9 / - 2 東春日井郡市 伍
神秘の国といわれるインドの奥地には、ゴムの木で作られた橋がまだ生きており、やがて両岸に根を張って掛かった橋のまま成長した話もあるというが、この橋は別の意味で「生きて」いた。
寡鐘がその橋に飛び乗ったとき、橋は風もないのに揺れた。
そして揺れるだけではなく、ぐりんと裏返り、捻じれ落ちた。
え――という寡鐘の声は咽喉から出ることなく、水泡に紛れてしまった。
「――何百年も人が来なかったから、誰が来たんだろうと思ったんだ」
とその「橋」は後になって語ることになる。
自分を渡ろうとする人の顔を見ようとして、橋が振り返ったのだった。
そして、ふたりとも川に落ちた。
「嘘だろ……」
水を吸った重い服からざばさぼと雫を垂らしつつ、川に足を沈め立ち上がった寡鐘の前にとぐろを巻いていた者は、醜悪な、真っ赤な――人よりも大きな蜈蚣だった。小ぶりな西瓜くらいありそうな血のような色の頭には長い触角と鋭い牙が付いていた。それを寡鐘の方に近づけてきながら、
「言葉はつうじるのか」
とその蜈蚣は言った。
こっちが言いたい、と寡鐘は思った。
その元「橋」は鯨峰鮪雫と名乗った。
やがて自分から鮪雫と自称するようになるが、それはまだ後の話だった。
「お前、クグツか?」
と鮪雫は彼に尋ねた。
「いや、俺は――」
彼は自分が愛知――尾張の国から来たことを語った。
彼は自分が何者でもないことを知っていたし、単なる子どもだと名乗った。
「いや、お前はただの人間ではないな……だがクグツとも違うか…………」
クグツとは傀儡子という一族らしい。
平安時代の大江匡房という儒学者が遺した『傀儡子記』によると、クグツは定住しない漂白民族であり、男子は馬を乗りこなし弓矢剣槍を巧みに扱え、女子は芸能に優れ美しく、売色を業としたという。元々は男女とも「人形使い」芸能の徒であったが、国家権力を厭い深山に逃れたらしい。いわば「山窩」と総称された服ぬ民の一系であろう。
「俺は、赤い神だ――祇の神孫と言う方が分かり易いか」
川の流れに濡れながら、寡鐘の話を聞き終えた大蜈蚣は、そんな風に自らを紹介した。
「えと、何?」
「そもはお前たちの敵だ。大和の民よ……」
そう言うと、蜈蚣はギシギシと音を立てつつ、背を反らした。
真っ赤なムカデだが、しかし腹の側は白かった。ちょうど日本人系の肌の色をしているといってもよい。そして寡鐘の服が水気を発散するよりも随分早く、そのムカデは人間の形へと編み上がった。
ムカデは自らの腹側を皮膚と擬して、人間の子どもに化けたのだ。
「これより小さくはなれんな……」
と言ったそれは、見たところ10歳を越えたかどうかといった年齢だろう。
だが、九つの寡鐘よりは大きかった。
「お前をみてな、真似してみたんだ。人にみえるだろう」
と表情のない顔で、その少年になったムカデは聞いてきた。
これが先ほど渡ろうとした橋なのだということは、すでに寡鐘の脳裏からは消えている。
「す、ごいな……お前みたいのがほかにもいるのか?」
つい、寡鐘は鮪雫に訊いた。
「いるだろうな。見つけられるかはしらないが」
その答えをきいた瞬間、彼の当分の目的は決まった。
彼は列島の古き神々を尋ねて歩いた。
やがて、奈良の吉野で《白神》柳條撓威を、もうしばらく経ってから東北で《青神》鷸井瑞輝を見つけた。
象牙色の髪の毛を風に流しながら、
「我々はあなた方のような人類が生まれるより前から列島に住んでいた者ですよ」
と撓威は丁寧に言った。
彼の大きさは鮪雫の倍はあったろう。
擬態するにも大人の体格でなければ無理であるらしかった。
『竹内文書』やその元となったとされる『八咫烏秘記』などの古文書によれば、超古代の列島には五色人と呼ばれる黄赤青白黒の肌色をした人類がいたとされている。それが自分たちなのだと彼は語った。
「五色人とは五色の神ともされ、現在では熊本の弊立神社に祀られているくらいだと聞いたことがありますが、そうですね、いまでも東北ではナマハゲという形で赤・青の色神は伝承されているようですが……」
と小学校高学年になっていた寡鐘に語った。
次は東北か九州か、と彼が考えていると、撓威は、
「何、そんなに真剣にならなくともよいのですよ。私たちは滅びゆく種族なのですから……」
と悟ったように言った。
彼はそうは言いつつも、悲し気な目で、
「たしかに未だ、まだ外界の人間に対抗できると考えている同類がいるかと思うとゾッとしませんがね……しかしこの国の高度成長からすでに十年以上経っている……まさか原始的な戦争を企む莫迦はいますまいが――」
と呟くように囁いた。
それはかつての撓威そのものだったのかもしれない。
彼を見つけたときは独りだった。だがすぐ前まで彼は自分の部族を導いていたらしかった。寡鐘を見たとき、彼は「カナレ……」と寡鐘の知らぬ者の名を呼んで彼を抱きしめた。彼は人間として、人間を抱きしめることに馴れていた。
……目蓋を明けると、暗闇には吐息が漏れていた。
鮪雫が寝息を立てていた。安心しきって眠っている。
いつもは強い煙草を吸い吸い眠るので、彼の着ている服にまで臭いが染みつき、その生地を少し重くしているほどだった。
今日は、気分が落ち着いているのだろうか。
「それにしても、あの男……」
寡鐘は鮪雫の安らかな寝息を聞きつつ、内津の洞窟で鮪雫の殻に傷を付けた機動兵器と、複合積層学園都市名古屋の男のことを思い出した。
「あの子ども、確かに似ていた。俺や樹禰に――」
総矢獨景と名乗ったその男が見せた少女――それは確かに、色素の欠乏した自分たちそのもののようだった。
「いったい、俺は何者なんだ……?」
彼はいつもとは違う意味でそのことを考えた。
名古屋のあの男は、何をやろうとしているのだろう? いったい何を知っているのだろう。いつも白く地平線に聳える、あの高層建築を見ながら暮らす自分にとって、彼らは一種の征服者だった。少なくとも俺たちの風景は征服されている。かつてパリにエッフェル塔が出現したときと同じように……。
欧羅巴人――特に羅馬人にとって、「橋」とは横たわった塔建築であったのだ、と彼は考える。彼らにとって、橋とは征服と布教の経路だった。あるいは逆に、神の国へと到る殿堂を、平面化した建築だったと言い換えることもできるかもしれない。であれば十字教の萌芽を齎したであろうバビロンの遺跡に残る石橋の断址や、プトレマイオスの古地図に記されたインダス河に掛けられた橋が、その源流として想定できるかもしれぬなど、幻想に戯れるのもまた楽しい。
ともかく彼らにとって道とは、山あい山がいの谷間を縫って数多の峠を越して求めるものではなく、原野を蜿蜒と拓いて征く物だったのだ。でなければ、彼らから第三帝國の思想もヨーロッパ精神も生まれたはずはない。彼らは東方の他力信仰や仏陀の教えには、人間の強烈な意志の香りがないと嘆き、ローマ帝國に憧れ、三位一体の教会制度を憧憬するに至った――寡鐘はそのように暗闇で考えた。
そして、と寡鐘は部屋で吐息を立てている、あの自らが出会った橋のことを思い出した。
日本の橋は、そんな確固とした人工の橋とはやはりどこか、違って見える。
古代の日本人は、自然なものの延長として、けだものの作ったような橋しか作れなかった。羅馬人にとっての道は――荒野に築かれた道は、横倒された塔――橋の延長であったのに対して、山野の自然に渡された日本の橋は、けものみちじみた山道の延長だった。それは自然と人工をもっぱら調和し、いずれをも微かにならしめようとしていたのだ。列島の旅人は道を自然の中のものとした、そして、道の終わりに橋をつくった。はしは道の終わりでもあった。だがその終わりは彼方につながる末端であった――。
「はし」はふたつの物を結びつける接続面であり、箸が二本で一善であることもこのことを思い起させる。ものの終わりにつなぎ仲介する橋は、彼岸と此岸を結び、あれとこれを同化させる。だがそれは別れ行かねばならぬという、運命へのささやかに過ぎない抵抗でもあるのだろう……。
道を拓くのか、
道を求めるのか。
そうした羅馬帝國――名古屋と古代日本――自らの精神性を言い換えれば、それは、こういった違い、こういった対立となるだろう。
世界から人間を救い出そうとするのか、
世界の中で人間を救おうとするのか。
いや、少し違うのかもしれない。
寡鐘は再び目をつむって考える。
彼の口から、ほどなくして小さな笑いが零れた。
俺とあの男の差異とは、畢竟、こういうことになるのだろう。
寡鐘はシャツの下に首から提げている首飾りを、服の上から強く握り締めた。
壊れてしまえばよいのに、と彼は思った。
あの男に、この気持ちがわかるだろうか、とも考えた。
きっとわかるまい。山道を往く哀れなけだもののことなど。
彼は小さく呟く。
自嘲気味に、だが温かい気持ちも腕から零れぬよう、抱きしめて。
物語から人間を救い出そうとするのか、
物語の中で人間を救おうとするのか――――。
※ 山林に無闇に踏み入る行為は森林法197条の森林窃盗罪などに問われる可能性があります。




