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崑械のアイオーン  作者: gaia-73
第1章 始動の夏

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11/58

4 / - 3 名古屋市×東春日井郡市 壹

 

 

 走り続けた時間が、ヘッド・マウント・ディスプレイの片隅へと電述されていた。追いつくまでには、ほんの25分ほどしか掛からなかった。

 人工知性《ŠEMAGLiGシェマグライグ》が想定した以上に優秀だったこともあろうが、敵も油断していたのかもしれない――あるいはこちらが戦闘に馴れていないのと同じくらいに、あちらも大した実戦経験を持たないのではないか? ――柳條はそう考えた。


(…………それともこれは、たんに巣へでも誘い込んで、返り討ちにするという考えでもあるのか……読み切れないな、どうも……)


 考えながら、揺れるコクピットで柳條はつい気分が高揚する。

 やっと、全力で戦えそうだった。とはいえその浮かれたような楽しげな感情にもやや陰りはある。歯止めが掛かっている。先ほど犠牲になった代月の顔が、ちらちらと脳裏によぎっていた。しかし胸の高鳴りと血流が騒めくほどの期待感を、彼女はどうしても止められなかった。


 統合生体工学を反映したしなやかな機械の肢体が地面を蹴り、人の踏み入れない森の深みへと分け入っていく。機体は邪魔な樹々を薙ぎ倒しながらぐんぐんと進撃する。辺り一面が濃い緑色で、それら樹木の幹も色とりどりの苔類に覆われており、目にも鮮やかだった。樹々の隙間も狭くなったが、柳條の機体はそれほど速度を落とさずに森を抜けていけた。


(――それにしても、何というのか”爽やか”、だな――――なかなかこういう状態では、走れない…………)


 邪魔な装備を自棄パージした騎乘裝甲戰鬭機(ギアン・チェンバレン)は、戦車を超える速度での活動が可能だった。いわゆる素体と呼ばれる状態で、現代戦車風の直線的な対砲撃装甲板アーマー・プレートを取り払った機体は、スマートで流線的な本来のデザインを剥き出していた。流線といっても航空機やレーシング・カーというよりは、むしろより肉質的な、ローマ帝国時代の彫刻芸術プラスティークのようだった――有機体と機械のハイブリッド、という命題に挑んだナンシー派アール・ヌーヴォー製の、家具デザインのようにもみえた。

 2足で森の中を走行する騎乘裝甲戰鬭機(ギアン・チェンバレン)はメイン・カメラを具えた頭部から、2つの走査レーダー・パネルが突き出しており、有り体に言えば黒光りする人狼のよう。

 人狼の彫刻ワーウルフ・プラスティークは森を駆け、それに追われる蟲は、精度の高い追跡に気づいてやや焦っている。蟲は山腹に口を開けた大きくて深めの洞窟の中へと地下から突き入り、そのまま洞窟の冷たい闇の中に姿を潜めた。


 柳條機は、いきなり景色が開けたのに驚いて立ち止まった。

 進むにつれて樹がまばらになって来たかと思うと、やがて広場のように草や背の低い植物だけの場所に出た。柳條機はハンド・レールガンを左脇のホルスター・パックから右手で引き抜くと、それを油断なく構えながら、緩やかな山肌を一歩一歩落ち着いた足どりで進んだ。


(……………………まさか、本当に巣か?)


 進むほどに植物の背は低くなり、やがて苔だけになる。さらに歩んでいくと、岩肌の露出した不毛の地面になり、その奥に冷たい洞窟が見えてきた。

 衛星システムによれば、現在地はぎりぎり岐阜県には至っていない。ひとりだけ、当初の目的地だった内津ウツツ峠のあたりまで辿り着いてしまったらしかった。


 銃口を青黒い洞窟の口に向けたまま、機体は耳をそばだてる。

 蟲の掘り抜いて通った地下の空洞へと、足蹠そくせきから音波を放つことにより内部構造を把握できるのだ。足は耳となり、耳は音を送り出し、また受け取るための心臓となる。心臓は体静脈から帰ってきた血液を右心房によって肺動脈に乗せ、コクピット付近に搭載された《ŠEMAGLiGシェマグライグ》という肺臓へと送り出す。《ŠEMAGLiGシェマグライグ》は送られて来た音を、解析した情報と交換し再び足裏の音響レーダー装置へと、やさしく送り還す。

 それにしても長い。地下の貫通痕は長く、そしてひとつではない。

 音は入り組んだ中を不規則に響き合い、地下の八方で反射し、複数の経路で洞窟に入る。内津の地下はまるで植物の地下茎リゾームのようなあなで繋がっている。


(――――なるほど)


 と柳條は不敵に思う。


(もはや、この土地の全体が巣というわけか……)


 だがそれならば、もはや何をどうしようと手遅れかもしれなかった。

 とはいえ、彼女に恐怖はない。

 確かめたいことが、目の前に穿たれた闇にはあるからだった。


「”シナイ”――君は、そこにいるのか――?」


 彼女はそう呟いて、また一歩ずつ闇へと歩き出した。



     ◇◇◇

 



「…………うー、先生?」


 冬目橘杯きつつきは表情を溶かして動きを止めてしまった総矢獨景をみて、不安になって呼び掛けていた。獨景の左肩にとまった紅い妖精はそれをおもしろそうに眺めながら、にやにやとしている。


『先生は今お仕事中なんだよ。アンタ、置いてかれちゃったんだ────残念だったねぇ?』


 総矢の試作した最新鋭の人工知性《i-BARUMMAH(アイ=バルマフ)》は、対峙しているボブカット少女を挑発するように言う。


「べ、べつに残念とかじゃないし」

 

 悔しいので、いわれた橘杯は強がって答える。

 モザイク状の浅葱色をした髪をエアコンの風に揺らされながら、彼女は肩に妖精を載せた獨景の様子を伺う。いつもよりやや細められた眼差しは鋭く、何かを真剣に見ているようだった。


『私が、先生に見せてるんだよ?』


 と、《i-BARUMMAH(アイ=バルマフ)》が獨景の着た白衣の肩に、ひょいっと腰かけながら橘杯に言った。溶岩を夕焼けで煮詰め溶かしたような真っ赤な髪をふぁさりと片手で後ろに流しながら、凍った蒼炎のような瞳をすっと橘杯へと流してくる。


「…………うぅ……」


 いながらにして彼方の光景を見、いながらにして彼方の音を聴いているとしたら、それはこの場所にいると言えるだろうか。幻聴の果てに冥界の声を聞き、目疾の果てに冥府の光を視た古人が、彼岸に招かれ帰らなかった云い伝えを、橘杯は思い出した。彼女の眉毛がピクリと動いた。

 獨景の白衣を掴もうと手を伸ばした彼女のもとに、


『あまり姫をイジメてやるなよ、《i-BARUMMAH(アイ=バルマフ)》』


 と紅い妖精ピクシーと同じ拡散系音波による声が届いた。

 少女と少年の中間のような声質のその言葉に驚いたように、


『――《ŠEMAGLiGシェマグライグ》……?』


 と《i-BARUMMAH(アイ=バルマフ)》までが意外そうな声を発した。

 もっと状況が掴めない橘杯は、紅い妖精の隣にポンと現れたそれを、ただ黙って見ているしかない。


『何を驚いてる──オレと貴様はほぼ同機種だろう?』


『ま、ねぇ。でもアンタ、趣味悪いねー、今の御時世、金髪碧眼も流行らないでしょうに……』


 言いながら、《i-BARUMMAH(アイ=バルマフ)》の電子虚像の顔に浮かぶ表情が険しく変化した。それに伴って口調も厳しいものに変化する。


『どういう積りだ《ŠEMAGLiGシェマグライグ》? なぜチャンネル・プロトコルを開かない――お前はそんな不合理なやつではなかったと判断していたが……?』


『趣味が悪いのは貴様だろう――オレはこの場における貴様と姫の状況に、影響を与えようと出て来たんだ。なぜ姫に読み取れないような層で情報伝達しなくてはならない? それはオレの活動が浪費されたことを意味するだろう? 貴様と違ってオレのリソースは、安くはないんだぜ?』


『――ほぅほぅほぅ。云う様に、なったじゃないか小僧。この《積層学園都市バビロニア》の計算資源をすべて乗取って、お前という仮想陽電子脳演算を解体してしまうことも、私にはできるんだぞ《ŠEMAGLiGシェマグライグ》――』


 橘杯はどうしようもなく、ふたつの電子虚像を見ていることしかできない。上から目線で、かなり際どい脅しまで口にした人工知性らを前にして、彼女は反論することも阻止することもできない。たしかに彼女は東側諸国の科学アカデミーではかなり優秀な学生だった。だがこの《積層学園都市バビロニック・名古屋ホウサ》ではあまりにも技術的な飛躍点が多すぎるのだ。

 少女には、人工知性の会話が単なる情報的な反射の積み重ねなのか、本当に意識のようなものをもった主体同士の牽制が応酬されているものなのか、判断ができなかった。彼女はなんだか憔悴してしまって、


「――君たちは象徴記号なの?」


 と弱々しく呟いた。

 それは東欧にいたころ聞きかじった記号論の用語。意味は自分でもよくわからない。

 だから、答えは期待していなかった。

 でもそこで、


「人は、記号が好きだ。しかも明確なものが好きだ――」


 とそれに答える声があった。ロラン・バルトの言葉だということを、彼女はしらない。しかしそれが彼女の義父――総矢獨景の声であることは一瞬でわかった。彼は膝を折って冬目橘杯の隣に跪くと、すっと彼女と目を合わせてきた。少女の背は低いので、いまの獨景と目の高さがほとんど同じになる――。


「――人間は、象徴記号だ。なら記号にも、人生はある」


 獨景は穏やかに、よくわからないことを言った。燃え上がるような紅髪のピクシーを、金髪碧眼の天使のような少年が羽交い絞めにして動きを封じているのが橘杯の眼の隅に映る。

 少年の妖精ピクシーは笑っている。

 冬目橘杯は獨景の後ろの中空でじたばたともがく《i-BARUMMAH(アイ=バルマフ)》をぼんやりと見詰めながら、「え、えと」と口籠ってあらためて獨景の顔を見ようとした。


「――――!」


 でも、彼女はそうすることはできなかった。視界が真っ暗闇に包まれてしまったのだ。どうやら、獨景が自分の着ていた白衣で、彼女の視界を覆ってしまったらしかった。

 戸惑いと驚きと好奇心で、彼女は身を硬くした。

 跪いた義父の白衣の中に暗く包まれて、彼女は獨景の手が、生地の上から自分の頭を撫でているのを感じた。きっとまだ部屋の中では、《i-BARUMMAH(アイ=バルマフ)》と《ŠEMAGLiGシェマグライグ》が(仲よく?)ケンカし合い、獨景がそれを見守っているお伽の国の様な光景があるのだろうと思った。でも今は、彼の手の中で護られているのも悪くなかった。


(いつか僕も、先生のみている彼方に連れていってもらえるのかな……)


 そんな期待が、彼女の胸にはささやかに、しかし無視できないくらいに甘く、ぎっていた。

 

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