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崑械のアイオーン  作者: gaia-73
第3章 幻帝の國
34/58

12 / - 2 東春日井郡市 陸



 相変わらず可愛らしいわね、と咲眞(さきま)樹禰(じゅね)は言った。

 動かない身体のまま、鷸井(しぎい)瑞輝(みずき)は突然現れたその少女の顔を、呆然と見つめ返していた。瑞輝はこれまで目の前の少女のことを見たことがなかった。


 樹禰は、真っ赤な光に染まった部屋でもうひとりの少女に近づいてくる。


「――――おはよう、ねぼすけの可愛い怪物(ギズモ)さん」


 馴れ馴れしい言葉づかいが、むしろ不気味だった。

 動けない瑞輝の鼻先までその少女の顔は近づいていた。


「…………………………………………」


 瑞輝から見て、その少女には精気が乏しいように思われた。

 といっても肌の血色が悪いとか、病弱そうで青白いとかいうことではない。たしかに強大な力――それは生命力と言い換えて差し支えないだろう――を持っているのは感じられたが、それは巨大な岩のなかに封じられているようにぼんやりとし、本来の巨大さを想定させるにもかかわらず、それがここに存在していないことを瑞輝に感じさせた。

 例えるなら、聳え立つ崖から怪物の爪だけがのぞいている。凄まじい大きさだ。爪だけであれだけあるならば、本体はどれほどなのか。瑞輝は戦慄する。

 目の前に何がいるのか、理解できなかった。


「――――……ふぅん。寡鐘(かがね)は私のこと、何も話していないの……」


 瑞輝の様子に、目前の()()は先ほどまでの柔らかな表情を消していく。人の顔にはいつでも、誰にも見られていないときでも、絶えず無意識のうちに発している体臭にも似た表情がある。そんな表情まで綺麗に洗い流されたように、その顔は無表情どころか物体のおぞましさを現わしかける。朝日であったはずの赤い光が、部屋には窓からゆっくりと流れ込み続ける。

 光は空気に混じって滲み、それは光というよりは水槽に流れ込み続ける、重くて赤い液体のようだった。まだ薄暗い早朝は、赫夜(かぐや)の様相を呈している。その中で、目もとだけがあまりにはっきりと浮かんでいた。(びょう)とした感じに限りなく近づく無表情な顔全体が、しかしまなざしの力によって、抗いようもなく、ひとつの表情に集められてしまうようだった。

 まなざしの力学ゆえか、顔の造作は寡鐘とほとんど同じであるにもかかわらず、目の前の()()は、おそろしく整った顔つきであるよう、瑞輝には思えた。未知の少女は、そうしてどろりと赤く滲んだ水の中に、遙かな幼い記憶から彼女を引き摺り込みに来たかのような強靭な眼光をのみ、ぽつりと遺している。


(――――この人――いや、人じゃない――怪物? だ――それもかなり、おぞましいやつじゃないだろうか…………)


 身体が動かせない瑞輝は、目の前に迫りくる()()のことを呆然として見返しながら考えた。身体が動くのならば、間違いなくすぐ逃げ出していただろう。


「化け物は自分のはずではなかったの? 随分と、便利な頭をしているわね……」


 見知らぬ少女は瑞輝の思考を読んだように言った。

 その言葉に、瑞輝は気が遠くなるのを感じた。やはり、私は人間と違う意識を生きているのだ、そう思った。実際に人間の記憶処理能力との差異が存在していることを、鼻先につきつけられたようだった。動揺がおさまらなかった。


「ふぅん……。おぞましい化け物だろうと、自分よりは人間から離れていないだろうと無意識に評価したわけかしら……。ご主人さまと顔が似ているから、それくらいは仕方がないのか……」


 樹禰は、年下の少女の姿をした鷸井瑞輝の細い顎に手をすべらせ、人さし指で、ついと顎を押し上げた。同時に、それまでやや屈めていたらしい自らの身を伸ばし、遠慮するのを辞めて瑞輝を見下ろすようにして対峙した。中学1年生程度の体格しかない瑞輝は、そうすると、彼女を見下ろす男性並みに背のある高校2年生の樹禰と、覆い被されるようにして、向き合うことになる。


「……マルセル・ブリヨンは、1961年の著作『幻想藝術』で次のように書いていたわ。――怪物は一見、創造精神の気まぐれな産物のように見えるが、じつは相互に矛盾する非有機的なディテールの組みあわせに他ならない。――たしかに、なんだかもっともに聞こえるわね……」


 樹禰は何を思ってか、そんなことを囁きかけてくる。


(――――――?)


 瑞輝は竦めたい身を動かせないまま、どうすることもできずに見知らぬ少女に弄ばれている。息がかかるほど近くに、今はもう表情に柔らかさを取り戻した、美しい年上の少女の顔が近づけられている。


(――――――え、えと――)


 瑞輝はどうしていいのかわからない。怪物――私は、いってみれば、ムカデと人間という相互に矛盾する非有機的なディテールの組みあわせ、ということになるのだろうか。それは創造精神の気まぐれな産物と、なにがちがうのだろう――そんなことを考える。よくわからない。


「ディテール――形態性だけが怪物を形作るのなら、たしかに楽よね。それって自分の仮の姿をコラージュしたいっていう、ある種のナルシシズムなわけだけど、試作的な昇華だって作者は言い張れるんだものね。むしろ重要なのは、そういう輪郭から逃走しようとする、怪物自身の欲求の方よ。モデルの具象性からの逃走。対応する表象のない、自律の彼岸に向けての非行――その過程で、ディテールと輪郭は歪曲することになる。歪曲した輪郭が、その怪物の強さを証明する――だとしたら、あるいはだからこそ、怪物の王は歪曲の王でもある――」


 樹禰は、そう囁いて微笑んだ。妖艶な笑みだった。

 彼女の言葉が瑞輝への慰めだったのか、それとも励ましの積りだったのか、瑞輝には、うまく判断することができなかった。


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