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崑械のアイオーン  作者: gaia-73
第2章 邂逅の塔
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6 / - 2 名古屋市 貮


 

 (ひと)(かげ)が暗い逢う瀬から地上――つまり第3層に出ると、そこは名古屋東照宮の敷地内だった。永遠の夕焼けのような空の鮮やかさが、何とも言えない郷愁を呼び醒ます。境内のいたる所に植えられた桜が、小ぶりな葉のついた枝を震わせてざらざらと風に揺れた。


 獨景は、賽銭箱にむかって小銭を投げ入れる仕草をした。

 彼は何も持っていなかったが、ジェスチャに反応して賽銭箱がちゃりんちゃりんと、小気味の好い音を立てて響いた。いくつものシステムが寸時のうちに連動し、彼の資産から賽銭手続きが済まされる。目の端に移り込む寄付の薦めをやんわりと無視して、丁寧に二礼拍手一礼を済ませた。祈りというより、挨拶のような感覚。石畳を通って那古野神社を抜け、東側の鳥居の方に退く。灰色の鳥居から踏み出したところで、振り向いて一礼を済ませた。

 

 名古屋城でも見てから帰ろうか、と彼は歩きながら考える。

 第三高速学園都心環状線を横目で見ながら、東に進んだ。突き当りを左に曲がれば、あとはもう名古屋城に向かう一本路だった。


 ごく普通の街中、しかもスーツ姿の仕事人の行きかう地域の中で、丈の長い白衣をはたはたと風に揺らして歩く獨景は、ひどく場違いに見えた。

 首から赤い紐で下げた学園都市職員のプレートがなければ、暇な大学生のコスプレとでも思われるだろうか。

 獨景は歩きながらすでに、景色よりも自分の思考に落ちて行こうとしていた。外界への反応は身体に任せ、取り留めもない考えに没頭する。読書するような感覚で自分の中にあるはずの情報を再び探し出し、まとめ直しながら振るいに掛け直す。小さなことから始まり、やがて、彼は考え始める。


 自分のやろうとしていることを。この複合積層学園都市名古屋バビロニック・ホウサのことを。……電子計算機(エレキュレータ)を利用することで人間的な近現代――人間をまず標準化し、全員に同じ規定(プロトコル)を強い、それによってコミュニケーションコストを下げるという時代――を、中間層に計算機を挟むことによってどうしたら変えられるのか。そうした目的意識を孕んだ思想は「近代」という標準化の世紀からの脱却として「脱近代」と呼ばれることがあった。

 誰が言い出した訳でもない。いつの間にか、電子計算機(エレキュレータ)・サイエンスの研究者や技術者のあいだで言われ始めたトピックだった。人がそれぞれ異なる個性を維持したまま、意思を疎通し、社会を形成する。それを電子演算機と技術革新によって実現しようというのだった。


 だが、獨景はこのようにして()()()()()()()()()()()()()()

 それは脱近代=脱標準化という思想が、「人間」をやさしく保証しているからだった。生物種としての人類を、脱近代は終わらせない。人類が変わるのではなく、人間が終わるのではなく、人間の過ごす環境自体を終わらせ、更新し尽くせばよいという指向は、人の代わりに環境を、サイボーグとしてしまえばそれで済む、と示していた。これが脱近代の帰結。


 人間は変わりたくない。

 変わってしまうことは怖いから。


 獨景は志向する。人間という種の変質を。

 だが、その二者はほとんど同じに見えるだろう。

 脱近代における計算機=自然(デジタル=ネイチャー)世界観は、その中で過ごす人間に、そこでの生活を経験した人類に、意識の変革をもたらす。人の価値観は新しい環境によって更新されうる。人の意識は生きる環境によって形成されうる。たしかに環境の更新は人類という種のソフトウェアを部分的に刷新させはするだろう。


 だが、その果てにあるのは大きな袋小路だ、と獨景はみていた。

 たしかに人類は変質するだろう。だがそれは、人類の部分的な修正でしかない。しかもその修正によって、人類は自らの造り上げた計算機自然以外での生存能力を、手放しはじめることにもなりかねない。あるいは何らかの格差によって、得られる《自然》そのものが、触れることのできる世界そのものが、互いの理解を、物理的に不可能にしてしまう時代がくる可能性もある。


 人類という同じ種のあいだから、国家や宗教、身体的・経済的格差から生じる非合理的な意識の差異を取り除くために、差異を計算機に翻訳させ、翻案させ、その多様性を保ったまま、共存を可能にするのが計算機=自然(デジタル=ネイチャー)の根本思想だ。人間の負の差異を、計算機に吸収させてしまえばいいと。だがそれによって人類は、数百年後までに、同じ種でありながら意識の構成要素の異なる存在を生み出し続けることになるだろう。意識という構成体による差異の拡大は、これまでの、見た目によって判断の可能な差異以上の困難を、人類にもたらすと獨景は考えていた。


 第三者による意識の証明は困難を極める。証明すら困難な、しかしその人間の実存を支える意識という構成体が、実はそれぞれ全く異なる形態を得て、全世界で際限なく細分化を続けるとしたら、それは、計算機=自然(デジタル=ネイチャー)の吸収可能な負荷を超えてしまった段階で、人間という種が形成する世界が崩壊することを意味するのかもしれない。


 もちろんそんなことは起こりえず、電子計算機(エレキュレータ)の発展速度を考えれば、人類程度の数の――数十億程度の差異では問題なく機能し続けるというのが大方の研究者の予測だった。獨景も、それにはおおむね賛成している。ただし、問題があるとすれば、これから先、電子計算機(エレキュレータ)自体にも個性が生じ続けるだろうという彼の予測だった。やがて数世紀も経たないうちに、機械であったはずの人工知性は個性を持つ――いや、不必要な個性を持たないように人類が細心の注意を払ったとしても、人工知性が個性を持ちたいと願うような時代となると言った方が正しい。そうなれば、人類だけでなく計算機自体にも多様性を保証しなけばならないのではないか。個人の意識の上ではやがて接しているのが人間なのか機械なのかは区別できなくなる。それどころか単細胞生物から無脊椎動物、あらゆる動物と植物さえ多様性をともに生きることになるだろう。あるいは、創作物や偶像でさえも。


 人権というシステムはどこまでも拡張できるはずのシステムだった。理屈から言えば、多少の論理的反論は可能とはいえ、拡張を拒むことは、将来的には困難さを増していくだろう。生まれたときからそうした世界観に生きる人間が世代を重ね、あるときその《自然》が崩れたとしたら、もうすでに、本当の意味での自然な関係性の中で生きられる《意識》の形はしていないだろう。


 しかもこれらは、計算機=自然(デジタル=ネイチャー)の外部が存在しなくなる、という前提に立っていることも失念してはならない。外部の存在する時点で、計算機=自然の魔法のような世界は、テロリストの標的にさえなるだろう。

 だから、獨景はもう少しだけそこに手を加えた未来を夢に見ていた。


  ――――幽靈塔(バビロニック)=自然(=ネイチャー)――。


 電子計算機(エレキュレータ)によって、人類と環境の双方を相克渦動的に変質させることはできないのか。人類と環境に同じだけの権利と義務を課しどちらの苦しみも喜びも分かち合える世界にはできないのか。そんなことを考える。言い換えてしまえばこれほどオカルティックな思想もない。獨景はあらゆる科学技術によって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そのとき人類は生物種としてのホモ・サピエンス・サピエンスを超え、《環境》や《自然》に左右されることの無い、まさに脱近代を()()()()()()()()生命となるのだから。


 そのために彼は、


全能の靈(アーイオン)へと人類を至らせなければならない……」


 そう呟いて嬉しそうに笑む。


 かといって獨景は人類の意識領域を、インター・ネットワーク上に拡張するようなことを目指しはしない。集合的無意識(ユング・ドクトリン)としてのインター・ネットワークという幻想には興味がない。

 頭蓋骨(ボーダー・ライン)のことを限界だとも思わない。


 彼は究極的には人類の身体と意識を環境のそれと連結させたいのかもしれない。砂漠が脳になり、シマウマが論理になり、イルカの群れが感受性になる世界。蟻とキリギリスが会話し、死体が歩きはじめるそんな時代を夢見て。


「――計画は手順通りに、《i-BARUMM(アイ)AH》?」


 獨景は白衣の端をはためかせ、傍らに()()人工知性に声を掛ける。


『そーですね。大丈夫ですよ』


 彼の肩に座った小さな妖精が答える。


「そうそう、彼はどうなった。この前の戦いで負傷したパイロット――代月君の両目は、治りそうか? どうなった?」


 獨景は10日ほど前に終了した作戦の後処理にあたることを聞いた。


『あぁー……』


 その問いに、妖精は微妙な表情になってから続ける。


『ちょっと、複雑なことになってますね……』



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