4 / - 4 名古屋市×東春日井郡市 壹
狼は食べるために狩りをし、敵とみなした個体を群れから放逐するために牙をむく。だから野生の狼は、観察すると多くが感情に湿っており、故に無駄も生じやすい。そう考えれば騎乘裝甲戰鬭機の動きは現実の狼よりもずっと狼らしい。それは狼というには、あまりにも数学的で、デザインされていた。限りなく狼という生物構造をデフォルメしているが故に可能なしなやかさがあった。
そうであるために騎乘裝甲戰鬭機の所作は、野生の脊椎動物にはありえないほど冷徹であり、冷静であり、また、理性的だった――それは無我の境地に達した格闘家が野生の狼の、その構えをとっているようなものだった。
《構え》とは、外部化された内面だ。
内面化されつつある表皮感だ――無間にループする本性の円環を形作る神経伝達――そしてそれはいま巨大な狼によって形造られるメビウスの環だった。そこに循環する《狼》が鋼鉄の身体に拡張され闇を裂いた。
のおぉぉぉおお のおぉぉぉぉぉおお るるるるるる……
狼の構造をした何者かが、何かが、騎乘裝甲戰鬭機として吼えていた。だがそれは現実の空間には響かない。響くのは操縦者の心にのみだ。彼女=柳條の心の中に狼がおり、狼となった彼女は騎乘裝甲戰鬭機の咽喉笛となって鳴る。
洞窟の闇に脚を鞭のようにしならせ、気配へと鋼鉄の爪先を叩きこみながら鳴る!
吼!
吼!
吼!
吼!
拳も脚も、腹の中さえ炎のように熱い。熱を振り払うようにして柳條は次々と鋼鉄の打撃を敵に叩き込む。アメリカ陸軍式の機動軍隊格闘は論理的に相手を破壊する技だがそこに彼女が独自に研鑽した中国武術も組み込まれている。効率と破壊への熱情はそこに混じり合う。神経情報筐体が機体の感触を自分のものとして柳條の脳髄へと伝達する。自然 - 機械=身体 - 脳髄の情報奔流は、脳髄 - 自然へと還ろうとする物理的衝動によって外界への攻撃を止めることができない。
もはや情報によって巡る彼女の知覚は人のそれではない。全ては眩暈の中に、眩暈の向こう側のホワイト・アウトした調和の中に認識がある。彼女はなめらかな打撃の時雨となり、集合的象徴界からやってくる雨粒となる――――、
ルルルルルル…… オオォォォオォォオオオ ノぉオぉオオォォオォオオ……
洞窟の装甲機獣は、颶風の如き闘争本能の雄叫びを疾らせる。《ŠEMAGLiG》が姿勢を精確に制動し、空中でも身体を安定させている。巖の壁を、天井を、蹴ってはいずれかの四肢を打ち込み、瞬間、重心移動のみで身体を半回転させ、自らの重量と位置エネルギーを打撃と換えて真逆から敵を襲う。
ルルル…… オオオオオオ グノオオオオオオオ おるるるるるるるる
「――――、あ………………?」
不意の衝撃。不快な感覚と共に人間の知覚へと呼び戻された彼女は、是非もなく腹の物を吐き下した。臭いと窒息の恐怖から、彼女は必死にパイロット・マスクを毟り取り、コクピット内で身悶ちながら自分でも意味不明な叫びを上げた。
「――――――っっ―――――!!!! ――――――…………!!」
騎乘裝甲戰鬭機は膝を着いていた。
死を柳條は覚悟した。
入口付近で打ち尽くしたハンド・ガンを引き寄せようと、ハンド・マニュピレータを地面に叩きつけても、そこには硬い洞窟の内壁があるだけだった。さっきの衝撃は、敵からの攻撃を受けたのだということが、遅まきながら彼女にも分かりはじめていた。
半ばパニック状態の彼女の視界に、ぼおっと見えるものがあった。
自分の数メートル先の闇の中に、緑色に光る幾つもの点。
蟲のような眼――そして、
「貴様は……」
《ŠEMAGLiG》の視せる視界には、まるで蟲の外骨格を纏ったような甲冑武者のような姿が映し込まれている。体長2メートルほどか。数10分前に見たあの蟲の肢が身体中から覗いていた。
「な、るほど……《強化》――――《外骨格》と、いうわけか……」
機獣の各部位を懸命に作動させ、柳條は後ずさる。
洞窟の出口にむかい、無心に。
だが、もちろん分かっていた。
私は死ぬかもしれないと。
再び不意に頭蓋が揺らされ意識が遠くなった瞬間、柳條香流は幼少期に嗅いだ、脳生理学研究所の床の匂いを思い出した。鼻の奥がつんとし、眉間の痛みに涙が出たあのとき。あれはきっと血の匂いだった――思考した脳のパルスが、落ちかけていた彼女の意識を何とか繋ぎとめたらしかった。
(……どこか、ら…………?)
洞窟の中で地面に転がった騎乘裝甲戰鬭機は左肩を砕かれていた。
自分の左肩にも熱い炎を感じていた。
攻撃は虚空から繰り出されたように見えた。
もはや全ては決したかのようだった。
だから彼女の耳元に声が聞こえた時、彼女はなんて場違いなんだろうと思った
『――――中尉。柳條中尉、よくがんばった』
「総矢先生……?」
『充分だ。あとは僕がやる』
「しかし…………!」
『大丈夫。君を離脱させる』
その言葉が早いか、騎乘裝甲戰鬭機が肩口のレーザーナイフ・ブレード引き抜いたその勢いのまま、まるで抜刀術のようにして相手の頭部に向けて正確に振り薙いだ。そこに生物的な気配はまったくなく、純粋に機械であることを生かした不意打ちだった。騎乘裝甲戰鬭機自身もその攻撃で明らかにバランスを崩して仰向けに倒れ込んだ。
『《ŠEMAGLiG》が僕の管理下にある以上、こういうことも出来る。では、また元気な姿を見せてくれ……』
「?――!!!」
騎乘裝甲戰鬭機は高速で洞窟の出口に向かい疾走していた。手足で走ってはいない。倒れたままの状態で重心の移動を用い、ゴロゴロと横向きに転がりながら移動していた。
「おぶっ」
転がりながら柳條は再び吐いた。
失禁してもおかしくなかった。
騎乘裝甲戰鬭機は勢いがついたところで手足で身体を支え、出鱈目に地面を蹴って洞窟から逃走した。山の中の先程来た道を正確に辿りながら下山していく。まるで悪魔に憑かれた少女のような醜悪な多足歩行で、移動効率のみが考えられた移動形態だった。つまり操縦者の負担にはまったく考慮されていなかったが、死ぬよりは生還できた方が増しには違いなかった。
『…………』
洞窟の中には、静寂が戻っていた。
甲冑の頭部にまともに打撃を食らった敵性存在は、それでもふらりと立ち上がって洞窟の出口を視た。暗闇の中、数十メートル先の出口だけが白い光の入る場所だった。そうして出口から出ようかと戸惑っているその者の視界に、ゆっくりと立ち上がる影が映った。丸い出口の白い光の真ん中に影が立ち上がったのだから、気付かない筈もない。
白衣を靡かせたその影は、
『どうも、私は《複合積層学園都市名古屋》の総矢獨景という者だ』
と名乗った。
騎乘裝甲戰鬭機内から放擲されたBR投影端末筐体が作動し、彼の姿を暗闇に投影し始めたのだった。それは遠く研究室の彼の姿を投影し、その思考自体を音声として発する。
「………………」
『よくもまぁ、あれだけの攻撃に耐えられたものだ……実に興味が湧くじゃないか……?』
獨景は相手に向かって話し掛けた。
話が通じる事が分かり切っているような様子だった。
『君が何者なのか……僕は何も知らない。だが……』
獨景の視線の先では、先ほどのレーザー・ブレードを受けた頭部を、左手で押さえながら立っている赤黒い甲冑の何者かがいる。
『だがね、僕はいつか君のような存在が現れるだろうことは、予想していたよ』
少し話せないか? と獨景はその戦士然とした者に言った。
柳條に《強化外骨格》と呼ばれたそれは、20メートル以上あった獨景との距離を2歩で詰め、頸に布のように巻かれた白蜈蚣状の蟲の胴で、総矢を薙ぎ払ってきた。音速を超えるときに響く鋭い音が辺りに響いた。
『無駄だ、映像だよ。君の攻撃は無意味だ』
獨景は上機嫌に笑った。
再び数メートルの距離を取った《強化外骨格》は、ナイフに砕かれでもしたのか、眼のあたりををずっと片手で押さえながら、じっと獨景を観察しているようだった。
『なに、君に拒否権はないさ。僕と話してくれないなら、隣国の学園都市に頼んでプラズマ兵器を打ち込む。この一帯ごと蒸発してしまうぞ……』
本気か冗談かわからないことを口走って、獨景の虚像はまた高らかに笑った。




