11 / - 4 名古屋市 肆
待っているのは殺戮かと思われた。
Lagrenの心霊能力――東側思想圏的に言えば超能力は、私にはどうしようもないくらい、物理的に強力だったからだ。
(……人類は脳の総性能におけるその10%程度しか利用できていない。薬物か電気刺激によって脳の未使用予備部位を活性化させることで――)
2年前、外では赤い煉瓦に吹雪ふき荒れていた、グルガ・ソヴィエトの科学アカデミーで「超能力開発史」という講義を聴講したときの記憶が甦ってくる。
当時、冗談にしても幼かった、7歳の冬目ちゃんから血生臭い人間開発の話を聞いてから、私は機会があればそういった講義に潜ったり聴講したりするようになっていた。
無駄な思考だが頭を使っているわけではないのでBGM代わりに脳裏に流しておく。危機感と息苦しさで、戦闘要員としての思考に頭が切り替わる(パチン、ONだ。かなり無理やりな切り替えだ)。
とりあえず、できることを。
「…………臭いよ、ラグレン。お前からは墓石に溜まった水っぽく腐った蟲の臭いがするよ。どこに何本挿されたんだい? お前は脳に電極挿しながら哺乳瓶吸っていたんだろうどうしたらそこまで目が濁り切るのか教えてもらいたいくらいだそうだな大方ナチ党の生き残りが亡命した先で技術を売ったんだろう、どこの研究機関で作られたかは見当をつければおそらく英国か中華人民連合国あたりだろう違うか、それともお隣のアステカ共和首長国かなまさか日本ではないよなだとしたら残念だよ私も日本なんだ軍隊に就職してから気づいたんだが私の育った脳生理学研究所も開発機関だったらしいんだ、いつも飯のあとに目の奥でパチパチ火花が散るような感覚がしていたがあれが薬物のせいだとは想像もできなかったなそうお前の姉ということになるかもしれないなぁ反吐が出そうだよ…………」
私は意味のないことを話して時間が稼げないか試しながら、こないだの戦闘で折れて固定してある肋骨を左わき腹から引き摺り出して(痛いのは嫌だが我慢しよう)、武器代わりにできないか、冷静に検討し始めた。
何とか十秒でも力を無効化したいところだった。
そうすれば、荒い骨の断面を、奴の急所に叩きこめるんだが。
「いやいや、お姉さん。いまは1980年代ですよ? 電極やLSDで精神の開放って、それどこのティモシー・リアリーですか?」
まだ年齢がせいぜいひと桁にしか見えない少年は、褐色がかった額にかかる薄い色の髪を揺らしながら、私に、その作り物めいた笑顔を向けている。
相変わらずの余裕。勝てる気はしない。
「アメリカの見神論者なら、僕らを崇めるでしょうけど、お姉さんは違うようで安心しました。信仰している者に殺されるのは可哀想だ」
「私は仏教徒だよ。豚肉も食べない」
「何とも言えませんが、その教義はイスラム教でしょう? 無神論者ならなお有難いです」
「ならちょっと放してくれると助かるな。さっきから苦しくてしょうがないんだ」
「お似合いですよ、繋がれた家畜のようです」
このクソ餓鬼、言いたい放題か(私も、言いたい放題言っていたが)。
それにしても、なぜすぐに攻撃してこない? いや、攻撃できない理由でもあるのか。そうじゃない。攻撃する気はないのではないか、とそこで気づく。これは彼の独断行動である可能性が高いと思う。
総矢先生には私を殺してもメリットはそれほど(すこしはあるだろうか?)ないはずだし、冬目ちゃんが私を家に呼んだのは偶然の成り行きだった(彼女が黒幕である可能性はかなり低い気がする)。
そうだ、私を殺して困るのはこいつなのだ。
私は抵抗し切るだけでも負けにはならない。
だが、抵抗というなら、ひと晩中じわじわと攻められ続ける可能性もある。
私は、抵抗し切れるだろうか……?
ズグッ――そこで、脇腹に鋭い痛み。
「むかつくんだよ、アンタみたいなの」
不意に、表情をなくしたLagrenが言った。
(「読まれ」た……?)
私は頭の中に流れていた声を、BGMまで含めて消そうと試みる。
「勘がいいのは素晴らしいことだよ。だが、ちなみにアンタは俺の姉じゃない。アンタはただの人形使いだろ……」
少年が手を伸ばして、対峙している私に手のひらを向けた。
脇腹の痛みが増す。
すぐにマズいと気づく。ヤバい。骨を……。
「何なれなれしく、姫に近づいてんだ、ああ?」
Lagrenが力を込めて手を握りしめた。
メギャッ――という音が自分でも聞こえた気がした。
声にならない悲鳴。
体内で肋骨を掴まれ、力任せに折られた――らしい。
痛みで失神しそうになったのは内緒。
とにかく、無自覚に閉じていた目蓋を開いた。
「あぁ……ぅぅう、何て、ことを……」
「肋骨の一部を、体内で分離さた。分かりますか? ほら――」
激痛が走る。
絶望的な感覚。
防ぎようがない。
「あぁぁぁがっ――――」
「今のは、肝臓の裏あたりかな」
「――――ぅあぁ――――――」
「これは、胃ですねぇ」
簡易で効果的な拷問、というわけらしかった。
軽く引っ掻かれているだけかもしれない。
でも、それでもかなり痛い。
「次は――そうだ」
少年は嗜虐的な笑みを浮かべた。
「あなたは女性でしたね」
「なっ!」
その言葉を聞いた途端、背筋が寒くなる。
ゾッとした。
こいつ、本物のクズ野郎じゃないか!
自分をことさら、女性だと思ってはこなかった。
でも、だけど、その言葉には恐怖してしまう。
勘弁してほしい。
気まぐれで身体を弄ばれるのは。
指先に、無意識だった背筋の震えが伝わって、カタカタと壁にぶつかる。
絶対、痛い(クソ、そういう問題じゃない)。
「うぅ……」
腹の中の痛みに、汗がふき出す。
「や、やめ……ろ……」
腹の中で、骨の欠片が肉の中を、いくつも這っていくのを感じ取る。
少年は冷ややかな表情で、両手を私の方に向けた。
「何コワがってんだ?、クグツの分際で……」
そして、何かを囲むようにして両手の指を丸める。
何かを押しつぶそうとするように、10本の指をを丸めた――。
――――では、何を?
ピクリと、下腹部が痙攣する。
「い、――――ごめんなさ――ひ――
――あ――――――――――――あ――――――――――――――――――あ――――――――――――――――――――――…………」
私は、情けない自分の絶叫を聞いた。




