10 / - 2 名古屋市×東春日井郡市 貮
――――《代理戦争》。
微分圏 と 積分圏はインター・ネットワーク上のソーシャル・ゲームで、いつ果てるともしれない闘争を繰り返していた。
融和政策により二大大国は冷戦対立を緩やかなものに演出しているが、経済圏、そして思想圏によって、世界は厳然と分断され続けている。
そんな状況下の「自由な」インター・ネットワーク上では、グルガ・ソヴィエト/東側思想圏=微分機関勢力と対するアメリカ/西側思想圏=積分機関勢力が、仮想拡張現実による継続的戦闘を演じていた。
上層から降ってきたストローによってVRMMOに水を差された少年たちは、すぐにゲームに戻る者もいたが、多くは冷めてしまって、立ち尽くしている者の方が多かった。
「……マグさんさっきの、すごかったですね」
「いやいや、コアさんの人工的裁断葬送の方がカッコよかったですよ」
古川振滋は、よくこの場所でチームを組んでゲームをしている小学生くらいの少年、鯨峰鮪雫に声をかけた。ふたりとも少女のような顔立ちだが、どちらも男である。「マグナ」――これは「マグナム」の略だと本人に聞いたことがあるから、本名というわけでもないのだろう。柄の部分の異常に長いレトロな煙管を常備していて(喫っているのは咽喉の藥だと言い張っているが、匂いからして煙草なのは間違いない)、女性のようにつるりと伸びた髪が左目を隠している。炭鉱の作業員のように、白いランニングシャツとスネまでしかない宇治茶色をしたズボンが彼のトレンド・マークだった。
振滋にはピンとこなかったが、数あるショタ・キャラのバランスのとれた複合コスプレであるらしかった。
「今日はキサラさんはいないんですか?」
鮪雫が訊ねる。
「あーキサラのやつは目を怪我しちゃって、入院中なんですよ」
「え、目を? 大丈夫ですか?」
「うーん……」
振滋は、同僚のキサラ――代月更也が極秘任務中に失明したことを、どう説明したものか迷う。そもそも守秘義務があるのだ。
「ま、本人は元気にしてますよ。むしろ女性との関係で悩んでるというか……」
振滋は言葉を濁した。
「はァ……あのひとたしかにモテそうですからね」
鮪雫も、振滋が深刻そうに話さないので、きっと大したことはないのだろうと話を合わせる。
「とりあえず、さっきの続きでも」
という振滋からの誘いで、ふたりは再び、五感フルダイブ型のシミュレーション・ゲーム――VRMMOに参戦する。大須通りの一画に面したゲーム店の前に設けられたゲーム・アーケード・スフィアの風景は、道の中にスタジアムがあるような感じだ。ライトに照らされたスフィアには、他人には視えない武器を手にした若者たちが、それぞれの前にいるらしい敵に向かって、様々に立ち向かっている姿が見える。王様は裸だ――そう叫ぶのは簡単だろう。
(でも、俺だって――ぼくだってもうすぐ、他人には視えない武器を振り回すことになるんだ……)
ヘッド・マウント・ディスプレイによって振滋の視界が、再び、徐々に静かで冷たい宇宙空間へとシフトしていく。
それに伴って、微かな蜜柑の匂いが漂ってくる。
臭覚野に的確な電気刺激が送り込まれているのだろう。
複合積層学園都市の量子演算システムと連動されたハイ・スペックな指向性機器が、個々人のディスプレイと完全に連動し、プレイヤーの五感を異界へと誘う。
ここは第三新大須大通り。インター・ネットワーク上に存在する2大勢力の一翼である積分圏の牙城のひとつ。
その呼称を誰が何時つかい始めたのかすでに曖昧になっているが、1960年代後半にグルガ・ソヴィエト連条合衆国のソーシャル・ネット・ゲーム・ユーザを揶揄的に微分戦線と名付けたのがそもそもの始まりで、以後それに対する西側諸国のゲーム・ユーザが自身を公平化機関と――むしろ積極的な意味をこめて積分圏と名乗りはじめたのが、現在までネット・ミームとして受け継がれているのだった。
《――――オカエリナサイ――――》
暗闇に白抜きでそう表示されると、そこはもうゲーム世界だった。
状況の把握――その前に、
『来た来た……』
という聞き慣れない声が聞こえてきた。
「あ……」
声の方を見上げると、突き付けられた3つの銃口。
「さっきの……」
通信途絶の直前まで交戦していた微分戦線の輻輳実存迷宮3人が、手持ちの小銃型デバイスの照準を合わせて振滋の個体セーブ・ポイントに、待ち構えていたのだった。
(知らないあいだにチェックメイテッド……)
相手との距離は手を思い切り伸ばしても銃口に手が届くかどうかくらいだろうか。見下ろす様なやや上の位置にポジションしている。人工的裁断葬送を撃ちたいが、彼のジェスチャの前に銃口が火を噴くだろう。無闇には動けない
『ヘイ、ジャップ。おまえニホンジンだろ? 銀髪赤目のキャラクタはたいていニホンジンだからな』
可愛らしい声が暴言に近い語調で話し掛けてきた。
三人の真ん中でいちばん威張っているリーダー格らしき少女。だが仮想肢体は一番小柄で、深い赤色の合成樹脂のような素材で出来たスリムなコンバット・スーツを身にまとった、気の強そうな金髪のツインテール少女だった。勝ち誇っている。
『もうひとり仲間がいるはずだ。そいつの能力値、対処法、弱点……とりあえず情報をもらう』
左右に控えているふたりも無言の笑顔が素敵だった。
「う、うぅ……」
銀髪赤目の仮想肢体である古川振滋――コアは、従順さを目で涙ながらに訴えた。後ろでひとつ結びにしてある髪がふるふると揺れる。
首には白いマフラー、服は金ボタンの白い軍服を選択してある。
前の3人と共通点があるとしたら、血色の悪い絶対領域がみえていることくらいだろう。
コンコンっと、銃口付近で頭を小突かれた。
コアはビクッと身を縮める。
「…………う、うたないでくださいぃー……」
コアは早くマグナが助けに来てくれることを願った。
ネット上でこうしたあからさまなヘイト構造が持ち上がっても、ネットワークを統轄しているはずの国際電機通信条約機構は我感ぜずといった様子で、無視し続けてきた。すべてを知りながら、何もしないカミサマのよう――全知にして無能の神による楽園、それが、インター・ネットワークだった。
といっても、この構造が産業的に取り込まれたおかげで、ソーシャル・ゲーム――ひいてはソーシャル・メディア全体が発展を遂げたのも確かだった。20年弱ものあいだ、こうした構造が崩れなかったのには、東側諸国のユーザが、進んで微分圏という蔑称を引き受けたことも大きい。現在ではその呼称を誇っている者も多かった。
『撃たないよー………………まだ』
と、金髪ツインテの右隣の輻輳実存迷宮が答えた。
どぎついピンク色の髪が腰まで届いている。
柔和そうな表情にふさわしく(?)、とりあえずおっぱいが大きい。
肩に怪我をしていて、腰に接近戦用のブレードの鞘が見える。
高校の制服のような恰好で、ブレザー・スカートだった。
『わらってしまうよねー。ハイセンコクが負けイクサの将校気取りとはねー』
左隣りの青っぽいトーンの輻輳実存迷宮もクスクスと笑いながら言ってくる。短めの濃い青の髪には、猫科のモノらしい耳がついている。
飄々としているがこいつがいちばん目のやり場に困る。
ほとんど青いビキニ・アーマーだ。
なぜ宇宙空間で毛皮を巻いているのかは謎でしかない。
お尻の後ろでこれまた青いふさふさの尻尾がわさわさと踊っていた。
だが、それにしてもサーヴァントに負荷がほとんど掛からずに会話できているということは、目の前の(彼)女らもまた、携帯式電通筐体の液晶パネルを指先で操作しているのではなく、VRMMOとしてこのゲーム――《ハイブリッド・メビウス・オブ・ファータル・コスミスム》――をプレイしているということだろう。
ふつう、ネット・スフィアで会敵したとしても、会話しなければ相手がどんなゲームをしているのかは分からない。サーヴァントがプレイヤ間の負荷を吸収してしまうからだ。ユーザはサーヴァントというメタ人工知性=個人乗りボートに乗って、ネット・スフィアを航海しているようなものなのだ。
だから、ゲーム・イン状態での戦闘は死力を尽くして戦っているということの寓意でしかない。こちらが冷たい宇宙空間で時空矯正を応酬していても、相手の主観では連合艦隊を率いて艦砲射撃を受けているのかもしれないし、超音速でドッグ・ファイトしているのかもしれない。
剣戟の応酬をしているかもしれないし、ダンジョンでアンデッド・モンスターと対峙しているのかもしれない。
もしくはカード・ゲームでポーカーしているかもしれないし、プリティな馬たちの走順でダービーしているのかもしれない。
檜の盤を前にして、お互いが序盤中盤終盤スキのないよう、駒たちを躍動させているのかもしれない。
複雑化した世界を、とりあえず理解しやすい認識に落とし込む。
それが人工知性の役割であり、ソーシャル・ゲームの本懐だった。
これを単に現実のフィクション化という観点から論じることには、さほど意味はないし、本質をついてもいない。なぜなら現実とは客観的な事象のことを指すからであり、それは多くの場合は現実の忠実なデータ化のことだが、人間はデータをそのまま読み込むことは出来ないのであって、それを人間の認知できる状態のメディアに仮説する必要があるからだ。
例えばナノ・ガル単位の重力変動データを人間はそのまま受容できないので、グラフや図という仮説メディアに落とし込む必要が出てくる。他方人文・社会・心理科学では人間の思考を論理学や数理学を援用しながら仮説モデル化することも続けられ、比較可能なラインが模索されることになる。
文脈の形成なくして、人間は理路を認知できないのだ。
これを、《物語》への欲望という異なるはずの位相へと無条件に接続させようとする思想もたしかに存在するだろう。例えば、いま振滋の前にいる3人などは、たぶんその類だった。
『チャムノーグ』――金髪ツインテが名乗った。
『シャナハマーニャ』――ピンクのロング高校生が答えた。
『ク・メルドラーミ』――青いケモミミ女がにやけた。
「何語なんですかそれら?」――コアが訊ねた。
『さぁ……?』
全員が首を捻った。
『でも、マジカッコよくね?』
青いケモミミ娘が誇るように胸をそらす。
なぜか名前を尋ねた途端、3人の態度が急に友好的なものになったのだった。
すでに銃は下げられ、4人でそのへんに漂っていた小惑星に腰かけていた。
『いや、でもこれでこそ個性の尊重だよ。まさに微分だ。個人として生きてる実感があるというかさ……』
金髪ツインテのチビが、なにやら荘厳な雰囲気で頷いていた。
パーソン――仮面を被った個人――によるユニオンが、現在のグルガ・ソヴィエトの国家運営における理念であるらしかった。
その集合は《ピープル》ではないという。
個人がまず独立した国家として存在し、「万人の万人による闘争状態」の予感の中でソヴィエトという共同体を契約するのだ。
いってみれば国民のすべてが皇帝たるために、国家と契約し全体主義と平等主義に加担する。彼らは初期マルクス主義の唯物性を乗り越えるために、純粋認知論的――とくにエルンスト・マッハやリヒャルト・アヴェナリスの――経験批判論を取り込んだ。《経験一元論》ともよばれたそれは、物質的世界を社会的に組織された経験だと見なすため、組織形態主義と名付けられ、後に人間形態主義と動物形態観の国内二大派閥に別れていくことになる。
どちらにせよ、彼らは原子的な個人が全体社会主義のシステムを構築することによって、有機体としての国家、生物としての国家を《契約》するのである。
「うーん。でも場の空気を読むのって大切だと思いません?」
と3人にむかってコアは言う。
冗談らしい口調だ。
「あとやっぱり伝統とか文化とか、教養としては踏まえてもいいかなって……」
微分圏は敵の主体性のなさ、経験の未熟さを糾弾し、積分圏は敵の批評性のなさ、論理矛盾を非難する。
そんな関係が定着してしまっている。
お約束というやつだ。
にやけながら、青いケモミミ女がコアの話に乗ってくる。
『だって俺らさ、普段は国民番号でよばれんじゃん?』
「まじすか」
『ネット・スフィアでくらいはね、自由に名前呼びたいし呼ばれたい。むしろ呼ばせたい。名前を呼ばせたい!』
立ち上がると、
『俺の名を言ってみろ……!』
と青い雄叫びをあげた。
「えーと、ク・メルドラーミさん?」
『あ? あぁぁぁあっっっひ、いいぃぃぃぃぃぃぃいいぃんん…………!!?』
(彼)女はそのままの勢いで青い嬌声をあげた。
背中から小惑星に倒れ込み、ガルバーニ・フロッグみたいにびくびくと痙攣している。
(え、え、え~~~~~~~~なにこれ怖い。ソ連怖い。何? 恍惚なの?)
と、そうこうしているところに、
ズンッという衝撃。
小惑星が千々の欠片となって爆散した。
――――《人工的冷酷表象》だ。
「マグさん、こいつら戦う気ないっすよ……」
いちおう、3人の方を伺うが、この世の天国みたいな顔をしているネコミミと、期待でわくわくしている残りふたりがいるだけだった。
小惑星が爆発したのにも気づいていないのかもしれない。
『まじか』
マグナも反応のなさに様子が変だと気づいたのか、そろそろと、慎重にコアの方に近づいてきた。
閑話休題。
さて、そんなこんなでいろいろとひと回りしたあと、ふた回りしかけたのでコアが自分の名前を名乗った。
『中心か、いい名前だな……』
金髪ツインテが関心したように頷いた。
『地球の核なんじゃない?』
とピンク高校生がツインテに言う。
熱そう、と続けた。
『いやいや、俺にはわかる。 コア だろ?』
ゲームへの愛が伝わるな! とケモミミが青く言った。
(……えーと。本名の語感に近かったからなんだけど…………)
コアは困ってしまって、とりあえず話題を収めようと、一番近くにいたク・メル(以下略)を向いてニコリとして下をむいた。
それを見たク・(以下略)はドヤ顔で仲間ふたりの方を向く。
それから意図不明の流し目を寄越してきた。
青を心に一、二と唱えたようにでも見えたのだろうか?
『そっちの君は、なんというんだ?』
長い金髪の毛先を弄りながら、所在無げにしているマグナにツインテのチャムノーグが楽しそうにきいた。
『マグナ……』
彼は静かに答えた。
彼の姿は積層学園都市にいる基底現実の鯨峰鮪雫ほぼそのままだった。ただこのゲームには男性キャラクタは存在できないはずなので、どこかしら女性ナイズしてあるはずだった。パッと見ではわからない。
マグナの名前を聞いて、
『ほぅ』
と敵方の全員が驚いたように目を見開いた。
『マグナ・カルタか……!』
チャムノーグが感心したように言った。
それにマグナはやや居心地が悪そうにして、
『いや、マグナ・マーテルなんだけど……』
とボヤくようにして呟いた。
「え、マグナムじゃなかったんですか?」
つい、コアも反応する。
きいていた話と違った。
もしこの場に閘堂寡鐘がいたら、何百年も生きてきた(ほとんどの期間山奥で橋をしていたが)太古の神・鯨峰鮪雫の威厳のなさを嘆いたかも知れない。
ただマグナはこのゲーム・スフィアで遊ぶことが生まれてからこの方いちばん楽しいような気がしていた。列島の神々とされた大昔にも、これだけ戦えたことはなかったのだし、それにこんなに自分に興味が持たれたことも、なかったのではないかという気がした。
彼はサーヴァントを通さず、自前の神経節演算でVRMMOに参加していることに、何の不安も感じていなかったが、彼が想定していたのはゲーム・ユーザや通信局レベルへの偽装でしかなかった。そのシステムを通じて、しかし複合積層学園都市名古屋の量子演算システム――とある天使にその精神が晒されているということになど、彼は未だ、気付いてさえいなかった。




