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AppendixEE  作者: 檀敬
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第五の扉◇エヴェレットの薔薇

 最後の扉である「エヴェレットの薔薇」が一番好評だったのは自分でも頷けます。というのも、序論の「エピソードについて」でも書きましたが、この『エヴェレットの薔薇』を一番早く着想して、最初に執筆を終えた短編だったからです。だからこそ、構想の段階では第一章だったのを最後に順番を入れ替えたのですけれど。


 それ故に、この扉のゲストキャラはカモフラージュはある意味で慎重に丁寧に行っております。ゆえに判断し難いであろうと思います。「裏設定」に関することは後に記述するとして、キャラの設定は以下の通りです。


 主人公の「僕」こと『(さとる)』は二十五歳で、中堅の製造業会社に入社して三年目、ようやく仕事に慣れてきて、そろそろ身を固めようかなといった感じ。真優子の誕生日に薔薇の花を届けてプロポーズしようとしている設定です。

 悟の彼女である『真優子(まゆこ)』は二十一歳、短大を卒業して親族の系列会社で事務職をしている。悟の気持ちを確かめたい、結婚したい気分に充分なっているという設定。

 相思相愛の二人で仕事も順調、いわゆる「リア充」というのでしょうか。そんな幸せの中にちょっとした「人生のトラップ」があって、それが『エヴェレットの薔薇』であったと。そんな設定でストーリーが始まります。


 ストーリーの流れは以下のようにプロットしました。


『何度でもエレベータ落下事故で死ぬ悟は、現時点では生き残れないのだと告げられる。あくまで真優子の歳である二十一本の薔薇にこだわる悟。だから何度も死ぬ。だが、最後に悟はマーサに薔薇を一本渡して、ようやく真優子がいる十九階に辿り着いた。そして、悟は一本足りない二十本の薔薇を真優子にどう言い訳するか』


 得意というと「何を天狗になっている!」と叱られてしまいそうだけれど、僕なりの恋愛小説の風合いで書きました。けれども考えてみると、SFのエッセンスをキッチリと絡めてキレイに収めた恋愛小説は、ひょっとしてこれが初めてかもしれません。特に今回は後味がスッキリした微笑ましいエンディングを心掛けましたので、そういう意味でも良い仕上がりではなかったかなと自負しております。


 そして、相対論と量子論の絡みをどう関連付けるのかが悩みの種であり、醍醐味でもありました。


 量子論ではいつも「確率に支配されている幽霊のようなあやふやな世界」が話題になり、SFの世界ではよくネタとして語られている『パラレルワールド』と絡んだりします。

 しかしながら、実際のところは観測するまでは確率でしか予測出来ないということだけあり、それに量子論が問題としているのは素粒子の世界の話であって、確かに不確定性原理も働いていますが、総じてある範囲内の確率に収まっているがゆえに、語られるような「幽霊」は存在しない訳であり、現実問題としてあやふやで霧がかった物体を目にすることはありません。

 要はこの世界のことと量子論とが辻褄が合うように語ることが出来るかという問題に終始するような気がします。物理学者にはこれよりももっと詳細な説明が必要なことはともかくですが、少なくとも僕のような凡人の世界においてはこの説明で充分ではないかと思ったりもします。


 それでは、いつも語られては問題になる量子論の「収束」という言葉と、この扉で用いている今回の「多世界」の解釈について説明しましょう。ただし、これはたぶん正確な解釈ではなく、ダディなりの小説へ応用するための解釈だということを理解してくださいませ。


 今回は『収束』ではなく、ワザと『収斂』という言葉を使いました。本来、もっともよく量理論で語られる言葉は、コペンハーゲン解釈の「収束」あって「収斂」という言葉は使われません。基本的に日本語では類義語ではあるのですが。ただ、これを書くにあたって、このコペンハーゲン解釈を忌み嫌い、「収束」を使いませんでした。ダディの中で、その言葉はどうもシックリとこないし、それよりも何よりもエヴェレットの多世界解釈との整合性を図りたかったためにあえて「収斂」を用いて、コペンハーゲン解釈とは微妙に違っていますよという意味を持たせたかったのです。


 「コペンハーゲン解釈」って何?という問いにも、ダディなりの解釈で応えておきましょう。


 量子力学の状態は、考えられるいくつもの状態や状況が重なり合っていて、どの状態であるかは確率でしか表せられません。そして観測すると重ね合った状態が変化して一つの観測値を得て、一意の状態になります。これを数学的に「波動関数の収縮」といい、これをもって「波束の収束」と解釈するのが「コペンハーゲン解釈」の考え方なのです。

 この「コペンハーゲン解釈」は、量子力学の状態のみを対象とした解釈で、観測者を含めた全体を対象として扱っていません。また、この解釈はこういった量子力学の現象、波動関数の収縮を坦々と述べてているだけで、どうしてそうなるのかという解釈は一切ありませんので、物理学的な問題を今だに孕んでいると言えます。


 次に、この扉のメインとなる「エヴェレットの多世界解釈」の解釈はこうなります。


 端的に述べるならば、コペンハーゲン解釈では対象物だけだったのを、観測する側をも含めて考えようとする解釈だと言えます。

 考え方を宇宙全体に拡大すると、宇宙の外側に観測者がいない(宇宙の外側があるかどうかも分からないのに、その外側に観測者を想定すること自体が無意味であると考える)ので、宇宙全体の量子力学的状態は観測者を含めて永遠に重なり合っていると考えられるのです。つまり「量子力学の状態の重ね合わせ」は収束によって消えた訳でもなく、他の世界へ分離した訳でもなく、客観的に「現時点でのこの場所」は存在するが、観測者(つまり、自分たち人間も含めて)も「重なり合い」の中にいるために「量子力学の状態全体」を認識することは出来ないと解釈する訳です。


 もっと咀嚼すると「シュレーディンガーの猫」でいうところの、死んだ猫と生きている猫の重なり合った状態は絶対に観測出来ないし、観測者自身が「死んだ猫を観測する」もしくは「生きている猫を観測する」のどちらかの流れに確率で決められていると解釈するのです。

 このように書くとあたかも二つの世界があるように思えるので、このことをSFは「パラレルワールド」とか「多層世界」や「平行世界」と呼んでSFの世界観や設定として盛り込んだりしますが、実際のエヴェレットの多世界解釈で解釈されているのは、常に一つの世界だけです。どんな可能性、それは確率と言い換えてもいいですが、それで宇宙全体の世界がどう突き進んでいるかは全く分からないというところは、本質的にコペンハーゲン解釈と同じ問題を抱えているとも言えます。

 

 今回のこの扉ではエヴェレットの解釈を忠実になぞろうと思い、ある意味で「背水の陣」的な操作なのですが「パラレルワールド」の言葉をドドさんにバッサリと切り落とさせました。そして、悟に「確率の変更」をさせるようにマーサとドドさんを仕向けて、その変動のターニングポイントを「一本の薔薇」に置きました。

 このことで事態をダブルミーニングすることが出来たと思いました。エレベータのワイヤーが切れるのは、純粋に質量負荷のためであるとの解釈も出来るからです。たった一本の薔薇の花、数十グラムの質量差で「切れる」「切れない」を語り、一人の男の命をも左右するという醍醐味に正直、ワクワクしました。

 このことはこのエピソードの最後にドドさんのセリフで切り出しましたが、本来の辿り着くべき地点はそこではありません。マーサの〆のセリフを引用しましょう。


『薔薇の本数に彼の執着が無くなった時点で収斂し、違う未来が選択されたのよ。だから、エレベータのワイヤーはもう切れないわ』


 正確に解釈するならば「選択された」ではないですね。確率の変動が起こったと表現すべきですが、ここは悟自身が気が付いたってことで「選択」という前向きな言葉を使ってみました。


 SFガジェットの解説はこれくらいにして、薔薇の本数、恋愛の解釈へと進めたいと思います。


 この部分に関しては、多くの説明や解釈は不要だと思われますが、ただ一点だけ言い訳をさせてください。それは『薔薇の本数が真優子の年齢本数に一本不足しているのに、どうしてマーサも真優子もにこやかにそれを受け入れているのか?』という部分です。

 基本的な考え方として「薔薇の数が一本少ないけれど、そんなことは関係ないの。私は『薔薇の花をプレゼントしてくれる』ってことに私への愛情を充分に感じるわ」という立場に立っています。だから、マーサは「そんなモノが何だって言うのよ!」ときつく言い切り、真優子は「そんな正直な悟さんが、あたしは大好きよ」と迎え入れたのです。

 マーサと真優子の薔薇の本数に関する解釈は同じにしてあります。そうでなければ話が収まらないというのもあったのですが、この解釈は女性の視点から見ると「甘いよねー」とか「分かってないわよねー」とか言われそうで、正直なことを言わせてもらえるのならば「ご意見とご批判は勘弁してください」という感じなのです。何卒、ご了承くださいませ。


 悟と真優子の、余りにも理想的過ぎで物量にこだわらない、無垢で純粋な恋愛を「ハーレクイン・ロマンス」と揶揄しつつ、この扉の解説を終わりたいと思います。


 追記として、数字について記述しておきます。

 エピソードの中に「二十一」「二十」「十九」「十八」「十七」「十五」の数字が出てきます。

 二十一は八番目のフィボナッチ数の要素だとか、二十は二番目の原始擬似完全数だとか、十九と十七は素数でこの二つは四番目に小さな双子素数だとか、十八は三番目のリュカ数だとか、十五は六番目のテトラナッチ数で四番目のベル数で三番目の完全トーティエント数だとか、それぞれの数字自体にいろいろな意味があります。けれども、このストーリーや用いられているガジェットに対しては、一切関係ありませんし、またそれらに意味を見い出してもいません。悪しからずご了承ください。

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