4 / - 2 名古屋市×東春日井郡市 壹
「――――しまった!」
騎乘裝甲戰鬭機に組み込まれた戦闘補助人工知性《ŠEMAGLiG》により自動的に開かれた緊急通信用チャンネルが、コクピット内の異常を速やかに部隊に伝えた――その場にいた学園都市特殊工作師団の全員が代月更也の絶叫を聞いた。
特殊素材の対Gスーツは首から下を護り、パイロット・ヘルメットは鼓膜と脳を、生命維持装置と通信機能を備えたマスクは気道と肺を護ったが、ヘッド・マウント・ディスプレイだけは眼球を護れなかった。それは複合積層学園都市が独自に開発し改造していた装備だった。
実景と電子虚像を組み合わせ、パイロットに操縦のための世界を見せていた装置は、その世界ごと、眼球を焼き尽くしたのだ――人に幻想を与える道具は、代わりに、現実から人を護ることはできないとでもいうように。
《奇行狼筐体》の次が始まったと隊員たちは思った。次は自分たちが身体に穴を開けられ、絶命するしかないのだと悟った。それは明確な恐怖だった。
悲鳴は響き続けた。
聞きながら全力で逃げ出す者が数人。
代月の方へ向かおうとした者が数人。
その場に立ち尽くした者が数人。
柳條香流は隊長機のコクピットで血の気が引くのを自覚した。
ブービー・トラップに部下がやられたのだ、と彼女は思った。
自らの迂闊さを呪った。
敵に殺意がないことで油断していたのだ。
殺意の有無にかかわらず、道具は人を殺すというのに。
柳條が油断した理由はその他にもいくつかあった。
その場所は《奇行狼筐体》がすでに先行して地雷などの安全は確かめたはずだったし、地形スキャニングでもトラップは発見できなかった。あったとしたら、植物繊維か何かで作られた罠が、地面に埋められていたのだ。それにしても、地雷してはこの爆発は大きい。新型の衝撃炸薬か何かなのか?
恐怖の中、代月のもとに駆け寄った3機の騎乘裝甲戰鬭機が、機体のほとんどが地面に沈み込んだまま機能を停止した代月機を引っ張り出そうとしていた。
夏の午後、森は爽やかな葉の音を立ててざわめいていた。
鳥が何事もなかったかのように、高く鳴いている。
顔色の蒼然としていた隊だったが、すぐに気を持ち直した柳條の迅速な指示により、4機がそのまま撤退を続行し救援を求め、柳條と1機が周囲を警戒し、残りの2機が代月機を救出することになった。
敵の姿はまだ見えなかった。
代月機の下半身は完全に土に埋まっており、騎乘裝甲戰鬭機2機の力を以てしても引き抜くことが出来なかった。機械製の人型根と化したそれはコクピット・ハッチの半分を地中に埋めたままぐったりとうなだれていた。
小型歩行車両の平均重量は3トン。
戦闘用の騎乘裝甲戰鬭機はさらに重い。
土に埋まった分、そこに摩擦と土そのものの重量が加わることになる。
騎乘裝甲戰鬭機2機の材質強度とアクチュエータ出力なら、ギリギリ何とか救い出せるはずのライン。しかし、時間がどのくらい掛かるか予測はできなかった。
(どうする………………?)
柳條は、積層学園都市に緊急通話し、この地区の状態について正確な情報を懇願した――文献による事前調査では、ここは何もないはずの場所だった。旧日本軍の軍事施設も、そこと連動して運用されていた亜炭坑もここまでは伸びていなかったはずだった。
森の中にところどころ覗く窖があることにはみな気づいていた。だがこれは動物の巣に類するものだとみな考えていた。しかしもはや、そうでないという可能性が柳條の心にも浮上していた。地下に空間があり、そこに敵が潜んでいるのだとしたら……柳條は、最悪全機が地面に引きずり込まれることを覚悟した。
柳條たちは、実際のところ正式な手続きで今日この一帯を行政から借りている。
名目は科学実験ということで、公的な研究機関の名前も使用している。
今回、UAV (Unmanned Aerial Vehicle, 無人航空機)を飛ばす許可は下りていないし、そもそも敵性存在の仮定はそれほど現実的でもなかったため、バック・パックに搭載してきてもいない。もし持っていたなら、UAVを窖に侵入させ、敵の位置を掴めたかも知れなかったのだが……。
異変が起きたのはその時だった。
最初、その音が代月機の周囲から聞こえたときは、騎乘裝甲戰鬭機の排熱機関が作動を再開したのかと思ったが、それは違っていた。
それは頭上の樹々のざわめきと似ていたが、もっと規則的だった。
硬くてしなやかな何かが、こすれ合っているようだった。似ている音があるとしたらそれは――蟲の群れているような。
戸惑っている柳條らの前で、地面に亀裂が走った。
代月機を中心にして、四方八方に地面が割れていく。
そして――その亀裂から覗く肢を、柳條は見た。蜈蚣の肢に似ていた。ただし、その肢は太めの人の指ほどもある。
(ヒッ……な、なんだ。何なんだ。だが、あれは……)
無数に走った亀裂の全てから、その蟲の肢のようなものは見えていた。
ぞろぞろと蠢き、その奥の胴も垣間見せながらウネっていた。肢が、脚の付いたその蟲が蠢くたびに、地面は割れ、柔らかく砕かれていく。
地面全体が盆状に数メートル沈み込んだ代わりに、代月機を硬く咥えこんでいた地面は砂のように砕かれていた。砕かれた地面はアリ地獄の巣のようになり、螺旋状に回転する砂の流れに代月機は流され、柔らかくなった地面へと斜めに倒れ込んだ。すると、用はすんだというように、蟲の肢は高速ですべて窪みの中心点へ向かってズルズルと引いていき、後には何事もなかったかのように、辺りには静寂が満ちた。
(…………逃がすわけにはいかない)
柳條は足裏の聴覚センサで得た断片的な情報から、即座に《ŠEMAGLiG》に地面の下を蟲が遠ざかる速度と方向を算出させた。鉄道とは方向が被らない。
「3機いれば代月機を抱えられるか?」
柳條はすかさず隊員に訊ねた。
今や代月機はすぐにでも抱え出せる状態になっていた。
肯定する隊員たち。
「……よろしい。ならば速やかに撤退。私は、あいつを追撃する」
柳條は敬礼して隊の撤退を見送ると、先ほどの蟲が消えた方向――岐阜との県境にあたる山岳地帯の方向へと、騎乘裝甲戰鬭機を全速力で高速機動させ始めた。威力偵察、ということになるだろうか、と柳條は機体を走らせながら思った。
3時間で帰れなければ、乗り遅れた彼女を載せる鉄道車両は、もう明日まで来ることはない。
だが、べつにそれでもいい。
実のところ、あれには見覚えがある。彼女は《ŠEMAGLiG》に導かれるまま、高速機動で機体をあの蟲の元に向かわせた。