11 / - 5 名古屋市 肆
結論からいえば、Lagrenをボコボコにした。
Lilne が。
◇◇◇
天井に首をめり込ませて、ぶらぶら揺れているLagrenは新種のきのこか何かみたいだった。実際の超能力者同士の闘いは、客観的には案外と地味だというフィクションでの俗説は、意外と間違っていることを思い知った。
超能力戦がある種の格闘戦である限り、それは拡張された肉体同士の白兵戦と同じなのだ。見えない身体同士の殴り合い。透明な筋力のぶつかり合い。
アニメ的な光や漫画的な効果音は場違い。
そこにあったのは格闘技で――最初に仕掛けたのはLilneだった。
不意打ち。
当たらないわけがない。
Lagrenは頬に、背後から見えない拳をぶつけられ半回転しながら床に倒れ込む。だが小さな少年の身体は空中でバウンドし、床から1メートルほどの高さで体勢を立て直す。
Lagrenの身体は蛋白質と水分以外の何かで出来た部分が大半のように思われた。
透明な巨人の中心に、少年が据えられているよう。
「仲間が失礼しました……」
とLilneの声が聞こえた。
姿は見せないが、廊下にいるのは声の方向で分かった。
「…………」
Lagrenは黙っている。
悪戯がバレたというわけだ。
ぜひ反省してほしい。というかしろ。
(もうちょっと早く助けてほしかったけど……)
とは言え何となく意図は掴める。不意打ちの成功が鍵だった。
Lagrenがそれほど強いということか。
いや、殴って冷静にさせようという魂胆のような気がする。
子どもの見た目は意外と内面を表しているのだろうか。
「動かないでくださいね?」
落ち着いたLilneの声がする。
Lagrenが耐える仕草。打撃だ。でも彼は左右からの衝撃に耐えようとし過ぎた。重心をひどく落とした。Lilneの拳はふたつだけではなかった。
下方からの連撃。
機銃掃射のような当たり方で左半身から半円を描いて顎に到達する。
その間1秒に満たない。
顎へのインパクトに間をあけずに横への薙ぎ払い。
回し蹴りの要領でこめかみを左から右へと一閃。
Lagrenはフォッカー複葉機のプロペラみたいに回った。
危ない落ち方。
地面に落ちて数秒、彼の足は天井を向いて静止していた。
「…………穴が多すぎる、お前は」
言うともなく呟いて、Lilneが部屋に入ってくる。
見た目はあまりLagrenと変わらない、おとなしそうな少年だ。
「あなたたち、何者……?」
答えはないだろう、と思いながら私は尋ねた。
Lilneは部屋の中央で地面に転がっているLagrenをつま先でつつきながら、おそらく、彼の無事を確認していた。
「古代の神々の……そう、模造品ですよ」
ぽつりと、彼は答えた。
私は、
(たしかに、そんなところでしょうね……)
と冷静に考えた。
少なくとも人間ではなかった。
「……書物と人間は同じものから生まれた。であれば、古代の神々はどちらにも自らを投影していたはずです」
と彼は言った。
「1945年、上エジプトで《ナグ・ハマディ文章》が発見されたとき、一部の羊皮紙は現地人に燃やされてしまいました。そのせいでわれわれは、子どものままになってしまった」
私はLagrenが気を失ってからは壁から解放されて、床に力なく座っていたが、彼が私と話す気があるらしいと分かって、目線を彼の方にむけ、顔を見つめた。
彼は私の視線を受け止めると、やや口もとに笑みを浮かべた。
「書物が写本として継承されるなら、書物を形作る形象にそれほど意味はありませんよ。触れた人々の人生に、重要な感慨を抱かせるくらいのものです。写本が人の形をしていたところで、それほど不具合もない。本質が実存に先立つというだけのことです。われわれが神について書かれた肉体であれば、われわれは神について物語られるわれわれの本質から実存を得るしかない。しかし、それは写本なのですから現代の書籍の姿を取っていた方が、より都合がよい」
私は彼の言葉を聞きながら、日本語的な言い回しではないな、と考える。
人間の私としては、書物(……?)と話すというイメージは、なかなか面白い。
「じゃあ、そうして生きることで、いつか本物の古代神に到れると?」
私はやや皮肉めいたことを言った。
「われわれはこの積層都市が、古代神殿の再現だと思っていますよ。霊界と物質界との結びつきが強まるのには、こういった《塔》は都合がよい」
「進化論の、ユートピア的昇華というわけ? ニーチェの超人哲学みたいな? 存在論と生物学進化論を混血したところで、先にあるのは精神的自閉と破滅だと思うのだけど?」
「ケプラーがいうように、天体と天体の位置を読むための感覚と概念を、人間という種族はそなえています。まるで宇宙を「読め」という神の呼び声に応えようとしているみたいです。優れた科学の力によって、神の意思を正確に宇宙から「読む」ことができれば、神について書かれたわれわれの身体を、より完璧な記述へと改訂することができるのではないでしょうか。とすれば、われわれがこの積層学園都市にいることにも、納得いただけるのではないかと思うのですが……」
「…………アメリカン・オカルトってわけね」
たしかにこうした実験の場として、現代日本ほど適した場はないのかもしれない。現代式天皇が遍在し、中心を持たなくなった日本という帝國は。あの1945年の夏、日本に4発の核爆弾が落されたときから、この国での科学と魔術の融合は、分かっていたことだったのかもしれない。
「ギ……ッ」
変な声。視線を上げるのと、床からLagrenが跳ね起きるのが同時だった。Lilneを能力で入口の外に弾き飛ばし、こちらを向く。
ただ、そのときにはもう、私の準備が整っている。
全力で肘鉄を顔面に打ち込む。
見えない手に止められる。
肘と顔までは20センチほどだ。
力は完全じゃない。
力を込める。
あまり使いたくなかった。
上腕骨脇に埋め込まれた射出装置から、カーボン製の杭が初速110メートルで撃ち出される。
不意打ちのための白兵戦用パイルバンカー・ユニットだ。
撃つと、とにかく自分自身が痛い。
具体的にいうと肉が焼ける。
全治までの期間が伸びる。
Lagrenは相当驚いた様子。
もうすこし能力が弱っていたら始末できたかもしれない。
ダメ押しだ。
前腕骨の隙間から、格納してあったコンバット・ナイフを跳ね上がらせる。
生身の両腕の外側に、鋭い刃が飛び出す。
そのまま全身の急所を狙って攻めた。
防戦一方となるLagrenは、酷い表情をしている。
ざまぁみろと言いたいが、このままではこちらにも決定打は欠けたままだ。
最初に虎の子のパイルバンカーを出してしまったから。
(膝のパイルバンカーを使うと、歩けなくなるし……)
よく考えると、総矢先生の手前彼を殺してしまっては申し訳も立たない。
どうしよう……。
Lagrenは腕を私の方に伸ばす。
衝撃が来る。
防弾チョッキでライフル弾を受けるよりは増し、といったところ。
床に転がる。
反動を利用して起き上がる。
膝を立てて、杭を使うかどうか考えた。
だが、視線を上げるとあっさりと勝負はついていた。
天井に首をめり込ませて、ぶらぶら揺れているLagrenは、新種のきのこか何かみたいだった。Lilneがやった。死への高い高いといったところだろう(でも、たぶん死んではいない)。
「えーと……とりあえず、Lilneさん、骨折とか治せます?」
私は、張っていた気を抜いて、ぐったりと床に倒れ込むと、Lilneに助けを求めて、そのまま気が遠くなるのを感じた。




