第四の扉◇揶揄とギャグ
宗教のことあるいは宗教に係わる事柄をストーリーに盛り込む際には相当の気遣いが必要であることを、この扉のエピソードを執筆して思いました。
特に宗教と対立して論破しようとかと考えている訳でもないし、揶揄と言っても痛烈なる皮肉を浴びせ掛ける訳でもないし。何百年の時を経てたくさんの人間によって構築されたものを、昨日一昨日に物書きを始めたダディ風情が太刀打ち出来るはずもありません。ダディが精々書いてもギャグレベルの揶揄ですから。
しかしながら「表設定」で述べたように「せっかく物書きをやっているのだから、尊大な人物を自分のペンで『自由』に描いてみたい」という欲望を簡単には拭い去れるものではありません。その辺りの折り合いをどう決着するかというさじ加減が、楽しくもあり難しくもありといった感じでした。
この扉のエピソードについても、ほとんどの事柄は「表設定」において言及しましたので、恣意的なことと言えば先ほど述べた『揶揄』の部分くらいです。その他に残されていると言えば、ドドさんが茶々入れしている「ギャグ」の部分でしょうか。
分かりました。それではこのエピソードに書き込んだ、二つの「ドドさんが発したギャグ」を徹底的に解説させていただくことにしましょう!
ドドさんのギャグ・その一は『麻雀ネタ』です。
麻雀を知らない方にも分かるように説明しようと考えましたが、そうすると麻雀の基本的なルールから説明しなければならないように思えて気が遠くなりそうですから、関係する部分だけを掻い摘んで説明することにしましたのでご容赦いただきますよう。
麻雀牌には、漢数字と赤字で「萬」が書かれた『萬子』と、青と赤の丸い印が書かれた『筒子』と、主に緑で一部の牌が緑と赤で骨のような竹のような印が書かれた『索子』の三種類があります。
その他に、漢字(「東」「南」「西」「北」「ハク(何も書かれていない牌)」「發」「中」)だけが書かれた『字牌』もありますが、今回は省略します。
それで、この「萬子」と「筒子」と「索子」という種類の牌には、一から九の数字もしくはその数の印が刻印されています。その数字は、一から九までをそれぞれ「イー」「リャン」「サン」「スー」「ウー」「ロー」「チー」「パー」「キュー」と読みます。
これだけの種類の牌(三十四種類)があり、これらの牌それぞれが四枚ずつあるので、合計百三十六枚になります。また、麻雀の上がり役を作る基本として「同じ牌を三枚集める」と「数の並びで三枚集める」とがあります。
以上のことを参照しながら解説すると、ゲストキャラの名前である「イースー」の「イー」は「一」を表し「スー」は「四」を表します。上がり役の基本である「数の並びで三枚集める」ということから、手牌には「二」の牌と「三」の牌があって「一」の牌か「四」の牌を待っているということであり、ドドさんのセリフの中にある「筋牌」の意味なのです。
その後にドドさんが発言している「萬子? 筒子? それとも索子待ち?」の意味は、麻雀牌の種類について言及しています。イースーの場合には筋牌が「一」か「四」でしたので、「一萬」か「四萬」もしくは「一筒」か「四筒」もしくは「一索」か「四索」のどれかで『ツモ』(山から引いた牌で上がること)もしくは『ロン』(他のプレーヤーが捨てた牌で上がること)を狙っているという意味です。
ふぅ、疲れた。
結局、麻雀のほとんどを説明したような気がしますけど……。
ドドさんのギャグをイースーが一喝して終わっているので、ここまでの説明は不要かもしれません。ですが、内容を知っているとより面白くなります。例えば「ドドさんは何ちゅう発言をしているんだ!」というツッコミとか「麻雀ではない!」と声を荒げるイースーの気持ちが垣間見えてニヤリとしたり出来ますから。そういう思いでシッカリと解説をさせていただきました。
ドドさんのギャグ・その二は『はさみネタ』です。
ドドさんが全てのセリフを言い切る前に、イースーが「そんな『道具』は持ち合わせていない」と発言しているところから、お気付きの方もいらっしゃるかもしれません。
「ド……」
そうです、まさしくその通りです!
版権等に触れる可能性があるため、かなり隠喩的な表現をしますが「耳がなくて、真ん丸で、水色と白色のツートンで、首に鈴を着けて、あれでも原型は猫らしい」というロボットに装着された「布製次元断層式収納装置」から必要に応じて取り出される『道具』の一つを指しています。
本編文中ではカモフラージュのため「はさみ」としか述べていませんが、ググるとウィキペディアでは『影切りばさみ』という名称で掲載されていました。それではウィキペディアから「影切りばさみ」の説明を引用してみましょう。
『人間の影を「影切りばさみ」で切り取り、切り取られた影は活動を開始する。切り取ってから三十分間、影は影の主である人間の命令を素直に聞いてくれる。この間、影は声を出すことが出来ない。しかし、三十分を経過すると影に知恵が付き、自分の意思で勝手に動き回り始め、喋るようになる。そして、影は自分が影であることが嫌になり、影が影の主である人間と入れ替わろうとする。やがて、真っ黒な影の姿は人間に近づき、逆に影の主である人間の方の色が黒くなり、二時間ほどで両者が完全に入れ替わってしまう。影を元に戻す時には「影とりもち」で捕獲した後、専用のノリで貼り付ける必要がある』
こちらもイースーの一喝でドドさんのギャグが打ち切られていますけど、何がしかの雰囲気で分かると思われます。ですので、ここまでの詳しい説明は不要だとは感じています。感じていながらもそんなことは無視して、今まで通りにキッチリと語らせていただきます。
マーサとイースーがイースーに影があるかどうかを巡って問答をしている最中に、影が無いと言い切ったイースーに対してドドさんは「影切りばさみで切り取ったんじゃないのか?」という疑惑を投げ掛けようとしていた、ということですね。それに対してイースーは、何処から情報を仕入れたのかは分からないけれど『影切りばさみ』という道具の存在を知っていて、先回りしてピシャリと突っ込んだという訳ですね。
もし、イースーが影を「はさみ」で切り取って、しかも二時間以上放置していたとしたら……。
この「イースー」の正体って?
……なんてね。
この扉の「裏設定」はギャグの解説に終始してしまいました。
このエピソードには「ケプラーの光の逆二乗の法則」とか「時空」とか「光が持つ、波動と粒子の二重性」とか「光は相対速度が変化しない」とか細々と書いているけれども、それはイースーを光と同義とした時の「問答材料」に過ぎなくて、結局はこれらのギャグに尽きるエピソードであったかもしれません。
それが『裏設定』なのか?(おいおい!)