15 / - 1 名古屋市 ⇒ 東春日井郡市 case.α
僕は自分では赤面症だと思っているのだけど、実際にはそんなことないらしい。頬が熱くなって赤面していると感じるときは、むしろ青白くなっているそうだ。だったら、いまの僕もきっと頬や首筋は青白くなっているに違いない。
旅行は、あまりしたことがないのだ。
それに今回は、自分の足で歩くというのだから尚更……いや、身体自体は丈夫な方だと思うけど、なにせいっしょに歩く相手があまり仲のよいわけでもないクラスメイトだというのだから、僕としては、あまり乗り気になれないどころか自分が粗相をしないかと不安で仕方がない。
第2層の愛知新環状鉄道第四栄駅を満たす冷房が、いまの僕には皮膚にすこし冷た過ぎたみたいで、なんだか全景が透明な建材で出来た密封式《ターミナル》のプラットフォームが、パカッと開いて夏の熱気を取り入れられたらいいのにと思った。
いつもなら、こんな変なこと考えないのに。
緊張しているんだろう、と僕は思った。
夏休み前にクラスメイトの女子――といっても僕の通っている愛淑女學薗大学附属小学校は女子校なのであえて言う必要はないのかもしれないんだけど――にいっしょに山に行かないかと誘われた。
帰りのホームルームが終わって先生が出て行った教室で、
「トーメさん、貴女、夏休みの予定はもう決まっていて?」
という声が降ってきた。
話しかけられたとき僕こと冬目橘杯は、キャベツみたいにうすく白緑がかったセミ・ショートを揺らしながら、きょとんとした顔でクラスメートの少女を見上げたはずだ。
「わたくしね、夏休みに白川郷のそばにある別荘にいくのだけど……」
とクラスメイトのアナスタシアさん――娜䕨・シャサルバ・アウピルコパ・エトラトフサ・アナスタシアさん――は「ふふんっ」という感じの自信に充ち満ちた表情で言った。
「でもただ行くだけじゃないのよ?」
僕が何かを答える間も与えないで、彼女は畳みかけてくる。
腕を組んで、右手の人差し指をピンと立てていた。
歳相応の態度ではない、大人びた所作だった。グルガ・ソヴィエトの科学院に在学していたことのある僕なら、そう思える。
彼女はこの5年3組のなかでも、こうした態度でいて許される類のクラスメイトだった。よくは知らないけど、両親がアメリカ貴族――それも、公爵に近い位置にいるような大貴族――で、ご先祖様にカール大帝がいるっていう、本当かどうかもよくわからない話を聞いたことがある。
「そこまで自分たちの足で歩くの。もちろん子どもだけではなくって、執事やメイドも連れて行くわ。でも乗り物を使わずに山を歩いていくのよ? 二日キャンプして到着する予定なのね。まぁ、帰りはトレインを使う予定なのだけれど……」
「へ、へぇ……そうなんだ――」
何の話かよくわからなくて、僕は適当に相槌をうった。
周りのクラスメイト達も、アナスタシアさんの突然の行動に、なんだか無視できない感じでひそひそ声になって、聞き耳を立てていた。
遠巻きに物事の成り行きを見守っていた。
僕は正直、キャンプの話を聞いてなんだか意外だった。だってあのアナスタシアさんにしたら、日本みたいな辺境のそのまた辺境でキャンプするなんてこと、なんだかあんまりよろこぶような気がしなかったから。どう考えても本国に帰って、西海岸でバカンスした方がよっぽど楽しいだろうなというか、その方が小学生とはとても思えない、彼女の超然とした雰囲気に、似合っているというか(もちろん、悪い意味じゃないんだけど)。
大人に混じって、カジノで大勝ちした挙句、負けた相手が実は東側の諜報員か何かだったとかで、大きな陰謀に巻き込まれるんだけど、諜報員の弱みを握って裏の世界で暗躍し、いろいろあって小学生ながらモスクワに単騎で乗り込んでソヴィエト帝を暗殺してくるような夏休みを過ごしそうな雰囲気がある(自分でも、ちょっと失礼なことを想像している自覚はある)。
そんなことを考えていたせいで、僕はアナスタシアさんの次の言葉を危うく聞き逃がすところだった。
「よろしければ貴女をつれていって差し上げてもよくってよ?」
へー、と言いそうになって、あれ、これは受け流しちゃいけないぞ、と遅まきながら気が付いた。
「――え、ボクを?」
咄嗟に聞き返す僕。
「いや急にどうしたのさ?」
本気かどうか様子も見たかったから、ちょっとリアクションを大げさに驚いてアナスタシアさんを見上げた。くらいの役者ならよかったんだけど、そうなったのは結果的にであって僕はおかげでアナスタシアさんと自然に会話することができた。
「あなただけではなくって? この間わたくしのお誕生会に出席なさらなかったのって…………」
アナスタシアさんは、顔の片側をこわばらせて力むように言った。
「わたくしの誘いは受けられないとおっゃるのね?」
ぷるぷると肩を揺らしながら、
「ヒドいわ……」
と言って傍らの机にしなだれかかる。
いつの間にか現れたふたりのとりまきに支えられながら、アナスタシアさんは僕をうらめしそうに見ていた。
「ご、ごめんね……」
断ろうかとも思ったけど、これだと「お父様に言いつけるわよ!」なんてことを言い出しかねない気がした。そうしたら僕を引き取ってくれた総矢先生にも迷惑が掛かってしまうと容易に予想できて、ここで誘いを断るのは気が引けた。
「わかった、行くよ。あ、いや連れて行ってほしいな、ぜひ」
青白い顔になりながら、僕は必死にアナスタシアさんに言い募った。
すると彼女は実は素直なのか、
「本当ですの! それはよかったですわ。では、またお話しましょうね」
と言ってパッと華が咲いたように笑顔になって、年相応の表情で去っていった。
嵐が去ってホッとしていると、周りの子たちが、
「ダメだよトーメちゃん、だってあのアナスタシアさんだよ?」
なんて言って心配そうに小声で囁いてきた。
でももう返事しちゃったし、行くしかないんだよな……。
回想終了。
とはいえやっぱりちょっとした(というと失礼だけど)後悔もあった。
僕は積層都市の最上階に残してきた、満身創痍の柳條香流大尉――といっても高校生くらいの女性だ――のことが心配になる。できれば治るまでずっと傍にいて看病したかった。
でも約束したのも僕だから、行かないわけにはいかない。
(――カナさん、ごめんね……)
僕は心の中でそう謝りながら、透明なチューブ内を走り抜けていく《トレイン》に座っていた。
時間帯的にも時期的にも、ほとんど人はいない。
トレインは、積層学園都市からの下り線では都市内に発生する強大な気流を制御して動力に用いたエア・トレインになり、上り線はエア・トレインの運動エネルギーで発電した電力で動くリニア・トレインになる。だから、やっぱり《トレイン》というしかないんだろう。
(――アナスタシアさん、どんな感じの人なんだろ……)
僕の不安も津々とはいえないまでの興味も乗せて、トレインは岐阜の方に走っていく。高蔵寺駅で待ち合わせだから、すこし時間がかかる。トレインは新守山駅(名古屋市の最後の駅)までなので、そこでふつうの電車に乗り換えないといけない。
(うぅ……緊張するなあ)
僕はますます顔色が悪くなる気がする。
とそのとき、僕の携帯式筐体端末――パソックが着信を告げた。鈴虫の鳴き声みたいな音色――発信者がリクエストしたのだろう――ははじめて聞くもので、一瞬戸惑ったけれど、結論から言うとそれはアナスタシアさんからだった。
《――やっほー、トーメさん。ご機嫌いかが? お待ちしておりますわね。(くるくる回る大鷲のスタンプ)》
「………………」
いやかわいすぎるでしょ。
アナスタシアさんこんな感じなの? 僕は緊張していたのが嘘みたいに気が楽になる。いつもは癖の強そうな令嬢風の態度なのに(首を振ると縦ロールがブゥンと音を立てて風を切る。ちなみに色は金に近いプラチナ)、学園以外だとふつうの子だったりするのだろうか。
トレインが速度を落としはじめる。
まだ乗り換えの駅じゃない。
それでも僕の胸は大きく高鳴りはじめていた。




