7 / - 1 名古屋市 參
指先で廻していた真っ白なプラスティックのストローが、回転の勢いのまま空中に踊った。
「あ、……」
という声の消えないうちに、おひさまの光をきらきらと明滅させながらストローは手の届かないところまで行ってしまう。
空中に――そして、200メートル離れた地上にむかって。
下に遮るものがないわけじゃない。落ちたのが人だったら、助かるだろう。でも、あのくらいの小ささだと、まっすぐ地面まで届いてしまう。放物線を描いて欄干を越えてしまった私――柳條香流のストローはゆっくりと回りながら落ちて行った。虚空を挟んで10メートルほど向こう側の席にいる会社員風の男性も、太陽光を反射しながら落ちて行くストローに気づいて、落ちるところを途中まで目で追っていた。
そして、ふと顔を上げてそれを落としたであろう、私の方を見る。
男性はそっと目線を反らせた。
不自然にならないように気を使ってくれたのがわかった。
彼は、ほどなくして席を立った。
「ですよねー」
私は投げやりに小さく呟いた。
今の私をひと言でいえば、全身ぼろぼろ。
包帯。ガーゼ。また包帯。
「しょんぼりモノボリー(意気消沈)」
意味の分からないことを言ってテーブルの上に置かれた紙コップを見下ろした。中には、冷えた苺シェイクがぎっしり詰まっている。
「……これ、どうしよ……」
私は、ストローなしでシェイクを飲まなくてはならない苦境に立たされていた。
~十五分後~
結局、もうひとつシェイク(べつの味、何の味かは憶えてない)をたのむという冴えすぎた手によって場を切り抜けた私は、二杯分のシェイクによって冷えたお腹を抱えてテーブルにつっぷしていた。
おいしかったけど!
包帯まるけ(包帯まる毛ではない)でうずくまっているというのは周りからするとそうとう気を使うのかもしれない。でも、お腹のことは関係なく、いまはこうしていたかった。
……塞ぎ込んでいる、自覚はある。
一週間と少し前に行われた作戦行動で、私は指揮官だった。
帰国して、はじめての指揮官。私はうれしかった。だから、きっと、舞い上がっていたというのも、あったのだと思う。
そのせいで、部下として赴任した大学生くらいの男性を負傷させてしまった。
失明させてしまったのだった。
彼は言った。
「安心してください。入ってますよ」
赤いレンズの応急用電子アイを左右に動かして、病院のベッドで上半身を起こした体勢で薄く笑った。
ごめんなさい。私のミスだわ。
私は少し、そう、少しだけ……少しだけだと思う……少しだけだった……少しだけのはずだった……でも、確実に読み取れるくらいの強がりを、態度にだしたのだ。私は隊長なんだ、という意識があった。17年の人生で、こういった状況ははじめてだった。
「お医者様の話では、あなたの細胞から移植用の眼球を造れるそうだから、それを入れるといいと思うわ」
私は、心配そうな表情になるのを堪えて、彼に言った。
「……」
彼はその様子をレンズで見つめると、いえ、いいです、と言った。
「なぜ? そのままでは日常生活に支障が……」
「電子眼球の方が、私は戦力になりますよ? こちらの方がいい。あなたのような隊長に従うならね」
「え?」
私は声を上げてしまった。
情けない声だった。今思い出しても。
まるで子犬みたいな……。
「あなたなら、今の私のような兵隊の方が都合がよろしいでしょう? 赤外線も見えますよ。それに、こっちの方が壊れにくいんだから……」
「な、何言って……」
叱ろうかとも思った。
でも丁寧な言葉づかいを崩さない彼を、どうやって注意すべきか迷った。
この国の作法に私は、たぶんまだ不慣れだ。
「あなたは義務で言っているだけでしょうから、どちらでも構わないんでしょうけど、なら、顔を見せない方がよっぽど増しでしたよ……」
「べ、べつに心配していないわけでは、ない……」
「へぇ、そうですか?」
「そ、そりゃあそうさ」
「……目を、ちゃんと治せって?」
「その方がいい。人生は、その、長いんだから……」
「……そう、かもしれませんね」
「そ、そうだろう!」
「じゃあ、隊長、あなたは」
「な、なんだ、その、何でも言ってくれ。持ってくるから」
「……隊長は、本当に心配してるって言い張るんなら、僕と、セックスできますか? もしそうしてくださったら、目を治すことにしますよ」
彼は吐き捨てるようにそう言った。
もうこちらを向こうともしなかった。
もう、隊長としての威厳なんて、なかった。
「……っ……うぇ……」
私は泣いた。
びゃーびゃー泣いた。その場で。子どもみたいに。
お前は間違っていたんだ、人間の屑なんだ、という彼の言外の責めに耐えられなかったのだ。戦いには慣れているつもりだった。でも、こういうのは、はじめてだった。
回想するのきつい。
「うぅ~~」
そうして私がテーブルにつっぷして唸っていると、
「――カナさんじゃないですか!」
と声がかけられた。
ハッとして顔を上げた。
「と、トーメ、ちゃん……」
見覚えのある、白緑色のボブカットをした小学生くらいの――昔、ソ連の科学アカデミーで友人になった冬目橘杯ちゃんという女の子だった。
「お、お……」
再会の感激に身体が反応したのか、私は急に言葉を詰まらせた。
「……お?」
トーメちゃんが聞き返してくれる。
「お、といれに、いってきてもいい、かしら?」
私ついに耐えられなくなった膀胱におののき、年下の友人に恥ずかしながらそんなことを聞いていた……。




