
迫撃砲の着弾の中で、絶望しているのはどうやら僕だけらしかった。
べフラさんはテントの残骸から取り出したライフル銃で、迫撃砲とは別に飛んでくるロケット弾を迎撃している。
アナスタシアさんは強いまなざしで戦場を睨みつけている。
涅逸見耶さんたちは、御土を汚す冒涜者たちへの怒りで、我を忘れているようだった。瑠都さんは転がる拳銃に手を伸ばしている。
僕は慌てて彼女の手首を握った。
「放して、ほしい。トーメさん――わたしは」
「ダメだ、危ないよ。ルツさん――見たでしょう」
人の死ぬところを……と言おうとした僕の手首を、握ったのはアナスタシアさんだった。
「いいんです。トーメさん、ルツは、強いの。清和源氏の末裔なの」
迫撃砲の着弾と爆発。
ばら撒かれ続けている数千発の弾丸。
消えることなく燃え続けるヘリの残骸。
「だ、だとしても、銃を撃ったことなんかないでしょう!」
「いい……大丈夫だ、から」
拳銃を拾い上げたルツさんは、スライドを引き下げるとアサッテの方にむけて引き金を絞った。
「弓より簡単」
「…………………………」
べフラさんが発砲音を聞いてこちらを振り向く。
「ルツ様……――」
そこでべフラさんの表情が変わる。
何か考えているよう。
「ルツ様、グレネードを用意してください。あと、あなた様の愛刀を、取ってくださいまし!」
ライフルを撃ち続けながら、べフラさんは叫ぶように言った。
言葉が終わる前にはルツさんは匍匐前進でテントの残骸に消えている。
這い出したときには、手に黒鞘に納められた日本刀と、そして大型の銃器が握られていた。
「ついでにクナイも、ある」
「ありがとう存じます……」
べフラさんは、日本刀を手に取って白刃を抜き放った。
彼女の手放したライフル銃を受け取ったルツさんは、躊躇いなくべフラさんのやっていた戦闘行動を引き継いでいる。
地面へ腹這いに伏せた姿勢でライフルを射撃するルツさんの頭上で、べフラさんが長いメイド服のスカートを刀で短丈に裂く。
剥き出しになる褐色の肌と、無骨な軍用ブーツ。
彼女は地面に踏ん張ると、ルツさんの日本刀を真横に寝かせて構えた。
「皆さん、合図をしたら8時の方向にむけて、走り出してください!」
また、ひゅるるるる……――という音がいくつも近づいている。
構えのために動きを止めた彼女を狙う銃撃を、べフラさんは刀身で弾いて構えを取り戻す。
刹那、彼女は1秒かからずに5歩を踏み出すと、落ちてきた迫撃砲の弾頭を流れるように続けざまに3発、刀の背で打ち返していた。
「今です! 走って!」
刀を振り切って崩れた姿勢の彼女に、敵の銃撃が集中する。
彼女の手から銀の盆が滑り出す。
しなやかに空中で体を捻ると、銀の盆を両手で操って銃弾を防ぐ。
僕たちは走り出している。
放物線を描いて落ちる刀を、ルツさんが空中でそのまま魔法のように納刀した。
爆発。
続いての爆発。
僕たちへの攻撃が已む。
僕の隣に並んだルツさんが静かに言う。
「敵の砲撃を弾い、て着弾観測班を潰した」
「え、えっと…………」
べフラさんが後ろ手にグレネード・ランチャーを放ちながら走ってくる。
子ども5人と年長のメイドさんは、ともかくその場から逃げ出した。
僕たちは闇に紛れて、戦場から離れていった。
分け入っても分け入っても青い山。
本来のルートから外れて僕たちは彷徨っていた。
森の中……ではあるけど、水の流れに沿って歩く。
小さな湧き水の流れをみつけて、それを辿る。
純伴さんが風水の術で道を決めている。
遭難するより質が悪い。どこに出れば助かるのか、わからない。
もう列島は列強国の思うままなのかもしれない。
許されないことです、と中御門さんも純伴さんも声を荒げた。
「……バビロニア、エジプトと数えはじめれば、アラビアに至るまでに多くの文化興亡の歴史が記述されてきましたわ。絶えざる、直線的な、階段を一歩ずつ踏みしめるように昇る進歩などそこには見当たりません。これは冷徹な事実と言えるやもしれませんわね……」
べフラさんはやや疲れた表情をしながら、そんなことを話した。
「わたしの故郷も第5次中東戦争とペルシャ戦争で多くが焼けました。とくに北米連邦への想いは、現在のこの国の様子を見るにつけても、察するに余り有るものがございますわ……」
アナスタシアさんは、ずっと黙り込んでしまっている。
彼女は怒っているように見えた。
「わたくしが、娘のわたくしがいるにもかかわらず、アメリカ皇帝はこの国を亡ぼすお積りなのかしら……べフラ、あなたは誰についていくの……」
「お嬢様……べフラはお嬢様のメイドですわ。それ以外にお仕えするつもりはございません」
そんな会話を聞いて、はじめて僕は彼女の身分を知った。
今までの自分の態度を思い出して、顔が熱かった。
急に、べフラさんの足が止まった。
あたりを見回し、口を開いた。
「みなさん、ダールヴァグというのは、蛙なのです。ペルシアの北に広がるマーザンダラーンという地にいるのですが、樹上で生のすべてを営むため、”木蛙”と呼ばれます。この蛙が鳴くと、じきに雨が降ると言われているのですが、それは当然逆なのです――ようは雨の気配に、とても敏感なのですわ」
そして彼女は目を閉じると、
「雨が降りそうです。それも、とびきり熱い雨が……」
と付け加えた。
地面が揺れていた。
流れていく湧き水の水面が、波立っている。
「このべフラ・ダールヴァグが食い止めます。お嬢様方は、お先に……」
彼女は持ち出してきた銃器をセッティングしながら言う。
「わたしも残ります」
左手で鞘を握り、愛刀を縦に構えて持ち手で肘から手首に鞘を添うように当てたルツさんが、いつでも右手で抜ける姿勢を取りながら、鋭い眼光で言い募った。
「――ルツさん、この先あなたがいなければ、だれがお嬢様をお守りできるのでしょう。お考えくださいまし……」
僕らは、そして先を急いだ。
後ろからは、程なくして発砲音が聞こえ始める。
「……………………………………………………」
僕たちは駆けた。
月明りのなかだった。
みんな薄着で、ワンピースみたいな登山には向かない服装で、まるで現実感がないみたいだった。
先頭にいるルツさんが、ポニーテイルにした後ろ髪を揺らして、駆けながら抜刀した。
構えようとした瞬間、彼女は横ざまに吹き飛んでいる。
蜘蛛のような、巨大な腕――。
アメリカ陸軍の食人植物だ。
日本の湿った蜘蛛みたいな面貌。
樹木のような硬い皮膚。
僕は背筋がぞっと粟立った。
「はぁ、は、はっぁ、はぁ、はぁ――――」
僕らはたぶん、みんな死ぬことを覚悟した。
でもつぎの瞬間、どこからともなく私たちをかばうように着地したひとりの少年が、樹々の中から這い出して来るその醜悪な怪物の前に立ちふさがった。




